舞踏会編1
カーラには自分がみそっかすだという自覚がない。
没落貴族の三女という、足の裏の飯粒にも劣る家柄では嫁ぎ先なんて見つからない。それに美しく生まれついた姉二人と比べ、どうひいき目に見てもお前は十人並みだ。玉の輿なんて望まず、堅実に生きなさい。
生まれた時から周囲の大人にそう言われて続け、玉の輿に乗れば家名存続の望みが残っている長女と次女の引き立て役として、毎日朝から晩まで働いた。
長女と次女には「手が痛むから」と絶対やらせない水くみ、掃除、料理はカーラの仕事だった。荘園はとっくに没収されているので家に財産はない。それを補うのは父と祖父の金策と、祖母と母、カーラの二人の姉の内職、そしてカーラのアルバイトだった。その他あらゆる仕事をこなすうちに、少女の柔らかな肌は荒れて、ひび割れ、あかぎれとなっていった。
次女はそもそもカーラに関心を持っていないようだったが、心優しい長女はカーラのその肌を哀れんだ。
「カーラ、私たちのためにいつも苦労をかけて、本当にごめんなさい。あなたにだって幸せになる権利はあるのに……」
だが、長女がそういう度にカーラは笑って答える。
「こんなの、どってことないわ。だって、わたしが頑張れば、姉さまたちが輝く。わたしは、それをお手伝いできるのがうれしいのよ」
カーラの望みは姉二人が幸せな結婚をすること。幼いころから両親や祖父母にそう教え込まれたからではない。心の底から、彼女は二人の姉の幸せを願っているのだ。
それに、美しい姉二人を両親や祖父母と一緒に磨き上げるのは、やりがいがあって面白い。自分が幸せじゃないなんて微塵も思わない。家族のためにできることをしているだけだ。それを哀れに思われる方がカーラは悲しいのだ、ということを理解した姉はいつしかカーラに「ごめんなさい」と言わなくなった。代わりにたくさんの「ありがとう」をカーラにくれた。
そんな日々を過ごしていると、ある日姉たちに王城の舞踏会への招待状が届いた。年頃になった王太子殿下のお披露目と、婚約者候補の選定のために広い家柄から年頃の娘を集めるのだという。
その知らせを聞いたカーラの両親と祖父母は目の色を変えた。千載一遇の大チャンスだ。ここで手塩にかけた娘がもし王太子の目に留まれば、家の復興はもちろんのこと、返り咲いて成り上がり、国政に参加するのも夢ではない。
だがそのためには、ドレスや馬車の用意など、結構な額の金子が必要だった。
カーラの一家は全員が一丸となって内職に励んだ。カーラは街にある洋品店で針子のアルバイトをすることにした。社交シーズンで、しかも舞踏会を控えた王都では、針子が圧倒的に不足していたので普段よりも多い給金で雇ってもらえて、カーラは内心ウハウハだった。
洋品店はカーラのような針子がわんさかいて、ドレスの特需に合わせて御用聞きとして貴族邸に行き、そこで漏れ聞いた貴族の噂話をゴシップのように語り合いながら作業をしていた。
「王太子さまは王が選んだ婚約者候補とは仲が悪くて、そのために今度の舞踏会を開くらしい」
「婚約者候補は今度の舞踏会にはもちろん反対していて、取りやめるよう何度も王に直談判しているけど、その様子を見た王はむしろ婚約者候補の評価を下げてしまったらしい」
「王太子は家柄至上主義に反対しているらしい」
「王太子の好みは金髪美人らしい。瞳は青い色が好きらしい」
カーラは玉石混合の噂話を家に持ち帰り、家族に報告した。
噂話が全部本当なら、本当に姉たちにも勝機はあるのかもしれない。
それでなくても、王宮の舞踏会だ。誰か身分の高い男性に見初められる可能性だってある。なんにせよ、姉二人にとっては大チャンスであることに変わりはない。
「ありがとう、カーラ、私たちも頑張るわね」
「金髪ね、姉さまより私の方が条件に合うかもしれないわね」
上の姉は夜の闇をそのまま糸にしたような黒髪で、下の姉は祖母譲りの透き通るようなプラチナブロンドだった。瞳の色は二人とも父親譲りの青色だ。
ちなみにカーラはくすんだ茶色のくせのある髪と、母と同じ、ヘーゼルの瞳だった。この国では最も一般的な色彩である。
