戦争の始まり (12)
ハイドは心の中のざわつきを抑えることができなかった。この場にいる多くの自警団員は西地区の出身で、誰もが自分が戻ってその様子を確認したいと感じているはずである。しかし、そうはいかないため場の雰囲気はあまり良くなかった。西地区に自警団として向かっても、自分が望む場所に足を運ぶことができるとは限らない。それでも、大切な人が安全なのかどうかを確認する上で、少しでも近くに行きたいという考えは持って当然だった。
ハイドもその一人として状況を見つめていた。ヨシノ一人では、きっと敵意ある何者かが目の前に現れたときに対処できないはずである。そんなことになったとき、ハイドはその場に自分がいなかったことをひどく後悔することになる。そんな思いはしたくなかった。
しかし、ハイドが考えていることは全て最悪な事態が起ったときの話である。冷静になって考えるとそんな可能性が極めて低いことは十分に理解ができる。ハイドが強引にヘリー修繕店に戻ろうとしない理由だった。
それから数分後、ニッケスは自警団本部周辺で起きているデモ活動の対処に向かわせる自警団員を決定した。その中に、ハイドとアルは含まれなかった。
「……そんなに元気をなくすなよ」
「いや、そういうのはないから」
アルの言葉にハイドは反論する。そのような言われ方をされると、ヨシノのことで頭がいっぱいになっているように勘違いされかねない。とはいえ、半分程度占めていることは確かである。
「ホウカがいるし、万が一の時はあいつが撃退してくれるって。ハイドもいつも言っているだろ?ホウカがいれば安心だって」
「あのな、それはいつも冗談で言っていることだ。ホウカだってそんな状況になれば無力だ」
ハイドはアルが馬鹿げたことを考えていて少し不満に感じる。ヨシノのことを真剣に心配しているのだ。
「そんな冷たく言うなよ。それなら、そんなホウカよりも弱いハイドと一緒に組まされている俺なんて可哀想で仕方がないだろ?」
「……うるさいな」
ハイドはアルに事実を突き付けられて閉口する。アルが言っていることは紛れもない事実である。それは、仮にハイドがヨシノのもとにいたとして何の意味があるのかということを示唆しているようだった。
ハイドがヨシノのためにできることは、雇用者として身分を守ることと、飢えや貧困から守ってある程度の水準の生活を保障してあげることである。仮に暴力が立ちはだかったとき、ハイドが持っている武器は全くの無力だった。
「とにかく、急いで仕事を終わらせてさっさと帰ればいいんだろ?そうすれば、そんな心配しないでヨシノさんと再会できるというわけだ」
「……そうだな」
アルの言葉は正しく、ハイドはすぐに納得した。その時にアルが変な笑みを浮かべていることに気がついたが、それでも幾分か自分がしなければならないことがはっきりと見えてきていた。
「なんかハイド、最近ヨシノさんへの想いを隠さなくなったな。……もしかしてヨシノさんにもう気付かれているのか?」
「馬鹿言うな。アルにはもう知られてることだから、そんなこといちいち気にして態度を変えることが馬鹿馬鹿しいと思っただけ」
ハイドは恥ずかしさを感じつつそんなことを言ってみせる。アルはそれを聞いて何度か頷くだけだった。案外何も言ってこなかったアルの態度が例外だったため、ハイドは余計に自分の発言を恥じた。
ハイドらはそのまま東地区で活動することになったが、行うことは先程までと同じだった。日が暮れるにつれて、街の様子が分からなくなっていく。太陽が完全に沈んだ後は、戦闘を行っていないハイドらでさえ、見えない敵に監視されているような錯覚に襲われて恐怖感を常に味わうことになった。
「……戦闘はどうなっているんだろうな」
真っ暗な街の中、二人は明かりを持つことなく細い道を進んでいる。この時間に人影を見つけたとき、それは住民ではなく別の存在である可能性が高い。相手から見つかりにくいようにするため、ハイドらは光源を持っていなかった。
「さあな。大体、どこのどんな連中がいきなりこんなことを始めたのかさえ分かっていない。それが分からない限り、解決はできないだろうに」
