戦争の始まり (1)
季節は移っていき、メンデレーは冬を迎えた。ヨシノがヘリー修繕店にやって来てから四ヶ月が経っている。いい加減にヨシノが一緒にいる生活にも慣れてきて、ハイドはヨシノのことを無意識の内に良きパートナーとして認識するようになってきていた。ヨシノがどのように考えているのかはハイドの知ったことではない。ハイドが勝手にそのように考えていただけだった。
ハイドがそのような考えに至った理由は極めて単純である。それは、思っていた以上にヨシノの上達が早いからだった。ハイドが見ている限り、ヨシノは怠けたりするようなことはしていない。そのことが功を奏しているのか、ヨシノは簡易的な作業であれば任せられるようになってきていたのである。事実上、ヘリー修繕店の戦力として貢献してきつつあることを意味していた。
ハイドはそんなヨシノを見ていて、どうしてそこまで本気になって仕事ができるのか気になった。しかし、それは干渉しても意味がないことだと分かっている。ハイドがヨシノに下していた評価も最初の頃とそんなに大きく変わっているわけではなく、ヨシノとの契約が切れた後のことはその時になって話し合えば良いと考えていた。
ハイドが店の中で凍えながら作業をしていると、買い物からヨシノが戻ってくる。ヨシノの頭には雪が積もっていた。
「おかえり。……それにしてもよく降ってるね」
ハイドは窓の外の様子を窺う。ヨシノは玄関口で雪を払って赤くなっている頬を手で触った。
「私が住んでいたフィッシャーではもっとすごかったですよ。一日で背丈くらい積もることだってありましたから」
ヨシノは買ってきたものを一つ一つしまっていく。ハイドはそんな律儀なヨシノに慣れてしまっていた。ハイドが一人で生活していた時の面影はなくなってしまっている。
「確かにこのあたり、雪は積もるけどそこまでじゃないな。内陸の街だからただ寒いだけ」
家の中にいても指は徐々に悴んでくる。ハイドは暖炉のそばによって手を温めた。隣にヨシノもやって来て、ハイドと肩を合わせる。ハイドは少し緊張した。
「街の雰囲気もだいぶ落ちついてきましたね。一時のあの騒ぎがなかったみたいです」
「まあこれだけ寒いとデモをする元気もないんだろう。そこまでの活動力はないってことか」
季節が自警団の味方をしてくれている。その点に関しては、この厳しい気候に感謝しなければならなかった。とはいっても、受けている被害の方が無視できなくなっていることは間違いない。
ハイドの体は完全とまではいかないものの、ほとんど完治していると言って良いほど回復してきていた。車椅子を使わずして移動することもできるようになり、ハイドは不便だった生活から脱却している。迷惑をかけ続けていたヨシノに対して申し訳ないと感じていたため、ハイドはこの時を待ちわびていた。
しかし、ほとんど完治したことから、ハイドは再び自警団活動に参加しなければならなくなっている。そのことだけがハイドにとって負の影響となっていた。
「今日は夜間警戒の日ですよね」
暖炉の前で隣り合って時間を過ごしていると、ヨシノが唐突に尋ねてくる。ハイドは頷きながら大きく息を吐いた。
「そうなんだよ。この時期の夜間警戒は地獄だからね。なんなら怪我するタイミングがこの時期になっていれば」
ハイドは意味がないと分かっていながら文句を口にする。ヨシノはそれを聞いて笑った。
「こんな時期に侵入しようとしてくる人なんているんですか?雪が積もっていて動きにくいし、足跡も残って時期的に面倒な気がしますけど」
「まあ、僕らがそんなことを考えて怠けている間に侵入されたら意味がない。前回でよく分かったけど、こういった侵入が起きると街の中が騒がしくなって、それこそ良くないことを企んでる人間に都合の良い環境になってしまうからね。大変でもしっかりしないといけないんだよ」
