戦争の始まり (5)
ハイドがヨシノに惹かれていったのは、ヨシノの人間性を知っていったことが全ての理由ではない。口にすることはないが、ヨシノの外見に目を奪われることがある。外見で人を判断することは良くないが、そんなヨシノの容姿が影響を与えていることは間違いなかった。共に生活して見慣れているはずのヨシノの表情でも、改めて目に焼き付けてみるとやはり心が惹かれてしまう。ヨシノに恋愛感情を抱いたことは否定できない事実だった。
結局、ホウカはその話をしなかったようで、ヨシノはハイドに対していつも通りだった。以前のようにハイドのことを恐れて眠れないという話は聞かない。今は、ヨシノが無防備に寝ていることを意識してハイドの方が寝付けない日々を送っていた。
人を好きになることはハイドにとって初めての経験である。そのため、ハイドは手探りにヨシノとの関係を探そうとしていた。ヨシノはそれに気付くことなく、いつも優しい顔をハイドに見せている。
街は混乱の最高潮から脱し、これからは乱れた箇所を修復していく期間だった。メンデレーでは、自警団が一部の帝国派のような危険分子の活動を抑制している。ただ、冬の寒い環境がそんな街や国家に反抗する気力を失わせていた。張りぼてのようであっても、街には安定した時期が続いている。一時、街の中で戦闘が起きたということは、まるで信じられない話として扱われようとしていた。
しかし、メンデレーを震わせる知らせが入ってきたのは、いつもよりも寒いある日のことだった。ハイドがその一報を受け取ったのは自警団からのルートではなく、ヨシノが買い出しで街に出たときに聞いてきた噂話が始まりだった。
「……それで、南の街は完全にゲリラの手に落ちたという話でした。この話が街中に流れていて、役所の前も混乱状態でしたよ」
「本当に?」
ヨシノは聞いてきた内容をハイドに報告する。ハイドはそれを受けて、再びメンデレーが大きな問題を抱えてしまうかもしれないと危惧した。帝国派は例の一件以来、自警団や軍に対して挑発的な態度を取っていない。
「南の街ってここから近いんですか?少なくとも、そこでは戦闘が起ったということですよね?」
「それは分からない。もしかしたら、街が犠牲を避けて支配されることに抵抗しなかったのかもしれない。……それよりも、まずはその話が本当のことなのかどうかを確認しないといけない。仮に間違った情報だったとしても、街の中に拡散した場合のことを考えると一刻を争うから」
ハイドはそんな考えから、急いで出かける支度をする。ハイドが向かおうとしているのは自警団本部である。本部であれば、正しい情報が入っている可能性があるのだ。
「……その話はこの街で起きたことと関係があるんでしょうか?」
「それもまだなんとも言えない。それでも一つだけはっきりと言えることは、この情報が流れて喜ぶのは僕らじゃないってことだ。ただでさえ反戦機運が高まっていて、街の中で戦闘も起きた。不安に感じた人たちが、それから逃げるために帝国派の考え方に共鳴するかもしれない。街を征服する上で一番簡単な方法は、そこに住んでいる人の抵抗心を失わせることなんだから」
ハイドは支度を完了させて、最後にコートを羽織って心の準備をする。外は非常に寒い。それに悪い予感がしてたまらない。確実にメンデレーは安定とは反対の方に傾きつつあった。
「お店のことは私に任せてください。それでは気をつけて」
「うん、お願い」
ハイドはヨシノに何度か手を振ってから玄関を開けて外に出る。店の周囲は雪かきがされているが、道は人が歩いて踏み固めた場所以外は膝ほどの雪が積もっている。ハイドは覚悟を決めて歩き始めた。
ハイドが正しい情報を得たところで、何か行動を起こせるわけではない。本当に南の街がゲリラに占領されていたとしても、メンデレーにその被害が及ぶかどうかは簡単に議論ができず、いつも通りの生活を強いられるに違いないのだ。
ハイドが自警団本部の前に到着すると、そこには複数の人の姿があった。その人たちの多くは自警団員ではなく、入口のところで自警団員と話をしている。
「それで本当にエイフはゲリラの手に落ちたんですか?」
「そのことに関しては情報を集めているところです。詳細が分かり次第、しっかりと住民の皆さんには説明を行いますから」
「あの街はここからそう遠くない。歩けば数日の距離だ。そんな近くの街が攻撃されて、この街は本当に大丈夫なのか?」
「その点に関しては、軍と自警団がしっかりと対応をしているため安心してください」
