過去編1(ソロ視点)
拍手の音が聞こえる。カーテンコールを終え、解放感に浮かれて歓声をあげる生徒たちが控え室に近づいてくるのがわかる。
しかし、それでもなお、ソロとカロルドは一歩も動かずに対峙したままだった。
一番最初に控え室に入ってきたのは、カーラにカロルドの代役を提案した小道具係の女子生徒だ。彼女は部屋に入るなりカロルドに気づき、出番を終えたとたん小道具を彼女に預けてさっさとステージを降りて出て行ってしまったカロルドに、不満を込めて声をあげた。
「カロルドくん、なんでカーテンコール出なかったの? って、あ、あれ? カロルドくんが二人いる?」
少女は言いながらようやくソロがいることにも気づいたが、カロルドのローブを着ている彼が、まさか始祖本人だなんて思いもしない。
女子生徒の声に一切の反応を示さず、それどころか自分たちを無視してお互いを睨みつけている二人を見て、続けて入ってきた残りの生徒たちもお互いの顔を見合わせた。
何が起こっているのだろう。もちろん誰一人何も知らない。それでもうかつに動けば火花が散るのではないかと思うほどの緊張感だけはありありとわかる。
カロルドがいつも着ているローブを着ているのは一体誰なのか。背格好といい服装といい、見た目だけならカロルドだ。だけどそれはおかしい。だって目の前にいる仮面をつけた男が、今まで一緒に劇を演じていたカロルドだ。これが本人なのは間違いない。子どもだましの怪談の、死ぬ前に現れるという死者と同じ顔をした影じゃあるまいし、カロルドが二人いるのは、明らかにおかしい。
そう思うのに、二人はあまりに似すぎている。
そして、小道具係の少女がローブを着ている方のカロルドが抱えている少女にようやく気がついた。
「カーラちゃん! どうしたの、具合悪いの?」
そう言って駆け寄ると、ようやくローブの方のカロルドは周りを生徒たちに囲まれていることを把握した様子で、「カロルド、場所を変えよう」と言った。それに反応して、始祖の衣装を着たままのカロルドが返す。
「なんで? ここにいる全員が当事者だよ。親父、俺が何をやったか察しはついてるんだろう? だからこそここに来た。違うか?」
――親父?
生徒たちの顔に疑問が浮かぶ。そう年が離れていないように見えるけれど、このローブの人はカロルドのお父さんなのか。どうりでおそろいのローブ姿のはずだ。もしかしたら、ローブ姿の『お父さん』は研究棟にいる魔術師なのかもしれない。
それに二人が似ているのも、そういう理由ならとりあえず納得できる。だとしたら、これはただの親子げんかで、自分たちが心配する必要なんて何もないのかもしれない。家の事情なら、望まれていないのに他人が口を出すのは不躾だ。
生徒たちがそう考えて、和らぎかけた空気をよそに、ソロは緊張を切らさない。ローブで作られた影の奥で眉根をひそめて、カロルドに言った。
「……だからって、この子たちを巻き込む必要はないだろう」
「『巻き込まれた人ごと救う』んじゃなかったのかよ。それに今回の犯人は、俺だけじゃない。特に、シスルは自分が何をしたか、知っておいた方がいいと思うね」
いきなり話題に出されたシスルはたまったものではない。ステージで得た疲労はとても重く、一歩踏み出すのもおっくうで、カロルドに吹っ掛けられた『いたずら』が思いのほか自分を疲れさせていることを、シスルは思い知る。
「カロルド、どういうこと……?」
シスルの視線はちらちらとカーラに向けられている。彼女に何が起きたのか、その答えを知りたくて重い体を動かしてカロルドに問いかけた。彼女もシスティーナの衣装を着たままここにいる。顔面は蒼白で、今にも崩れ落ちそうだが、支える人間は側にはいない。
「おまえのせいだよ『システィーナ』。おまえの魔力が、カーラの魂を器に閉じ込めた」
「嘘……!」
