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お茶会編19

 カーラの言葉で、注目はカロルドに集中した。


「ばかな、そんな、ありえない」


 カーラの目の前にいた王太子は、カロルドとカーラを交互に見つめながらそう呟いた。


「まじない師は王家に忠誠を誓った存在だ。代々の王に仕え、その治世を見守ってきた。始祖に繋がる、王家の守り手なんだ。それがわたしを騙したと言うのか?」


 王太子の戸惑った視線を受けながらも、カロルドは笑みを崩さない。そのフードの奥に隠された瞳が見えない。本心がどこにあるのか、わからない。


「だけど確かです。彼はルビーの瞳が暴走していることを知っていて、それを隠していた。自分だけが問題を解決できる切り札を持ったままで、むしろみんなが彼女を誤解するように誘導していった。それだけじゃない。彼はわたしを……自分の呪いに巻き込んで閉じ込めることさえ、しました」

「呪い?」

「ええと……身の内にある心? の檻に入るとか、なんかそういう……」


 カーラがもたもたと説明し、注目を集めた瞬間、それまで立っていたカロルドがひっくり返る。

 ソロが後ろからカロルドを捕らえたのだ。決定的な瞬間を誰もが見逃すほどあまりにも一瞬の、鮮やかな捕縛だった。


「……そう、それに巻き込まれた彼女は、僕を助けてくれた」

「ソロ!」


 ソロはカロルドを押し倒し、両手を抑え込んでいる。S級冒険者の肩書は伊達ではない。カロルドはもはや、指先一つ動かすことはできないだろう。 

 なのに、とカーラは思う。

 状況は圧倒的に不利なはずだ。確実に追い詰めているはずだ。なのに、いまだに笑みを崩さないカロルドが、不気味だ。


「……まじない師よ。なぜ、そんなことを?」


 王太子が拘束されたカロルドに向かって問うと、とうとう彼は声を出して笑い始めた。


「なにがそんなにおかしい!」


 王太子の声が公爵邸の中庭に響き渡る。この国に籍を置くものなら震えあがるはずのその怒声に、彼はまったくひるまない。

 それどころか、頬を地面につけたままで、ゆっくりと話し始めた。


「ふふ、何がおかしいのか? お答えしましょう、全てですよ! 何事も準備が肝要とは昔より言われてきましたが、おぜん立てしたピースがここまできっちりはまったのは初めてです。いやあ、大変気持ちがいい。そう、私の計画は、あと一歩で完成するんですよ」


 カーラはカロルドの言葉を聞いて身を固くした。

――これ以上、一体何をたくらんでいるっていうのよ。


「中でも一番いい働きをしてくれたのがカーラ、あなたです。あなたがいなければ、私の計画は失敗していたかもしれない。だから言いましょう、ありがとう、カーラ。あなたのおかげで、ルビーは完成しました」

「……どういうこと?」

「あなたの言う通り、私が王家にルビーの宝石眼の在り方を伝えたら、ここまで話を拗らせることはなかったでしょう。しかし私は、ルビー嬢が王太子の婚約者候補に選ばれてからもまじない師という立場を利用して、幼い王太子とルビーを少しずつすれ違いさせていきました。すれ違っていけばいくほど、ルビーの心は複雑にこじれていった。王太子を囲む他の令嬢たちへの嫉妬や羨望、うまく自分が立ち回れないことへのいら立ち。それを全部、自分が宝石眼をコントロールできないことが原因だと思い込ませて自罰的な感情持たせることに利用するのは、さほど難しくはありませんでしたよ」


 カロルドはしゃべり続ける。まるで、道化が曲芸の前に長ったらしい口上を述べるように。


「次に私は自分に刻まれた呪いを使い、ルビーに過剰な好意を抱いて暴走した人々を狙って拐しました。まるでルビーが原因のような状況証拠を揃えれば、ありもしない関連性を見出して王家がルビーを疑い始めるのは、私が想定していたよりもずっと早かったですね。その間にも私はせっせと公爵邸に通い、ルビーの瞳をメンテナンスしていました。常に調整しておかないと、天秤が正の方向に傾いてしまっては台無しですから」


 中庭にいる人々は、いまやカロルドが語るのを固唾を飲んで見守っていた。

 ソロは、この告白をどんな気持ちで聞いているんだろうとカーラは思う。彼は、カロルドの背後で両手を取り押さえたままほとんど身動きもしない。


「だけど私の目的を達成させる決定的な一手のためには、ルビーを今までの自分と決別させることが必要でした。そのためのコマが必要でした。それを探していて、見つけたのがあなたです。自分の身を挺して姉を庇ったあなた。誰かのためにということを言い訳に、自分を犠牲にすることをいとわない愚かしい自己犠牲の精神の持ち主。舞踏会で見かけた時から、私はこの時を待っていたんです」