「がぜんやる気が出てきたわ! 姉さま、このデザイン画を見てみて、大姉さまはスレンダーなボディラインを生かして、足の長さを強調したデザインがいいと思うの! 小姉さまは、胸の大きさをアピールしてボンッキュッボンの広がるスカートね。スカートの裏に付けるレースは、バイト先の洋品店にあった売れ残りで安くなってるものを使うつもり。はやりの模様ではないけど、スカートの裏なら目立たないでしょう?」
「待って、カーラ。あなたがドレスを作るの?」
「もちろんよ! こんな楽しいお仕事、ほかにないもの。ねえ、絶対間に合わせるから、お願い。わたしに作らせて?」
「カーラがそれでいいなら、願ってもないことだわ。だけどね、仕事もしながらじゃあ、大変ではない?」
「いいじゃない、姉さま。この子がやるって言ってるんだもの、苦労も努力も、この子が望んだことだわ」
「シェリー、そんな言い方は……」
「いいえ、大姉さま。わたしがやりたいの。姉さまたちを一番輝かせられるのは、ずっとそばで見てきた私だと思うの。お願い……こんな大事なお仕事、ほかの人に任せたくない」
「カーラ……そうね、あなたがそこまで言うなら。でもお願いよ、無理はしないで。あなたのかわいい顔にできたくまを心配しながら舞踏会に行くだなんて、いやよ、私」
「ありがとう、姉さま! ぜったいとびきりのドレスを作って見せるから!」
大口叩いて引き受けたものの、それからはカーラの地獄の日々が始まった。
横になると眠ってしまうから、と休息は椅子の上でとり、日が昇るより一刻以上早く起きだして水くみをし、かまどを炊いて朝食の準備を終えてから洋品店に出勤。まさか手を抜くわけにはいかないので遠のく意識をなんとかとどめながら仕事をこなし、帰ってきてからは姉たちのドレスを作る。家族を心配させないように洋品店で手に入れたおしろいを使って隈をごまかしながら、なんとかぎりぎりでドレスを完成させた。
上の姉のドレスは裾に下がるにつれて色の濃くなる水色で、スレンダーな長身を生かした細身のデザインだった。あしらわれた白いレースが海の泡のようで、船乗りを惑わすという人魚のように美しい。
「ああ、素晴らしいわ、カーラ。とてもきれいな色の布ね。高かったんじゃない?」
「大丈夫よ、姉さま。洋品店で余った布を頂いて、染め物職人さんにお願いして染め直してもらったの。姉さまの瞳には、こういう薄い水色が似合うと思ったのよ」
下の姉のドレスは髪と同じ白金色で、黒いレースに覆われた胸元が少女らしからぬ妖艶さを演出していた。裾の広がったスカートには精緻な刺繍が施され、清純さと妖艶さの危ういバランスをぎりぎりで保っている。それが、少女から成熟した女性へと変化しつつある下の姉の個性をとてもよく引き出していた。
「ふうん……いいんじゃない?よくこんな刺繍まで間に合ったわね」
「ふふふ、洋品店に努めている職人さんに教えてもらったの。針子の仲間たちや御用聞きで行った貴族邸のメイドさんたちも手伝ってくれたのよ」
「よくそんなことできたわね」
「みんな、姉さまたちに夢を見せてほしいのよ、きっと。没落貴族の美しい姉妹が王太子の心を射止めるだなんて、とってもロマンチックだもの」
洋品店の仲間たちはみんな、カーラに同情的だった。姉たちを王宮に行かすために、身を粉にして働くカーラ。それなのに疲れを見せないように頑張り、必要な時は仲間のフォローも買って出る。笑顔を絶やさないそんなカーラの姿に胸をうたれ、みんな隙間時間にカーラの手伝いを申し出てくれたのだ。
カーラはそれが何よりもうれしくて、手伝ってくれたみんなにずっと姉たちがいかに美しいのか、このドレスが姉たちの美しさをいかに引き出すのか、ことあるごとに語っていた。
カーラの中で美化された状態でその話は舞踏会を控えた王都に程よく広まり、没落貴族の美しい令嬢が見事王子の心を射止めるという筋書きが、王都で暮らす庶民の間では格好の噂の的になっていることを、カーラは知らない。
噂は庶民にとどまらず、貴族の口にまで登っていることも。
婚約者候補だった公爵令嬢が、それを聞いて妬みを募らせていることも。