話の内容は例のゲリラによる攻撃のことのようで、人々は正確な情報を求めていた。しかし、聞いている限りはまだ事実を説明できる状態にはなさそうである。ハイドは自警団手帳を見せて建物の中に入ると、そのままいつも自警団が集まる部屋に向かった。建物の中は慌ただしくなっていて、ハイドが自発的に来なくても招集がかけられているようだった。
「……お、こんなに早く来るとはな」
ハイドが部屋の中に入ると、アルが話しかけてくる。アルの情報網は桁違いで、すぐに情報を聞きつけてやって来ていたようだった。
「ああ、ヨシノさんが噂を聞いたんだって。それで一応確認するために」
「なるほどね。こっちが話そうとしていなくても、街の中ではもう噂になっているのか。自警団が恐れていることは着実に起きているな」
アルはそんなことを言いながらも緊迫感を見せていない。ハイドは近くの椅子に座ってアルに尋ねた。
「本当の話なのか?」
「さあな。まだ俺らにも情報が入ってきてない。軍や自警団の上の奴らは知っているのかもしれないが。……でもまあ、本当の話なんだとは思う」
「どうして?」
アルはまだ情報が与えられていないと話した。ハイドは、どうしてそう考えるのか問いかけた。すると、アルから返ってきた回答は簡単だった。
「もし本当じゃなかったとしたら、きっと噂が一人歩きしたり尾ひれがついたりする前に火消しに入るだろう。メンデレーも内情は決して良くない。何がきっかけでまた街の中が混乱状態になるか分かったものじゃないからな」
「本当のことだから、対応に困っているということか」
「そうだと思ってる。それもかなり厄介なことになっているんだと思うな。……考えてみろよ。連邦軍が国境にやって来ていたはずなんだ。それなのにエイフが落ちたということはつまり……」
「連邦軍がゲリラに負けたということか」
「それか、ゲリラだけじゃない敵がやって来たかだ」
アルはそこまで可能性を指摘してから黙る。ハイドもすぐに何かを口にすることはできない。アルが示した可能性は、敵の中に帝国軍が加わっていたかもしれないということだったのだ。
帝国軍は最近まで内政の事情で軍を表立って戦争に参加させていなかった。行っていたことはアボガリアのゲリラを援助することや、戦闘機を上空に飛ばすようなことだけである。しかし、今になって地上軍が侵攻してきたとなると、その危険度は桁違いだった。
「……まあ、憶測で話すことはやめておこう。とにかく自警団員を集めているみたいだから、上の奴らは早く説明をしてくれれば良いんだ」
「そうだな」
二人はそれから黙って時間を過ごした。部屋の中には自警団員が続々と集まってきている。部屋の中はもっぱら同じ話題で持ちきりとなっていて、それぞれが不安そうな顔をしている。自警団は治安維持活動を目的としているが、本格的な戦争の戦力として考えられている集団ではない。しかし、本当にこの街に危機が訪れた時には、街と街の人を守るために戦う必要があるかもしれない。そのことを潜在的に感じているからこそ、この場にいる自警団員は緊張していた。
自警団員が招集された理由を知らされたのは、それからすぐのことだった。自警団長のニッケスと駐屯軍司令のホスが、数人の兵士を連れて自警団員の前にやって来る。ざわついていた空間はすぐに静まった。ほどなくして話が始まった。
「寒い中集まってもらってありがとう。今回集まってもらったのは、もう知っているかとは思うが、単刀直入にメンデレーの南に位置しているエイフのことだ」
ニッケスが全員に向かって声を張る。その表情と声に乗っている緊張感から、聞いている全員がただ事ではない何かが起きていることを悟った。ハイドもその中の一人である。
「エイフが攻撃されたのは四日前のことだ。攻撃はゲリラが主体となって行われ、エイフは完全に占領された。エイフの自警団と駐屯軍は損害を最小限に抑えるため、国境から離れた街に撤退した。街の住民も同時に避難を行ったが、一部の住民は逃げ切ることができずに街に取り残されている」
ニッケスが現状について話す。しかし、その場の全員はエイフで何が起きていたのかということや、どういう状況なのかということはあまり興味がなかった。同じ国境の街として問題視すべきことは、どうしてエイフが攻撃を受けてしまったのかということだった。
エイフに駐屯している軍と自警団がゲリラに攻撃され、住民の保護のために撤退を選択したことは納得できる。しかし、問題はそこにあるわけではない。このようなことを防ぐために国境に展開されているはずのフリース軍や連邦軍がどうしてそれを見過ごしてしまったのかということが一番の問題だった。
「アボガリアにいる軍は何を?」
