共同生活 (1)
ハイドは疲労が蓄積し切った体に鞭を打って、ヘリー修繕店と自警団本部を往復した。目的は契約書の作成である。ヘリー修繕店は雇用を念頭に置いていなかったため、その場で作らなければならなかった。
ハイドは今でも納得していない。ヨシノが無茶な要請に応えた理由も疑問だった。
「本当にいいんですか?雇用期間は最低でも半年です」
ハイドは執拗に確認を取る。ヨシノに課せられる奉仕活動はどんなに長くても一週間で終わる。メンデレーのような国境の街で半年も生活する必要はないのだ。
しかし、ヨシノの回答が変わることはなかった。
「ここに名前を書けば良いんですか?」
「それは住所登録の紙です……本当に良いんですか?これを作成すると、ヨシノさんの新しい自宅はヘリー修繕店になります」
「ハイド、さっさと進めろ」
ハイドの進め方にアルが文句を言ってくる。バナードら他の自警団員はすでに帰っていた。
「ここ以外に私が生活できる場所はないんですよね?」
「そうです。了承してもらえるのであれば、ここに名前を書いてください。その他の箇所は住民証明が取れてから役所の人が書いてくれるのであけておいてください」
アルがハイドの代わりに指示を与えていく。ヨシノはそれに従ってサインしてしまった。
「これで最後にします。……ヨシノさんは本当に良いんですか?ここには僕が住んでいるだけです。同居のような形になってしまうんですよ?」
「ハイドさんは自警団の人ですよね。だから信頼しています。指輪のこともあったので」
ヨシノは構えていたかのように即答する。文句を漏らしかけるも、アルの圧力に負けたハイドは反論を諦めた。しかし、ハイドの表情に違和感を持ったのか、ヨシノが口を開く。
「それとも、ハイドさんは私が一緒にいると何かをしてしまいそうなんですか?」
「は!?」
ヨシノの鋭い一言にハイドは声を詰まらせる。心配していたことはまさにそのことだったが、直接言及されるとは思ってもいなかったのだ。
「その点は問題ない。こいつは人畜無害だからな。それに、向かいにはあんたを拘束したホウカが働く宿屋がある。何かがあればそこに逃げ込めばいい」
アルの適当な説明にヨシノは頷く。ハイドは溜息をついた。
「……記入はこれで以上になります。何か質問はありますか?」
ハイドは書いてもらった用紙を集めて束にする。これは後で役所へ提出しなければならない。
「本当に外に出て良いんですか?」
「奉仕活動はしてもらいますよ?ですが、これがメンデレーの決まりです。ヨシノさんの場合は、半年間働いて生活資金を貯める必要がありますけど」
ヨシノは自立する必要がある。半年後にメンデレーを出ていくのか、それとも一員となるのか。それはヨシノ自身が決めなければならない。それでも、ヘリー修繕店からは半年で出て行ってもらう必要があった。
「分かりました。……それで私はこれからどうなるんですか?」
「何もなければヘリー修繕店に来てもらいます。奉仕活動の連絡は追ってあると思いますので」
ハイドは立ち上がって背筋を伸ばす。ただ、ヨシノはハイドとアルを見つめて立ち上がろうとしなかった。
「……どうかしましたか?」
ハイドが声をかけると、ヨシノは思い出したかのように立ち上がる。お互いに疲労が溜まっているようだった。
「じゃ、俺は先に帰るよ。今日は店を開けたいから寝てくる」
「分かった。後のことは任せて」
ハイドは手に持つ書類を振る。すると、アルが突然ハイドに小声で囁いた。
「人畜無害でいろよ」
「分かってるよ」
アルは笑って正面出口に向かう。ハイドらは書類を提出するために裏口から役所に向かった。
ヨシノは少なくとも半年間この街で生活する。ハイドは道順を教えながら歩いた。
書類の提出を済ませると、再び道順を教えながらヘリー修繕店に向かう。しかし、一本道に入ってからは沈黙が訪れた。
気まずさを感じたハイドであったが、どのような話題を振るべきか分からない。しばらくすると、ヨシノの方から話し始めた。
