お茶会編10
公爵邸に戻ると、ちょうどロミーナと家令のカドヴァスが話し込んでいるところだった。
「ただいま戻りました」
「ああ、お帰りなさい、カーラ。ちょうどよかった。今からしばらく、お嬢様のお部屋には近づかないように」
「なんでですか?」
そんなことを言われるのは初めてだったので、カーラは他意のない純粋な疑問として質問しただけだったのだが、ロミーナはカーラの言葉にまゆ尻を吊り上げて言った。
「上司の決定には異を唱えないものです。この屋敷に長く勤めたいなら、上の指示は順守するように」
ロミーナの言葉には棘があった。
内部事情を探るという後ろぐらいことをしている身として、カーラは腹の底が冷える気がした。
しかしその様子を見ていたカドヴァスは、その空気を破壊するかのような明るい声を出して二人に語り掛けてきた。
「まあまあ、ロミーナ。そんなに頭ごなしに叱りつけては、若い人は長続きしませんよ。カーラ、いいですか、ロミーナが言うことはある意味正しい。家にお仕えするときは、自分の疑問や信念よりもご家族の平穏を優先しなさい。質問することそれ自体が、ご家族のプライベートの侵害につながることだってあるんです。何が平穏かわからない時は、上のものの判断に従わなければならないこともあるでしょう。……しかし、今回はあなたにも少しだけ事情を話しておくべきだと、私は考えます」
「カドヴァス!」
「……責任は、私がとりますので」
「そういうことを言っているのではありません」
それきり、目の前の二人の間に重苦しい空気が流れるのでカーラはおろおろしていた。
――ええと。こういう場合は、質問した方がいいのかしら? それとも、しないほうがいいのかしら?
おろおろしているカーラを二人はしばらく見つめていたが、カーラがうまい質問を思いつく前にロミーナが口を開いた。
「……わかりました。それならば、せめて私も同席します」
ロミーナがそう言うと、カドヴァスはカーラをキッチンにつれていった。シェフのエバンズは夕食の下ごしらえを終えて仕上げと配膳までの間仮眠をとっているらしく、キッチンは無人だった。
二人が醸し出す空気が深刻なものだったので、大人しく二人についてきたはいいものの、カーラはかなりの居心地の悪さを感じていた。
――一体、何を話すつもりなのかしら。
キッチンに備え付けられている従業員用の食卓に座ることを促されてカーラが座ると、その目の前にカドヴァスが座る。
長い話になるから、とロミーナはお茶を淹れに行ってしまった。自分が淹れます、とカーラは言ったのだが「あなたは座っていなさい」とピシャリと止められてしまったのだ。
この時まで、カーラはカドヴァスが少しだけ苦手だった。口数の少ない壮年の家令の目つきは鋭く、探るような視線にさらされると隠し事を洗いざらいぶちまけたくなる欲求にかられるのだ。
たぶん家令よりは刑事に向いている、というのがカーラの彼に対する印象だった。
「緊張していますね?」
「は、はい……」
まるで思考を読んだかのように完璧なタイミングでカドヴァスはカーラに話しかけた。
もし、彼に全部バレていたらどうしよう。公爵令嬢を断罪するために、証拠を集めていること。
自分は公爵令嬢の恋敵の妹なのだ、つまり利益が相反する間柄なのだ、と今さらながらに強く自覚する。
だけど、虎穴に入ると決めたのは自分だ。自分の行動には、自分で責任をとらないといけない。
だからソロの名前は、呼びたくない。勇者にすがって自分だけ安全なところに逃げ込みたくない。
「大丈夫ですよ、ただお話するだけです。それも、公爵家のご家族のお話です。だからもっとリラックスしてください。……そうそう、カーラはお嬢様とは気が合うそうですね?」
カドヴァスは明るい口調を崩さずにカーラに語り掛けた。
とうてい彼の言葉通りにはリラックスできる気持ちにはなれないまま、カーラは彼の言葉に対応していく。
「ええと、よくしていただいています。と言っても、まだ全然お話もできていないんですけど……」
「いいえ、お嬢様もあなたとはもっと仲良くなれそうだと言っていました。そういう人は、あの方にとってはとても珍しい。あの瞳を見ると、どうにも人は心を乱されるようなので」
「それって、お嬢様の宝石眼のことですか?」
「おや、博識ですね。貴族でもなければ、そんな言葉知らない人がほとんどなのに」
「す、すみません」
「いえ、怒ってはいません。まさに原因はそれなのです」
なんの話をするつもりなのかわからなくて、カーラは戸惑った。
「原因……?」
「あなたも、市井でのお嬢様の評判を耳にしたことがあると思います。どのような噂を聞きましたか?」
「ええと……」
公爵令嬢の評判は、カーラが今まで聞いていたそれは、かなり悪いものだった。だからこそ、カーラは彼女を差し置いても、姉を王太子の婚約者にしようと考えたのだ。
「正直に言いなさい」
お茶を淹れて戻ってきたロミーナがそう言って、カーラはおそるおそる口を開いた。
わがままで尊大。貴族が魔力を用いて行うような奉仕活動をすることもなく、公爵令嬢という身分を笠に着て他人を意のままに動かしている。
身分を絶対視して、平民とは目も合わせない。御用聞きの業者は彼女の気分を損ねると一発で退場をくらうのでご機嫌取りに必死だが、彼女自身は貴族の身分がないものには指一本触れようとはしない。選民思想に思考を固めた、典型的な貴族令嬢。
本当にろくな評判ではない。
口にするのもはばかられる内容なので、できるだけ早口で勢いに任せて一口に告げて、ロミーナが持ってきたお茶を口に運んだ。
ミントとカモミールのハーブティだ。緊張で乾いていた口腔がミントの爽やかな香りでさっぱりした。 ロミーナのお茶を選ぶセンスは素晴らしい、とカーラは思った。
カドヴァスはカーラの発言が終わったことを確認すると、ゆっくり口を開いた。
「うん。おおむねそんなところだと私たちも把握しています。…それで、実際にお会いしてみて、どうでしたか? 本当に、そんな噂通りの方だと思いましたか?」
「いいえ、いいえ! 全然違いました」
そこなのだ。カーラがこの屋敷に来てずっと抱いていた違和感。悪の巣窟みたいに思っていた公爵邸は、入ってみれば、穏やかで居心地のいいお屋敷だったし、悪の親玉と思っていたはずの公爵令嬢は、共通の秘密を作って笑う、年相応の女の子だった。
このギャップの原因は、一体なんなのだろう。
「お嬢様は、いい方です。わたしがロミーナさんに怒られないように取り計らってくださいました。想像していたほど……ええと。貴族的ではなかったですが、それでも、あんな噂を立てられていい方ではありませんでした。もし、もしあの方がそのような扱いを受けることになにか理由があるなら、教えていただきたいです」
カーラがそう言うと、目の前の二人の空気が、そこで初めて緩んだ。
「あなたが、冷静な方でよかった」
カドヴァスはそう言うと笑った。ロミーナは相変わらず無表情だ。
「あなたにはお話しておきましょう」
カドヴァスはそう言って、話を始めたのだった。