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小事件 (1)

 「戻りました」


 ヘリー修繕店にヨシノが戻ってくる。ハイドが買い物などの雑務を任せてあったのだ。


 「あった?」


 「はい。最近行商人の方が来たらしくて、たくさん入荷していました」


 ヨシノは買ってきた物を台所に持っていく。買ってきてもらったのは、不足しそうになっていた肉系の食材だった。ハイドはヨシノが無事買ってきてくれたことに安心する。


 「良かった。野菜だけの生活なんて絶対に嫌だからね」


 ハイドは救護所に一ヶ月間いたとき、ひどい食事を与えられていた。体に良いのかもしれないが、不摂生な生活を続けていたハイドには辛い内容だったのだ。そんなこともあって、再び自分で食事を用意できるようになった今、食べたいものを食べ尽くしたいという衝動に駆られていた。


 「でも、一人分しか買いませんでした」


 「………え?」


 ハイドが今日の食事のことを考えてやる気を出していたとき、ヨシノは唐突に裏切るようなことを呟いた。


 「実は、行くときにナトリさんに会ったんです。その時に店長がどんな様子なのか聞かれて、それで今の生活についてお話をしたんです」


 「……それで?」


 ハイドは嫌な予感がする。


 「ナトリさんは今の食生活をしていたら完治が遅れると言ってました。肉ばかりではなく野菜と豆もよく食べるようにと助言を頂いたので、それに従うことに」


 「勝手なことを」


 ハイドはついそんな言葉が出てしまう。心配してもらって悪い気分にはならないが、楽しみを奪われることは許容しかねたのだ。しかし、ヨシノはすぐに反論する。


 「先生がそう言ってるんですから間違いないです。私も最近の店長の生活が心配になっていたところだったので」


 ヨシノは片付けを終えてハイドの前に戻ってくる。ハイドはそんなヨシノに文句を言ってやろうとしていたが、ヨシノがやけに心配そうな表情をしていたため何も言えなかった。


 「それで色々回って料理のことを考えてきました。お肉は少なくなっちゃいますけど、きっとおいしいのを作るので我慢してください」


 ヨシノのそんな言葉が決定打になる。ハイドはなぜ先程まで不満を言っていたのかよく分からなくなっていた。


 「……まあ、期待しておこうかな」


 「はい」


 ハイドが折れたことでヨシノが笑顔になる。ハイドは自分が扱いやすい人間なのではないかと心配した。


 「話は変わるんだけど、資料で必要なものがあって地下までまた肩を貸してくれない?」


 「良いですけど、何が必要なのか教えてくれたら取ってきますよ?」


 「いや、色々な資料が必要で、ちょっと下にこもって調べ物をしないといけなくて」


 ハイドは自分が今している仕事がいつもの分類作業ではないことを伝える。ヨシノはそれを聞いて快く頷いた。


 階段まで車椅子で連れて行くと、ヨシノは手を取ってハイドをゆっくりと立たせる。ハイドの体が回復していることは間違いないが、立ち上がるときや座るとき、階段の上り下りなどの大きな動きを伴う場合にまだ痛みを伴っていた。


 いつもはヨシノが肩を貸してくれて、一緒に階段を降りる。ハイドは今回もそのようにして降りるものだと思ってヨシノのことを待っていた。すると、今回はヨシノが先に二段ほど階段を降り、そこからハイドの両腕をしっかりと掴んだ。


 「あれ……今日はいつもと違うんだね」


 「はい。これもナトリさんに教えてもらったんです。肩を貸していると自分の体重の負担が軽減されてリハビリにならないみたいです。私がこうして腕だけ支えて歩けば、店長は自分の体を支えないといけなくなってリハビリになるんだそうですよ」


 ヨシノはそう言ってハイドの腕をゆっくりと引く。ハイドはそれに従って、一歩目の足を出した。


 「それに……」


 ヨシノがさらに何かを話そうとする。しかしそんなとき、ハイドは誤って階段を一段踏み外した。自分で体重を支えられないハイドは、そのままヨシノの方に倒れてしまう。しかし、ヨシノがしっかりと抑えてくれたため、転落することはなかった。