もっぱら、自警団の中では帝国派の残党が前回と同じように武力で街の体制に攻撃してきているという見方が有力となっている。しかし、エイフでの出来事があってゲリラの攻撃である可能性を否定できない。敵が帝国派のような一般市民だった人間の寄せ集めに武器を持たせているだけであれば、駐屯軍がいとも簡単に制圧してしまうはずである。しかし、多少でも訓練を受けたゲリラが相手であった場合、そう簡単にはいかないことが予想されていた。
最近の旧アボガリアを拠点として活動しているゲリラは、帝国から武器を提供されているだけでなく、その帝国軍の軍事的なノウハウを与えられていると言われている。それが確かであれば、帝国軍自体を相手にしているとまではいかなくとも、それなりの実力を持った集団と戦闘していると考えて差し支えがない。現に、エイフではそのようなゲリラを相手にして連邦軍が苦戦しているという。
「もうこの街には住めなくなるのかもな」
アルが突然呟く。珍しく弱気な発言だった。
「いや、そんなことはない。……本当に帝国派の指示通りに動いて帝国がこの街を占拠するようになれば、街を動かす集団が変わるだけで同じような生活をここで営むことができるかもしれない」
「ハイド……」
「もちろん本気で考えていることじゃない。でも……そういう未来が不本意にも訪れることになった時にはその中で生きていくことを決断するのか、それとも街を出て行くのか。もしくは抵抗して死ぬことを決断するのか。それらを考えないといけないだろ」
「………」
ハイドの考えにアルは小さな声で唸る。アルがそんな反応をすることも無理はない。ハイドは道陰から小さく顔を出して人影がないか確認する。そんな後ろから、何も考えていないアルが堂々と道に出ていく。
「……なあ」
アルの後ろを追いかけハイドが隣まで追いついたとき、アルは星の出ていない真っ暗な空を仰いだ。
「ハイドが本気で考えた時は、いつもそれが現実になっているような気がする」
「そんなことないと思うけど?」
ハイドは預言者ではない。アルの言葉は納得できなかった。
「でも、そんな気がする。本当に、この街はどうなってしまうんだろうな」
アルはやや声を大きくして鬱憤を晴らそうとする。それはその時になってみないと誰も分からないと、ハイドは思っていた。だからこそ、今日のような日は迎えてはいけないが、万が一のことを考える上で重要だった。
しかし、ハイドにはそれなりに考えがまとまっている部分もある。それは、街が仮に戦争に巻き込まれてしまったときにどうするべきなのか。もしくは、戦争に巻き込まれないようにどうするべきなのかということについてである。しかし、それをアルにはっきりと伝えることはできなかった。
ハイドはアルのことを信頼していて、ハイドの人生で必要不可欠な存在だと考えている。そしてそれは、ホウカに対しても同じことが言える。ハイドはメンデレーの出身ではないが、そんなハイドがこの街の一員になれたのはヘリーだけでなく二人がいてくれたからだった。
そうであるからこそ、ハイドは万が一のことが起きたときには自分のことや店のことと同時に、二人のことに対しても考えを広げるようにしていた。そして今では、そんなハイドの認識の中に一人が増えようとしている。
前回の街で起きた戦闘の時にアルが命をかけて助けてくれたように、ハイドにもアルやホウカ、そしてヨシノのことを命をかけて守る決意がある。そのことを三人に言うと笑われてしまうことは間違いないが、それでもその時が訪れた時にはハイドは必ずそうする自信があった。それは命を投げ捨てようとしているわけではなく、だからといって崇高な行動でもないと考えている。そうであるからこそ、ハイドがそのようなことを口にすることはできず、そのことを悟らせるわけにもいかない。今はそんなお互いの関係がただ淡々と続いているだけなのだとハイドは感じていた。
しかし、この日のハイドは心配になっていた。アルと命を預けながら活動していて、ハイドの意識が届かないところでホウカとヨシノが危険と隣り合わせで時間を過ごしている。現実がハイドの考えに沿って進むはずがなく、未来を願ったところでそれが叶うこともない。何も理解できないという漠然とした恐怖が、ハイドのことを蝕んでいくだけだった。