案の定、展開していた軍がどうして機能しなかったのか、それを疑問視する声が出てくる。それに対してはホスが簡単に説明した。
「詳しいことは説明できないが、付近に展開していた我が軍と連邦軍は、ちょうど同時刻に別のゲリラの集団に攻撃を受けて応戦していた。この際に、ゲリラを支援するために帝国軍と思われる航空部隊が同時に姿を見せた。そのためにエイフを攻撃したゲリラに対応できなかった」
ホスは表情を全く変えない。自警団員はそんなホスに対してそれ以上のことを質問できなかった。その場が沈黙に包まれそうになったとき、ニッケスが話を続けた。
「今、自警団に所属している君たちをここに集めたのは、あることがメンデレーで起きないようにするために努力をしてもらうためだ。……覚えている通り、この街では帝国派による自警団への攻撃が行われた。その際に住民が犠牲になることはなかったが、自警団員の一名が亡くなった。あの時は街の中で反戦の雰囲気と一緒に帝国派の思想が街に浸透したため、あのような悲劇を生んだ。それは収まりつつあるが、今回のことで再び街が混乱してしまうことが考えられる。再び街の中で戦闘が起きるようなことは容認できない。その対応を行ってもらいたい」
ニッケスはその言葉の後、部屋の中を一瞥する。自警団員の中には戦争の混乱に飲み込まれることを心配している者がたくさんいる。実際に帝国派と戦闘を行った自警団員も多くいる。その時の記憶が蘇ってきていても、何らおかしくはなかった。
沈黙はその場の全員から勇気を奪っていく。しかし、その雰囲気を引き裂いて一人の自警団員が質問を行った。
「……その仕事を私たち自警団が行うことに、きっとこの場の全員は理解し協力すると思います。ただ、この街がエイフと同じように帝国軍とゲリラに攻撃される可能性はないのですか?私たちは治安を維持する集団です。戦争はできません」
エイフも国境の街であるが、よりアボガリアに近くゲリラの危険性と隣り合わせとなっているのはメンデレーの方である。エイフが攻撃された以上、メンデレーが大丈夫であると言い切ることはできない。そのことを心配していた。
「それにはフリース軍と連邦軍が対応している。それに、エイフに対しては追加で派遣が決まった連邦軍とフリース軍が奪還を行う予定だ。エイフからさらに敵の占領地が拡大していくことはないだろう」
ホスはあくまでも軍が対処していることだけを伝えてくる。しかし、重要なことを話していない。絶対にそんな未来はあり得ないと説明することができないのだ。
「心配になることも無理はない。ただ、自警団が混乱してはこの街を維持することはできない。冷静になることと、今できる任務を行うことが重要だ」
ニッケスは自警団としてどのように行動するべきかを漠然と口にする。納得するしかないという雰囲気が部屋の中には漂っていた。
「詳しい説明はこの後に班で分かれてからするが、これから自警団として行っていくことは次の二点だ。一つは、夜間警戒の質をこれまで以上に高くすること。前回の混乱の一端を担ったのは、侵入者が街に入ったことだった。その侵入者は今も見つかっていない。絶対に同じことを繰り返してはいけない」
ニッケスが話している通り、ハイドが追った侵入者はまだ発見されていない。たった一人の侵入者で街は恐怖に駆られて混乱の方向に傾いていく。再び同じことが繰り返されると、その時には取り返しがつかなくなっている恐れがあった。
「もう一つは、街の中の警戒を行っていくことだ。街の中での自警団活動は、何かが起きてから動き始めるといったように基本的に受動的に行われてきた。しかし、これからは能動的に行っていく。自警団員が生活を抱えていることは理解している。しかし、協力してほしい。街の規律が破綻したときには、今のような生活は続けられなくなる」
二つ目の内容を説明した後に、ニッケスは全員に対して頭を下げる。それを見ていた自警団員は文句を言うようなことはしなかったが、態度や表情で不満を示した。自警団を構成している人員の多くは、普段は本職として別の仕事をしている。自警団活動が時間を圧迫することになれば、それは仕事を行う時間が少なくなり収入が減ってしまうことを意味している。ただでさえ苦しい生活を強いられている中で、簡単に容認できる内容ではなかった。
しかし、目先の利益ばかりを考えて街が崩壊した暁には、生きていくことさえ困難な状況に陥ることは明白である。総合的に判断すると、協力を惜しむことはできそうになかった。
最終的に、この場の自警団員は街のために自らを犠牲にするしかなかった。




