帝国派 (4)
ハイドが目を覚ましたのは、眠りについて丸一日が経った朝のことだった。痛む頭を不思議に思いながら、ゆっくりとベッドから起き上がる。目覚めの雰囲気はいつもと変わりない。
「……おはよう」
一階に上がるとヨシノは椅子に座って本を読んでいた。ただ、ハイドの姿に気付くと慌てた様子で駆け寄ってきた。
「大丈夫なんですか?」
「何が?」
最初、ハイドは何を心配されているのか分からなかった。しかし、曖昧な記憶と酷い頭痛から嫌な予感を持つ。ヨシノは昨日の出来事をかいつまんで説明した。
「……やっぱり飲んだのか」
長い間寝ていたことにまず驚いた。しかし、ヨシノの前で泥酔姿を見せてしまったことに比べれば、それは些細なことに過ぎない。ハイド自身、自分が泥酔するとどうなるのかよく知っている。
「お水持ってきますね」
ヨシノはハイドに座るよう促して台所から水を持ってくる。カップを受け取ったハイドは恐る恐る質問した。
「酔ってるとき、何か変なこと言ってなかった?」
「え?……ええ、何か言ってました」
ヨシノは思い出した後に苦笑いを浮かべ、ハイドは再び深く後悔した。アルやホウカに醜態をさらすことにはもう慣れた。しかし、ヨシノに対してはこれから雇用主として指示を出す立場にある。威厳を求めるわけではなかったが、上に立つ者としては失格だった。
「そっか、迷惑かけたよね。ごめん」
「いいんです。店長も大変なんだってことが分かりました」
ヨシノの気を遣った言葉が胸に刺さる。思い出そうとすること自体が毒だった。
「あ、少し話が変わるんですけど」
「どうしたの?」
「昨日、気がつくと店の中にこの子がいたんですけど……」
ヨシノの腕にはいつの間にかリッチがくるまっている。ハイドは可愛さの欠片もない飼い猫を睨みつけた。
「ああ、リッチだよ。一応この店の猫」
最近ハイドもリッチの姿を見ておらず、食事を与えていたわけでもなかった。それでも、リッチは元気そうに見えるばかりか少し太っていた。
「猫を飼ってたんですね。リッチって名前なんですか?知らなかったです」
ヨシノが頭を撫でて可愛がる。ただ、恩を仇で返すような猫にハイドが同じ感情を持つことはない。
「最近は顔も見てなかったから、どうせホウカから飯をもらってたんだろう」
リッチはやけにホウカに懐いている。それどころか、初対面の人に対してもハイド以上に愛想良く振る舞う。ヨシノにも猫なで声を出している。
「でもどうして猫を飼ってるんですか?一人だとやっぱり寂しかったり?」
「違うよ。まだヘリーが生きてたときに捨てられてたこいつを拾って連れて帰ったんだ。その時は本当に可哀想だと思ったんだけど、今じゃそんな恩も忘れて僕に敵対心ばかり見せてる。本当にふざけた猫だ」
昔を思い出してハイドは悪態をつく。すると、リッチは牙を見せて目を瞑った。ハイドは捨ててしまおうかとも考える。
「……なんか不思議ですね」
「ん?」
ヨシノはリッチを撫でながらそんなことを言う。
「昨日と今日で店長のイメージがまた変わりました。やっぱり一週間で誰かを理解するなんてできないものですね」
ヨシノは自分で言って面白そうに笑う。しかし、ハイドにとってその言葉は聞き捨てならなかった。
「昨日、僕は何を言ってた?……心配になるな」
「それなら記憶がなくなるまで飲まなければいいんです」
ハイドは正論を前に黙るしかなくなる。同じような助言はさんざんホウカから聞いていたが、ヨシノから言われるとまた新しい感覚になった。
それから一週間、メンデレーでは穏やかな日が続いた。時間が経っても侵入者確保の連絡は入ってこない。しかし、テロ行為や何か新しい問題が起きたという話もない。事件に進展は何もなかった。
見かけ上、メンデレーは安定している。しかし、それとは裏腹に住民の心情は穏やかではなかった。
