魔法学校編5
カロルドの視線を辿っていくと、そこには三人の女生徒がいる。彼女たちは他人に聞こえないように顔を寄せてこそこそと話をしながら、カーラたちの様子を窺っている。自分たちは熱心にカーラ達を見つめているのに、フードと封印布で遮られたカロルドの視線には一向に気づく様子を見せない。
カロルドはその中の一人、一番カーラを熱心に見ている女生徒に焦点をあてた。
シスルである。
カロルドは彼女の様子を、じっくり観察している。
※
シスルはルノー伯爵家の長女として生まれた。
産まれついて稀有なほど大きい魔力を持った彼女の誕生を、両親はとても喜んだ。強い魔力を持つということは、神聖な始祖に愛されているのと同義である。ソロが聞いたら表情を変えずに「関係ないよ」と否定するだろうが、貴族の中ではそういった思想が未だ根強い。
しかし、情緒豊かな子どもが、感情を荒げる度に体内を荒れ狂う魔力を制御するのは容易な技ではない。シスルも例に漏れず、魔力の暴走による度重なるトラブルの末、両親はシスルを幼いうちから魔法学校に通わせることを決めざるを得なかった。
国の至宝である宝石眼を持ちながら、その魔力の強さ故に人を遠ざけるルビーのようになってほしくない、という思いが強かったのだろうと、今ではシスルも納得している。
それでも、幼い身で父母と離れて寮で生活し、魔力量と学習習熟度を絶対視する魔法学校という閉鎖的な環境に閉じ込められた当時のシスルはたまったものではなかった。入学してしばらくは両親が手を焼いた時の何倍も激しく癇癪を起こしていたが、どれほど暴れたところで魔法学校の教員は、魔力のコントロールひとつできない子供の扱いなんて慣れたものであり、シスルは暴れれば暴れるほど教師からの心象が悪くなり、それに従って自分の居場所が狭くなることに気がついた。
この学校では、教師のいいつけを守る優秀な生徒だけが居場所を作ることができる。そう考えたシスルは人よりずっと努力して、十歳にして年少クラス主席という記録をうちたてた。
また、少しづつこの学校で時間を重ねるうちに、同じような境遇の友人もできた。アニスとニコラという令嬢で、二人は休日を共に過ごす親友として、時にはライバルとして切磋琢磨できる仲間になった。
魔力の強い自分は始祖に愛されている。幼いころからそう聞かされて育った彼女が同じ考えの友人を持って、両親が何より喜んだ自分の魔力を自尊心の拠り所としたのは、無理からぬことだっただろう。
そうやって成長を続け、いつか高等部まで進んで、始祖にもっとも近いと言われる国家資格を持つ魔術師になることが、いつしか彼女の目標になった。
そこに現れたのがカーラである。『灰かぶり姫』なんて呼ばれる、自分とそれほど年の離れていない少女。魔法学校に見いだされるほどの魔法の素養を持っていないのに、怪我をした時にたまたま始祖が目の前にいたという理由でその魔力を譲り受け、宝石眼を手に入れた人間。
せめて、自分よりずっと優秀な人だったら諦めもついたと思う。
しかし違う。宝石眼を持っているのだから魔力は十分あるはずなのに魔法のひとつもろくに使えず、勉強においてもシスルより一歩も二歩も遅れている。
正直、とても目障りだった。
努力せず始祖に近づき、努力せずに力を得た。努力せずに魔法学校に入学し、努力せずに自分の居場所に踏み込んでくる。
ただ魔力が強いからという理由で両親から引き離され、だけど腐ることをよしとせずに努力して獲得した居場所が、闖入者によって脅かされている。教室で、寮の自室で、カーラは他人とのとるべき距離を考えずに自由気ままにふるまう。それがシスルには耐えがたい。
担任のルロワは気にするなと言うが、どうしたって一挙手一投足に注目するし、失敗すれば「そらみたことか」と嘲笑せずには自分のプライドが保てない。
だって、この学校の、この場所だけが、自分に残された居場所なのだ。その場所に土足で踏み込まれておいて、カーラを気にしないでいる方が無理がある。シスルはそう考えている。
当のカーラはそんなシスルの心情にさっぱり気づかないまま、そう遠くないテーブルでフードを目深に被った男と一緒に食卓を囲んでいる。
学生食堂のカーラから死角になる位置で、シスルが級友たちと食卓を囲んでいた。
「ちょっと、あれ……」
そう声を上げたのはニコラだった。カーラを指さして、シスルに視線を送ってくる。
ニコラが指し示す先にはカーラとカロルドがいる。しかしローブを着込んでほとんど顔が見えない状態で、あれは先だっての騒動の元凶であるまじない師だと言える人間はこの場にはいなかった。
それよりも「カーラと一緒にいる男性」に、誰もがひとつ心当たりを持っている。
「もしかして、あれが始祖様?」
「そんなはずありませんわ」
アニスの言葉をすぐに否定しながら、シスル自身確信が持てずにいた。『仮面の勇者』が始祖本人であったというニュースは学院中の人間が知っている。顔を半分隠していることも、背格好も、フードの男はぴったり当てはまるし、何よりカーラの知り合いということがその疑いを強める。
「まあ、あんなに顔を近づけて。はしたないとは思わないのかしら?」
シスルたちの目と鼻の先で、カーラとカロルドはお互いの距離を詰めて真剣な面持ちで何かを話し込んでいる。男が始祖であるということはただの誤解なのだが、始祖かもしれない男はカーラと随分親しげにシスルたちには見えた。
「……始祖様にあんなに近づくなんて、一体どんな手を使ったんだか」
「王太子殿下の婚約者である姉君を使って、殿下のツテを辿ったんですわ、きっと」
「不敬ではないかしら? 殿下が、そんな下賤な頼みを聞くとは思えません」
