舞踏会編3
舞踏会は順調に進行した。
王太子はホストとして多くの女性とワルツを踊っている。周りの女性たちの、王太子を見つめる目が怖い。飢えた獣のようだ。
みんな玉の輿を狙っている。千載一遇のチャンスに食らいつこうとしている。
それは自分たちも同じで、きっと同じような目つきで王太子のことを見ているのだろう。下の姉がそんな目つきをしているのは容易に想像できる。でも、上の姉はきっと、そんな視線にさらされる王太子自身を心配している。そういう人なのだ。
ドリンクのたくさん載ったトレイを同僚から受け取って、カーラは人ごみに紛れ込んで姉たちを探した。仮面の勇者が公爵令嬢に対処してくれるのなら、カーラは姉たちを直接守ればいいと思ったのだ。
姉二人は簡単に見つかった。没落貴族の苦労話は暇な上流階級の人間たちの間で恰好な話題となっていたらしい。誰も彼もが、こぞって二人と話したがり、踊りたがり、その教養と美しさに賛辞を贈った。
――当然だわ、姉さまたちはずっと、この時のために努力していたんだもの。
没落貴族の身分では教育にお金をかけられないからと、姉二人は引退した騎士やその夫人に自ら頼み込んで少しづつ、確実に学びを深めていった。教えることが本業ではない彼らの授業は断片的で、役に立たないような情報の方が多いこともあったが、二人は『学ぶ』という意欲だけであらゆることを貪欲に吸収し、あっという間に貴族主催のパーティに招かれてもほかの令嬢に引けを取らない教養を身に着けた。
人々に囲まれた二人に近づくのは困難だったが、カーラはメイドのアルバイトで培った気配を消すスキルを存分に使って少しづつ近づき、下の姉のすぐそばまでなんとかたどり着いた。
(小姉さま)
周りの人に悟られないよう小声で話しかけると、シェリーもそれに気づいて小声で返事をした。
(何よ)
(公爵令嬢さまに会った?)
(公爵様にはご挨拶したけど、令嬢は気分がすぐれないとかで部屋で休んでいるらしいわよ。それがどうかしたの?)
(見つけても、近寄らないで。なんだか不穏なうわさがあるのよ……できるだけ避けていて。……ところで、王太子さまには会えたの?)
(この人ごみでしょう? なかなか難しいわね。でも私としては王太子本人よりも婿に来てくれる上級貴族が狙いだから)
その時、場内がどよめいた。
カーラとシェリーが騒ぎの方に目を向けると、ちょうど王太子本人が、カーラの上の姉、キャロルにダンスを申し込んだところだった。
示し合わせたように、ダンスホールでワルツが流れ始める。金髪で白い衣装に身を包んだ王太子と、彼に手を引かれてダンスホールの中央に導かれる、水色のドレスに身を包んだ姉の姿は、一枚の絵画のように美しかった。
「姉さま……きれい」
思わずつぶやいたカーラの隣で、シェリルが頷く。
ゆったりしたテンポのワルツで、周囲の人々は二人を避けて踊りを止める。ダンスホールに二人きりになっても、王太子とキャロルはまるで、そこにしか世界がないかのように、お互いから視線をそらさない。
この二人がまだ恋愛関係じゃないなんて嘘みたいに、視線には感情が込められていて、その場にいた誰もが理解せざるをえなかった。
王太子は、キャロルを選ぶ、と。
短いワルツが終わると、王太子はキャロルの手を引いてダンスホールから離れた。なんだか嫌な予感がしたカーラはそのあとを追う。それについて来ようとしたシェリルは、すぐにほかの相手からダンスの誘いがかけられてその場に残った。
二人はバルコニーに出たようだった。遠巻きにしながら、多くの人が様子をうかがっている。みんな興味津々なのだ。でも、二人の邪魔をして王太子の機嫌を損ねたくはないのだ。それが如実にわかる距離のとりかただった。
カーラはメイドの身分を活かして二人に近づくことにした。
新しいドリンクのトレイを持って、バルコニーに近づく過程で、周りのひそひそ話が嫌でも耳に入る。
「見たか、あの可憐な美しさ」「身分の差を考えもしないで」「厚かましい雌猫」「扱いにくい王子」「王太子妃にふさわしい」「父王の苦労が忍ばれますな」「ダンスはどなたに教わったのか」「公爵令嬢が見たらなんと言うか……」
どうやら、姉と王太子の仲にはまだ賛否両論といったところであるらしい。無理もない、とカーラは思う。だって私たちは本当に、貴族という身分が残っているのが不思議なくらいの弱小一家なのだ。高貴な身分の人の中に入れば、妬み、嫉みが襲い掛かってくることなんてわかってた。
――それでも、わたしたちは、みんなで幸せになるために頑張ってきた。
それを、誰かの悪意でつぶされるわけにはいかない。
バルコニーで、王太子とキャロルは仲睦まじげに話していた。頬を薔薇色に染めて王太子だけを見ている姉も、そんな姉に寄り添って優し気に見つめる王太子も、この世のあらゆる幸せを体現したかのように美しい。
だけど、とカーラはあたりを見回した。誰かの悪意が熱をもって煮詰められて周囲に漂っていることを、肌で感じていた。
――誰か、とんでもなく意志の強い人が、二人に敵意を向けているんだわ。
でも、どこから? 周囲に人影は、ない。
バルコニーは中庭に面していて見晴らしがいい。つまり、遠くからでも二人の姿を見ることができる。例えば……上級貴族にあてがわれた、休憩室の窓辺。
カーラがそこまで考えて、たくさんの窓に視線を走らせた瞬間、
目が合った、気がした。
嫉妬に燃える、炎のような赤い目と。
そしてその瞬間、バルコニーに一人の男が飛び出してきた。血走った目で、奇声を発するその姿はおよそ尋常のものではなく、その手に握られた片手剣がなによりそれを証明している。
なんでそんな人が王宮に、しかも王太子の前に、なんて思案の外。それを見て、カーラは頭より先に体が動いた。
「あぶない!」
カーラは飛び出し、姉を背にかばった。
後から考えれば、背中を相手に向ければよかったのだ。だけどその時はいっぱいいっぱいで、相手と正面から向き合ってしまった。
結果カーラは、顔から腹にかけて刀による切り傷を負い、左目を失明した。