放浪者ヨシノ (4)
夜間警戒は日の出直後に終わった。日の出とともに街への往来が許可され、街の防衛は検問や少人数での壁外警戒へと移行するのだ。
「暇なら飲んでいくか?どうせ今日は店を開けないだろ?」
アルが帰り道にハイドを店に誘う。夜間警戒の後はアルの店で酒を飲むことがしばしばあるのだ。しかし、ハイドは首を横に振った。
「午後から開けるつもりだからまた今度。それに、飲んで帰るとホウカが怒るんだ。成人したばかりなのにって」
怒ったホウカを思い出してハイドは身震いする。ホウカはいつも全身を使って怒りを表現する。腕っぷしの強くないハイドはただ謝るしかないのだ。
「今更何言ってんだ」
「そうだけど……」
ハイドはアルの言葉を聞いて苦笑う。成人は十八歳であるが、メンデレーにそれを守っている人はいない。咎める人も少なく、ハイドの周りではホウカだけだった。
「じゃあ、今日はこれで」
アルの店はヘリー修繕店から少し離れている。アルと別れたハイドは睡魔に襲われながらなんとか店に戻った。
ヘリー修繕店はもともと祖父のヘリーが経営していた。主な仕事は小物の修繕と軍から委託される仕事で、ヘリーが他界してからはハイドが一人で行っている。
ハイドはもともとメンデレーの人間ではなかった。戦争で両親が他界し、その後は孤児院を経由してヘリーに預けられたのだ。それからもう八年が経っている。
着替えを適当に済ませたハイドは地下へと潜った。メンデレーの建物には空襲に備えて必ず地下室が設置されており、就寝場所も地下でなければならないと決められているのだ。ハイドは慣れた空間ですぐに眠りについた。
目を覚ましたのはしばらくした後だった。地下は時間感覚が狂うため、まだ疲れが残っている体を動かして一階に上がる。時計は昼過ぎを示していた。
顔を洗った後、ハイドは本格的に仕事の準備を始める。今日も来客は見込めない。しかし、仕事は山のように残っていた。
干し肉をかじりながら作業服を羽織る。作業では潤滑油を使うことが多いためあちこちが汚れていた。
最初に、一週間ほど前に持ち込まれた壊れた時計の修理から始めた。その時計は連邦製だったため必要な部品が手に入らなかった。それを一から作っていたため修理に時間を要していたが、今日は街に待った完成の日をだった。
用いる工具は多種多様で、ほとんどはヘリーから譲り受けたものである。ヘリーはハイドにとって肉親以上の存在だった。そんなヘリーの形見が今日もハイドを支えている。
作業から一時間が経った頃、ハイドは外から聞こえる音に気がついて作業を止めた。最初は小さく聞き取りにくい音であったが、急速に大きな音へと変わっていく。ほんの数秒で、高低のあるサイレン音となって街中に響き渡った。
ハイドは工具をその場に置くなり作業服のまま外に飛び出す。ちょうど向かいの建物からホウカも出てきて目が合った。
「そこの人お願いできる!?こっちはお客さんでいっぱいだから!」
ホウカから素早く指示が飛ぶ。ホウカが示す先には一人の女性が突っ立っており、ハイドは分かったと合図を送った。そして、急いでその人のもとへ駆け寄った。
放浪者のような恰好のその女性はこの街ではあまり見かけない顔立ちをしていた。青い目が特徴的で髪は肩にかかる程度。状況を理解できていないのか挙動不審になっていた。
「急いで来てください!」
ハイドはその女性に声をかけ、腕を引いて店の中に誘導する。しかし、女性はそれを嫌がった。
「や……やめて」
「空襲警報です!急いで!」
ハイドは困りながらも強引に移動する。サイレンが鳴り始めてそんなに時間は経っていないが、急いで避難する必要があった。
「どこに行くんですか!?」
「見ての通り地下です。この店は地下二階までありますから、そこに避難してもらいます」
ハイドは寝室である地下一階を通り過ぎて地下二階に向かう。そこはいつも物置として使用している場所だった。
最も安全な場所まで女性を連れてくると、ハイドは部屋の端にいるように伝える。爆弾が直撃した際、部屋の隅が最も被害を受けにくいのだ。
