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過去編6(ソロ視点)

 キャロルは涙をぬぐった後「他の家族にも知らせてきます」と言って席を立った。それにシェリーが従って二人が扉から出て行くと、研究室に静寂が帰ってくる。

 壁際に並べられた本棚の隙間から辛うじて見える午後の日差しは陰りを見せ始めている。タイムリミットは近く、ぴくりとも動かないカーラの顔色はより一層悪くなっていた。

 ソロはカーラの額に手をかけたところで、カロルドが対面に移動してきたことに気が付いた。それまでキャロルが座っていた椅子に腰かけ、二人はカーラを挟んで対面する格好になる。

 カロルドの表情から感情は読み取れない。きっとカロルドから見た自分も同じ顔をしているのではないか。キャロルから聞いた打ち明け話は、それぐらいには自分たちにとって破壊力があったから、とソロは思う。


 カロルド、バルバルド、ジェニマール。子どもたちの中でカロルドが一番ソロに似ていると言ったのはたしか、システィーナの兄だった。自分の方が似ている、と頬を膨らませて子どもたちはにらみ合い、その様子がおかしくて微笑ましくて、システィーナと三人で笑いあったことを覚えている。

 あの頃自分たちは確かに家族だった。血だけじゃない、確かな絆を感じられた。その後の人生を考えれば、あの時間はあまりに一瞬だったけれど。


「家族、か。同じ家族でも、僕たちとはずいぶん違う。すごいね、あの子たちは」


 こんな話をしたところで、カロルドから反応が返ってくると期待していたわけでもない。


「血がつながっていればそれだけで家族だというなら、カーラとキャロルは家族じゃない。そうやって否定することは簡単だけど、彼女たちが自分たちが家族であると自認している限り、それはただ自分の価値観を勝手に押しつけているだけだ。……けれど、あの子たちみたいなつながりを『家族』と呼ぶなら、僕たちは家族失格かもしれないね」


 返事を期待しない独白はこの八百年、ずっと繰り返してきたことだった。城に行っては、全ての感情を失って機械的な日常を続けるカロルドに何度も話しかけた。城を出てからどうやって冒険者になったか。そこでどんな仕事をしたか。

 竜に蹂躙された魂を器の中に求めるように、途方もなく可能性の低い奇跡にかけて、反応が少しでもあればそれだけで一喜一憂して何度も繰り返し。しかし普段は仮初めの人格を持って活動していると聞かされた彼は、自分に対してだけは長いこと一言も発しようとはしなかった。

 公爵令嬢の一件を経てようやくカロルドとしての人格を自分にも見せてくれるようになった。でもそれはつい最近のことだったから、今でもこうやってただ語り聞かせるような癖をのぞかせてしまうことがある。

 そのたびにカロルドは嫌そうな顔をして中座するのが関の山だったが、今日は答えが返ってきた。


「比べられるものでもないだろう。俺たちは、あんまりに特殊だから」


 どこか自信なさげに言われたカロルドの返答はまったくの正論だ。けれどだからこそ意外だった。

 彼が自分のことを親父と呼ぶのは丁寧な嫌がらせだと確信していたし、まさか家族と認識してくれているなんて思いもしない。

 その通り、自分たちは家族としてかなり特殊だ。


 年をとらないからじゃない。

 一人は竜から力を得て、一人は竜に力を奪われた。一人は膨大な魔力を持ち、一人は魔力を持たない。一人が加害者で、一人が被害者。

 正反対の性質を持った自分たちの共通点は遺伝的形質くらいなものしかない。


「なら、君は家族とはなんだと思うの」


 まぬけで隙だらけな質問をしてしまった、と思った時にはもう遅い。

 カロルドは「何だコイツ」という視線でこっちを見たかと思うと、ぐるりと首を回してから答えを紡ぐ。


「そんなものは、ただの幻想だよ。誰かとつながっていることで安心を得ようとする自己欺瞞だ。特に子どもを設けるなんて、ただでさえ押しつけがましい自己愛を物質化する唯一の方法だ」


