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お茶会編15

 相変わらずカーラにはまっくらな闇にしか見えないが、カロルドは迷わずに進んでいく。その背を追って歩を進めるたびに、闇が濃くなり、空気が薄くなっていくような気がした。もしかしたら、これが魔力切れの兆候なのかもしれないと思ったカーラがカロルドを呼び止めようとしたとき、唐突にカロルドが歩みを止めた。


「ここだ」


 そう言って手を引かれると、とぷん、と何かに触れた感覚があって、カーラは驚いて一瞬だけ目をつむる。そして目を開くと、そこには一瞬前にはなかったはずの空間があり、いっそう闇が深くなった薄暗いそこには、たくさんの人が横たわっていた。

 カーラはたまらず短く悲鳴を上げたが、隣にいるカロルドが悲しそうな顔をするのを見て慌てて声をひっこめた。


「この人たちは?」

「お前と同じ、いきなりこの闇に落ちてきた奴らだよ」


 同じように、この世界に落ちてきた。カロルドの言葉を聞いて、もしかして、とカーラは思った。


「今まで、公爵邸で行方不明になった人たち?」

「そう。そして、今外で何が起きているのか、この人たちが俺に全部教えてくれた。俺は、『外の俺』が体験していることはなんとなくわかるが、ヤツが何を企んでいるのかまではわからない。この人達が教えてくれなかったら、きっと何も知らないままでいて、お前を助けることはなかっただろうな」


 ぞっとした。

 彼らがいなければ、自分もこうやって横たわって眠っていたのかもしれない。血色の失せた青白い顔で、瞳を閉じてピクリとも動かないその姿はまるで、死体みたいだ。


「ええと、この人たちは寝ている、のよね?」

「みんな、魔力切れを起こして昏睡状態に入っている。最初の頃は魔力を与えればしばらくは覚醒していたけれど、ある程度時間がたつともう、どんなに魔力を注いでも、目覚めることがなくなった」


 そう聞いたら、今度は彼らが自分の末路に見えてくる。今は動けていても、体内の魔力を使い切ってしまえば、彼らと同じように深すぎる眠りにつくのかもしれない。

 だけど、カロルドは戻る方法があると言っていた。今自分にできることは、彼を信じることしかない。

 こわいことはできるだけ考えないようにして、カーラはカロルドに向かって声を張り上げた。


「行方不明になった人たちがみんなここにいるってことは、ルビーさまと行方不明は無関係ってことよね。みんなわたしと同じに、まじない師さまにこの世界に閉じ込められたんだわ」


 これは大事件だ、とカーラは思う。

 王太子やソロがルビーを疑ったのは、行方不明者が出ているからというところが大きい。魔法で人を操るのは重罪だが、魔法で人を殺めるのはさらにずっと重い罪だ。特権を持つ貴族でさえ、極刑を免れないほどの。だからこそ慎重に捜査を進める必要があって、王太子は勇者であるソロを頼ったのだと思う。そしてソロはカーラを頼ってくれた。その期待に応えたくて公爵邸で罪悪感と戦いながら情報収集をして、ルビーは宝石眼を自分でコントロールできていないことをカーラは知った。瞳に宿る莫大な魔力がコントロールを失い、それを見た人間に影響を与えてしまうのだという。つまり彼女に、誰かを操る意志はない。

 そして、まじない師はカーラから事件の証拠となる宝石を奪い、カーラをこの世界に閉じ込めた。


 事件の黒幕は、まじない師だ。ならばあとは、証拠を持って帰ってソロや王太子に陳情すればいい。

 そして事件の被害者が目の前にいるならば、それ以上の証拠なんてない。


「あなたのお願いは、この人たちと一緒に戻ること?」

「違う」


 カロルドの返答は、とても速かった。


「魂がなくなれば、肉体を支える柱がなくなるって言わなかったか? こいつらの体は、もう失われている。魔力の量が少ないほど、消滅までの時間は早くなる」


 肉体がなくなって、体と魂の繋がりが失われて、帰るすべも、魔力も全部なくなった。間に合わなかったんだ、と言うカロルドの顔は苦渋に満ちていて、泣くんじゃないか、とカーラは思った。

