小事件 (4)
「何度もすみません。追加で確認したいことがあってまた来たのですが、お時間は大丈夫ですか?」
「ええもちろん、上がって」
目的地に着くと、二人はルビーに出迎えられた。家の中にはまだルビーしかいない。ヨシノはルビーの後についていくようにハイドと一緒に移動する。
「さっきの自警団さんとは違うんですね」
「ええ、彼女は自警団員ではなくて僕の店で働いている従業員です。確認したいことができて、連れてきてもらったんです」
「ヨシノと言います」
ヨシノが自己紹介をする。それを聞いたルビーも自己紹介を行った。
「それで確認したいことってどういうことなんです?」
「はい。あのストロングが繋がれていた紐をもう一度見ても良いですか?」
「構いませんよ」
ルビーはすぐに二人を庭に連れていく。ハイドはヨシノに紐のそばまで近づくように指示した。紐を手に取ったハイドは、持ってきたルーペを取り出してその断面を観察し始める。
「……何を見ているのですか?」
「繊維の断面の様子です。人の目では確認できない細い繊維の断面を見ることで、紐が千切れたときの状況が分かります」
ハイドは簡潔に説明して、紐の一本一本の繊維を観察していく。それは数分ほどかかる。
「……何か分かりましたか?」
ルーペから目を離すと、ヨシノが成果を尋ねてくる。ハイドは目頭を押さえて、疲れた目を少し癒やしてから口を開いた。
「面白いことが分かりました」
「……面白いこと?」
ルビーが疑問符を浮かべる。ハイドは自分が紐の断面を見て確認したことを説明し始めた。
「まず新しく分かったことがあります。それは、この紐がナイフのような鋭利なもので一部切断された形跡があることです。ストロングが紐を引き千切ったのだとすれば、その断面はほつれていて切れている位置も繊維によってばらつきが出てくるはずです。でも、この紐にはそうなっていない部分がありました」
「……それって」
「つまり、誰かが故意にこの紐を切ったということになります。そうでないと繊維の断面がこれほど綺麗になることはありません」
淡々と観察の結果を報告していく。ハイドのその目にはルビーがしっかりと映っていた。
「じゃあ、やっぱり誰かがストロングを逃がしたってことなんですね?誰がそんなことを……」
ヨシノが難しい表情をする。ヨシノの言う通り、問題は誰がそのような行為におよんだのかということだった。
「僕の想像では、ストロングが寝ている間に誰かが紐に近づいて切れ込みを入れたんです。それで一度はストロングの元から離れた。その後、ストロングが起床してからその人物は挑発行動を取った。ストロングがそれに興奮して暴れたことで、切れ込みが入って強度が落ちていた紐が切れてしまった。その様子をルビーさんとご主人が見ていたというわけです」
「……それで、問題は誰がそれをしたのかってことですよね」
「その通り。……ルビーさん、何か心当たりはないですか?ストロングに対して恨みを持っていた人とか」
ハイドはどうしても近づくことができない問題の解決に乗り出す。どのようなメカニズムでストロングが逃げたのかが分かったところで、それを行った人物が分からないようでは意味がない。その点に関してハイドらはどうすることもできないため、ルビーの答えに期待するしかなかった。
しかし、ルビーは首を横に振って心当たりがないことを示す。
「ストロングは確かに少し凶暴だったけど、誰かの恨みを買うようなことはしていないと思うわ」
「そうですか」
「何も分からなくてごめんなさいね」
ルビーがそう言って頭を下げる。ハイドはすぐに頭を上げさせた。
「気にしないでください。もし、誰かがこのようなことをしたのであれば、ストロングがまだ無事である可能性が高くなったことを意味しています。きっと見つかると思います」
ハイドはルビーを元気づけるためにも諦めることがまだ早いと告げる。すると、ヨシノがハイドに質問した。
「でも、どうしてそんなことが言えるんですか?ストロングがどこにいるのか見当もついていないのに」
「それは、犯人がこんな面倒なことをしているからだよ。もし殺意を持った人物が犯人だったら、きっと紐に切れ込みを入れるなんてことしないでそのナイフでストロングを殺しているはず。別にナイフを使う必要もない。何かを注射することの方がよっぽど簡単だ。でも、犯人はそうしないで面倒な方法をとった。それは殺すことが目的ではなくて、逃がすことか連れ去ることを目的としていた証拠だ」
ストロング生存の可能性が高まった根拠はこのことに尽きる。ハイドは犯人が正常な判断をしていると考えた上でこの推論を立てていた。それはルビーを安心させることができる。それさえできていれば、ハイドの目的は達成されているも同然だった。
「……でも、犯人のような人もストロングの姿もまだ見つかっていない。もしかすると……そんなことを考えたりもしてしまいます」
「……確かに絶対とは言えません。犯人がおかしなことを考えていて、連れ去った後に殺害することを目的にしている場合もあります。すぐに街の外に逃がしてしまったという可能性もないわけではありません。ですが、僕はそれでもストロングがまだ生きていると思っています」
ルビーの弱気に対抗するようにハイドは自分の考えを示す。そう言い切れる証拠は何もないが、それでもストロングが死んでしまっている可能性に比べれば、よっぽど自分自身が考えている可能性の方が現実味を帯びていると考えたのである。
「……本当にここまでしてくださってありがとうございます。街がこんな大変なときに、些細なことで手を煩わせてしまって」
