お茶会編11
宝石眼は長いこと「王家の人間にしか現れない」とされていた魔眼である。それなのに、ルビーは産まれながらに赤い宝石眼を持っていた。
彼女が生まれ、その瞳を開いたときに公爵家と王家で大きな騒ぎが起こったが、公爵家は何代か前に王家と婚姻している。王家の血を強く受け継いだゆえに宝石眼を持ったのだろうと最終的には結論づけられた。しかし、宝石眼は無限の魔力をもつ諸刃の刃であり、王家がこの土地の支配を神から託されたことの証明でもある。その力が王家以外の場所にあることは看過されず、公爵令嬢は本人の意思とは関係なく王太子の婚約者に定められた。
「そうだったんですか……」
カーラはロミーナが用意したお茶を飲みながらカドヴァスに相づちを打った。
てっきり公爵令嬢が王太子と結婚したかったから、公爵令嬢の方が無理やり婚約をねじ込んだのだと思い込んでいた。王太子はもともと望んでいない婚約だから、舞踏会を開いて他の相手を探して、恋愛から発展した幸せな結婚をしたいのだと思っていた。しかし、どうもそうではないらしい。
話を聞く限りは、二人の婚約は当事者双方の気持ちよりも、宝石眼を王家に取り込みたいという思惑を優先した、政略結婚に近いもののようだ。
しかし公爵令嬢自身もこの婚約を望んでいないとしたら、王太子はなぜ彼女を断罪してまでこの婚約を解消したいのか。政略結婚だからって、二人の合意があれば婚約は解消できるのではないだろうか。
そんなカーラの考えをよそに、家令の話は続く。
王家は、ルビーに宝石眼のコントロールを学ばせるために城に仕えるまじない師にを公爵家に派遣し、彼女を教育させた。幼いルビーは呪い師よく懐いたし、まじない師も時々癇癪を起こすルビーに辛抱強く付き合って根気よく魔法の扱い方、膨大な魔力との付き合い方を教えていった。
周囲の人間が異変に気づいたのは、それから何年かしてからである。
最初は新しく来た御用聞きの小僧だった。彼はルビーに目通りしてから、まるで人が変わったかのように勤勉になった。最初は単純にいいことだと思ったが、ルビーの好物ばかり頼んでもいないのに持ってくるようになってようやく、公爵家の人間たちはそれが過剰であることに気がついた。
次は勤めていたメイドが、幼いルビーが欲しがっていたおもちゃをどこからか持ってきてルビーに与えた。他家の令嬢が持っていたはずの人形だ。その家に問い合わせて、いつのまにか紛失していたことが発覚した。盗んだのかと問いただせば、メイドは開き直ってルビー様のためだと言いつのる。
そんなことがいくつも起こる。
まるで、ルビーが彼女の欲望を叶えるために、人を操っているかのようだった。
また、ルビーに嫌な噂がつくようになったのもその頃からだ。
さっきまで仲良く遊んでいたはずの令嬢が、公爵に挨拶に来た貴族が、ルビーを見たとたんに不快な顔をすることを何度も見た。身近で世話をしていたメイドも、コック見習いも、彼女の悪口を平気で話すようになったし、ついには同じ部屋にいることさえ拒絶するようになった。
まるで、彼女をなにかの病原菌のように扱うのだ。
欲目を引いたって、彼女自身にそこまで好かれる理由も嫌われる理由も、カドヴァス達はおろか彼女の両親にもわからなかった。原因なんて、その瞳しか考えられない。
宝石眼の扱いについてルビーに学ばせるために王家から派遣されているまじない師に公爵が相談すると、ルビーの瞳から漏れだした魔力が、彼女に向けられる感情を大幅に増幅させるのだろうと言われた。プラスならプラスの感情が、マイナスならマイナスの感情が魔力によって大幅に増幅しているというのだ。
しかしそれは、彼女に関わる人間全員に現れるわけではなかった。ロミーナを筆頭として、彼女が生まれたころから側にいる使用人や、血の繋がった家族にその兆候が現れないのは、ルビーにとって僥倖だっただろう。そうでなければ、とうてい今まで生きていけるものではなかった。