 「それに、こうすれば階段から落ちづらくて安全なのだそうです」


 「……そうなんだ」


 倒れ込んだことでハイドの顔はヨシノの顔に接近している。ヨシノの腕はハイドの腰に回っていて、ハイドの手はヨシノの肩を抱いている。そんな状況でヨシノが小さく囁いたため、ハイドは心臓の鼓動を大きくした。ヨシノの青い目がハイドを見つめていて気まずくなっていた。


 そして、そんな時に限ってヘリー修繕店の扉が開いた。


 「ハイド、調子は……」


 声からしてやって来たのはホウカのようである。ヨシノはハイドの顔越しにホウカの様子を窺って苦笑いを浮かべた。


 「何!?どうしてこんなところで……抱き合ってるの?」


 「違う!ちょっと足を滑らせて、それで……」


 ハイドはヨシノから離れて自分の足で立とうと試みる。しかし、ヨシノが放してくれない。


 「危ないです」


 ヨシノはそう言うと、ヨシノ自身が階段を上がってきてハイドの体を直立させた。


 「店長は地下に用があるんですよね?」


 「そ、そうだ。ゆっくり行こう」


 ハイドはホウカから逃げるためにも地下に潜っていく。地下二階に到着すると、ハイドはヨシノに礼を言ってホウカの相手をしてくるように伝えた。それは、ホウカをここに来させるなという意味を込めている。


 ヨシノはその指示を受けて一階に戻る。ホウカは椅子に座ってヨシノのことを待っていた。


 「店長は下で仕事があるそうです」


 「逃げただけでしょ」


 ホウカはあっさりとハイドの考えを見破る。ヨシノはそれに対して何も言わない。


 「さっきのは何してたの?」


 ホウカが少し眉をひそめてヨシノに尋ねる。ヨシノはすぐに、ナトリから教えてもらった方法で階段を降りていただけだということを伝えた。ホウカはそれを聞いて形式上引き下がる。


 「それで、ヨシノはここの生活に慣れた?」


 「はい。もうだいぶ」


 「そっか。ハイドとの生活が始まったときには先に寝るのが怖いとか言ってたけど、それはもう克服できたの?」


 「そうですね。店長がそんなことをする人じゃないってよく分かったので」


 ヨシノはこの二ヶ月弱のハイドとの共同生活を思い出して口にする。ホウカはそれを聞いて少し笑った。


 「だから最初にそうだって言ったでしょ?ハイドはそんなことができない人なんだって」


 「はい。その話していたことが分かりました」


 ヨシノはホウカに同調する。ヨシノが次第にハイドとの生活に安心感を持ちつつあったのは確かだった。


 「せっかく二人で話せる機会だし、ヨシノに聞きたいことがあるんだけどいい?」


 「なんですか?」


 ホウカは椅子に座り直してヨシノの正面を向く。ヨシノは一体何の話が始まるのかと身構えた。


 ヨシノは最初ほどホウカのことを警戒しているわけではない。風呂の度に色々な会話をして、ハイドが言っていた通りホウカも良い人だと知ることができたのである。しかし、ホウカがいきなり何の話を始めるのかは、ヨシノには推測できなかった。


 「ヨシノって……ハイドのことをどう思ってるの?」


 今回もヨシノが心配していた通り、ホウカの質問は少し変わっていた。今更それに驚きはしないものの、返答に困る質問であることは間違いなかった。


 「どういうことですか?」


 ヨシノは最初、質問の意味が分からないという形で回答を拒む。しかし、ホウカはそれを許さなかった。


 「感情的にどう思ってるのかってこと。怖いとか、すごいとか、何か思ってることはあるでしょ?」


 「そういうことですか」


 ヨシノは、ホウカが思っていたよりも浅いことを質問してきていると理解して少し安心する。そして、ヨシノが感じているハイドに対する評価のようなものを正直に話すことにした。


 「とても良い人だと思います」


 「……当たり障りないわね」


 ホウカが少し不満そうな表情をする。ヨシノはそのように思っている理由を話した。


 「店長はいつも人のことを考えて行動しています。私たちやアルさんに対してだったり、お客さんとしてやって来た人に対してだったり。ホウカさんもそう思いませんか?」


 ヨシノは途中でホウカに問いかける。ホウカは構えていなかったようで少し慌てた。


 「まあ、それはそうかもね。でも逆に言えば、人のことばかりを気にして自分の意見をあまり出さないってことかもしれないわ」


 「そうかもしれません。でも、自分が譲れないところははっきりと決めているようでもありました」


 ヨシノはセレナがやって来たときのことを思い出す。ヨシノは、その時のハイドに人間として惹かれていたのである。もちろん、そんなことはハイドにもホウカにも言うことはしない。