ハイドはその理屈を理解していてヨシノに伝える。しかし、それを分かっていても激務であることに変わりはない。せめて問題が起きないで欲しいと切に願っていた。
「……ところでさ、ヨシノさんはここでの契約が終わった後にどこに行こうかなとか決めているの?」
ハイドは話題を変えてヨシノの今後のことについて話す。ヨシノがこの店にやって来てから四ヶ月が経っている。時間の経過は早いもので、雇用期間は半分を過ぎていた。
「……いえ、まだ何も。ここでの生活に慣れることに必死になって、その大切なことを考えるのをすっかり忘れていました。もうこんなに時間が経ってしまっていたんですね」
ヨシノは正直に胸の内を言葉にする。そう感じてしまうことは無理もないことで、ハイドはヨシノのことをとやかく言うつもりはなかった。すると、ヨシノが話を広げた。
「いきなりどうしてそんなことを聞いてきたんですか?何か困るようなことがあったりしましたか?」
ヨシノはハイドが話題を振ってきた理由を探る。ハイドには特別大きな理由があるわけではなかったが、ヨシノの疑念を払拭するために答えた。
「そんなことは全くないよ。でも、色々気になる事があって」
「それはどんなことですか?」
ヨシノは食い気味に問いかけてくる。ハイドは簡潔に感じていた事を伝えた。
「ヨシノさん、まだ貰ったお金を一度も使ってないんじゃない?四ヶ月も経って、ここで生活していく上で必要になってくるものとかあるだろうにと思っていたんだ。それなのに大切に保管しているということは、何か将来のことを決めていてそれのために使っていないのかと思って」
ハイドが気になっていた事はそんな些細なことだった。ヨシノはそんなハイドの疑問を聞いて笑って答える。
「ここで生活していると店長が必要なものを用意してくれるじゃないですか。だから私が自分で何かを買う必要に迫られることがないんです」
「でも、僕が用意してないものだってあるだろ?……ほら、化粧道具とかこの店にはないし」
「私そういうことはあまりしない人なので」
ヨシノは即答する。ハイドはそうかと納得するしかない。
「見て分からないんですか?私がそういったのをしていた時なんてなかったと思います」
「いやぁ、僕はそういったことあまり分からないから」
ハイドはヨシノに責められるとは思っていなかったため、声を小さくして答える。少なくともホウカは化粧をしている。そのことから、普通はするものだと勝手に思っていたのだった。
「……でも、店長の言うとおり私はお金を使わないようにしています。これからどうなるのかなんて私には分からないことで、ここで色んな人にお世話になったこともあって、もう人に迷惑をかけてしまうような生き方はできないですから」
ヨシノが考えている事は極めて簡単なことで、理屈が通っている。ハイドはそれを聞いて、ある一箇所以外は納得した。ただ、気になった部分は訂正する。
「ヨシノさんは、以前の生活で人に迷惑をかけていたからこれからはそんなことがないようにしたいって言っているんだろうけど、それは少し違うと思う。こんなことを話されるとあまり良い気分にはならないかもしれないけど、ヨシノさんが窃盗を繰り返して生きてきたその方法は人に迷惑をかけていたわけじゃなくて、ただ単に悪いことをしていただけ。……生活していく上で、人に迷惑をかけてしまうなんて当たり前のことなんだから、そのことを心配する必要はないよ」
ヨシノは迷惑をかけるということについて間違った考え方をしていた。ハイドはそれを改めて説明する。ただ、ヨシノはハイドの言葉を聞いても少し首を傾げる。
「確かに罪を犯すことを人に迷惑をかけるという言葉でまとめてしまうのは間違っていました。ですけど、人に迷惑をかけてしまうことが良いとは思っていません。今の私も店長に迷惑をかけてしまっています。それは良いことではないです」