問題は、それが彼女の意思によって行われているものではなかったということだった。
他者の心を乱している、その自覚がルビーにはないのだ。彼女はただ心のままに動いているだけで、周囲が勝手に錯乱していくのだ。突然向けられる過剰な好意や敵意は、彼女にとって恐怖でしかなかった。
「ひとりぼっちはもう嫌よ。私のこの目が原因なら、目をくりぬいてしまえばみんなもとにもどるの?」
自分の目が人を遠ざける、ということを理解した幼いルビーがそういって泣くのを慰めるのは、古参の使用人と家族にしかできなかった。それでも一人、また一人と、彼女の回りから人は減っていく。
しばらくしてまじない師は、定期的なメンテナンスによって瞳の魔力を調整することができると公爵に持ちかけた。莫大な費用がかかるそれを、公爵は一も二もなく承諾した。
しかしメンテナンスの効果が出るのは十年二十年先と言われ、公爵家はそれから、ルビーをタウンハウスに置いて古参の使用人だけで世話しているのだ。公爵家でありながら使用人の数がすくない本当の原因はこれである。
まじない師によると、メンテナンス直後は一番魔力が漏れるという。実際それで魔力にあてられて勤められなくなった使用人も出ている。だから部屋に近づいてはいけないと言ったのだ。どんな影響があるかわからない。
「今度のお茶会は、王家の要請で開かれるものです。王家側は、時期王太子妃としていつまでも引きこもっていては内外に示しがつかないと考えているようですね。ですが、ルビー様は乗り気ではない。あの方はもう、過剰な好意を抱かれるのも、敵意を向けられるのも、うんざりしているんですよ」
今度のお茶会は、王家が企んだもの。だとすればそれは、王太子が、ルビーを断罪するために企画したものだ。だから王太子と仲がいいソロは招待状を持っていた。だから時期を見計らって、カーラをスパイに送り込むことができた。
「ですが、あなたが来た。あなたはどうやらそこまでいきすぎた感情をお嬢様に抱いてはいないようだ。これはメンテナンスの効果ですかね?」
どきりとした。カーラが宝石眼の影響を受けないのは、おそらく左目の勇者の瞳のおかげだ。
自分は勇者、引いては王家の側の人間である。それを知られたら、このふたりはどういう反応をするのだろう。
しかしここまでの話を聞いて、もしかしたら、とカーラは思った。
もしかしたらルビーの宝石眼が、王太子が彼女を断罪したい原因であるのかもしれない。
ルビーの瞳がマイナスの感情を増幅させるものだとすれば、彼女との婚約を疑っている王太子は彼女にかなり険悪な感情を向けていると考えられる。
だが、宝石眼を持つルビーは婚姻によって王家に組み込まれなければならない。その決定事項を覆すためには、宝石眼を持つということ以上のスキャンダルが必要なのかもしれない。誰もが目を背けるような醜聞があれば、誰も彼女を王家に迎えようなんて思わなくなる。王太子はそれを狙って、ルビーを断罪しようとしているのかもしれない。
そして、この考えの通り「公爵令嬢が断罪されないかぎり、王太子は公爵令嬢以外と結婚できない」のだとすれば、ルビーを断罪しない限り、姉は王太子とは結ばれないのかもしれない。
それは、冷たいものが忍び寄ってくるみたいにゾワゾワする考えだった。
しかし、カーラは頭を振ってその考えを頭から追い出した。
誰かを不幸にするために、勇者の目になると決めたわけではないのだ。
そしてこうも思う。ソロは、あの、ろくに知らない娘に瞳を分けてくれた優しい勇者は、このことを知っているのだろうか。
「きみには期待しているんです。今まで、感情に流されずお話できる同年代の人間は一人も得られなかった。本当に特別だ。ですが、なにか変化を感じたら、すぐに報告することを約束してください。あなたに何かあったら、ルビー様も傷つきます。私たちは、これ以上あの方に傷ついてほしくないだけなんです」
それで、家令の話は終わった。
カーラだって、ルビーを悲しませたくない気持ちは同じだった。