叫ぶようにシスルが大きな声をあげる。頭が痛い。体が悲鳴を上げている。そしてそのことこそが、自分の魔力が根こそぎどこかに注がれていることを意味しているということに、気づかないシスルではない。
彼の『いたずら』に乗ったからこそ自分は魔力を使い果たした。それをカロルドが利用して、カーラが倒れているという結果を生み出した。
崩れ落ちたシスルに注目が集まる。カロルドの言葉を聞いてソロが唇を噛んだことに、その場の誰も気づかない。
「嘘じゃない。習っただろう? 『魔力を込めた声は、人の感情を誘導しやすくする』。俺が教えたのは、声に悪意を持った魔力を込めるちょっとしたコツだったよな。もう一つはその悪意をたった一人に差し向ける方法。そしてそれを使えば、カーラをちょっと困った状態にできる、とも言ったかな。お楽しみの『いたずら』だ、って」
シスルに言い聞かせるように語り始めたカロルドを、年少クラスの生徒たちが見守っている。ソロの腕の中にいるカーラはぐったりとしていて、その原因がシスルにあるとカロルドは言う。
確かにそうかもしれない、と一部の生徒は思い至る。シスルが終盤で歌った歌に魔力が込められているのは感じていた。通常、歌を用いて聴衆の一人だけに影響を与えるということは考えにくい。けれどもカロルドの入れ知恵によってそれを突破できるとしたら――カーラをひどく嫌悪していたシスルなら、やりかねない。
だとしてもカロルドのその楽しそうな様子は何なんだ。カーラがいたから、カーラが受け入れたからカロルドもクラスの仲間として迎えたのに。そのカーラが意識を失い、シスルと共謀して彼女を陥れたという張本人が、なぜ今にも笑いだしそうなのかがわからない。
「実際よくやってくれたよ。お前の悪意は正しくカーラに届き、俺が一番望む結果を生み出してくれた。『カーラなんて、いなくなってしまえばいい』。そう方向づけられた魔力がなければ、俺が仕込んだまじないだけではどうしようもなかった」
そこまで話すと、カロルドはシスルの腕を取って椅子に座らせた。恭しいその態度と裏腹に、言葉には棘が増していく。
「俺は事前にカーラに三つの罠を仕込んでおいた。好意を仄めかして魂を揺さぶり、身体的接触で体にも刻印を残した。『もしかしたら惚れられているかもしれない』なんてのは、思考回路の構成の大半を恋愛に依存した人間なら飛びついてくるトリガーポイントだよ。そして今日、あのシスルの歌と魔力によって俺とカーラの器を繋ぎ、器に魂を閉じ込めた。カーラは以前俺の器に落ちたことがあるから、その時の縁をもう一度結び付ければ、これはそれほど難しい話じゃない」
記憶と情動を司る器に魂と体を使って暗示を仕掛け、タイミングを合わせて罠を発動させた。カーラの魂はカロルドが仕掛けたまじないによって器の奥底に囚われて浮上できず、だから昏睡状態に陥って目覚めることがない。
しかしこの方法は、とても迂遠で、非効率な、ともすればたやすく失敗する方法である。
カロルドが成し遂げたという行為を正しく理解できる生徒はこの場にはいない。そもそも魔法の論理を使って人を陥れるような技術があることを、年少クラスの生徒たちは知らされていない。
だから疑問は一つだった。
「なんで、そんなことをしたの?」
心の底から理解できない、といったように生徒の一人が声を出した。
始祖の遺した思想に則り、他者への共感と協調、自分自身の自立と自律を尊ぶ魔法学校に所属しているのだ。生徒たちはカロルドのしでかした行為を目の当たりにしてもなお、その動機を疑問に思った。
「カーラは最後まで黙っていたみたいだな……俺は始祖の子ども、『さらわれた王子』だよ」
カロルドがシスルの側から立ち上がり、ぐるりと振り向いて生徒たちに告げた。そして仮面を外して瞳を露わにする。そこにあるのは、王家に近しい者しか持たない宝石眼だ。彼の言葉が真実かもしれないと思わせるには、これより説得力のある証拠はない。