 彼があえて攻撃的な言葉を使って自分を傷つけようとしていることがソロにはわかる。そうやって心の隙を作って相手の器に自分の居場所を作ろうとするのが、かつては彼の中に寄生していた竜の十八番だった。

 しかしどんなに毒にまみれた言葉でも、無視され続けた長い日々を思えば彼が他者として自分を認識してくれているのは少し感動的だ。


 感慨にふけるソロのとぼけた顔を見て腹を立てるように唇をひん曲げると、カロルドはさらに言葉を重ねる。


「ただ愛を注げ、無条件で自分を愛する対象が欲しかったんだろう? そしてそれはまっさらじゃないと意味がなかった。だけどそれは親の都合だ。子どもから見れば教育とうそぶいて洗脳し、自分に都合よく思考する人間を作り上げるなんて自己愛の押しつけ以外の何物でもない。だから、家族なんてただの幻想なんだ」

「待って。カーラ達は親子じゃないよ。それでも――」

「カーラなんて知るか、俺は俺たちの話をしてるんだ。……家族失格と言った親父の失敗はな、子どもを自分の理想のための道具にしようとしたことだ。いざ理想のための障害になるとみれば、自分で作り上げた子どもから目をそらして責任を放棄したことだ」


 かつての自分には、理想があった。竜に脅かされることなく、人々が人々のために暮らす穏やかな世界。

 そうしてようやくたどり着いた世界はしかし、理想とはほど遠かった。

 支配者を竜から人に変えただけで、人々をいたずらに混乱に陥れただけじゃないか。一体自分の行動によって何が変わったというんだ?

 王と呼ばれるようになって、何回も同じことを自問し、その度に一つの結論を得る。

 一度始めた戦いは、どちらかが勝者になるまで終わらない。あるいは、どちらかが敗者になるまで終わらない。――自分は、戦いを始めた者として責任を負わなければならない。


 精神が摩耗していく日常の中で、健やかに成長していく子どもたちの姿にどれだけ救われたかわからない。

 自分はとっくに成長するということを失っていたけれど、それでも家族が側にいてくれたあの日々は、今でもあたたかなものとして胸の内に残っているのだ。

 カロルドはそれをただの自己愛だと否定する。

 確かにそうかもしれない。

 結局自分は果たそうとしていた責任を何一つ果たすことなく放棄して、一度すべてを捨ててしまったのだから。父親失格だと言われても仕方がないと自分でも思う。


「システィーナと恋をして、僕たちの子どもにどうしても会いたくなった。何があっても味方でいようと誓っていたし、どんな人生を歩んでも応援するつもりだった。うまくやっていけるという確信がただの思い込みだったことを今となっては到底否定はできないけれど、きみが生まれたことは間違いなく、僕らにとって望外の喜びだった。それすらも、きみは自己愛だと嬲るかな」


 カロルドの追撃が来る前に、ソロは慌てて息継ぎをする。


「だから、今更だろうけど向きあうことが責任だと思った。君には僕を恨む理由も、権利もあるだろう。こうなったら胸のうちを全部吐き出していいんだよ、父親らしい度量の広さを見せつける時がきたんだ。大丈夫、何を言ったって僕は壊れたりしない。親子喧嘩ならいくらでもかかってきなさい」


 おどけて茶化すように告げた言葉だが嘘偽りなく本心だ。いくらでも毒を吐き出していい。それが親の責任だと言うなら、いくらだって受け止めて見せる。

 さあ、今度は何を言い出すだろう。そう思いながら瞳を閉じて返事を待った。


「……俺は、ただ、」

「ただ、何?」


 眼を開いて前を見れば、迷子みたいに泣きそうな顔をした息子と目が合った。

 けれどそれきり、カロルドは口をつぐんでしまったので、推測で続きを口にしてみる。


「生きることは、苦しみでしかなかった? 生存は罪悪感を抱かせるものだった? それくらいなら、生まれないほうがよかった?」

「やめろ、理解を示そうとするな。……俺はただ、うんざりしただけだよ。

 今も竜は俺の器の中にいて、表に出る機会を虎視眈々と狙っている。身の内にある竜の憎しみは今も、お前の首筋にかぶりついて息の根を止めたいって言っているんだ。それなのに安い同情なんてされたら、耐えている自分が馬鹿らしくなってしょうがない。もう半分以上、俺は竜で、人間じゃない。だから、始祖としてとっとと常世に送ればいい。それが息子にしてやれる、最後のはなむけだ」


