お茶会編13
お茶会当日。
カーラは予想通り忙しく、朝から走り回っていた。いつも余裕があって、走るカーラを叱る公爵家の使用人たちも今日ばかりはご同類で、一人残らず走り回ってあちこちの飾りつけやごちそうの準備をしていた。
お茶会当日でもやることはいくらでもあったし、時間なんてどれだけあっても足りなかった。
みんなでパニック寸前まで走り回りながら、時間ぎりぎりにやっとのことで準備を終えたというのに、最初の来客が来る頃には公爵家の使用人はいつも以上に落ち着き払って「走ったことなんてありません」みたいな顔をしているんだからずるい、とカーラは思う。
そんなこんなで仕事もようやく一段落したところで、玄関ホールの階段の上から周囲を見渡すと、来客の出迎えにはカドヴァスが立ち、ロミーナは飲み物を配っている。エバンズはキッチンだろう。ドフは恐らく庭にいる。
自分の役割は、手の足りていないところを手伝うこと。手が回らないところを整えること。
そう考えたカーラが会場である中庭にまわろうとした時だった。
「やあ、また会いましたね」
背中がぞわりとする感覚と共に振り向くと、声の主がそこで口の端をつり上げてたたずんでいた。ドレスアップした人々が集うなか、場違いな漆黒のローブを纏い、顔の半分をフードで隠した男だ。
つまり城のまじない師が、カーラの真後ろにいた。
「ひっ」
思わず短く叫んだカーラを誰が責められるだろう。まじない師には、それくらいまったく気配がなかったのだ。
「ひどいなあ、人をおばけみたいに」
おばけの方がまだ可愛いげがあるわ、とカーラは思ったが、さすがに口には出さない。
「まじない師さまも、招待を受けていたんですか?」
「あなた、ちょっと失礼ですね。私がここにいるのがそんなに意外ですか? こう見えても私、公爵令嬢の師匠みたいなものなんですけどねえ」
「あ、失礼しました……あまり、こういう場がお好きなようには見えないので」
「その敬語、私は苦手ですよ。慣れていないのがばればれで、とても不自然な印象を受けます。この間みたいにくだけた口調で話してくださいよ、といっても、職場では難しいか。……今、少し話せませんか?」
「仕事中ですので」
昨夜、ソロはまじない師の存在に過剰に反応していた。それを見たカーラは、できればソロと話す前には、この男と直接話すのは避けたかったのだ。
それなのに、まじない師は口許をつり上げて「そんなこと言わずに」と告げてくる。彼は玄関ホールを背にしていて、壁際にいるカーラにしか、彼の声は届かない。
「宝石。見つけたんでしょう? 渡してくださいよ。私が王太子に届けます」
ルビーが隠していた宝石のことだ、というのはすぐにわかった。彼がそのことを知っているのは、当然といえば当然だ。だって宝石の取りだし方を教えてくれたのは彼なのだ。
「どうして?」
それなのに、カーラは彼に尋ねた。
昨日のソロの反応が気になる。ソロとまじない師が知り合いなのはもはや疑うべくもないが、彼の言葉をそのまま信用しようとするほど、胸にあるビーズのお守りが熱をもつ気がしてならない。
「ソロさまからの依頼ですよ。おかしいなあ、聞いてないんですか? ソロさまにはさっき会ったばかりで、あなたには伝えておいたって言っていたんですけどねえ」
「ソロは、お茶会に来ていないの?」
「ええ、彼はとても大事な別の要件ができたとかで、席を外しています。謝っていましたよ、日記帳の返事ができなくてごめんって!」
日記帳のことまで知っているなら、ソロの誤解は解けたのかもしれない。
それなのにまじない師を疑う気持ちを持ったままで、カーラはしぶしぶと告げた。
「……まだ、ルビーさまの部屋にあるわ。今ならたぶん、誰にも見つからずに入れると思う」
まじない師はその言葉を聞いてますます笑みを深め、ルビーの部屋に向かった。
カーラは慌てて、その背を追いかける。
人目を忍んでこそこそ部屋に入ると、まじない師はルビーがいつも使っている椅子におもむろに腰かけた。
勝手知ったる他人の家、という感じだ。カドヴァスの話によると随分前からこの屋敷に訪れていたようだから当然なのかもしれない。
「そういえばわたし、あなたの名前を知らないわ。いつまでもまじない師さまと呼ぶのも堅苦しいし、教えてもらえないかしら?」
「まじない師の本名を知りたいだなんて、奇特なお嬢さんだ。名は一番身近な呪であると、魔法学校で習いませんでしたか?」
「通ってないもの」
「貴族なのに?」
同じ言葉をどこかで聞いた、とカーラは思った。
カーラが魔法を使えないと、ソロに言った時と同じ言葉だ。
なんでもない言葉なのに、まじない師はひどく驚いているようだった。たった一言だけだったが、いつもの鼻にかかったようなものの言い方が消えている。
「貴族といっても末端だから、学費が払えなくて通えなかったの」
「そんなこともあるんですねえ。今の王政も、末席から見ればほころびはある、ということか……」
ああ、そうか。とカーラは思う。
まじない師とソロ。二人の共通点は顔がよく見えないことだけじゃない。
まじない師がずっと鼻にかかったようなものの言い方をするから今まで気が付かなかっただけで、二人は声がよく似ている。
加えて思う。ソロがまじない師のことを「あの子」と気軽に呼んでいたこと。
そこはかとなく感じるまじない師のソロへの反抗心。それは二人が、親戚だからなのかもしれない。
――なんて、勘繰りすぎかしら?