始祖が生きていて、窮地に陥った公爵令嬢を救ったことは社交界中の常識だ。年少クラスの生徒たちもその例外ではない。その始祖であればまた、息子が生きていても不思議ではないのかもしれない、と生徒たちは考える。
先日起きた宝石眼を持つ公爵令嬢の大騒動の、犯人が始祖の息子であるだなんて、王権に関わるスキャンダルはとっくに王家によって握りつぶされている。
生徒たちは息を呑んだ。今まで、始祖は伝説上の存在だった。いきなり目の前に現れた『伝説』に心がついていかない。まるでさっきまで自分たちが演じていたはずの劇の世界に取り込まれてしまったように平衡感覚を失い、白昼夢のような感覚で、彼の言葉にたやすく取り込まれていく。
しかし、それまで黙っていたニコラは疑問を口にした。
「ちょっと待ってよ……さらわれた王子ってギルバルド陛下のことでしょ? カロルド、偽名なの?」
「……ギルバルドは弟だよ。あの芝居は、八百年でお前たちの祖先が自分たちに都合のいいように作り替えた歴史だ。見たくないものを排除して作り出した、傲慢で欺瞞に満ちた物語だ。……ただ、そうだな、俺からみればギルバルドこそが、親父よりよっぽどこの国の始祖にふさわしいと思うね。違うか、親父?」
話を振られたソロは、それでも沈黙を貫いている。
静まりかえって二人を見守る生徒たちが、始祖の息子を名乗る男がローブの男を親父と呼んだことをかみ砕いて理解する前に、カロルドはもう一度口を開いた。
「当代の王に続く血筋はギルバルドが残した子孫だ。その血を受け継いだ貴族は、自分の本心を覆い隠すことばかりに長けるようになった。虚飾と虚構で身を固め、自分は世界一清廉潔白だという顔を恥ずかしげもなくさらしていることが今となっては魔術師の第一の条件だ。だからたしかにシスル、お前は憧れている一流の魔術師になれるだろうぜ。……おいおい、なんでお前が傷ついたような顔をするんだ?」
シスルはカロルドの言葉に肩をびくりと震わせて、消え入りそうな声を出した。
「だけど、『カーラなんていなくなればいい』だなんて、それで本当に昏倒してしまうだなんて、私、そんなつもりじゃ……」
そのつぶやきを聞いて、こらえきれないといった様子でカロルドが吹き出した。
「『そんなつもりじゃない』とはよく言ったものだよ! 自分の行動で望まない結果が出たらわざとじゃない、そんなつもりはなかったって、そう言えば許されるとでも思っているのか? それとも、自分は誰かを攻撃しても、自分が誰かから攻撃されることなんて考えもしなかったか? まさか、人に悪意を向けるということが、どんな結果を生み出しかねないか、わからないほど子どもでもないだろう。……自分の行動の責任は、自分でとるしかないよなあ?」
シスルは椅子から立ち上がろうとして、膝に力が入らなくて失敗した。そのシスルを抱き起こすために間近に寄ったカロルドは口の端を吊り上げて笑っているようなのに、その瞳は泣きだす寸前みたいに歪んでいる。
――まるで帰り道がわからない、迷子になった子どもみたいだ。
器の奥、深淵を探る青い宝石眼。視線は確かに自分に向けられているはずなのに、その魂が自分を捉えているとはどうしても思えない。誰かの影を追うように凝視されて、この男が心底怖い、とシスルはすくみ上る。
自分は一体、誰の口車に乗ってしまったのだろう。
本当に、ちょっとした意趣返しのつもりだったのだ。こんな大事になるだなんて思っていなかった。『いたずらを仕掛ければ、カーラはちょっと困ったことになる』とカロルドは言っていた。だから自分は、ただ、ちょっと困らせてやりたかっただけなのだ。困ったカーラを見て、留飲を下げられればそれでよかった。それなのに、カーラはもうここにはいない。戻ってくるのか、それもわからない。
お前が引き起こしたことだ、とカロルドは言う。自分が引き起こしたことなら、その責任をとれば、カロルドは満足してくれるのだろうか。
でも、どうやって?
