放浪者ヨシノ (5)
自警団本部は役所同様、議会場に隣接している。その一室で、ハイドは運の悪い自警団員と雑談を交わしていた。
「本当にあの子が盗んだのか?ずっと黙ったままじゃないか」
ハイドの正面に座るチタルノが問いかける。同じ質問が何度か続いていた。
「嘘をついてどうする?ホウカだって見てた」
ヨシノが空襲警報に乗じて指輪を盗んだことは事実である。しかし、ハイドに味方は少なく、チタルノの隣にいたバナードも何かを疑っていた。
「軽犯罪なんだから普通は白状する。なぜ黙るんだ?……ハイド、何か知っているんじゃないか?」
この場で最年長のバナードから圧力を受け、ハイドは苦笑いを浮かべるしかできない。ヨシノが黙秘を続けていることは事実である。全員はそれに頭を悩ませていた。
「この街の仕組みを知らないから話さないのかもしれない。ヨシノさん、空襲警報のことも知らなかったから」
「その話だってハイドしか聞いていない。今となっては本当なのかどうか分からない」
バナードはハイドの言葉を聞き入れようとしない。面倒事に巻き込まれた腹いせのつもりなのかもしれなかった。
メンデレーには犯罪者の裁き方に特殊な決まりがある。他の街では軽犯罪であっても禁固刑となる場合が多い中、メンデレーでは初犯の場合に限って奉仕活動だけで免罪されるのだ。
理由の一つは刑務所がメンデレーにないことである。刑務所の維持管理に必要な人材や資金が確保できないのだ。
もう一つの理由は国境の街として人口減少を防ぐためである。禁固刑を言い渡した場合、犯罪者は他の街へ移送される。それはメンデレーの人口が減ることに他ならない。
ただ当然、殺人罪や強姦罪、国家転覆罪などの重犯罪であればその限りではない。この場合は軍に引き渡されることになっていた。
「おい、時間になったぞ」
しばらくしてアルが部屋に戻ってくる。ハイドらの休憩中に取り調べを行っていたのだ。
「もう時間か。……何か話したか?」
チタルノが答えの分かりきった質問をする。案の定、アルは首を横に振った。
「名前や出身地さえ話そうとしない。ただ、この街の人間じゃないことは間違いないな」
「どうして分かった?」
バナードが眉間にしわを寄せる。アルは簡単に説明した。
「着ていた服だ。あれは連邦のものでメンデレーでは手に入らない」
「そうなのか?」
「昔、客で来た奴が同じ刺繍の服を持っていたが、連邦のある地方の民族衣装だと言っていた。……そんなことより早く代われ。クロムが見張りをしている」
アルの言葉で、ハイドとチタルノが重い腰を上げる。アルの前はハイドらが取り調べをしていた。休憩を挟んでいるとはいえ、疲れが抜けていない。
取り調べ室に向かうと、クロムがヨシノを睨みつけていた。ヨシノは背中を丸めて俯いている。
「様子は?」
「変わらない。ずっとあの調子だ」
状況は何も変わっていないようで、ハイドは机を挟んだヨシノの対面に座る。ヨシノはハイドを一瞥した後、再び視線を落とした。
「それじゃ、よろしく頼む」
二人と交代して、クロムは疲れた表情で去っていく。ただ、しばらくすると再びクロムに仕事が回ることになる。
「喉とか乾いてない?」
ハイドはとりあえず体の具合を問いかける。ただ、ヨシノはそんな問いかけに対しても反応しない。
「黙ってると意味のない時間が長くなるだけだよ。まずは名前と出身を教えてくれると嬉しいんだけど」
「無駄だ。何度聞いたと思ってる」
部屋の隅で壁にもたれかかっているチタルノが口を挟む。ハイドはそれを無視して話を続けた。
「僕らは決してヨシノさんに酷いことをしたいわけじゃない。どうやって解決するかを考えてるだけ。だから話してくれない?」
「その名前も偽名かもしれないだろ」
チタルノが再び会話に割り込む。チタルノの気分は分からなくないものの、ハイドは純粋に五月蠅いと感じた。
「あのとき、僕は部屋にあった小物の説明をしたよね。死んでしまった人が生きていたことを証明する大切なものだって。……それでも盗んだのはどうして?」
ハイドは感情に訴える方向で話を進める。すると、ヨシノの表情が少し変化し、眼球だけがハイドに向いた。ただ、ハイドと目が合うと視線を元に戻してしまう。
「ヨシノさんの家族はどこに?旅をしてるって言ってたけど、心配している人がいるんじゃない?ご両親だって……」
「いないわ」
ヨシノが口を開いたのは唐突だった。驚いたハイドは口を閉じる。
「私にそんな人はいない」
まるで自分に言い聞かせるかのようにヨシノは呟く。ハイドは話を広げることに専念した。
「いないというのは?」
「私に両親はもういない。みんな戦争で死んでしまったから」
「ヨシノさんは……どこの出身なんですか?」
ハイドは様子を窺いながら同じ質問を行う。ヨシノはハイドの顔を見つめた。
「私はアルダー連邦の北にあるフィッシャーという小さな村で両親と一緒に暮らしていた。だけど、帝国の空襲で私を置いて死んでしまったわ」
「……そうだったんですね、すみません」
ヨシノにとって気分の良くない話をしたことを謝る。ヨシノは気にすることなく話を続けた。
「ハイドさんと言いましたよね。本当に申し訳ないことをしました。謝って許されることではないですけど、言わせてください」
「分かりました。ヨシノさんの言葉は受け取ります。ですから、こんなことをした理由を話してくれませんか?」