「そうかもしれませんが、でも考えてしまうのです。だってそうでもしないと考えられません。神の力を受け継ぐ始祖様が、なんであんな子を特別に扱うのか。だってあの方、あんまりにも未熟ですし」
「ええ、わかります。この間教室で実技を行う時も、魔力を制御できずに失敗していました。そんなの、ほんの初歩のことなのに!」
「物事に対する感情を抑えようとしないからああなるんですわ。器も魂も未熟だから、感情も魔力も全部垂れ流しになって、焦点を合わせて力を揮うことができない」
器を制御するためにまず感情のコントロールをしなさい、としつこいほどに教育を受けているシスルたちにとって、感情を思うままに表すカーラはひどく異質である。
「シスルさまも大変ですね、あんな子と同室にさせられるだなんて」
アニスに向けられたそんな言葉に、シスルは一度黙った。自室ではカーラが視界に入らないよう避けて、ほとんど無視するような状態を続けている。それなのにカーラは、シスルが発する「近づくな」というオーラをあっさり無視して踏み込んでくるのだ。シスルがどれほど距離を置こうとしても、カーラはシスルに近づくことを諦めようとはしない。それどころか、少しでも隙を見せれば遠慮容赦なく踏み込もうとしてくる。
「そうですわね……隙を見せられないので、落ち着きません」
「あら、シスルさまはいつだって隙なんかありませんよ。けれどあの子が来てからシスルさま、髪型が変わりましたよね。コテを使うようになられたんですか? ふんわりしていてかわいらしいわ。今度やりかたを教えてください」
アニスの言葉に微笑みだけで答えて、シスルは視線を落とした。
コテを使って髪を巻くのは苦手だ。
熱したコテは顔にあたってやけどしないか恐ろしかったし、そうやっておっかなびっくりコテを扱うせいで、髪をきれいに巻くのはシスルにとって、非常に難易度が高かった。
魔法学校は貴族が学ぶための学校だが、学校を建て、初代校長まで務めたジェニマール王の方針により、学生の身の回りの世話をするメイドや侍従は寮には入れないことになっている。生きているだけであたりまえに世話をしてもらえるという貴族に特有の感覚を低減させて自立した精神を育み、民を支える特権階級としての意識を教育する、ということであるらしい。だからシスルは誰かの手を借りずに髪を整えなければならないが、毎日のそれはひたすら苦行だった。
だから起き抜けでうねった髪はオイルだけつけてハーフアップにしてまとめ、なんとか体裁を整えるのが入学以来の日常だったが、かわいく髪を巻いている同級生を見れば憂鬱は増した。自分だって、実家に帰ればメイドにくるくるしたかわいい髪形にしてもらえるのに。そう考えたことは一度や二度ではない。
その様子見ていたカーラが、ある日起きるとコテを用意して待っていた。
「シスルの髪、とってもきれいなんだもの。ちょっと触らせてほしいの」
にっこり笑ってそう言ったカーラに、寝ぼけたままろくに思考を走らせることができなくて、うっかり頷いてしまったのがシスルにとっては運の尽きだった。
なにせカーラはテーブルに完璧に朝食をセットした状態でシスルをそこに誘導し、低血圧ぎみのシスルがぼんやり座っている間に、あっという間に、髪を整えてしまったのだ。
「コツさえわかれば、簡単なのよ」
笑いながら差し出された鏡に映る自分の姿に驚いた。カジュアルに、それでいて上品にまとめられた髪はシスルに非常によく似あっていた。今までこんなにも、自分に似合う髪形にしてくれたメイドはいなかったと思うほどだった。
けれど、なぜかそれが悔しかった。
それでも髪を整えてもらったことは本当なのだから、とシスルはカーラに礼を言おうとして、失敗した。どうしても、愛想よくカーラに笑いかけて礼を伝えることができなかった。
だというのに、カーラはそれすらも微塵も気にかけず、次の日も同じようにシスルの髪を整えた。
無視したって、用意してくれたお茶やお菓子をわざとこぼしてみせたって、カーラは毎朝笑ってシスルの髪を整える。
なぜどれほど辛く当たって見せても、カーラは自分と距離を置こうとしないのか。
自分に気に入られたって、カーラにはなんの見返りもない。なのに無償の奉仕を続けられることは、正直に言えば気味が悪い。自分が持つ悪意に気づいてないのだとしたら、能天気にもほどがある。頭に花が咲いているとしか思えない。
コテを使って髪をきれいに巻くことも、自分を嫌っている相手に毎日微笑みかけることもシスルにはできない。その自覚がある。なのに、自分にできないことがカーラにはできる。その気づきは、まるで自分がカーラに負けてもいい理由を見つけてしまったようで、心に刺さる棘になった。
もしカーラと仲良くなれたら、きっともっとずっと楽だったに違いない。
悪い人間ではない。邪悪でも、害になる人間でもない。人に対して悪意や害意を持つことは器を歪めると言う。カーラにネガティブな思いを抱き続けることは、魔力を扱う人間として忌むべき感情でもある。
それでも、振り上げた拳も、積み上がったプライドも、今まで努力してきた記憶も「あいつは嫌いだ」と叫んでいる。
「シスルさま? どうかなさいました?」
アニスが心配そうに顔を覗き込んできて、シスルは学食にいたことを思い出した。そしてまた、目の前の二人に向かってカーラに対する不満を言いつのる。
三人で醜い感情を共有して、共感し、共感されることで自分の正当性をごまかしている今の状況に疑問がないわけではない。
ただ、たった十年の人生で、初めて感じる大きな悪意をもて余しているだけなのだ。
三人は食堂で話を続けている。
カロルドは、その様子をじっと観察している。