メンデレーに侵入者が潜伏しているという情報はどこからともなく広がり、今では街中がその話で持ちきりとなっている。知らない顔を見たときは自警団に連絡をするよう通達があった際には、街中で犯人捜しが行われもした。
停滞した状況はより人々に恐怖を与える。目的も居場所もまるで分からない何者かがメンデレーに及ぼす影響など誰にも分からない。侵入者はメンデレーに混乱の種を撒くことに成功していた。
種からは芽が出るものである。それは侵入事件から十日後のことだった。
その日も、ハイドは店で淡々と仕事をこなしていた。ヨシノも練習と新しい知識の習得に力を注いでいる。そんないつもと変わりない空間に飛び込んできたのはアルだった。
「ハイド、いるか?」
アルはなぜか自警団の格好をしている。今日は自警団関連の仕事はないはずなのだ。
「どうした?」
侵入者の話は消えつつあったが、些細なきっかけで思い出してしまう。しかし、今回はその一件とは別のようだった。
「デモだ。街の許可を得ないまま帝国派が大通りでデモ活動を始めた。規模が大きくて混乱している上、反帝国派との衝突も始まってる。それで、自警団に出動命令が出た」
アルが街で何が起こっているのか説明する。ハイドはすぐに理解を示した。
「分かった。すぐに準備をする」
ハイドは急いで地下に向かって準備を整える。一分ほどで用意を済ませるとヨシノに指示を出した。
「今日はもう店を閉めておこう。それと、不用意に外出しないように」
「分かりました」
ヨシノは床を歩いていたリッチを抱き上げて頷く。ヘリー修繕店の周りでは混乱の様子はない。ハイドはアルと一緒に現場に急いだ。
「リッチ、ヨシノさんには懐いてるんだな」
現場に向かう最中、アルがどうでも良いことを話しかけてくる。
「女好きなんだな、きっと。あいつ雌だけど」
現場に到着すると、すでに大通りは大混乱となっていた。他の自警団員はデモ行進を外から見ているだけで、至る所で衝突が起きている。怪我人も出ているようだった。
「二人も来たか」
ハイドらが状況に目を奪われているとバナードが駆け寄ってくる。バナードらも対応に困っているようだった。
「ここまで規模が大きいと止められそうにない。衝突の仲介とデモの首謀者の確保を優先しよう」
「分かりました」
これからの動きを確認するとバナードはすぐに違う場所に向かう。ハイドらも早速動き始めた。
「しかし、こんなのどこから手をつければ良いか分からないな」
アルが混乱の全体像を把握しようと試みる。しかし、デモ行進や衝突は大通りから分岐した細い道にも広がっている。これほどまでメンデレーが荒れることは珍しかった。
「侵入者といい違法デモといい、最近はやけにこんなことが多いな」
「そうだな。おい、ちょっと!暴力はやめろ」
目の前で数人の男がデモ参加者に飛びかかる。アルにならってハイドも一人の男性を後ろから羽交い締めにした。
「お前ら自警団だろ?どうして止めないんだよ!?」
とびかかったのは反帝国派の男性だった。まだ若く二十代だとハイドは推察する。
「あんたらが騒ぐから止められないんだって」
「ちょっとそこの自警団員さん、この人に殴られてあざができたんだけど」
反帝国派の男性が落ち着いてきた時、今度はデモ参加者が声をかけてくる。再び言い合いが始まった。
「違法にデモ行進していて何言ってるんだ!?」
「あんたの暴力行為の話をしているんだろうが!」
アルが間に入って二人をなだめる。しかし、対立は深まるばかりだった。
「こいつらはいつもそうだ。綺麗事で人を騙して反対する人間を排除しようとする!詐欺師と変わりない!」
「あんたのような暴力的な人間がいるから戦争も終わらないんだ。余計な血を流さないよう帝国と協力することの何が悪い?」
「それを帝国に殺された兵士の家族にも言えるのか?」