このままの調子でいけば夜までに決着がつくかもしれない。ハイドは期待して考えを纏める。しかし、ヨシノは話す内容を制限しているようだった。
「本当にすみません。私はどうなっても良いんです。だからもう……」
机に手をついたヨシノが深く頭を下げる。そんな姿にチタルノが叫んだ。
「謝罪なんて後で良い!さっさと話せと言っているんだ!」
「チタルノ!」
「ハイド、なぜこいつの肩を持つ?強引にでも話を進めろ!」
チタルノがそんな無理難題を突き付けてくる。混乱したこの場の雰囲気を収拾するため、ハイドは時間を置くことにした。
「チタルノ、水を持ってきてくれ」
「なっ!?」
「興奮しすぎだ。頭を冷やしてきてもいい」
ハイドが指示すると、チタルノは大きく鼻を鳴らして部屋から出ていく。静かになったところでヨシノに声をかけた。
「頭をあげてください。少し休憩しましょう」
ハイドはヨシノの手を凝視しながら声をかける。ゆっくりと顔を上げたヨシノの表情には疲労の色が見えた。
「ヨシノさん……で名前は間違いないですか?」
今更ながら確認にヨシノは小さく頷く。チタルノが戻ってくる前にもう一つだけ話をする必要があった。
「ヨシノさんの右手の薬指、指輪の跡がありますね。……それは?」
「これは……何でもないです」
ヨシノは咄嗟に自分の手を隠す。要らぬ心配をさせたとハイドは質問の真意を説明した。
「何も疑ってません。それくらいの跡がつくということは、二日三日つけていたというわけではなさそうですから。きっと何年にもわたって大切にしていたんですよね?」
「………」
「そんな指輪をどこにやってしまったのか気になって。……もし、なくしてしまったのであれば探しますよ?」
「……大丈夫です」
ヨシノは申し出を断る。ハイドはますます指輪の跡が気になった。
「そうですか。どうでも良いことを聞いてしまってすみません」
嫌な話題だったのかもしれないとこれ以上の詮索はやめる。しかし、指輪の跡と今回の窃盗が何か関係しているような気がしてならなかった。
チタルノが荒々しく水を運んできたのはそれからすぐのことだった。その頃には再び膠着状態に戻ってしまっていた。
それからはチタルノが恫喝まがいの方法で情報を聞き出そうとした。しかし、結局は出身と名前の確認が取れただけで、動機については分からないまま終わった。
この後は再びアルらが取り調べを行う。ハイドはそのつもりだったが、時間だと部屋にやって来たのはマグネットだった。メンデレーの長を務める長老のような存在である。
「あの子が窃盗を働いたという?」
「は……はいそうですけど、どうして行政長が?」
チタルノはマグネットの登場に驚きを隠せない。通常、犯罪者の取り調べに行政長が顔を見せることはないのだ。
「何でも可愛い子が捕まったと聞いてな」
六十歳を超えてもなお、好奇心で満ちあふれた理由が口から出てくる。そうして、マグネットが自らヨシノと話を始めた。
ただ、マグネットに対してもヨシノは口を開かなかった。
「……困った」
アルらが再び取り調べを始めた後、その他の自警団員はマグネットを加えて解決案を考えた。大きな問題はヨシノの処遇である。
「このまま何も話さなかった場合、一体どうするべきでしょうか?」
バナードがマグネットに尋ねる。過去に軽犯罪者が黙秘した例はなく、全員が適切な対応を知らないのだ。そんな中でチタルノが一つの案を示した。
「とりあえず奉仕活動だけさせて釈放しますか?」
今までの考え方に則れば、ヨシノは奉仕活動よって解放される。当然の提案であることは間違いない。しかし、マグネットはその案に難色を示した。
「彼女は放浪者で所持金もほとんどなかったんだろう?釈放すれば再び犯罪を行う可能性がある。今までも窃盗を続けていて、今回初めて認知されただけかもしれないのだ」
「それならば軍に引き渡しますか?他の街では軽犯罪であっても禁固刑が課せられます。移送費をこちらが負担して、今回だけ軍に任せるというのはどうでしょう?」
チタルノの案が認められなかったことを受けて、バナードが別の案を提示する。ただそれも否定された。
「無理だな。今までと整合性が取れなくなる。人を裁く上で大切なのは平等性だ。この街では奉仕活動で釈放としてきたのだから、人によってそれを変えるわけにはいかない」
マグネットに納得させられてその場が静まり返る。マグネットでさえ解決策を見つけ出せていない。単純に治安維持を行うだけの集団にこれ以上の案は出なかった。
「……すみません。少し抜けても良いですか?」
重々しい雰囲気が肌に纏わりついている。状況を打開するためにもハイドはバナードに申し出た。
「何かあるのか?」
「いえ、少し気になったことがありまして。それを確かめに……」
「どんなことだ?」
バナードが事情を聞き出そうとするが、ハイドは説明を躊躇った。ハイドの腑に落ちない点が事件と関係している確証はない。マグネットの前で適当なことは言えなかったのだ。
「行ってきなさい。時間はたくさんある」
マグネットは窓の外を眺めている。日は傾きつつあるが、日没まで時間は残されている。マグネットが許可を出した以上、バナードはそれに従うしかなかった。
「ありがとうございます」
マグネットに礼を述べたハイドは小走りで部屋から飛び出る。具体的な推論は何もない。むしろそれを見つけるためにハイドは動き出していた。