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お茶会編16

 親父とは

 父親のことである。


 カロルドは、ソロのことを親父と呼んだ。


――どういうこと?


 つまり、ソロは、カロルドの父親なのだろうか。

 しかし、ソロの方がずっと年下に見える。計算が合わないのではないだろうか。


 『こいつが何年生きてると思ってるんだよ』


 脳裏にカロルドの声が甦る。

 そうだ、ソロ自身も『見た目ほど若くない』と言っていた。あの時に、もっとしっかり詳しく話を聞いておけばよかった、なんて今になって思う。


 魔法についてカーラは詳しくはないが、八百年前にこの国を興した始祖はドラゴンと契約して宝石眼を手に入れ、それに秘めた無尽蔵の魔力で若い姿のまま人々を導いたという。ソロの宝石眼があれば、魔法によって若い姿のまま年を重ねるというのは、そう難しいことではないのかもしれない。


 わかった。ソロがずっと年上だというのは、認めてもいい。

 だが、父親がいるのなら。


 当然、母親がいるはずである。


「カーラ、カーラ」


 夢と現の狭間でぼんやりとそんなことを考え込んでいたら、優しい声で起こされた。


「ソロ……?」

「うん」


 優しく微笑むその姿を見たら、それまで何を考えていたのかなんてあっという間にどこかへ飛んで行って、カーラはソロの体に、ぎゅ、と飛び付いた。

 暖かい。生きている。さっきまでの、冷たくてピクリとも動かない体ではない。


「よかった」

「……なにがあったの?」


 ソロはそんなカーラに戸惑った様子で、体を離してカーラの瞳を覗き込んだ。ソロのいまだ真っ黒な左目はカロルドの心の中だという暗い世界を思いこさせて、カーラは置いてきてしまった彼のことをソロに告げた。


「カロルドが助けてくれたのよ」

「うん? 僕、あの子の呪いで奈落の底に突き落とされて、気が付いたらここにいたんだけど。どういうことだろうか」

「ええっと……」


 第二人格とか、永遠を孤独に過ごさなければ贖えない罪とか、難しい話をソロに説明できるほど、カーラはカロルドの話を理解していたわけではない。


 表のカロルドと中のカロルドは違うカロルド。表のカロルドはカーラやソロを閉じ込めた悪いカロルド。中のカロルドはそこから出してくれた良いカロルド。

 良いカロルドは悪いカロルドを止めるためにソロとカーラを助けてくれた。カーラは良いカロルドも一緒にあの世界から脱出したかったが、カロルド自身が永遠にあの真っ暗な世界にいることを望んでしまった。

 カーラは、彼に恩を返せなかった。


 カーラの認識ではそんな感じだ。

 ふわっとしたカーラの説明を聞いてしばらく混乱した顔をしていたソロだったが、しばらくすると「まさか……」と呟いたきり黙ってしまった。

 その表情がとても深刻そうだったので、カーラは自分の説明が悪かったのかと心配になったが、ソロはそんなカーラに気づいて、まるで「心配するな」と言っているみたいに微笑んだ。


「……そうか。心配かけたよね、ごめん。きみを守るって言ったのに、僕は助けられてばかりだな」


 ソロは、いつだって優しい。カーラはそう思う。今だって、ソロはカロルドを闇に置き去りにしたカーラを責めることはしない。

 でもその優しさは、宝石眼をコントロールするために感情をなくしてしまったことが原因なのだろう。

 勇者は、正しさで動く。彼の美点だと思っていたそのことに、カーラは初めて寒気を覚えた。


 彼がどんな人生を歩んできたのか、カーラはほとんど何も知らない。『ソロ』という存在が先にあったから、王や王太子の信用を得ていたから、疑問に思うことはなかった。しかし、不自然な点はいくらでもあったのだ。年齢、出自、所属、使命さえも。

 彼の瞳になりたいと思った。勇者が抱える大きな使命の礎になれるなら、自分に託してくれた瞳の恩返しになると思った。

 しかし。

 ソロの息子がカロルドだとする。ソロはそれを知っているとして、なぜ、彼のあんな状況を放置しているのか。

 自分の息子を孤独の檻に放置する。

 それが彼の『正しさ』のものさしに合致するものなら、勇者の『正しさ』とはいったい何なのだろう。


「ねえ、カロルドって……」


 本当に、あなたの子どもなの?


