戦争の始まり (4)
目を覚ましたハイドは、何を考えるよりも先に後悔した。心当たりのある感覚にハイドは冷や汗を流す。少し頭痛が残っていることも、ハイドに事実を突き付けていた。溜息をつく気にもなれない。
ハイドはまたアルの言葉につられて酒におぼれた。しかし、今回に限っては事情が今までと少し違う。それは、ハイド自身が自分でこの道に入り込んでしまったということである。もちろん、どうして自分がそんな考えになったのかということも大まかではあるものの覚えている。ここでようやくハイドは大きく息を吐いた。
体を起こすと、ヨシノのベッドが目に映る。しかし、そこにヨシノの姿はなく、一階でいつものように真面目に作業をしているようだった。ハイドはそんなヨシノの前に出て行きたくなかった。帰ってきたときにどんなことを口走っているか分からない。アルと話していた内容はヨシノに直結していることで、仮にそのことを自分が暴露していたらと考えると体が動かなかったのだ。
冷静になった今になっても、ハイドの気持ちは変わっていない。ハイドはヨシノに惹かれている。それは紛れもない事実である。しかし、そのことを知られて関係が悪くなることは避けなければならない。あと二ヶ月が経てば、ヨシノはこの店を出て行くはずである。それまで問題を起こすわけにはいかなかった。
少し時間が経って、これ以上考えても意味がないと判断すると、ハイドは重い腰を上げてヨシノがいるであろう一階に向かった。そこからは小さな物音が聞こえてきている。装飾品の加工機の音だった。
「……おはよう」
作業をしていたヨシノに声をかける。すると、ヨシノはハイドの方に顔を向けて笑顔を見せた。雇用主がこんな状態であるのにもかかわらず、ヨシノは不満顔の一つも見せない。隠しているだけかもしれなかったが、ハイドの気分はそれだけで上向いていく。
「もう大丈夫ですか?昨日もすごくお酒を飲んでいたみたいですけど」
「あ、ああ。ごめんね」
ハイドはつい謝罪の言葉を漏らす。それにヨシノは少し首を傾げた。ただ、すぐに持っていた道具を机の上に置いて台所に向かった。
「寒くないですか?昼頃までは雪が降っていたんですよ?店長が戻ってきてすぐくらいから降り始めて、二十センチくらい新しく積もっています」
ヨシノはハイドが寝ていた間のことを話す。暖炉ではいつもより多めの薪が燃えている。窓から外を見ると、店の周りを雪かきした跡が残っていた。ハイドは小さくうなだれる。しばらくすると、ヨシノは温かいお茶を持って戻ってきた。
「大丈夫ですか?まだ気分が悪そうですよ?」
「いや、大丈夫。ありがとう」
ハイドは空元気を振り絞ってヨシノからカップを受け取る。ヨシノの態度を見ている限り、ハイドが何かを口走った様子はなかった。
「でも、この店にお酒は全くないのにすごく飲んでいるみたいですね。今回もアルさんが飲んでいたときの様子を話していました」
「えっ!?」
ヨシノが何気なく口にした言葉にハイドは驚く。ヨシノはそんなハイドに驚いた。
「……どうかしたんですか?」
「いや、何でもないよ」
ハイドは気になって仕方がなくなる。しかし、ヨシノの態度が何かを隠しているわけではないと信じて、この話題に干渉しないようにした。しかし、ヨシノは何かに感づいたのか話を続ける。
「心配しなくても、どんなことを話していたのかは聞いていません。店長が酔うと色んなことを口走ってしまうこと知ってますから」
「………」
ハイドは不安をヨシノに悟られて恥ずかしく感じる。そして自分の情けなさに対して苛立ちを持った。
「アルさんも男の話をしていたとしか言っていませんでした」
「そうなんだ……」
ハイドは態度に出さないようにして安堵した。ヨシノに何も知られていないことを把握して、それだけで肩の荷が下りたのである。しかし、ヨシノは別のことでハイドに情報提供した。
「……でも、私が店長をベッドに連れて行った後にもう一回アルさんが店にやって来て、店長に伝言を残していきました。なんでもホウカさんにはあの時に話していたことをうっかり知られてしまったとか」
「……え!?」