ただ、真っ暗な中ではどこに女性がいるのか分からない。据え置きのろうそくに火をつけると、部屋はぼんやりと明るくなった。
女性は指示通り部屋の端で小さくなっていた。目があった瞬間、ハイドは睨まれる。
「……この街の人じゃないですよね?このサイレンは空襲警報なんです」
ハイドは誤解を解くためにもう一度状況を説明する。ただ、それを聞いても女性は納得した様子を見せない。
「この街では空襲警報が鳴った際、こうして外を歩いていた人を避難させるように決められています。……驚かせてしまってすみません」
ハイドはその場に座り込んで近づく意思がないことを示す。ようやく女性は口を開いた。
「……どこの空襲があるんですか?」
「当然、帝国です。……何事もなければ十分ほどで解除されます」
「そう」
女性はハイドの説明を冷たくあしらう。会話を嫌がられていると理解したハイドは一度口を閉ざした。ただ、数分後に再び話しかける。
「あの……名前を聞いてもいいですか?僕はハイドです。ここで修繕店をしています」
女性は街の外から来たと思われ、それだけでなく放浪者のような格好をしている。自警団として話を聞かないわけにいかなかった。
「……ヨシノ」
「ヨシノさんですね。……どこから来られたんですか?メンデレーの人じゃないですよね?」
「どうしてそんなことを聞くの?」
ヨシノがハイドを睨む。ハイドはその剣幕に負けそうになったが、大義名分はしっかりとあった。
「僕は自警団員をしてます。その関係で、他の街から来た人の目的を確認しないといけない」
「どうして?」
「ここが国境の街だからです。常にゲリラや帝国の危険に脅かされている」
ハイドが丁寧に説明を行うのは、協力がなければ自警団本部に連行する必要も出てくるからである。そんな面倒は避けたかった。
その願いが通じたのか、ヨシノは小さな声で話し始めた。
「私は色んなところを歩いて旅してる。それでこの街も訪れてみたわけ。国境がどんなものなのかを見ておきたくて」
「その荷物や資金はどこに?」
旅人ならば多少の汚れは普通だが、ヨシノは資金どころか旅の荷物を持っている様子さえない。窃盗を繰り返して資金を得ている可能性があった。
「それは心配ない。場所はあなたに言えないけど、ちゃんと保管しているから。……それで、今度は私から聞きたいことがあるんだけど」
「なんでしょう?」
「この部屋に置いてあるもの、全部あなたの?」
ヨシノが部屋の中を一瞥する。そこにはアクセサリーや小物の数々が並んでいる。
「僕の所有物ではないけど、僕が保管しているものです」
「どうして?」
ヨシノが食いつく。ハイドは不思議に思いながら返答した。
「この店では小物の修繕だけでなく、軍が旧アボガリアで収集した遺品の管理もしているんです」
「どうしてそんなことを?フリースの軍はアボガリアの人たちから奪ってきてるの?」
「まさか」
不思議な考え方をするヨシノにハイドは驚く。ただ、身の回りにも軍の仕事を理解している人は少ない。ハイドはその意義をしっかりと説明した。
「旧アボガリアではゲリラが活動しています。連邦やフリースが軍を送ってはいるけど、ゲリラの攻撃で消滅する村や街も少なくない。それは知っていますか?」
「ええ」
「ゲリラの資金源は帝国の援助もありますが、一番は略奪した金品です。それを防ぐために回収して管理してるんです」
ゲリラが何度も村や街を攻撃する理由は、その報酬が大きいからである。そのような味を占めたゲリラの破壊は軍の仕事であり、目の前のアクセサリーや小物の山はその結果だった。
「なるほど。……でもどうしてそれをあなたが保管しているの?普通は軍か国が管理するんじゃ?」
「確かに。でもそんなことをしたら、本来これらを持っているべき人に返しにくくなる。僕は保管だけじゃなくて返還もしている。それが仕事なんです」
目の前にある指輪やネックレスの所有者はすでにこの世にいないことが多い。また、旧アボガリアでは国の崩壊によって戸籍管理ができておらず、死者を特定できなくなっている。