「なあ、アル。聞きたいことが……」
ハイドがアルに声をかけたのもそれが原因だったのかもしれない。アルはほんのわずかな時間だけハイドの方を向く。ハイドは、そんな今の状況に我慢できなくなって言葉を続けようとした。そうして出かかった一言目は、突如街中を襲った爆音によって遮られることになった。
昼に聞いた爆音とは比べものにならないほどの大きな音。それと同時に街の一角が赤く照らされる。浮かんでいる雲に光が反射して空までも一瞬だけ赤く染まった。
「なんだ……!?」
ただ事ではない。そんな雰囲気がハイドらを硬直させる。場所は西地区の方で、ハイドらが活動している場所からそれなりに離れている。ハイドが強引に押し込めていたものが、このときになってはじけ飛んだ。
「おい、ハイド!どこに!?」
後ろでアルの叫び声がする。そう思ったときには、ハイドは全力疾走していた。そして、動き出した足は止まらなかった。
何が起きたのかなど、ハイドには皆目見当がつかない。それがどこで起きたのかということも、今いる場所からでは判断がつかない。それでも、ハイドの潜在的な感情は、意思とは全く違う思考回路で後悔から身を守るために体を乗っ取っていた。
現場に近づくと、徐々に街の雰囲気は混乱に包まれていった。爆発の現場は、どうやら街の備品が保管されている倉庫からだという情報が周囲の人々から与えられてくる。倉庫は西地区の壁に近い場所にあり、その爆発によってハイドが心配していることが起きる可能性は極めて低い。
それでも、ハイドは自分の足を止められなかった。どうしてこんなに人が多いのかと感じつつ、一直線に目的地に向かう。住民には自宅で待機していることが指示されている。それにもかかわらず、まるでメンデレーの住民を全てかき集めてきたのではないかと錯覚するほど、進む道には人が溢れかえっていた。
始めに目に飛び込んでくるのは、デモを行っている集団だった。しかし、その活動は今までに見たことがあるようなデモ活動ではない。何かを建物に投擲し、聞き取れない言葉をひたすら大声で叫び続けている。自警団はそんな集団を止められないで脇で見ているだけだった。しかし、そんなデモ集団を自警団の代わりに止めようとしているのが、指示を破って自宅から飛び出してきたのであろう住民だった。住民の方も木の板で代用している盾を使ってデモ集団の進行と行動を抑制しようとしている。中にはデモ集団と同じように何かを投げて応戦している者もいる。
メンデレーの街の中はかつてないほど混沌としていて、それは誰にも止められそうになかった。
街の至る所で戦闘やそれに近いことが起きていて、メンデレーを構成している人の多くがそれに関係している。そんなことはハイドがメンデレーにやって来てからはおろか、聞いた話の中でも初めてだった。
ハイドもその内の一人であり、この混沌を形作っている集団とは別の意図を持って走っている。ヘリー修繕店近くまでデモ集団と住民の衝突が起きていることを把握すると、ハイドは走る速度をさらに上げた。
そして、ヘリー修繕店が見える場所まで近づいたとき、ハイドの目に信じられない光景が飛び込んできた。
ヘリー修繕店だけでなく、向かいの宿屋にまで人がたかっている。あちらこちらで住民とデモ集団が衝突しているが、そんなものはハイドの目にまるで入ってこない。ヘリー修繕店の玄関口で棒を振り回している男がホウカと何かを言い争っている様子を見たハイドは、進行を邪魔する人を押し倒してその現場に突進した。
しかし、ハイドがたどり着く直前に数人の男が店の中に入っていく。ハイドはついに装備していた短剣を取り出して、そのまま店に飛び込んだ。
「ヨシノ!ホウカ!」
ハイドは店に入るなり叫ぶ。目の前には男が三人立っていて、その男からヨシノを庇うようにホウカが立っていた。しかし、ハイドの足が遅かったからか、ホウカが金属の棒で殴り飛ばされている最中だった。ハイドの体は怒りで震えた。
「お前!」