「……ハイドさんはどうして私を受け入れてくれたんですか?」
ヨシノの質問は至って簡潔なものだった。ハイドは簡単に答えた。
「ここ以外に行き場がないことを分かってて断れなかったから。僕の判断一つで誰かを路頭に迷わせるなんてしたくない」
「私がまた盗みを働くとは考えなかったのですか?」
「考えてない。指輪はもうヨシノさんの手元にあるし、最低限の生活も保障されるから。……それとも、まだそんなことを気にしないといけない何かが残ってたりする?」
ハイドはヨシノの顔を窺う。ただ、表情から内心を察することはできなかった。
「私がそういう体質だとは考えないんですか?」
「……体質?」
ハイドはヨシノの不思議な言葉を思わず聞き返す。ただ、意味を理解できないわけではなかった。
「ハイドさんは私をまだ何も知らないと思います。……私が被害を受けることはないですけど、ハイドさんは別です。私の本性次第では大変なことになります」
「わざわざそんな心配をしてくれる人はきっと大丈夫だ。……それに、ヨシノさんだってよくこんな判断ができたよね。選択肢がなかったからかもしれないけど」
ハイドは、ヨシノの決断の根拠を気にする。ヨシノはその時初めて頬を上げた。
「そうですね……ハイドさんなら襲ってきても勝てそうだったからかもしれません」
「え……」
ヨシノは何事もなかったかのように歩いている。ハイドはその隣でひたすら困惑した。
「……ここがヘリー修繕店。知ってると思うけど」
目的地に到着して、ヨシノに新しい生活の場を紹介する。外見で伝えることはなかったため、そのままヨシノを中に案内しようとする。
しかし、そんな二人のもとにホウカが駆け込んできた。
「ちょっとハイド……これはどういうこと?」
二人の間に割って入ってヨシノの顔を指差す。早々に面倒な相手に気付かれてしまい、ハイドは鼻からゆっくり息を抜いた。
「何が?」
「どうして昨日の盗人がここに来てるの?」
ホウカは少し怒っている。ハイドはそんなホウカに自警団本部で決まった全て説明した。ヨシノはその様子をただ眺めている。
「どうしてそうなるの!?おかしくない?」
ホウカが眉間にしわを寄せて文句を言う。ヨシノが目の前にいるため、ハイドはホウカを落ち着かせることに徹した。
「もう決まったことだ。契約書もほら」
つい先程作った契約書を見せる。しかし、ホウカはそんなものに興味はないようだった。
「どうしてハイドじゃないといけなかったの?なんなら私の所に……」
「ホウカのところが新しい従業員を雇用できるほど余裕がないのは知ってる。こっちは軍からの収入で安定してるのは分かってるでしょ?」
「でも……」
ホウカはハイドの説明に納得しない。すると、ヨシノが口を開いた。
「あの……ホウカさんの心配はその通りだと思います。やっぱり、私のためにこんなことをしていただく必要なんてありません」
「そんなこと言ったってもう決まったんだ。いがみ合ったってどうしようもないだろ。……ホウカはまだ仕事中でしょ?後で様子を見に来たらいいから」
ヨシノが自分の居場所を疑ってしまう前に、ハイドは二人を説得する。仕事はまだ山のように残っているのだ。
「……分かった。じゃあ、一つだけ」
小さく頷いたホウカがヨシノに近づく。その目は酔って帰ったハイドを叱責するときとはまた違う恐ろしさがあった。端から見ていたハイドさえ恐怖する。
「また何か盗もうとしたら、そのときは関節を外すから」
「しません」
ヨシノが腰を引かせて答える。ホウカは鼻を鳴らして戻っていった。
「ごめん……悪い人じゃないんだ」
ホウカが去ってからヨシノに弁明する。ホウカとはこれから隣人として生活しなければならない。ヨシノにはホウカに負のイメージを持ってほしくなかったのだ。しかし、ハイドが何も言わなくてもヨシノは理解を示した。
「普通はホウカさんみたいになります。ハイドさんがおかしいんです」
ヨシノに真顔でそう言われたため、ハイドはそうだなと肯定するしかなかった。