 言うつもりはなかったのに、と不貞腐れたようにうつむく姿。

 理解するなと言いながら明確なヒントをカロルドは口にした

 今の彼は『混ざって』いる。おそらく器の中で封印された竜と、魂の一部を共有している。だから行動や発言の中に竜の本能と言える攻撃的な部分が多分に含まれるのだろう。

 そしてだからこそ彼は、竜の悪意をこれ以上広げないために、消滅を望んでいるのではないか。


「俺は過去で、カーラは、今だ。これを天秤にかければ、親父は今を選ぶだろうと思った。後悔してくれれば満足で、俺はきれいさっぱり消えるつもりだったのに」


 小さい声で呟くようにそんなことを言う。


 ソロはようやく、息子の姿がはっきり見えるような気がした。

 幼いころ、暗闇が怖いと言って縋り付いてきた泣き顔。初めて魔法を使って、嬉しそうに振り返って見せた笑顔。

 剣と魔法を教えてくれと決意を込めた瞳。どうやらシスティーナに稽古をつけられてこてんぱんにやられた後らしく、母上に負けないくらい強くなりたいのだ、と言う息子にそれは無理だ、とうっかり笑ってしまった時のしかめ面。

 みんなを守れるくらい自分も強くなりたいのだ、と歯を見せて笑ったあのころ。


 あの頃から、彼は何も変わらないのかもしれない。


「……ずっと、夢をみているみたいだったよ。君を陥れたあの日から、悪い夢をみているみたいに現実感がないんだ。僕はきっと、あのときに人としての役割を終えた。システィーナにも言われたんだ、『いつまで人間面しているつもり?』って。きみが自分を人間じゃないと言うなら、僕だって、もうずっと人間ではない。人間としてあるべき生理現象のいくつかがなくなったのがいつからか、なんて覚えていないくらいだ。生物的な境界はとっくに逸脱している。

 きみの器は長いこと竜に奪われていて、それでもあきらめずに耐え抜いて、自由を掴むために戦った。そうして生まれたのが今の君という自我だ。死のうとしたのは、自らの中にある竜の衝動を抑えるためだったんだね、それってとても人間らしいと思うな」


 世界のために死のうとしたきみの勇気を誇りに思うよ、と笑えば「その顔が一番嫌いだ」としかめっ面が帰ってくる。


「でも意外だな。だって、自己犠牲なんてくだらないって言ったのはきみじゃないか」

「自己犠牲だと思うなよ、もうこんな世界、ほとほと嫌気がさしただけだ」


 星を閉じ込めたかのように青く輝く宝石の瞳。その目に浮かぶ諦念を得るために、いったいどれほどの苦労があったのかなんて知る由もないけれど。

 彼が世界のために自分を犠牲にしようと言うならば、言っておきたいことがあった。


「……竜から人々を守らなければならない。それを使命だと思っていた。家族を守れなかった僕でも、この力がある限りは世界の調和のために働くことが責任であり、罰なんだと思いたかった。

 エディから手紙が届いたのはそんなときで、ルビーが宝石眼を悪用していないか確かめてほしいと言われた。器は、常世に近い自分だけの世界だから、そこに十分な悪意と魔力があれば、世界を滅ぼす竜は発生しうるんだよ。普通なら自分の見たくない部分、気づきたくない真実。それを悪夢という形で突き付け、魂を摩耗させる、人を内面から襲う怪物だ。だけどもし宝石眼を持っている人間がそんなことになったら、竜を常世からこの世界に現界させてしまう可能性がある。僕は最悪の事態には、ルビーを殺してでも止めなければならないと思っていた」