 そう聞こうとしたカーラの言葉は、中庭から聞こえてきた大音量の声にかき消された。


「ルビー、あなたとの婚約を、この場で破棄する!」


 一回しか聞いたことのない声だ。けれど、ソロが小さく「エディ……」と呟くのを聞いて確信に変わった。

 王太子の声である。中庭でお茶会をしているはずの王太子が、ルビーの断罪を始めたのだと理解するまでに、それほど時間は必要なかった。

 おそらく、表のカロルドは王太子に宝石を渡した。ルビーを断罪するための証拠が、王太子の手に揃ってしまったのだ。


「わたし、行かなくちゃ」

「待って。何をするつもり?」


 立ち上がろうとした腕をソロに抑えられる。有無を言わせない強さだ。それに反発するように瞳に力を込めて、カーラは言った。


「行方不明は、ルビーのせいじゃない! それを説明しに行くの!」


 ソロの手を振りほどいて中庭に行くために扉に向かうと、後ろから伸びてきた手に体を抱きすくめられて、カーラはもう一度ソロに捕らえられた。


「ねえ、カーラ。一つだけ教えて。あの子……カロルドの精神世界で、竜を見た? たぶん黒くて……目が青いやつ」

「う、うん」


 漆黒の、氷のように冷たい瞳をしたドラゴン。ソロの腕の中でその姿を思い出す。

 嘶き、少しづつ近づいてくる翼の音。思い出すにつれて、本当に食べられる寸前でカロルドに助けてもらったのだとようやくカーラは理解し、少し怖くなって体を一度震わせた。


 ソロはカーラの返事を聞いてひとつため息をつくと、カーラを抱えて窓から飛び出した。


 カーラが叫ぶより前に、ソロの唇が動く。


「大丈夫」


 その言葉の通り、地面にぶつかる寸前でふわりと体が浮いて、カーラとソロは何の衝撃もなく中庭に降り立った。

 ソロの腕から降ろされると、周囲にいたお茶会参加者の貴族たちは騒然とした。だが、ソロがもう一度仮面を被り直すのを見ると、話しかけようとした態度をまるでなかったことのように改めて、遠巻きにこちらの観察を始めた。

 中庭の中央にいる王太子たちはそのことに気づいていないようだった。

 王太子が声を荒げ、ルビーは庭に蹲っている。野次馬が多くてルビーの様子はよく見えないが、誰も彼女に視線を合わせるために腰を屈めない様子を見ると、今の彼女の周りには悪意しかないのではないかと思わせた。


 カロルドは王太子の後ろにいるのが見える。目ざとく見つけたカーラとソロを見て、驚いたそぶりも見せないのがいっそ不気味であった。それどころか、口端を一層吊り上げて、ルビーを指さして見せる。まるで、挑戦してきているみたいだとカーラは思った。


「『盟約』に反したあなたは貴族の身分を没収し、国際流刑地コンデュラ島に追放とする!」


 やたら周囲に響く王太子の声を追いかけて、カーラとソロは中庭の中央に走った。

 野次馬をかきわけていくとルビーの姿が見えるようになる。大きくて真っ赤な瞳から涙を流しているその姿が痛ましい。彼女はただ、利用されただけだ。そしてそれを知っているのは、この場では自分とカロルドしかいない。だから、彼女の味方になれるとしたらそれは、カーラだけなのだ。

 カロルドはルビーを指さして笑って見せた。「救えるものなら、救ってみろ」と言わんばかりだ。


『お前もがんばれよ、公爵令嬢を助けたいんだろう?』


 裏のカロルドはそう言った。

 やってやる。挑発に乗ってやる。彼女を、この境遇から助けてみせる。


 イライラした王太子の取り巻きが手近にあった焼き菓子の皿を取り上げ、ルビーに向かって放り投げるのを見て、カーラはその間に躍り出た。


「だめー!」


 焼き菓子にたっぷりかかっていた粉砂糖をかぶってカーラの茶色い髪が白く見える。その中で、ただその左目だけが、宝石のように赤く輝いていた。それを見たルビーが、もう一度顔をくしゃくしゃに歪める。


「カーラ。あなたの、その瞳は……」


 もう、ソロのめくらましの魔法はカーラの瞳に残ってはいない。カーラははじめて、ありのままの姿でルビーの前に立った。


「宝石眼なのね」

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