しかし、そうだとするならいろんなことが納得できる気がした。
それならばきっと、彼は信用できる。だって家族は支えあうものだから。
ソロの家族が、ソロを裏切るなんてありえない。
幼いころからずっと、アルバイトや家事をして家族を支えてきたカーラはそんな思い込みから逃れられない。
思い込みが強いところがカーラの欠点だと、姉はずっと言ってくれていたのに。
胸にあるビーズのお守りは、いまだに熱を放っているというのに。
「名前は、教えてもらえないのかしら?」
「ああ、そうでしたね。カロルドと呼んでください」
「カロルドね。わたしはカーラよ」
「……知ってます。ではカーラ、教えた通りに書き物机から宝石を取り出してください」
謎が一つ解けた気持ちですっきりして、カーラは素直に、言われたとおりに宝石を取り出した。
なぜカロルドは自分で取り出さないのか、なんて思いもしなかった。
カロルドが宝石を受け取るために掌を伸ばしてきたので、何のためらいもなくカーラは彼に宝石を渡し、宝石を手中に収めたカロルドは、満足げに口の端を吊り上げた。
「ねえ、何をするつもり?」
ソロの計画は、宝石を手に入れて過去見の魔術を行い、ルビーが魔法で人を操っていることを証明することだった。
けれどカロルドは、ルビーが自分の意志で人を操っているわけではないことを知っている。カドヴァスの話ではそのはずだし、彼はルビーの側で、魔法の師匠としてずっと成長を見守ってきたはずだ。ルビーの害になるようなことをするとは思いにくい。
だとすれば彼は、これからどうするつもりなのだろうか。
カロルドは、カーラの言葉を聞いて弓のように曲がった口を開いた。
その形は、昇ってきたばかりの三日月のようだ、とカーラは思った。
「なぜ私が『魔法使い』ではなく『まじない師』と呼ばれるか知っていますか? 私は、魔法を使えません。魔力を封じられているんですよ」
カロルドがぱらりとフードをめくりあげる。今まで見えなかった頭部が明らかになる。姉より黒い黒髪と、カーラが想像していたよりもずっと若い顔がそこにあった。その顔は、カーラとそれほど年が離れていないように見えた。
しかしそれ以上に特異な点は、その瞳を覆い隠すように漆黒の包帯のような布が巻かれていることだ。
今までずっと、この状態だったのだろうか。だが、視力がないようには見えなかった。なにより、カロルドはカーラの左右の瞳が違う色をしていることに気づいたじゃないか。
――おかしいわ。
カーラはカロルドに、改めて違和感を持った。
なぜこれほど若いのに、幼いころからルビーの側にいられたのだろう。なぜ瞳を布で覆い隠しているのだろう。なぜ、魔力が封じられていると言っているのに、ルビーの魔法の師匠になれるのだろう。
「もうネタばらしをしてもいいかな……この書き物机には呪が施されていました。私にだけは、開けられないように。つまり、一切の魔力を持たないものには、開けられないように」
そうだ、ルビーは彼の来訪を嫌がっていた。つまり、ルビーは彼を信用も信頼もしていなかった。ロミーナもそうだ。
――カロルドを部屋に入れたのは、失敗だった?
しかし、カーラが疑問を口に出すよりずっと早く、カロルドの手はカーラに追いついた。頭を掴まれそうになって、胸で何かがばちんと弾ける。
そこにあるのは、姉に貰ったビーズのお守りだ。
「写し身の守りですか。だから、ルビーに仕掛けておいた罠に引っかからなかったんですね。でもそんなもの、ただの時間稼ぎにしかなりませんよ、それごと喰い破ればいいだけの話ですからねえ」
カロルドは一度舌打ちして手を引っ込めたが、またすぐに伸ばしてくる。カーラは手をよけようとするのだが、身が立ちすくんで動けない。金縛りにあったみたいに、小指の一つも動かせない。
「魔力が喰われていく感覚はいかがですか? 体の内側からゆっくり喰い破られるようでしょう? 魔法の使えない私にできるのは、この呪いを人に移すことだけ。魔力を食い尽くすこの虫を、あなたの体内に入れることだけ。……だから、呪い師と呼ばれます」
彼の見えない瞳から、おぞましい何かが忍び寄ってくる気がした。ソロの名前を呼ぼうとするのに、どうしても唇は震えるだけで動かない。
最後に見たのは、カロルドの掌で視界が塞がれた真っ暗な闇だった。
それきり、カーラは意識を失ってしまった。