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お茶会編22

「今の私には全然なにも見えないのだけれど」


 ルビーはどこか、いたずらっぽく微笑んだ。


「みんなが言うならそうなのでしょう。あなたは、私の心が生み出した醜い怪物。世界を滅ぼせるほど力を蓄えたドラゴン」


 まさかこんなことになるなんて、と言いながら、カーラとルビーは二人そろって一歩一歩ドラゴンに向かって歩みを進める。

 ドラゴンが指先一つ動かせば二人とも危険だ。止めるべきかとソロは思うが、ルビーが何をするつもりなのかが気にかかった。


「私が宝石眼を持って生まれたのはとても不運だと思っていました。どうして私だけがこんな重圧を背負わないといけなかったのか、物心ついてからは嘆かなかった日なんてありません。どうせならエドワードさまがこの目を持って生まれればよかったのに。王家に生まれた宝石眼なら瑞兆としてもてはやされたでしょう。そうすればお父様も陛下もこれほど悩むことはなかったし、私は他のご令嬢たちと一緒にエドワードさまの一挙一動に右往左往して暮らしていられた」


 カーラに手を引かれて、ルビーがドラゴンの傍らに座った。ドラゴンのほんの鼻先、ただひと噛みするだけで簡単に命が失われる距離。それだというのに、カーラもルビーもまったく慌てるところがない。

 まるで、ドラゴンがルビーを殺すはずないと確信しているようだった。

 そんなはずはない、とソロは思う。ルビーの心で生み出された怪物は、ルビーを飲み込むことでより強い力を得るだろうし、そうなったら手の打ちようがなくなる可能性だってある。ソロは逆鱗に剣を突き刺そうとするが、カーラの強い視線を受けて一度そちらを振り返った。

 今にも泣きだしそうな、そんな顔でカーラはソロを見つめていて、ソロはカーラの真意を悟ることになる。


(カーラ、きみは……)


 自分が今、命を犠牲にして竜を分解しようとしていることがわかっているのだ、と思った。そしてそれを、彼女は止めたいと思っている。

おそらく左目を通して察したのだろうと思う。魔力と感情は密接な関係があり、ソロの瞳を得て魔力の大部分を共有している状態にあるカーラには、ソロの感情が流れ込んでいくのだろう。ものを感じる心なんて八百年生きるうちにすり減ってもうほとんど残っていないと思っていたけれど、命を落とす寸前になって、浅ましくも感じてしまったのかもしれない。

 まだ死にたくない、だなんて。


 ソロは一つ息を吐くと、切っ先を置いたまま、しばらく二人を見守ることにした。何か動きがあったら、即座に突き刺すつもりだった。


「『強い魔力を扱うには強い自制心が必要』なんて諭されるたびに、自分が出来損ないだと言われるようで辛かった。だけどそうやって感情を揺さぶられれば揺さぶられるほど、宝石眼がもたらす身の中にある魔力は暴れ狂います。それを制御することが、結局私にはできませんでした。だから屋敷の中でひっそり過ごしていたかったのに、王太子の婚約者という立場はそうさせはしない。何があっても支えてくれると信じていた婚約者はいつしか宝石眼に捕らえられ、身に覚えのない罪で私を疑い始めて、それがまた、私の心を揺さぶった」


 ドラゴンに語り掛けるように、ルビーは言葉を紡ぐ。

 ドラゴンと戦う前に逃げ出した人々が、中庭が静かになったのを知って少しずつ顔を出してきていたが、ドラゴンが変わらずそこにいることを知れば近づいて来ようとする者は皆無だった。


「近寄ってくる人も遠ざかっていく人も、みんな宝石眼ばかりを見て、どうして誰も私自身を見てくれないんだろう。私は、瞳の付属物でしかないのかしら? 子どもの頃はそんなことばかりを考えていたけれど、大人になったらもうすべてを諦めるしかなかった。そう生まれたことが悪いんだって思い込んで、瞳から逃れたいなら死ぬしかないってわかっていたのに、だけど死ねなかった。そのたびに止めてくれる人がいたからなんて言えば聞こえはいいけれど、結局は実行に移せなかっただけ。そして私は、死ねない自分を棚上げにして、私に優しくない世界を、恨んだ」