冷静さを貫くつもりでいたハイドだったが、予想外のことを聞かされて動揺する。さらに追い打ちをかけるように、ヨシノはハイドの態度に言葉を漏らした。
「……どうかしたんですか?何か良くないことでしたか?」
「いや、それは……」
ハイドはヨシノに何かを勘ぐられないよう振る舞う。しかし、ホウカに知られたという話はあまりにも衝撃的だった。その事実をホウカがどのように扱うつもりなのかはハイドの理解の範疇を超える。しかし、ホウカに知られたということは、そのことがヨシノの耳に入るのも時間の問題であるような気がした。喜ばしいことに、最近のヨシノとホウカは仲が良くなってきているのだ。
「何か隠していますよね?……それも私に」
ハイドがどのようにホウカの口封じをしようか考えていたとき、ついに不審に感じたヨシノが質問してきた。ハイドは心臓を高鳴らせながら、ヨシノに言い返す。
「何も、聞かないつもりだったんじゃないの?」
「そうしようと思っていたんですけど、店長の反応を見てやっぱり気になったんです。アルさんがこのことを店長に伝えて欲しいと私に言ってきたときも、何か私のことを気にしているようでした。……その話題、私に関係があることだったりしませんか?」
ヨシノは単刀直入に問いかけてくる。ハイドは直球なヨシノの物言いに口を閉ざした。すぐに否定しなければならない。そんなことは理解しているつもりだったが、それでも言葉が出てこなかった。そうして無言の時間を過ごしていると、ヨシノの表情は怖くなっていく。
「……私、何か話題になるようなこと、それも店長が話を拒んでしまうようなことをしてしまいましたか?隠さなくても良いです。良ければ教えて欲しいです」
ヨシノは、ハイドが考えていたこととは少し違った内容を想像しているようだった。確かにハイドとアルのヨシノに対する反応は、そんな疑惑を持たれてもおかしくなかったのかもしれない。その誤解は解いておく必要があった。
「本当に何でもないよ。ヨシノさんが気にしているようなことは全くない。そのことは僕がはっきりと断言する。でも、何を話していたのかは詮索しないでほしい。ヨシノさんに知られて困るようなことじゃないけど……いつかは話すことになると思うんだけど、それは今じゃないと思うんだ。ダメかな?」
ハイドの要求は勝手が過ぎると判断されるかもしれない。この言葉がヨシノの心の中に湧き上がった疑念を取り払えないことも把握している。しかし、ハイドのヨシノに対する感情を知られるわけにはいかない。それが最終的に下したハイドの判断だった。
知られることは築いた関係を全て壊すことに繋がりかねない。そんなことになってヨシノがこの場所にいられなくなったとき、誰がヨシノのことを助けられるのか。そんなことでヨシノの進むべき道が閉ざされてしまったとき、ハイドはその責任を負うことができるのか。総合的に判断して、そんなことにならないようにその場で凌ぐしかなかった。
「分かりました。店長がそんなに言うのであれば詮索しないです。店長のことを信頼していますから、こんなことを気にする必要なかったのかもしれないですけど」
ハイドの申し出に対して、ヨシノは見かけの上で納得してくれた。ハイドはヨシノがそう言ってくれると予想して、真実を話さなかったのかもしれない。今更になって、自分が狡い人間であるような気がした。
「ところで、さっきまで何をしてたの?」
ハイドは話題を変えてヨシノに問いかける。出ている道具からおおよその予想はつく。しかし、今のヨシノと別の雑談をする気力もなく、ハイドは仕方なくそんなことを尋ねていた。
「教えてもらっていた装飾品の修理の簡単な練習をしていました。店長が言っていた通り、こっちはまだ簡単です」
ヨシノは練習に使っていたネックレスをハイドに見せる。それはハイドがこの店にやって来た時からある安物の練習用のネックレスだった。ヨシノが行っていたのはハイドが故意に外した鎖の繋ぎ目を直すことだったが、ハイドが昔に失敗してつけた傷が目立って残っていた。小物の修復に関して、ヨシノは間違いなく同じ頃のハイドに比べて上手だった。
「よく短期間でこんなに上手になれたよね」
