魔法学校編2
合格通知を受け取ってから数日後、カーラは今度は正門から魔法学校に入った。
ジェニマール王立魔法学校。この国の貴族の子女が魔法を学ぶための学校である。校舎は建国五百年ごろに建てられたという話だから随分年代物のはずだが、頑丈な石造りの建物は端々に豪華な装飾も施され、その前に広がる巨大な庭園と相まって、外観はまるで宮殿のような荘厳さだ。
――まさか、正面から見られる日がくるとは思ってなかったわ。
魔法学校にはよく来ていたものの、ずっと不法侵入を繰り返してきたから、人目につくこの庭園には来たことがなかった。
庭園の中央にある、どの角度からでも光が水滴に反射した虹が見えるようになっているという魔法仕掛けの噴水はこの学校の象徴で、左右対象に作られた広い庭園に咲く四季の花々と共にこの学校の魔法技術の高さを物語っているのだという。
カーラにそんな知識を、教えてくれたのはソロだった。
それを嬉しそうに語り始めたカーラを、たまたま今日は用事がないから、と半ば強引についてきたシェリーがたしなめる。
「あなたね……よそであんまり、ソロ様の話をしない方がいいわよ」
「どうして?」
「不自然に注目を浴びるから。ただでさえ公爵家の一件で尾ひれのついた噂が出回っているのに、始祖様と親しいなんて喧伝するようなマネしたら、周りからなんて思われるかわかったもんじゃないわ」
そういうものだろうか、とカーラはいまいちピンときていない顔をしながら思う。
シェリーはそんなカーラの顔を見てそのおでこに一発デコピンすると、噴水に視線を戻した。
「カーラ・トラフさんとご家族の方ですか?」
じっくり噴水を見物していたカーラとシェリーに後ろから声をかけてきたのは、眼鏡をかけた三十前後と思しき男性だった。いかにも魔法使いらしいローブを着込み、片手には魔導書と思しき本を抱えている。
すこしカールのかかった黒髪を無造作に一つに結び、緑の瞳が優しそうな印象をカーラとシェリーに与えた。
「はい、そうですけど?」
「ああ、よかった会えて。ようこそ、ジェニマール王立魔法学校に。私はトミー・ルロワ。この学校で、講師をしています。これからはあなたの担任の先生になりますので、よろしくお願いしますね」
「先生だったんですね! こちらこそよろしくお願いします!」
「ルロワって、もしかしてルロワ男爵家の?」
「おや、よくご存じですね。ええ、そのルロワですよ。といっても私は三男坊で、爵位の継承権なんて持っていませんが。かわりにこうして、自由にやらせてもらっていますよ」
ルロワの返答を聞いて、途端にシェリーの目付きが鋭くなったことにカーラは気づいた。
それはまるで、獲物を見つけたいたずら猫のような目だった。
カーラは背中がゾクっとしたが、ルロワはそれに気づかない様子で「では、行きましょうか」と穏やかに笑ってカーラを促して歩き出した。
「校舎は西翼と東翼に別れていて、正門から向かって右側が教育棟、左側は各種実験室、研究棟になっています。基本的には東翼は国家資格を持った魔術師しか使いません。だからカーラさんがこれから暮らすのはほとんどこっちの教育棟になりますね」
体を大きく動かして右側の教育棟を指し示すルロワは、先生らしい丁寧さでカーラとシェリーにこの学校について説明した。
「ご存じと思いますが、この学校には幼年クラス、年少クラス、中等部、高等部があります。幼年、年少クラスは生徒が少ないので1クラスしかありませんが、中等部は6クラス、高等部はコース別に分かれて7クラスあります。しかし高等部は魔術師になるための専門教育、研究機関としての意味が強いので、物好きしか進学せず、おおよその人は中等部を卒業したら親元に帰ります。そもそもこの学校には魔力を持つ人間しか入学できませんが、そうするとよっぽどの例外を除いては貴族だけになるので、卒業して国家資格を得ることにさほどの興味がない人間がほとんどなんですよ」
――覚悟はしていたことだけど、やっぱり随分厳しい学校なんだわ。ついていけるかしら……
と、この瞬間まで高等部に入る気満々だったカーラが心配したのもつかの間、ルロワはぼんやりとつけたした。
「まあ、高等部の話なんてカーラさんにはあんまり関係ありませんけどね」
――ん?
「なんでわたしには関係ないんですか?」
「だってあなたは、年少クラスですから」
――あれ?