 「へえ……あとは?」


 「あとは、とても信頼できます」


 「信頼?そうなの?」


 ヨシノの言葉を聞いてホウカが笑う。ホウカにはその言葉が異質なものに聞こえたようだった。


 「おかしいですか?」


 「おかしくはないよ。ハイドは確かに信頼できる」


 「じゃあどうして笑ったんですか?」


 ヨシノはホウカが笑った理由を知ろうとする。ヨシノとしては何もおかしなことを言ったつもりはなかったのだ。


 「信頼が二ヶ月で作れるとは思わなかったから。人との信頼って簡単にできないものだと思うよ?」


 「それは……そうかもしれません」


 ヨシノはホウカの言葉を聞いて納得する。ホウカの言い分は正しいのだ。


 「じゃあ、私がそんなことを思ったのはどうしてなんでしょう?」


 「どうしてなんだろうね」


 ホウカはヨシノを小馬鹿にするように大げさに考えてみせる。ヨシノはそんなホウカにむっとした。


 「店長が私にすごく良くしてくれるからかもしれません。警戒していた私が馬鹿だったと思ってしまうほど、店長は優しいですから」


 ホウカと張り合うために言ったわけではない。しかし、言ってからどうしてそんなことを口にしてしまったのかヨシノには分からなかった。ホウカはヨシノの顔を見て驚いている。


 「な、何その言い方。変な言い方してない?」


 「普通のことだと思います」


 ヨシノはハイドに信頼という感情を持った理由を分かっていない。しかし、今はホウカと対等に会話を行うためそんなことを言っていた。


 「まあいいけど。ヨシノがそれで生活に慣れてくれれば、それはそれでいいことだから」


 ホウカはヨシノの含みを持った言葉を流す。ヨシノもホウカが変に固執して質問してこないで良かったと感じた。しかし、ホウカの問いかけは続く。


 「他はないの?」


 「……ホウカさんは何が聞きたいんですか?」


 ヨシノはついにこの会話の趣旨を聞くことにする。ハイドがこの場にいれば話すことはあるかもしれない。しかし、本人がいない中でハイドの話をする意味が分からなかったのだ。


 「良いじゃない。ハイドって今まであまり人と仲良くなったりしたことがなかったから、ヨシノみたいな新しい人にどんな風に当たってるのか気になったのよ」


 「それなら本人に聞けば良いんじゃないですか?」


 ヨシノは的確な指摘をホウカにぶつける。しかし、ホウカは首を横に振った。


 「さっきも言ったでしょ?ハイドは自分のことを中々話さない人なんだって。特に自分の信念とは関係ないことについてはなおさら。だから、ヨシノに聞くしかないの」


 ホウカはハイドに聞いても意味がないことを説明する。その理由は確かに筋が通っているように感じたが、同時にそんなことを聞かれても困ると思った。


 「それで、何の質問でした?」


 「だから、ハイドのことをどのように評価してるのかってこと」


 ホウカは少し質問の内容を変更した。ヨシノはそれを問題視することなく考えて答えた。


 「あとは……感謝しているくらいです。私がここで生活ができているのは、店長のおかげですから」


 「また当たり障りのないことを」


 ホウカは再びヨシノの回答に不満を持ち、不思議な表情をする。そんな時になってやっと、ヨシノはホウカが求めている回答を理解する。ヨシノは予想をもとに言葉を続けた。


 「……それに、好きですよ」


 「……え、な……なにが?」


 ヨシノが一言口にすると、ホウカは硬直した後に素で問いかけてくる。先程まで楽しげに話していた雰囲気はどこかに飛んでいってしまっていた。


 「店長への評価を言えばいいんですよね?」


 ヨシノはわざと確認をする。ホウカは黙って頷く。


 「どうしたんですか?」


 ホウカが黙ってしまったため、会話が進展しない。ヨシノはホウカの反応を待った。


 「いや……唐突にそんなことを言うのね」


 「言って欲しいって聞いてきたのはホウカさんですよ?」


 「いやでも……そんな直球に」


 ホウカは言葉数が減っている。ヨシノは勘違いされる前に話しておくことにした。


 「人として店長のことを嫌いになる人はいないと思います。私は特に、ここに来るまでは酷い場所で酷い人間関係を見てきていたので、余計にそう思います。尊敬していると言った方が分かりやすいですか?」