ハイドはそのネックレスをよく観察して感想を伝える。ヨシノはそれに対して笑みを返したが、先程のことでまだ心残りがあるようだった。しかし、そのことを蒸し返してはこない。
「……じゃあ、僕もそろそろ仕事を始めるとするか。色々残っているし」
ハイドはこれ以上会話を続けることが困難であると察して、作業の準備を始めた。ヨシノも何も言わないまま、いつもの場所に座って今度はヘリーがまとめた資料を読み始めた。ハイドの作業は、一度分類を終えた小物をもう一度調べ直して間違いの有無を確認することである。この作業では測定をもう一度行うと同時に、一度目のデータと見比べていく必要がある。
「よければ手伝いましょうか?」
ハイドが何の作業をしようとしているかを確認して、ヨシノが声をかけてくる。ハイドは自分からお願いをしようかと考えていたため、その申し出を受け入れた。
「お願いするよ」
ハイドがそう返答すると、ヨシノは分厚い紙の束を手にして早速該当の箇所を探す。もうこの作業には慣れてしまっているようで、ハイドが特別な指示をしないでも片腕としてしっかりと貢献していた。
作業が始まると数字や鉱石の名前、加工方法の名称が飛び交うだけの空間になる。いつの間にか店に帰ってきていたリッチがヨシノの膝の上で丸くなっている。ハイドはヨシノとリッチの距離が気になって、作業の効率を少し落とした。しかし、ヨシノはハイドのそんな様子に気付く素振りを見せない。あくまでも気にしているのはハイドだけだった。
目立った間違いを発見することなく作業開始から数時間が経ったとき、ヘリー修繕店の扉が開いて冷気が二人のことを襲った。ハイドは何事かとそちらに視線を向けると、そこにはホウカが立っていた。時間はもうすぐ夕方になろうとしている。
「……作業中にごめん。ちょっと良い?」
ホウカが話しかけてきて、ハイドとヨシノは手を止める。作業はそれなりに進んでいて、休憩も兼ねてハイドはホウカの対応をすることにした。ホウカの口から飛び出してくる言葉を警戒したのだ。
「実はお店の都合でお風呂の時間を早くすることになって。それでヨシノを呼びに来たんだけど」
「……そんなことか、それなら今日の作業はここまでにしよう。急いでいるわけでもないから」
ハイドはひとまず、ホウカの開口一番の言葉がまともだったことに安堵する。しかし、ヨシノを風呂に連れて行くとなると、それからのことにハイドは一切干渉できない。そこでどんな情報のやりとりが行われるのか想像もできないハイドは、次の可能性に備えて立ち上がった。
「ヨシノさん、準備してきたら?」
ハイドはヨシノに風呂の準備を促す。ヨシノはそれに従って地下へ階段を降りていった。
「……何?」
ハイドがホウカに近づくと、ホウカの方から声をかけてくる。どこかホウカの反応は冷たい。ハイドは単刀直入にお願いを申し出た。
「アルから何かを聞いたかもしれないけど……」
「ああ、そのこと?」
ホウカはハイドの言葉を中断させて何度も頷いてみせる。ハイドの話を聞こうとしていないようだった。しかし、ホウカがすぐに黙ってしまったため、ハイドは話を続けた。
「聞いたことの真偽について何か言うつもりはないけど、一つだけ。他言はしないで欲しい。特にヨシノさんには」
「内容が内容だから?……って、そんなことを言ってきたら真偽は明白だけどね」
ホウカは鼻で笑う。しかし、乾いた響きはホウカがいつも通りの様子ではないことを表していた。
「とにかくよろしく頼むよ」
ハイドはそう言ってこそこそとホウカのもとから離れる。その後すぐにヨシノが準備を終えて戻ってきた。
「じゃあ行こっか。今日はヨシノに話したいこともあるし」
ホウカは意地悪い顔をハイドに見せて、ヨシノと一緒に店から出ていく。ハイドはそれを見て苦笑いするしかなかった。ただ、ホウカが人の話を勝手に言いふらしたりはしないことをハイドは知っている。先程ハイドがホウカに願い出ていたのも、ホウカが勘違いをして無駄な気を回させないようにするためだった。
しかし、二人が出ていって一人だけになったとき、ハイドはどうしてあんなことをヨシノに話してしまったのかと後悔した。