 しかし、カロルドは顔を上げてカーラの瞳をまっすぐに見つめて言った。


「だからお前は、一刻も早く元に戻らないといけない。こいつらと違って、お前には瞳の分魔力が多い。その分だけ時間があるはずだ。たぶんまだ余裕はある」

「たぶんなのね……」


 自信満々に命の恩人だと宣言したくせに、「たぶん」だなんて、なんだかちょっと、気が抜ける。


「悪いな、なにぶんこんなこと初めてなもんだから。けど、焦る必要はない。この世界じゃあ、時間なんてあってないようなもんだ。だけど、外の世界は違う。お前という柱がなくなれば、肉体が消滅するのは時間の問題だ。焦る必要はないが、急ぐ必要はある」

「焦らないで急げって、矛盾してない?」

「そんなことないさ。焦るのは心の中だけ。急ぐのは実際の行動。気持ちばかり先走って焦るんじゃなくて、一歩ずつ確実に前進しろって話。」


 ふむ、とカーラは頷いた。気持ちばかり先走って暴走するなと、何度も家族に言われた言葉がカロルドの言葉に重なる。

 でもいくら理屈を重ねたって、気持ちは抑えきれない。早く戻りたい。早くルビーに会って、行方不明の原因はあなたじゃないと伝えたい。ルビーのすぐそばにいるはずのまじない師を遠ざけたい。王太子にも、疑うべきは彼女じゃないと伝えたい。それが王太子や姉に喜びをもたらさないとしても、真実を伝えたい。


「でもわたし……早く戻りたい。どうやって戻ればいいの? 知っているなら、教えて」

「まあ、待てよ。お前に見せたかったのは、それだ」


 そう意味ありげににやりと笑って見せて、指さした方向にいたのは、カーラとさほど年齢が変わらないように見える、はちみつ色の髪をした少年だった。仮面がなくたって、カーラは彼が誰なのかすぐにわかる。


「ソロ!」


 駆け寄ると、彼が規則正しい呼吸をしているのが胸の動きでわかった。なのに瞳は固く閉じられて、指先ひとつ動かない。


「ソロも、昏睡に落ちてしまったの?」

「いや、それは別件だ。そういう制約なんだよ」

「制約って?」

「世界と自分を縛るルールみたいなもんだ。お前には関係ないよ」


『お前には関係ない』

 その言葉はひどい衝撃をもってカーラのこころに響いた。

 そもそもソロがなんでここにいるのか。なんで深く眠っているのか。カーラにはなにもわからない。カーラよりずっと、カロルドの方がソロに詳しい様子を見せられたのがショックだったのかもしれない。それがそのまま、ソロとの距離の遠さを証明しているみたいだとカーラは思う。

 ソロから瞳を託されて、一番近くにいる気がしていた。大きな仕事を任されて、信用されていると悦に浸った。それなのに、ソロとカロルドにはそれよりずっと強い絆があるのを肌で感じる。自分が簡単に踏み込めない絆を見せつけられて、もしかしたら寂しいのかもしれない。


――そんなの、あたりまえじゃない。ソロと知り合って、まだそんなに日は経ってないのだから。


 そう思う。なのに、納得できない自分がいる。カーラはふるふると頭を振った。険しい顔でソロを見ていたカロルドは、そんなカーラの様子に気が付かない。


「さて、お前に頼みたいことっていうのは、コイツを連れ帰ってほしいんだよ」

「ソロを?」

「ここにいる限り、コイツが目を覚ますことはないだろう。お前が帰るときに、一緒に連れていってやってくれ」


 話の急展開についていけない。


「戻るったって、どうやれって言うのよ」


 そもそもそれを聞いていない。


「魂と肉体は、本来同じものだ。器をつくる絶対必要条件。引き合う力を辿っていけば、必ず帰れる」

「引き合う力?」

「お前がこんな深部まであっという間に落ちてきたのには理由がある。その瞳だ。それ、ソロの眼だろ?」

「え? うん」


 カーラは自分の左目を抑える。肉体から出て、魂だけの存在となった今も、ソロの瞳はカーラの中にあるのだろうか。


「お前の魂は、ソロに引っ張られたんだよ。ここにこいつがいるから、一気にここまで落ちたんだ。同じように、お前の肉体に魂が引っ張られる力を利用して、ソロを外の世界に戻してくれ」

「待って。外に肉体があれば戻れるなら、ソロだって自分の力で戻れるんじゃないの? 魔力の量が存在の強さにつながるなら、宝石眼を持つソロは誰よりも魔力が多いわ」


 カーラが疑問をぶつけると、カロルドは鼻で笑った。


「あいつが何年生きてると思ってるんだよ、肉体なんてもうほとんど意味をなしてないぜ。それに魂が大きすぎて、引っ張る力自体ほとんど生まれない。宝石眼を持ってなお、お前の魂が平凡でよかったよ」