「やめなさい、カロルド。この子たちも、もちろんシスルも、きみの八つ当たりのための道具ではないよ」
シスルの思考を封じたのは、何を考えたのかフードを外し、その瞳を露わにしたソロだった。
赤く輝く宝石の瞳。勇者ソロが始祖本人だったという噂は、この学園にも当然届いている。
カロルドが『さらわれた王子』だと言うのなら、彼に父親と呼ばれたこの男性は、当然、
「始祖様……」
生徒のうちの誰かが言ったその声に、ソロは反応を示さない。ただシスルの傍らに立つ、カロルドだけをその赤い瞳で見つめていた。
「赦しを請いながら、キスをねだってみたらどうだ、『システィーナ』。劇のように、優しく贈り物をくれるかもしれないぜ」
カロルドに耳元でそんなことを囁かれたシスルは、なぜ自分が、国が伝説として崇める二人に挟まれているのかさっぱり理解できないでいる。だからただ、カロルドの言うままに動くことしかできない。
「始祖様、ゆるしてください……」
「――どうでもいい」
息子以外の存在に初めて向けられた始祖の声音は、その場にいた全員が驚くほど冷たかった。
この国で生まれ、ずっと始祖という存在の神秘を聞いて育った。
始祖は自分達貴族にに特別な力を与えてくれた存在。自分たちを無償で愛してくれる、この国の、国民の、父。
そう信じていた部分が、生徒達には多かれ少なかれ確かにあった。
でもそれはただの幻想だったのだ、と始祖を見て理解せざるを得ない。
自分たちに向けられた、どこまでも平坦で、起伏というものを感じない瞳。おそらくこの人は、道端の石ころを見ても同じ顔をしているのだろう。そしてそれと同程度の関心しか、自分たちに向けるつもりがない。
その理解を裏付けるかのように始祖は言葉を紡ぐ。
「きみたちの幻想に付き合っている時間はない。僕たちの歴史が後世にどう語り継がれているかなんて興味がないよ」
シスルは今まで信仰に近い気持ちで始祖に想いを寄せ、その理想を実現しようと努力してきた。その始祖が、自分になんの関心もないと言う。
怒っていると言われる方がマシだった、とシスルは思った。それはシスルを認識し、感情を向ける余地があるということだから。
言葉を失った生徒たちから視線を外し、ソロはカロルドに向き合った。
「どうすれば、彼女は帰ってくる?」
「結論だけ言えば、俺を殺せばいい。カーラの魂は今、自分の器の奥深くで眠っている。原因である俺の魂が消滅すれば、カーラは助かる。他に方法はない。……ただし一つだけ注意事項だ。カーラの器にはいま魔力が供給されない状態になっている。なんの防壁もなしにその状態じゃあ、持って五時間程度だろうな」
ソロはそれだけ聞くと、ため息をついた。
カーラを抱き直してきびすを返そうとしたソロに、生徒の一人が声をかける。
「カーラをどこに連れていくつもりですか」
「……カーラは僕が預かると担任の先生に伝えておいてくれ。カロルド、君も来なさい」
「はいよ」
先ほど見せた抵抗はなんだったのか、と問いただしたくなるほど抵抗なさそうにカロルドはついていく。
始祖とその息子は扉をくぐって消え、そして、控え室は静寂に包まれた。誰も彼も、今目の前で起こったことを整理できずにいるまま、時間だけが流れていく。
あと五時間だ、とカロルドは言った。
それが過ぎたら、カーラはどうなるのだろう。
シスルはいよいよ泣き崩れ、その背中をアニスとニコラがさすっている。
※
生徒たちを控え室に置き去りにして、ソロは研究室に向かいながら自分自身に言い聞かせていた。
カロルドの言う通りなら、確かにカロルドを殺さない限りはカーラは戻ってこない。彼を殺すためには、自分が直接手を下すしかないだろう。
そしてそれができないなら、カーラを見殺しにするしかない。