ハイドは訳も分からず飛び込んでいく。ホウカは床に倒されていて、ヨシノはそんなホウカを涙を流しながら見ている。ヨシノはそれでも、ヘリー修繕店の地下に続く階段前で立ち塞がっていた。
ハイドは男と肉薄するまで短剣を握り締めて攻撃の意思をはっきりと示し続ける。男もハイドに気がついて、持っている鋼鉄の何かで応戦してくる。ヨシノはハイドの姿を見て驚いている。ハイドは怒り狂う中でそんなヨシノの表情を見つめて、最後の最後で短剣を捨てた。
「ヨシノを泣かせやがって!」
ハイドは利き腕ではない方で鋼鉄の攻撃を受け止める。骨が粉砕したことを痛みと音で確認しつつ、短剣を捨てて何もなくなった手を強く握り締めて男を殴りつけた。一人の男はそれでホウカの上に倒れ込む。しかし、まだ二人の男が残っている。ハイドは数の不利を全く気にせず、最もヨシノに近い場所で武器を振り回し威圧していた男の腹に飛び込んだ。蹴りつけられるが、ハイドの動きは止まらない。まるで子供の喧嘩のように一緒に倒れ込んだ後は顔を何度も殴り、そして殴られた。
鈍い音がしたのはその後すぐのことだった。
「店長!」
ヨシノがハイドの名前を叫ぶ。ハイドは心配させないようにその声に答えようと口を開く。しかし、どうしてか声が出せなかった。それどころか、息が吐けないことに気がつく。しかし、それがどういうことなのかは分からない。
「……ハイド!?」
後方からアルの声も聞こえてくる。それとほぼ同時に一人の男がハイドの隣に倒れ込んできた。どういうわけか、その男は失神しているようだった。ハイドは、目の前の男も押し倒したときの衝撃によってなのか気絶していることに気がつく。
ヘリー修繕店に入り込んできた男が全員制圧されたと判断して、ハイドは立ち上がろうとする。息苦しさを感じていたが、それでもヨシノやホウカのことが心配だったのだ。
しかし、手足をいくら動かしてもハイドは這いつくばったままもがくことしかできなかった。
「馬鹿動くな!」
アルがハイドの視界に入ってくる。どうしてか焦っているようで、いつもになく真剣な表情をしてハイドの背中を触っている。ハイドは何をしているのかと問いかけようとしたが、それでも声が出なかった。状況を理解できないでいると、今度はヨシノが床に跪いてハイドの顔を両手で触る。そして、これまでで一番近くまで顔を近づけてハイドのことを見つめた。ハイドは流れる涙を見ながら、ヨシノの表情の意味を探る。
「意識は?」
「あります!ありますけど!」
ヨシノが目の前で叫んでいる。五月蠅いと言いたくなるが、それでも文句を言うことも恥ずかしさで顔を背けることもできない。ハイドはされるがままになってヨシノを眺めるしかできなかった。
「弱いくせに突っ込んだりするから、この野郎!」
突然、ハイドの体が持ち上がる。ハイドは一人の男の上に俯せの状態であったため、持ち上げられて男の姿を確認する。その男は腹部から出血しているのか、着ている服が赤く染まっていた。ハイドが与えたわけではなく身に覚えはなかった。
ハイドは自分の体に力が入っているのか、入っていないのか分からない状態で視点を高くしていく。しかし、ヨシノが顔を両手で支えてくれていたため前を向いている状態だったが、ちょっとしたことで顔が重力に引かれて垂れた。その時にハイドの視界に映った自分の体には、いつもはない棒状の何かが生えていた。
「きゃっ!?ハイド!?」
目の前に回り込んできたホウカが青ざめた顔で見ている。男に倒された時に傷ついたのか、額に切り傷がある。ハイドはそれを心配しようと口を動かすが、唇が震えるだけだった。
「一人に突き刺されたんだ。……抜かない方が良いだろ?このまま救護所まで連れて行く」
ハイドを連れて外に出たアルが、そんなことを誰かに言っている。しかし、視界が次第に暗くなってそれが誰なのか考えることも面倒になり、どうでも良いと思い始めた。ヨシノとホウカも懐いている犬のようについてきている。ヨシノは手を自分の口元に当てて、ハイドを震える瞳で見ている。ハイドはただ、ヨシノが大丈夫だったことを知れただけで満足だった。
眠気のような感覚の中、腹と胸の中間あたりに痛みがあるような気がする。しかし、それを確かめる前にハイドは気を失った。