 内容に反してルビーの表情は穏やかだった。


 人間には内面の悪魔がいるとカロルドは言った。確かにそうかもしれない。醜くて正視に堪えない本音は、誰しも大なり小なり心の中に抱えているものだろう。

 けれど、内面の善性も同じくらい確かに存在しているのだ。八百年で見守ってきた人々はその力を信じてたくましく生きてきた。特に、自分の人生を自分で切り開こうとする力。それはきっと、どんな魔法にも勝る力だとソロは思う。

 ルビーは今、この場でその力に覚醒しようとしているように見える。

 もしかしたら、とソロは思う。彼女の心にドラゴンを留めたら彼女自身が壊れてしまうと思った自分の判断は、間違っていたのかもしれない。助けなければ彼女が潰れると思った。けれどそれは、彼女から成長の機会を奪うことだったかもしれない。現にこうして、ルビーはドラゴンを生み出した自分の心に向き合っている。


 たぶん、きっと、と彼女は続ける。


「なまじ強すぎる魔力でそれを願い続けたから、あなたを生み出したのね」


 そう言ってドラゴンに手を伸ばす。ドラゴンは鼻面を撫でられて、よく調教された猟犬のようにぐるると唸った。


「……ごめんなさい。悪の公爵令嬢だなんて罵声は、ある意味では正しかった。私の中にある悪意、あなたのこと、一番見ないふりをしていたのは私だった。戻ってきていいの。だってあなたも、私の一部なんだから」


 ルビーがさらに手を伸ばせば、ドラゴンがおびえたように顔を背けようともがいた。

 その様子に気が付いたのか、ルビーがさらに言葉を重ねた。


「違うわね、一緒に『私』を、やり直しましょう?」


 ドラゴンはしばらくいやいやをしていたかと思ったが、ルビーに撫でられているうちにおとなしくなった。

 ドラゴンの頬を捉えてルビーがその鼻のあたりにキスをすると、満足げに首をぐるりと回したかと思うと、少しづつ、淡く発光しながら塵となって消えていった。


 ソロはその光景を見て、慌てて背後を振り返る。召喚獣が消滅すれば、召喚者であるカロルドもただでは済まない。そのはずだった。

 それなのに、カロルドは茫然とした面持ちで、縛られた体勢のまま座っていた。


 まさか、とソロは思う。

 まさか、代償もなしに召喚獣を帰還させるなんて。


 召喚術には複雑な術式が必要で、代償も大きい。しかも竜であれば、その構成の維持に必要な魔力量は宝石眼に秘められたそれに匹敵する。カロルドはルビーの宝石眼に秘められた魔力のすべてを代償にドラゴンを現出せしめた。その竜を構成していた魔力は、どこに消えた?

 答えは一つしかない。ルビーは召喚を『なかったことにした』のだ。それ以外考えられない。

 だが、一度発動した魔法を完全に消滅させるなんて、それこそ宝石眼がなければ到底不可能である。しかし、ルビーの宝石眼は竜になって世界を破壊しようとした。

 そうであれば、その膨大な魔力はどこから転じたものなのか。


 ソロは、光の塵の中佇むルビーを凝視していた視線を横にずらす。そこにはカーラがいる。

 彼女は今、右手をルビーとつないだままで、左手で左目を覆ってうつむいていた。

 その左目は、自分が貸した魔力の塊である。

 魔法を使ったことがないと彼女は言っていた。だから、ルビーに魔力だけ流し込んでいたのだろう。だがそんなのは、生まれてから一度も使ったことがない三本目の腕をいきなり振り回すようなものだ。体の負担は相当なものだろうし、そもそも深い信頼でつながっている相手でなければ魔力を送り込むなんて不可能だ。


 まさかカーラに、こんなことができるなんてちっとも思っていなかった。だが、他に考えられない。


 ソロの視線を追ってか、あるいはカロルドも気が付いたのか、身を乗り出して叫んだ。


「……なんてことを! こんなの、台無しじゃないか!」


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