お茶会編9
カーラには、まじない師のニタニタと笑う口許しか見えない。
「おや、よく見ればあなたはさきほど公爵邸でお見かけした新人のメイドさんですか。こんなところで会うとは奇遇ですねえ」
「あなたは、お城のまじない師さま?」
「ええ、そうですよ! わたしも顔が知れたものですね」
そうは言っても、フードで隠れているので顔は見えない。もしかしたらジョークのつもりなのかもしれない、と気づいた時にはカーラは完全に笑うタイミングを逸していた。
興ざめしたように笑みを消して、まじない師はカーラにぐっと顔を近づけた。
「その瞳、魔法がかかっているでしょう?」
――ばれてる。
そう思った。貴族はみんな魔法を使えるこの国で、なぜ王家がわざわざまじない師を雇っているのかカーラは知らない。だけど、わざわざ雇うからにはよほど優秀な人材なのだろうと思う。
カーラがなぜ公爵邸に来たのかも、この左右で色の違う瞳が何を意味するのかも、カーラ自身の身元さえ、このひとの前では秘密は全部筒抜けなのかもしれない。そう思うと、腹の底が冷えていく心地がした。彼の視線を感じると左目が痛む気がする。それに、胸の奥が熱い。姉がくれたお守りが熱を持っているのがわかる。姉がくれたのは危機を知らせて、危険の身代わりになるお守りだ。つまり、今危険が、目の前にあるということなのだろうか。だとしたら今すぐ、ソロの名前を呼んで彼を呼び出すべきではないだろうか。
カーラがプレッシャーに負けそうになって、伝家の宝刀のソロの名前を口に出す寸前に、空気がいきなり緩んだ。
まじない師はカーラから視線をそらし、口調をやわらげて告げる。
「ルビー嬢の秘密は全部、彼女の部屋にありますよ。彼女の部屋にある書き物机。あれには隠し引き出しがついています」
突然のことに、カーラは理解が追い付かない。このひとは一体何を言っているのだろう。
「なんで……」
「まじない師にはすべてお見通し、ってことですよ」
唯一見える口許で、彼が笑ったのがわかる。さっき見せたニタニタとした笑い方じゃない、にっこりという、人に見せるための笑顔。
「実はわたしも、公爵令嬢の最近の振るまいには疑問を持っていましてね、こうして公爵邸に来ては自首をお勧めしていたんですが、まったく聞き入れられません」
言葉だけ聞けば味方であると感じるのに、この寒気はなんなんだろう。
言葉のすべてが冷たい毒を孕んでいるように、なぜ感じるのだろう。
「ソロ様から、わたしが協力者だと、聞いていませんか?」
カーラの様子に不信感を抱いたのか、まじない師が低い声を出して尋ねてくる。
彼の言葉を反芻して、カーラは目を見開いた。
彼に抱いていた不信感に蓋をする。ソロの名前を出すのなら、ソロの協力者だと言うなら、信用できる。信用しないといけない。
――わたしはソロの目なのだから。
熱く熱を持ったお守りには気づかない振りをして、精一杯彼に微笑みかけた。
「なあんだ、あなたも協力者だったのね」
笑顔はちょっとだけ歪んだ気がした。
「ええ、ここで出会えてちょうどよかった。あなたも協力者なら話は早い。さきほど言った通り、公爵令嬢の秘密はすべて彼女の部屋の書き物机の中にあります」
普通の家具と見せかけて、デッドスペースを利用した隠し棚を作りつけられた家具。貴族の屋敷には時々そういった家具があると聞く。
メイドのバイトをしていたころもそういう仕掛けのある家具を何度か見たことがあるが、どれもその開け方は異なっていて、それは一種の暗号になっているらしかった。
「どうやって開けるの?」
距離を詰めて質問してきたカーラに、呪い師は一歩引いて見せた。
「物怖じしないお嬢さんだ。わたしが怖くないんですか?」
正直めちゃくちゃ怪しいし怖いと今でもカーラは思っている。だけど、ソロの協力者だと言うのなら、疑ってはいけない。怖いと思ってはいけない。
それはソロを疑うことと同じだ、とカーラは思う。
「だって、ソロが信じた人だもの」
カーラの返事を聞いて、呪い師は声をあげて笑った。
「あはは! ソロさまはあなたをどうやって飼い慣らしたんです? まるで孵化したヒヨコが始めてみた動物を親と思い込むようなひどい盲信ぶりだ!」
なんだかすごく貶されている気がする。
「あ、あなただって、ソロを信じているから、わたしにこんなことを教えてくれるんでしょう?」
「はあ? そうか、その通りですねえ」
「それに、わたしだってバカじゃないわ! 嘘をついてるかどうかくらいわかる。信じる人と信じられない人くらい、自分で決められる」
はったりだった。実際はカーラはかなり騙されやすい。人を疑うということが本質的に苦手なのだ。上の姉は人柄がいいのだと言ってくれるが、下の姉からはことあることに馬鹿にされるカーラの欠点である。それにコンプレックスを持っているからこそ、カーラはまじない師に食ってかかった。
「ほう、確かにその目を使えばウソを見抜くくらいは可能でしょうね……」
――目を、使う?