「褒め言葉だとしても、あんまりうれしくないわね」

「安心しろ、別に褒めてはいない」


 なんだか納得がいかない気持ちになって、カーラは頬を膨らませる。

 その様をしばらく見た後、カロルドはおもむろにソロの体を持ち上げてカーラの方に放ってよこした。


「ほら、持てよ」

「え、ちょっとちょっと、待って待って! きゃー!」


 カロルドが抱えていたソロの体を無造作に投げ渡されて、カーラは慌ててソロの体を支えようとする。重さがのし掛かると思って身構えるが、ソロの体は思っていたよりもずっと軽い。


「すっごい軽い! 羽みたいだわ」

「肉体はないからな。重さなんてないさ。この世界じゃ、物理法則なんてあてにならない」


 ふむふむと頷きながらカーラは、自分より大きいソロの体をどう支えるのが一番効率的か探っていた。


――たぶん両手で持つのが一番支えやすい。


 そう思ったカーラは両腕でソロの背と膝を持ち上げる。それは俗に言えばお姫様だっこであり、それを見たカロルドが必死に笑いをこらえていることなんて、カーラには知るよしもない。


「それで、どうすればいいの?」


 ソロを腕に抱いたまま、カーラはカロルドに訊ねた。


「集中しろ。魂が、どこに向かって引っ張られるかを感じるんだ」

「そんなの、わからない……」

「いいや、必ずわかる。帰るべき場所はひとつだ。息を吸って、止めて、吐いて。体の中の自分の感覚を思い出せ」


 カーラはカロルドに従って、呼吸を整えていく。時間をかけて呼吸をすることで、空気が体を充実させていくような気がする。

 カーラは知らないが、それは、魔法学校で最初に習う、瞑想のやり方である。自らの魔力を探知し、それを呼び覚ますもっとも基本的な方法だ。

 呼吸を繰り返すと、少しづつ違和感を感じていった。まるで、吸い込んだ空気がどこかに抜けていくかのような不思議な感覚だった。

 カロルドによれば、今のカーラは肉体を離れた、魂だけの存在なのだと言う。引っ張る力。それは、空気が抜けていく先に戻るべきだというこの感覚を言うのではないだろうか。呼吸が抜けていく先に、戻るべき道がある。

 いつの間にかカーラは瞳を閉じている。深く集中して、魔力の指す帰るべき場所を探知するためだ。


「……見えた」


 見えたのは、公爵邸で眠る自分の姿。ルビーの部屋で、気を失った時のまま床に倒れている。周りには誰もいない。まだ、カーラがいないことに誰も気づいていないのかもしれない。

 自分の姿を見つけたとたん、引っ張る力が強まってどんどん体に引き寄せられていくのを感じた。


「ああ、俺にもわかった。お前がどこにいたのか」


 瞳を開けると、カロルドが今までにないくらい優しい笑顔でカーラを見ていた。


「戻ったら修羅場だぞ。表の俺に遠慮や容赦はいらない。ぶちのめしてもいいから必ず止めろ。……ソロに、そう伝えてくれ」

「あなたは? もう、会えないの?」

「会えないさ。俺が表に出ることはもうない」

「そんなの」


 寂しい。そう言おうとしたのに、カロルドの指で唇を制される。


「ここでいいんだ、俺は。ここで見てる。お前もがんばれよ、公爵令嬢を助けたいんだろ?」

「うん、だけど。あなたにも助けてもらったわ。まだ満足にお礼もできてないのに」

「十分だよ。誰もいないこの闇で、血の通う人間と話せる日がくるなんて、思ってなかった。でもそんなの間違ってる。俺の罪は、永遠をここで孤独に過ごさなければ償えない。……だからこそ俺は、お前がもう二度と、こんなところまで落ちてくる奴をつくらないようにすることを期待してるんだぜ」


 リカルドは満足げに笑って、指を離した。


 ふわり、と足が浮く。公爵邸にある、カーラの体に魂が戻っていく。

 どんどん遠ざかっていくカロルドの姿を目で追いながら、彼の唇が動くことに気づいて耳をそばだてた。


 カーラの耳が確かならば、彼は確かにこう言っていた。


 親父を、よろしくな。

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