ヨシノはこの場にいることを迷惑という言葉で表現し、申し訳なさそうな顔つきをする。ハイドはヨシノに理解して欲しいことが一つだけあって、そのことに触れて話を続けた。
「確かにヨシノさんは僕に迷惑をかけているかもしれない。でも、それはお互い様だと思うよ?僕が車椅子で生活していたときはヨシノさんにすごく迷惑をかけていた。……とにかく気にしないで良いんだって。ホウカに迷惑をかけていても、ホウカだって迷惑をかけてきてる。それが普通なんだよ」
ハイドはそう言ってヨシノの様子を確認する。ヨシノはハイドの言葉を聞いて黙り込んでしまった。ハイドはヨシノからの返答を待つことに耐えられなくなって、立ち上がるなり作業用の椅子に戻った。ヨシノはまだ暖炉の前で動かないでいる。
四ヶ月も経ってまだヨシノがそんなことを心配していたと気付いてハイドは申し訳なく感じ、今日でそんな必要がないことを理解してもらおうと考えた。しかし、ヨシノのことを責めるつもりは全くなく、ヨシノの反応を見て考え方を押しつけすぎた後悔した。
ヨシノはしばらくした後に、ハイドと一緒に仕事を始めた。すでに、ハイドには話の続きを持ちかける勇気は残っていなかった。
二人は作業的な会話さえほとんどすることなく、それぞれの仕事をこなしていく。決して悪い空気だというわけではないが、何も話せないでいることがハイドにとって苦痛だった。ヨシノは何かを気にしている様子もなく作業をこなしている。ハイドはヨシノのことが気になって仕事になかなか集中できなかった。
ハイドは、自分が言葉で言い表したくない気持ちをヨシノに持っていると気付いている。それはヨシノと親密になったことの表れなのか判断することは難しい。しかし、悪い感情ではなく、どちらかというとヨシノのことを肯定的に捉えるような内容だった。
ヨシノはホウカと同じようにしっかりしている人間であるが、その性格や人間性は大きく異なっている。ホウカとは別の雰囲気を纏ったヨシノはハイドにとって新鮮な存在で、それがハイドにそんな感情をもたらしているのかもしれなかった。惹かれるという言葉が、最もその感情を上手く言い表せているかもしれないとさえ感じていた。
ヨシノはハイドのことを信頼してくれているのか、ハイドのことを怖がらなくなった。しかし、今度はハイドの方がヨシノのことを気にしてしまい仕方がなくなっている。
たまにヨシノの寝息が聞こえてくるとき、ハイドはそれを聞かないようにして眠りにつこうとする。しかし、自分が意識していると自覚した途端に後悔の念が襲ってきてそれどころではなくなる。それが何なのか分かってしまいそうになると、必死に抵抗してハイドは不安定な感情を制御しようとしていた。
夕刻になった頃、アルがヘリー修繕店にやって来た。夜間警戒で集合しなければならないハイドを迎えに来たのだ。
「寒い寒い、さっさと支度しろ」
アルは入ってくるなり暖炉の前に陣取る。ヨシノはアルのそんな姿を見てハイドの方を向いた。ハイドは冬用のコートを羽織っている最中でヨシノの視線に気がついて首を傾げた。
「まだ治ったばかりなんですから無理しないでくださいね」
ハイドはヨシノから暖かい言葉を受け取る。先程のこともあったため、ハイドはそんなことを言ってもらえるとは思っていなかった。ハイドは気にしすぎていたのかもしれないと思いつつ分かったと答えた。
「……いいなあ、そんなことを言ってもらえて。俺なんて冷たい酒が見送りをしてくれるだけだ」
「何でも良いだろ。早く行こう」
ハイドはアルを立ち上がらせて玄関に向かう。扉を開けると、外の冷たい空気が二人のことを襲った。
「今日は早めに店を閉めていいよ。少なくとも真っ暗になるまでには戸締まりをしっかりするように」
ハイドは一言ヨシノに指示を出してから外の空間に飛び込む。苦痛の半日が始まろうとしていた。




