お茶会編5
カーラを案内してくれた老婦人はロミーナという、公爵家のメイド長だった。つまりこれからメイドとして働くカーラの直属の上司ということである。
彼女によると、家令を務めるカドヴァス、コックのエバンズ、下働きのドフ。公爵家で働いている人はそれで全員らしい。カーラが思っていたよりも、ずっと少ない。
「使用人が少ないと思っていますか? 当然、本家にはもっと大勢いますが、社交シーズンのタウンハウスならこんなものですね。本来ならば例年通りこの人数でことたりますが、お嬢様がお茶会をなさると言うならそうはいきません。とはいえ、この家にあまり使用人を置きたくないというのがご一家のお考えですので、伯爵夫人には一人で十人前の働きができるメイドを紹介するようにお願いしてあったのです」
公爵家はタウンハウスとはいえ、なかなかの広さがあった。その設備を案内しがてら、ロミーナはまるで値踏みするようにカーラの様子をうかがっている。
「臨時の雇人とはいえ、公爵家にふさわしい立ち居振る舞いができなければ困ります。かといって、おっとりしていて仕事ができないようではお話になりません。お茶会までに用意しなければならないものがたくさんありますが、常のお屋敷のお手入れも大変重要ですからね、仕事量はそこらのお屋敷よりも莫大なものになるでしょう。お前にその覚悟がありますか?」
「はい!」
元気よくカーラは答えた。いつも家の家事も、家計を支えるバイトも、二人の姉の衣装づくりもやっているのだ。公爵家の仕事がどんなに忙しくても、やっていける自信はあった。
自分は、ソロの目になるのだ。彼が望む証拠を見つけるためならどんな厳しい環境だろうと耐え抜いて見せる、という覚悟もカーラにはあった。
「では、これを」
その言葉と共にロミーナは無表情に目の前の扉を開けた。
その先にあったのは、大量の洗濯物だった。よくこんなに溜め込んだものだ、とカーラはびっくりした。カーラの家なら、こんなに溜め込んだら翌日着る服がなくなってしまう。
溜めるも溜め込んだ洗濯物は、近寄るだけで甘酸っぱいような体臭が漂ってくる。不潔な臭いにカーラはちょっぴりめまいがしたような気がした。
「今日中にすべて片付けてください」
それだけ言って、ロミーナはその場を後にした。雇ったばかりの使用人を屋敷内で野放しにしていいのか、といらない心配をカーラはしてしまうが、おそらく公爵家は、人手が本当に足りないのだろうとも思う。いくらタウンハウスとはいえ、貴族、しかも公爵の暮らしを支えるのにたった四人ではかなり厳しかったはずだ。その証拠がこの溜まりまくった洗濯物であるのだろう。差し詰めこの大量の洗濯物は、新人イビリ兼、入職試験、といったところか。
そしてロミーナとしては正直、使用人の監視に割く人手と時間があるなら、他の仕事を進めたいに違いない。
悪く言えば放置されている。だけど、よく言えば信頼されている。
カーラにとってそれは願ったり叶ったりなのだ。このまま監視の目がゆるいなら、自分の分の仕事を早く終えれば、その分自由時間は増えるだろう。そうすれば、証拠を探す時間は思いのほか多く持てるのかもしれない。
姉とソロの役に立ちながら、お金も稼げるなんて一石二鳥なのだ。
――だから、誰のものかもわからない、すっぱい臭いのする洗濯物だって、こわくないの。
「よいしょおおお!」
カーラは気合を入れて、お仕着せメイド服の裾をたくし上げて、洗濯を始めた。
※
洗濯物の量に比べて、公爵家に置かれた物干し台は狭かった。しかしカーラがそれに気づいたのはあらかたの洗濯が終わった後だった。
つまり、濡れてしまった洗濯物を抱えて、カーラはちょっと困った。
――早く干さないと。体臭は消えたけど、今度は腐った水のにおいが染みついちゃう。
どこか干せる場所はないか、と考えた結果、やはりそこしかないか、とカーラはドフから庭仕事に使う木材を借りて、庭に簡易的な物干し台を作り上げてしまった。
季節の花が咲き誇る庭に、カーラがくるくると働きまわって所狭しと洗濯物が並べられていく。計算しつくされた整然さを誇る庭を通り向ける風が、無秩序に並べられた洗濯物を乾かしていくさまは壮観ではあった。
――ロミーナさんに見つかったら、たぶん怒られるわ、コレ……
さすがにカーラにもその自覚はある。「公爵家たるもの、生活感ただよう洗濯物を目に見えるところに干すなんてはしたない! しかも洗濯物には、お嬢様のし、下着も含まれるんですよ、それを人目にさらすだなんて!」とか言って一発退場、すなわちクビを切られかねない。だけど、洗ってしまった洗濯物は干されるのを今か今かと待っている。綺麗になった洗濯物を、こんな天気のいい日に外に干さないなんてもったいなさすぎるじゃないか。