「あの、年少クラスってどういうことです? わたし、これでも十五才なんですけれど」
「この学校は、年齢に関係なく学習到達度と魔法の素養によってクラス分けされます。あなたの編入試験の結果、学習到達度は年少クラスにぎりぎり入れるかどうかでした」
「えっ」
「合格通知にちゃんと書いてあったわよ。読んでなかったの?」
「ええっ! よ、読んでなかった……あんなに難しい試験に合格できたんだから、てっきり高等部に入れるんだと思い込んでた……」
「編入試験の問題は全学共通なんですよ。カーラさんには、ちょっと難しかったみたいですねえ」
年少クラスではカーラは最年長になるが、この学校では年に二回ある定期試験のどちらかに合格すれば進級が決まる。だから頑張って勉強すれば、試験に合格してすぐに中等部へ上れる可能性はある。そうすれば同年代の生徒と机を並べて学ぶことができる。
なんて頭をポリポリ掻かれながらルロワに説明されても、カーラは正直それどころではなかった。
年少クラスだなんて聞いてない。周りがみんな子どもの中で、自分だけ大人なのに授業を受けるなんて、なんかそれは、なんかすごくカッコ悪い、気がする。
「年少クラスだなんて……ソロが聞いたらなんて思うかしら……」
「なんとも思わないわよ。あなたちょっと、自己評価が高すぎるんじゃないの? あなたの学力が低いからって、あの方がそんなことにそこまでの関心を持っているわけがないじゃない」
確かに。このことを報告しても、ソロはいつもの微笑みを浮かべて「へえ、そうなんだ」と言うくらいで反応を終えそうだ。しかし、それはそれで寂しいものがある。
「あなたはソロ様にどうしてほしいのよ」
「うーん?」
ぐるぐる考えているうちに、カーラは自分でもよくわからなくなってきた。
すると、その様子を見ていたルロワが話しかけてくる。
「ソロって、あの、始祖様のことですか?」
「そうです。そのソロです」
「……ああ、そういえばあなたは『灰かぶり姫』でしたね。始祖様とお知り合いなのは当然ですか」
「先生も、ソロを知ってるんですか?」
「当たり前です。この国に住んで、しかも魔術師なんてしているのに、もしあの方を知らないなんて言ったらとんでもない不敬ですよ。本来、呼び捨てにされるような方でもない」
「うっ。す、すみません……わたしは最初、あの人が始祖さま本人だと知らないまま知り合ったので、ソロが始祖さま本人、という感覚にまだ慣れてないみたいで……」
ルロワは穏やかな口調でカーラをたしなめたが、カーラがそれにしどろもどろに言い訳すると語気を強めてカーラの言葉を遮った。
「あまり、そういうことは言わない方がいいかもしれませんね」
ほら見なさい、という視線でシェリーがカーラを見る。
「あの、どうしてですか?」
「魔力を持つ者にとって始祖様は、自分たちに特別な力を与えてくれた存在。自分たちが選ばれた人間であることの何よりもの証拠です。正直、そういった考えで始祖様を神聖視している人もこの学校には少なくないんですよ。その人たちにとっては、あなたが始祖様に特別扱いされているということは、面白くないでしょう」
そう言うと、ルロワは校舎へ向かう足を速めた。シェリーがそれに続き、カーラは二人の背中を見て一度立ち止まる。
シェリーもルロワも、カーラに同じことを忠告した。それでカーラは、ようやく思い至った。
ソロの隣に立ちたいならば、彼に認められればいいと単純に思っていた。でもどうやら、それだけではダメなのだ。
ソロを大切に思う人にも認められなければ、彼の隣に立ち続けることなんてできっこない。だって自分は、ソロに愛されたいだけじゃなくて、ソロの左目になりたいのだから。今も赤い光を宿す左目に恥ずかしくない人間になって、彼の重荷を軽くしたいと思っているのだから。
年少クラスがカッコ悪いだなんて言っていられない。みんなに認められるだけの、実力をつけなければならない。
途方もない道のりを前に、不思議と胸が熱くなった。努力したその先に、きっと未来につながる手段がある。
やってやるぞという気持ちで満たされて、カーラは校舎の前で振り向いた二人を走って追いかけた。
※
校舎に入るところで家に戻ると言ったシェリーと別れ、カーラはルロワに設備の案内を受けながら大教室の一つにたどり着いた。
「ここが私たちの教室です! 本日の授業はもう終了していますので、今度は寮の女子棟に案内しますね。荷物はもう運ばれているはずですよ」
前方の教卓と黒板、階段に配置された備え付けの机。とても立派なその教室の、一番前の席に小さな少女が座っていた。
「先生……その子が転入生ですの?」
カーラが少女に気づいて話しかける前に、女の子の方からルロワに向かって言葉を発した。子供らしくぷっくりとした頬は薔薇色で、利発そうな広いおでこを全部出して緩くウェーブした金髪をハーフアップでまとめている。頬に影が落ちそうなほど長いまつ毛に縁どられた瞳は空色で、かわいらしさのかたまりのように見る人を和ませる容姿をしていた。
それなのに、その子はカーラに向かって精いっぱい眉間にシワを寄せて威嚇している。
だが、その様子がまた愛らしい。
「ああ、カーラさん。この子はシスル。私たちの年少クラスで首席を務めています。シスル、この人はカーラさん。あなたの言う通り、あたらしい転入生ですよ」
「シスルちゃんというのね。わたしはカーラ。今日からよろしくお願いします!」
「噂には聞いていますわ『灰かぶり姫』。大層なお名前ですわね。それにその瞳! 始祖様の瞳を無理やり拝借したうえに、その力を利用して魔法学校で学ぼうだなんて」
はーあ、と演技じみたため息をして、シスルと呼ばれた少女は立ち上がって腕を組んだ。
「盗人猛々しい、とでも言った方がいいかしら?」
言っていることも、その態度もカーラに向けての敵意が丸出しである。シェリーやルロワが言っていたのはこういうことか、とカーラは思う。
けれども、美少女がぷりぷりしていても、あんまりこわくない、ということをカーラははじめて知った。
――むしろ、かわいい。
思わずカーラがにっこりすると、シスルはそれを見て眉間のシワにさらに力をこめた。
「ふざけてるんですの? わたくし、本当に怒ってるんですけれど!」
「まあ、そう怒らないで。寮では二人は同室ですよ。カーラさんの面倒を見てあげてくださいね、シスル」
シスルは、ルロワの言葉を聞くと、思い切り嫌そうな顔をしてカーラを見上げた。