 「……尊敬?」


 ヨシノの薄ら笑いと共に追加の説明を聞いて、ホウカは自分が騙されたことに気付く。ヨシノはホウカの急変する態度を見て面白く感じた。


 「ヨシノ、そんなことができるようになったんだ」


 ホウカは眉間にしわを寄せてヨシノに笑いかける。しかし、ヨシノとしては建前上ホウカの質問に答えただけだった。


 「それなら、ホウカさんは店長のことをどう思っているんですか?」


 今の雰囲気をそのままに、今度はヨシノはホウカに質問する。こんな機会は滅多にない。ヨシノはそう考えると、ホウカの気持ちを知りたいと思ったのである。しかし、おおよその予想はできている。


 「……私のことは良いじゃない」


 「そんなの不公平です。私はちゃんと答えたんですから」


 「………」


 ホウカはまさかヨシノに形勢逆転されると思っていなかったためか、良い返答を見つけ出せないで固まった。ヨシノはそんなホウカに言葉をかける。


 「言ってください。気になるんです」


 「……どうしてヨシノが?」


 ヨシノがあまりにも引き下がらなかったため、ホウカは少し声のトーンを落とす。嫌がっているように見えて、そこまで反発していない。もしかするとホウカから何かを聞き出せるかもしれないとヨシノは感じた。


 「良いじゃないですか。……ホウカさんは私が店長と一緒に生活をしていて、そのことが気になって仕方がないんですよね?」


 「……そんなことないわ」


 ヨシノの追及がホウカを弱気にさせる。ヨシノは今までホウカに言われ放題だったが、とうとう今回ばかりは勝ったと思った。ホウカは唇を震わせている。今にも言葉が出てきそうだった。


 「……えらく静かにしてるけど、何の話?」


 後一押しだとヨシノがホウカに最後の一言を与えようとしたとき、自力で階段を上がってきたハイドが二人に声をかけた。助けがないとハイドは階段を上がってこれないと考えていたため、ヨシノは率直に邪魔が入ったと思う。


 「な……何でもない。それよりも私仕事が残ってるんだった」


 ハイドが顔を出した瞬間、ホウカはそう言ってヘリー修繕店から足早に出ていってしまった。ハイドはそんなホウカに首を傾げる。


 「ヨシノさん、ホウカは何の用で来てたの?」


 ハイドは痛む体を休憩させつつ問いかける。ヨシノは手を貸してハイドを車椅子に座らせた。


 「分からないです。不思議な話をして帰っていきました」


 「なんだそれ。……まあ、何考えてるか分からない奴だからな」


 ハイドはホウカにさほど興味を示さない。ヨシノはせっかくの機会を奪った間の悪いハイドのことを責めようかと考えたが、そんな態度を見てやめておくことにした。


 そうして再びハイドは作業に戻り、ヨシノは測定の練習を始める。ただ、時間が経たないうちに、またヘリー修繕店を訪れる者がいた。それは自警団姿のアルだった。


 「……ハイド」


 「どうした?」


 アルが自警団の格好をしてやって来たため、ハイドは再び街の中で何かがあったのではないかと不安になる。ハイドのその予想は的中し、アルは自警団のことで訪れたことをすぐに明かした。しかし、ハイドの推測に反して緊急性はなかった。


 「ちょっとしたトラブルがあって、力を貸して欲しい」


 アルは詳しいことを話さないまま、ハイドに助力を求めてくる。


 「良いけど、僕はこの通り動き回れない」


 ハイドは言うまでもない事実を告げる。しかし、アルはそれでも良いと返した。


 「ちょっと、知恵を貸して欲しいんだ。ヨシノさん、ハイドを少しの間だけ借りるよ」


 「……はい、気をつけてください」


 ヨシノの了承を得たアルは、ハイドの同意を得る前に車椅子を動かして一緒に外に出た。

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