――乾いたらすぐに取り込んじゃえば、見つからないかもしれないし……
幸い今日は気温は高いが湿度は低い。とっとと終わらせてしまおう、そう考えてカーラはすべての洗濯物を干し終えてしまった。
公爵家の広い庭では四季咲きの薔薇が、咲いたばかりの百合が、あたりにかぐわしい香りを放っている。町の中心部にある教会から午後の鐘が風に乗ってかすかにここまで聞こえてくる。澄み渡る青空には一片の雲もなく、カーラは洗濯物が乾くまでの間、芝生に座り込んで自分が干した洗濯物がはためく様子をぼんやりと眺めていた。
――これから、どうすればいいのかしら。
証拠をつかんで来い、だなんていっても、何から手を付けたものだろう。公爵令嬢の部屋を掃除しろ、なんて言われたらとんでもなくラッキーだが、さすがに公爵家の人々のプライベートな空間までロミーナがカーラに任せるとは考えにくい。
気ばかりが焦って、早く結果を出したくて仕方がない。今からすぐにでも公爵令嬢の部屋に忍び込んで物色するべきじゃないのかとすら思う。だけどそれは、悪手だとわかる程度の冷静さが、カーラには残されていた。
今下手を打ってカーラの身元がバレたら、姉の身が危ない。王太子の現婚約者である公爵令嬢のもとに妹を送り込んだなんて噂を立てられただけでも、よからぬことを企んでいると周囲の人々に思われかねない。貴族の噂は尾ひれをつけてあっという間に広まるだろう。
そうすれば、せっかくうまくいきそうだった王太子とのロマンスもご破算だ。それだけは、避けたい。
だからと言って何もしないで時間が過ぎてしまえば、公爵令嬢側が新たな一手を打ってくる可能性がどんどん上昇する。なんとしても、お茶会前には証拠をそろえて公爵令嬢を糾弾する準備を整えておきたい、というのがソロの考えなのだろうと思う。
だから、自分は彼の目として、課された役割を成し遂げたい。そうカーラは思うのだ。
――でも、どうすれば。
たなびく洗濯物を見上げながら、カーラは物思いにふけっている。問題が大きすぎて、どこから手を付ければいいのかわからない。
でも行動しなければ、何も状況を変えることはできない。やはり、気ばかりが焦って空回りを繰り返す。
――焦っても仕方ないわ。とりあえず、出された仕事をこなしていって様子を伺いましょう。
こんな時に思い出すのは、寝込んでいた時に聞いたソロの言葉だ。
冒険に行くのが、怖くなることはないの? とカーラが質問した時のこと。ソロはカーラの顔を(仮面越しだったが)まっすぐに見てこう言った。
「冒険に行くときなによりも必要なのは度胸だね。まず最初の一歩を踏み出すのに必要なのが度胸だ。一歩目が踏み出せれば、あとは慣性で前に進めるものさ」
「勇気、とかじゃなくて?」
「そんな大層なものじゃないよ。冒険の前に、ものおじしなかったことなんて一度もない」
「勇者なのに?」
「あのね、一応言っておくけど、勇者ってのは自称じゃないからね。長いこと冒険者やってるうちに、勝手にそう呼ばれ始めただけ」
「でも、そう呼ばれるくらい、みんなのために戦い続けたってことでしょう?」
「だからって、困難に立ち向かうのが怖くなかったわけじゃない。死にはしなくても、痛いのはそれなりに嫌いだよ」
「じゃあ、なぜソロは立ち向かうの?」
「そりゃあ……まあ、困ってる人がいるから、かなあ。僕にできるくらいのことで解決するなら、一応やってみようかな、って思うのさ」
そうやって人のために困難に立ち向かうことのできる力。きっとそれを、人は勇気と名付けるのだろう。だからソロは勇者と呼ばれるのだ。
――彼の目として、わたしも勇気を出さないとね。度胸で前に出る最初の一歩のタイミングを、見誤らないように。
そう考えて尻に付いた草を払い落としながら立ち上がる。
その拍子に、木陰からはみ出した若草色の布地が見えた。
さては洗濯物が飛んで行ったか。そう考えたカーラは庭を横切って布地が見えた木に近寄っていく。次第に良く見えてきたその布地はつるつるの生地で、それはレースのついたドレスの裾の一部で、それはふっくらとした、人体の形をしていた。
レースのふんだんにあしらわれたドレスは、さすがに洗濯していない。つまり、洗濯物が飛んで行ったわけではなく、木陰で隠れるように横たわる人物がそこにいた。
赤い宝石の瞳をもつという公爵令嬢が、そこで眠っていた。