 実際に調査を始めてすぐに、それしかないかもしれないと思った。ルビーの瞳が暴走しているのは明らかだったし、あれ以上の混乱を振りまくならば、王が動く前に。自分が始末をつけるしかないかと思った。


「けれど。公爵令嬢の一件は、驚くほど見事に何事もなく解決した」


 奇跡と呼ぶには偶然に近く、偶然と呼ぶには人為的に。


「カーラたちは自分で解決して見せたよ。かつて竜は人は世界にふさわしくないなんて言っていたけれど、それが誤りであることを証明した。ルビーの心を奮い立たせて、自分の中にあった悪夢と向き合わせた。人は支え合うことで、竜を制御することさえ可能にしたんだ。それはつまり、」


 一度息をのむ。それは、一つの事実を意味する。


「……つまり僕はもう、世界に必要ないんだ。

 人が人の力で生きられる世界を作ろうと思っていた。竜の庇護なんてなくても、困難があったとしても、人が自分の力だけで乗り越えられる世界。だけど、理想はすでに達成されているんだということを、カーラは教えてくれた」


 あのときのシスティーナの判断は正しかったのだと今なら思う。別にカーラがとびきり特別なわけではなく、ずっと前から、人だけの力で世界を作ることはできたのだ。その時々の王の意向に従って力を貸してきた自分の行いはおそらく、安易で巨大な力に人を依存させるだけであって、その時の到来を無理やり引き延ばしていたにすぎない。


「ならどうする? 一緒に常世に行こうとでも言って、無理心中でもするつもりか?」

「それこそまさか、だ」


 不敵な笑顔を作って笑い飛ばしてみると、カロルドは眉間にしわを寄せて応じた。


「世界はまだまだ驚きで満ちているし、世界が僕を不要だって言ったって、僕にはまだまだ世界は必要なんだ」


 こんな台詞、半分以上はただの見栄だ。ずっと世界のためと信じて揮ってきた力が、本当は余計なお世話でしかなかったなんて認めたくはない。


「伊達に八百年も放浪してきたわけじゃない。人間に内在する鈍感さも、不寛容も、嫉妬も、とてもたくさん見てきたけれど、人にはそれぞれ個性があって、誰にでも共通していたことなんてほんのわずかだった。その中の一つが、社会と調和しつづけるためには、絶えず変化することを受け容れる必要があるっていうことだ。要するにそれは成長なんだよ。生き続けるかぎり、成長は続くものだって言っただろう?」


 日差しがいよいよ長く伸びて研究室にも入り込んでくる。夕暮れの赤い光がカーラを包む。

 照らされた頬がまるで上気しているように見えて、彼女がカロルドを叱り飛ばしたときのことを思い出して、ソロは知らずと微笑んでいる。


「今さら、なにが、どこが、成長するって言うんだ」

「甘えたがりのわがまま息子、きみは随分伸びしろが大きいと思うな。まずは誰かに八つ当たりする前に、自分の機嫌は自分で直しなさい。きみの中の竜……悪意は、きみが飼いならすしかないのだから」


 驚いたのだろう、見開いて自分を見つめてくる青い瞳。

 突き放したと感じただろうか。だけど、不可能ではないと思っていた。なにせ長い時間だけは保証されている。生きるか死ぬか、今決断する必要なんてどこにもないじゃないか。


「自己犠牲なんてくだらないって教えてくれたのはきみだった。だから僕は成長する。僕は、先に進むよ」


 そしてソロは、眠っているカーラに手をかざす。

 『始祖』と崇められる存在が目の前の女の子の命ひとつ救えないなんて、きっとこの国で暮らす人のほとんどは信じない。

 なら、それを真実にしてやればいいのだ。

 失敗すれば世界が滅びる可能性すらある。掛け金が大きすぎる気がするけれど、世界を守る重圧なんてもう感じない。

 それに気づかせてくれたのは、カーラだった。


 魔力を集中させるために目を閉じようとして、その前に父親として息子に最後になるかもしれないアドバイスをした。


「きみは、いつまでそこで立ち止まっているんだい?」

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