そんな発想はなかった。でも、可能なはずだと思う。今はカーラの左目になっているそれは、高純度の魔力を秘める宝石眼だ。これを使えば、恐らく魔力を持たないと言われてきたカーラでも簡単に魔法を使うことができる。
まだ痛む左目に触れて考える。魔力を使えば、目の前の男の真意がわかるかもしれない。
そこまで考えたところで、ふとソロの言葉がよみがえった。
『気をつけて。キミ自身が魔法を使えば、その目くらましの魔法は解除される』
そうだ、だから今は左目の力を使ってはいけない。今目くらましの呪文が解除されたら、公爵邸に戻れなくなる。
カーラは魔法を使ったことがない。魔法のコントロールの仕方なんてわからない。瞳を解放したら最後、魔力が暴走する可能性だってある。
――今は、使えない。
だけど、このまじない師にそれはわからないはずだ。
カーラははったりを強化することにした。呪い師がカーラは嘘がわかると思い込んでいるなら、それを利用させてもらえばいい。
「ええ、そうよ。ソロから扱い方も教わったもの。簡単な魔法くらいなら使えるの」
「なるほど、ではわたしがウソをついてないということはわかっていただけたと言うわけですね」
まじない師は口の端を上げて微笑み、カーラに仕掛けつき家具の動かしかたを教えてくれた。
カーラはメイド服のポケットに入っていたメモ帳にそれを走り書きして覚えた。
「こんな複雑な構造……なんであなたは開け方を知っているの?」
「そりゃあ、公爵令嬢に聞いたからですよ! 彼女は結構、懐に入れた人間には甘いんです。あの屋敷で働いているなら、そんなこと知っているでしょう」
確かに、ルビーが使用人の誰かに声を荒げているところなんて見たことがない。
でも、ルビーがこの男を懐に入れているようには全然見えなかった。
「最近は冷たいものですけどねえ。これでも昔は、わたしのことを師匠と慕ってくれていたんですよ」
「師匠?」
「そう、彼女に魔法の基礎を教えたのはわたしです。なにせ王家にもなかなか現れない宝石眼の持ち主。それを扱えるようにするため、王がわたしを彼女の家庭教師に任じたんですよ」
なるほど、とカーラは王家がまじない師を雇う理由が少しわかった気がした。
宝石眼は王家に近しい者にしか現れないと言われている。学校に行くより前の宝石眼の持ち主を教育するために、専門家を一人確保しているのかもしれない。
「幸運を祈りますよ。お茶会の場で彼女を断罪できれば、王太子も好きな人と結婚できるでしょう。これこそハッピーエンド! というわけです」
カーラの事情をどこまで知っているのか、呪い師はそう言ってまた唇を笑みの形にゆがめた。
断罪。そうだ。ルビーを追い詰めることは、彼女を断罪することにつながる。
カーラは改めて、その言葉の重さがのしかかってくる気がした。
――わたしは一体、何に向かって進んでいるんだろう。
そのまま王城に帰るというまじない師と別れ、断罪という言葉にしこりを抱いたまま、カーラは箱を抱え直して公爵邸までの道をもう一度歩き始めた。
一生懸命に落ち着こうと思うが、歩みが早くなるのはどうにもならない。
姉に会いたかった。ソロに会いたかった。
自分は正しいことをしているのだと、誰かに言ってほしくてたまらなかった。