 カーラはそのカロルドの言い方が引っかかった。


「ねえ、何が言いたいの? わたしがルビーに、何をしたっていうの?」


 それが挑発であったということに気づいたのは、カーラの返事を聞いてより一層笑みを深めるカロルドを見てからだった。


「ルビーの瞳が暴走を始めたこと。そしてあなたとルビーが出会ったこと。この瞬間に、ルビーが自己を認めて立ち上がることを決意したこと。そのすべてが、私の企み通りのことだったらどうします?」


 カロルドが身をよじり、フードがめくれる。黒い布が巻かれた頭部が明らかになる。その黒い布がわずかにずれて、真っ青な左目がこちらを覗いた。


――目が合った。

 そう思った。


「人間、誰しも内面に悪魔を抱えています。それは薄皮一枚剥げば現れる、醜い、だけど本来の自分自身。それを決して表に出さずに、見ないふりをしていつまでも自分を偽り続ければ、内面の悪魔は栄養を得てすくすくとさらに醜く育っていく。さらに、魔力の源泉は自らの思いの強さ、つまりは感情です。強い感情を抱えれば抱えるほど、身の内には魔力を溜めていく。宝石眼とは要するに、激高しやすい本人の性質を表しているだけなのかもしれません。しかしその持ち主が宿す内面の悪魔、それはすなわち、世界を破壊しつくした竜に等しい。それを実体化させれば、こんな国は一瞬で滅びます」


 うっとりしたように語るカロルドの異常な姿に、カーラは血の気が引くのを感じる。

 これは自分を闇の世界に閉じ込めたあの時と同じじゃないのか。もしかしたら、カロルドはここにいる皆をあの世界に連れていく気なんじゃないのか。そうしたら今度こそ、あの時一度だけ見かけた竜に、みんな食べられてしまうのかもしれない。

 そう思ったカーラはカロルドを押さえつけるソロに警告しようと視線を上げるが、それよりもカロルドが声を張り上げて宣言する方が少しだけ早かった。


「顕現せよ、盟約の担い手。呪われし竜よ。我は汝の同胞である。顕現せよ、顕現せよ!」


 カロルドの言葉と共に魔力が鳴動する気配にソロが反応するが、動き出した膨大な魔力は即座に膨れ上がって周囲を包んでいく。

 カーラはその時になってようやく、背後に守っているつもりだったルビーが瞳を押さえて苦しんでいることに気がついた。そして、思い至る。


――カロルドと目があったのはわたしじゃない。後ろにいたルビーだったんだわ。


「ルビー?」


 カーラが声をかけてもルビーはそれに反応せず、両目を手で包んでわめくように叫んだ。


「痛い! 痛い! カロルド、あなた、私になにをしたの? メンテナンスだと言って私になにをしたの?  内面の悪魔ってどういうこと? 天秤の傾きってなんのこと? 宝石眼のコントロールを、絶対に私に取り戻してくれるって言ったじゃない、なのにどうして、あなたの言葉でこんなに瞳が痛むのよ!」


 ルビーはカーラが伸ばした手を振り払い、カロルドに駆け寄る。カーラはその背を追いかけて抱き着いて止めるが、ルビーは普段では考えられないような強い力でそれに対抗して、もう一度叫ぶ。


「答えて!」


 カロルドの前で眼を開くルビー。その瞳が、その瞳孔が縦に長くなる。

 まるでは虫類みたいだとカーラは思った。


 あるいは、カロルドの心の中だという闇の世界で見た、黒きドラゴンの瞳。


 盟約の担い手、封じられし竜。我は汝の同胞である。


 カロルドはそう言った。

 もしかしたら、ルビーの心の中にも、カロルドと同じように竜がいたのかもしれない。

 悪いカロルドはそれを、ルビーの心の世界から呼び出したのかもしれない。

 ルビーの周囲で質量を伴って実体化していく魔力をただ眺めながら、カーラはどこかぼんやりとそんなことを考えた。


 それが、条件が難しすぎる故に実際的には不可能と言われている召喚術という魔法であることを、カーラはまだ知らない。


 息苦しいほど密度を高められた魔力は、やがて巨大すぎる生物に変容していった。

 赤く輝く固い鱗、切れ味の鋭い爪、獲物を深く抉るための牙、薄く皮膜を張った翼が空を覆い隠していく。長い尾が中庭を彩る草木を一瞬で薙ぎ払っていく。そして血に濡れた薔薇色の瞳が、開いた。


 お茶会に参加していた貴族たちは、正気に返ったものから次々と大声をあげて逃げ出していく。

 その様子を意にも介さず、実体化したドラゴンがゆっくりと翼を広げる。その視線の先には、カロルド、そしてソロがいる。


 ドラゴンが、吠えた。

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