しかし、遺品とは誰かが生きた証そのものであり、丁重に管理された上で必要とする人に返還されなければならない。ハイドの仕事はそんな考え方の上に成り立っていた。
「変な仕事ね。本当に家族に返せているの?」
「返還率は良くないです。一年で二桁返還できれば良い方。小物の数は一年で数千にもなるけど」
「あなたはそれを仕事にしているの?」
ヨシノは信じられないといった表情をしている。慣れているハイドは苦笑いを浮かべるしかなかった。
「この仕事で軍から報酬をもらってます」
「批判されないの?」
「されますよ」
ハイドは昨日の議会を思い出す。それでも、ハイドは信念を持って仕事をしている。多少の批判は気にしていなかった。
それから数分後、先程とは違ったサイレンが鳴った。警報解除を知らせる一分間の連続音である。
「やっと解除だ。何も落とされていないみたいですね」
「分かるの?」
「街の端っこに落とされたとしても、すごい振動と音があるらしいですから。きっと哨戒活動で帝国の航空機が近づいただけだと思います」
ハイドはゆっくりとその場で立ち上がる。警報が解除されてもハイドの役目は残っていた。
「少し待っていてください。外の様子を確認してからじゃないと、避難させている人を地下から出してはいけないので」
ハイドはそう伝えて一人で階段を上がる。空襲警報だけが流れることはよくある。ハイドは何も心配していなかった。
外はいつもと同じ風景だった。ハイドは確認した事実だけを持ってもう一度地下に向かう。ヨシノは同じ場所に座っていた。
「大丈夫そうです。出ていいですよ」
「そう」
許可が下りたことでヨシノは階段に歩き出し、ハイドはろうそくを消す前に部屋の中を確認する。その時、ハイドは違和感に襲われるとともに胸騒ぎがした。
正確な管理のために小物は整頓されて保管されている。しかし、棚の一か所に不自然な空間があったのである。ハイドが振り返ると、ヨシノは走り出していた。
「待て!」
状況を理解したハイドはすぐも慌てて走る。二段飛ばしで階段を駆け上がり、逃げるヨシノに手を伸ばす。しかし、先に店の外に出たのはヨシノだった。
ヨシノの足は速いが、逃がすわけにはいかない。必死に足を動かしたハイドは最後の力を振り絞ってヨシノの背中に飛び込んだ。二人はもつれながら一緒に地面を転がる。
「放して!」
倒れたヨシノは暴れて抵抗する。ハイドはそんなヨシノをしっかりと捕まえて周囲を窺う。すると、ホウカがちょうど宿屋から顔を出した。
「ホウカ!来てくれ!」
ハイドは大声で助けを求める。ヨシノの力は強く、ハイドだけではどうにもできそうになかったのだ。ただ、ホウカがやって来たことでヨシノは逃げ切る可能性を完全に失った。
ホウカは手順よくヨシノを押さえつけ、自警団で格闘術を学ぶハイドよりも早く関節を固定していく。ヨシノはようやく暴れることをやめた。
「それで?この人が何かしたの?」
「地下で保管していたものを盗ったかもしれない」
「かもしれない!?それだけでこんなことに!?」
ホウカは説明を聞いて驚く。ハイドはヨシノの顔が見える位置まで回り込んだ。
「ヨシノさん、もし何かを盗ったのなら出してくれませんか?」
「………」
ヨシノは全く反応しない。そんなヨシノにホウカが苛立った。
「盗ったの?盗ってないの?返事しなさいよ」
「………」
「何を盗られたの?」
「あそこにあったものだから……きっと緑の鉱石が埋め込まれた指輪だ。そんなに高価じゃない」
隙間にあったものを思い出して説明する。それを聞いた瞬間、ホウカは躊躇なくヨシノの体をまさぐり始めた。ハイドがしばらく目を逸らしていると、ヨシノが上擦った声を出す。ホウカの手には説明通りの指輪が握られていた。
「……やっと見つけた。下着に隠すなんてあなた腐ってるわね。ハイド、急いで他の自警団を呼んできて」
「分かった」
指示を受けたハイドはヨシノをホウカに任せて自警団本部に向かう。情けないと考えている暇はない。預かり物が戻ってきたことで胸をなで下ろしていた。