「大丈夫です。確かに事件に大きい小さいはありますけど、当事者の人にとって自分が関係している事件が一番重大だってことは当たり前ですから。僕らはそれを大小で評価してしまうこともありますけど、それでも一つ一つを仕事だと思って誇りにしています」
ハイドはルビーに自警団としての意識を伝える。ルビーが申し訳ないと感じる必要は全くない。ハイドはただそれだけを伝えたかった。
「ありがとう。あなたもごめんね。自警団の方じゃないのに手助けしてくれて。……初めて会ったけど、とても優しい方だってことがすぐに分かりましたよ」
「いえ、そんな。私はただ店長の手伝いをしているだけです」
ルビーはヨシノにも声をかけて感謝を伝える。ヨシノは少し困惑しているようだった。
「……とにかく確認したかったことはできましたので、今日はここらで。また何かあればお邪魔するかもしれません」
「はい、いつでもいらしてください」
ハイドはヨシノに玄関に向かうよう指示する。すると、ルビーがそんな二人を見送ってくれる。外は暗くなりつつあって、風が少し強く吹いていた。全く動いていないハイドは、そんな風を冷たく感じる。
「それじゃ、良い知らせを持ってこられるように努力します」
「お願いします」
別れ際の言葉も特に変わった様子はない。ヨシノは来た道を戻ってハイドと店に帰った。
「それにしても、一体誰があんなことをしたんでしょうか」
ヨシノが少し声を尖らせる。ルビーと話をして、どれだけ不幸な境遇にあるのかを理解したようだった。
「でも、面白いことが分かった」
ハイドはヨシノの気持ちを理解しながら、それでも今回得ることができた情報について頭の中で精査する。しかし、ヨシノが話しかけてきてそれを中断する。
「犯人が捕まったときには私からも一言言ってやりたいです。きっとルビーさんには強いことが言えないと思うので」
ヨシノはルビーに代わって犯人に怒りを表す。しかし、ハイドはそれが必要ないかもしれないと考えていた。
「……店長、どうかしたんですか?すごく考えているみたいですけど」
「あ、ああ。ちょっとね」
ヨシノに気付かれないようにして、新しい発見について考えようとする。実は、紐の断面を見て新しく分かったことは、先程のハイドの推論が間違っていることを証明していたのだ。ただ、ヨシノにそれをはっきり話すことはまだできそうになかった。
しかし、ヨシノはそんなハイドのおかしな雰囲気を感じ取って、車椅子を止めた。考え込んでいたハイドは、ヨシノが足を止めたことに気付いて振り返る。
「……どうかした?」
ハイドはさりげなく尋ねる。ヨシノのことを疲れさせてしまったのであれば、自分で車椅子を動かす必要がある。しかし、ヨシノが止まった理由はそんなことではなかった。
「店長、何か隠してますよね」
「え?」
ヨシノが口にした言葉はハイドにとって予想外だった。対応に遅れたハイドは、意図せず話を紛らわせようとする反応をしてしまう。
「すごく分かりやすいです。店長が何かを隠していると、簡単に分かりますよ。……私は勝手に首を突っ込んだだけですけど、少しだけじゃなくてたくさん心配しています。何か分かったことがあるなら、教えて欲しいです」
ヨシノの要求は至って簡単で、ハイドが隠している何かを教えて欲しいということだった。
「……隠してるっていうか、まだ確証がないから言いたくないだけなんだけど」
「教えてください」
ヨシノはすぐに返答する。ハイドは少し考えた後に、観念して話すことにした。
「とりあえず歩きながら話そう」
ハイドはヨシノに動くことを求める。ヨシノは指示に従ってゆっくりと歩き始めた。
「……僕が考えていることは、ストロングが繋がれていた紐に切れ込みを入れた人間なんていないということだ」
ハイドは遠くの街並みを見つめる。ヨシノはあからさまに驚いてみせた。
「えっ!?でも、紐の断面は刃物で切ったように綺麗だった箇所もあったんですよね?それなら……」
「いや、いるのは紐を完全に切断した人物だけだ。実は、紐の断面はどこも全て綺麗に切断されていたんだ」
衝撃的で、それでも紛れもない事実を伝える。ヨシノはそれを聞いて口を閉じた。
「つまり、切れ込みを入れて後は千切れさせたという考え方は通用しない。それなら、ばらけて千切れている箇所もあるはずだからね」
「……でも、ルビーさんたちはストロングが紐を千切って逃げていくところを見ていたんですよね?」
ヨシノはこの後にハイドが何を説明しようとしているのか気付いたようで、恐る恐る矛盾点について質問する。ここでハイドが答えることは、まさにヨシノが考えていることと同じだった。
「紐を切ったのはルビーさんか、ご主人かもしれない。……理由は分からないけど」
ハイドは今の段階で考えられる一番の可能性を告げた。それはまだ根拠を持っておらず、不足している真実も見つかっていない。それでも、今までに出ていた可能性以上に信憑性が増しつつあった。
「……どうするんですか?」
「どうするって?」
「そのことをルビーさんに聞いてみるんですか?」
ヨシノは心なしか声を小さくしてハイドに問いかけている。ハイドはそんな質問に少し時間を使ってから答えた。
「まだそんなことしない。ルビーさんが本当にストロングを不幸な事件や事故に巻き込まれて失っていたとすれば、僕の言葉はただの凶器になってしまう。信頼していた人を信頼できないようになって、余計に傷を負うかもしれない。だから言えない」
「でも、もしこれが真実だったらどうするんですか?」
「はっきりと分かったときにはもちろん話に行くよ。でもそれは今じゃない。急ぐ必要はないよ」
ハイドはそう言って車椅子にしっかりと腰掛ける。足は筋肉が落ちていて、少し体重をかけただけで悲鳴を上げる。ハイドは大きく息を吐くと、店に着くまで目を瞑っていた。
案外、今回の話は小事件ではないのかもしれなかった。