「勝手に戦争しに向かった奴のことまで知るか」
「……お前!?」
二人の口論は周囲の雑音に押され気味だが、それでも熱を持っている。ハイドは反帝国派の男性を引っ張って混乱から離れた場所に連れていった。
「……落ち着きましたか?」
男性を石垣の上に座らせる。男性は眉間にしわを寄せた状態でハイドと目を合わせた。
「迷惑をかけた。申し訳ない」
「いいんです」
ハイドも男性の隣に座る。帝国派に賛同できないのはハイドも同じである。ただ、自警団に所属している以上、それを表立って口にはできない。
「あいつらは何も分かってないんだ。……アボガリアがどんなことになったのか知らないのか」
「その通りです」
男性が小さな声で呟き、ハイドは理解を示す。アボガリアは帝国によって破壊され、今では無法地帯となっている。メンデレーがあるフリース共和国も人ごとではない。
アボガリアは帝国と最初に戦争を行っていた国だった。フリース共和国を含めた他の国はアボガリアと協力することで帝国の手から領土を守っていた。しかしある時、アボガリアが帝国に和平を申し出て唐突に戦争は終結した。アボガリアは国を守るために新しい決断をしたのである。
しかし、その後のアボガリアに待ち受けていた現実は地獄そのものだった。
最初に行われたことは、帝国によるアボガリア国民への帝国思想のすり込みだった。帝国はあくまでも、侵略と支配を前提にしてアボガリアと停戦したのである。
アボガリアの人々はそれに反発して、アボガリアに入ってきた帝国軍に反抗した。それが崩壊の直接的な原因だった。帝国はそんな動きを武力で押し込めたのである。アボガリアの人々の中でも、帝国に従うべきだと主張する人間とそうでない人間に分かれた。そうしてアボガリアは崩壊したのだった。
「ここで暴力的な方法をとったところで意味がないことはあなたも分かってると思います。確かに、自警団としてあのデモ活動は止めなければならないものでした。ですが、ここで暴力的な行動で対処しては、それこそあの集団の思うつぼだと思いませんか?」
ハイドは最も賢明な行動を考えさせる。帝国派は暴力を誘発し、それを根拠に反暴力、反戦争を訴える。連邦と手を切って帝国に屈服することを提案しているのもその流れである。
国を捨てて力に屈する考え方はまだ少数意見である。しかし、着実に浸透しつつあることは間違いなかった。
「……あんたは帝国派に否定的みたいだ」
「大きな声では言えないですけど」
「そうか……今日は申し訳なかった。あんたに迷惑をかけるのわけにはいかない。今日は帰るよ」
男性はそう言ってハイドに頭を下げる。男性はかなり落ち着いている様子だった。
「分かりました。気をつけて帰ってください。今日はもう外に出ない方がいいかもしれません」
ハイドが忠告をすると、男性は礼を言ってから歩いて帰っていった。目の前の問題は解決できた。しかし、アルのことが心配になったハイドはすぐに元の場所に戻った。
「……ハイド、こいつを拘束する」
アルと合流すると、そこでは新たな火種が起きていた。アルの目の前には先程のデモ参加者がいる。ただ、何が起きたのかハイドはまだ把握できていない。
「何があったんだ?」
「自警団さん、この人がいきなり殴ってきたんです。この人も自警団員なんでしょ?」
その男性はアルを指差して訴えてくる。男性の後ろには他のデモ参加者が集まり、それに同調していた。
「ふざけたことを言ってんじゃねえよ。ハイド、こいつがこれを取り出して威嚇してきた。脅迫罪で確保だ」
アルは男から取り上げたというナイフを見せ、男性の確保に乗り出す。しかし、周囲はその邪魔して男性を守ろうとする。現場を見ていなかったハイドは判断に困った。
「ハイド、何してる?」
「慌てて確保する必要はないんじゃないか?任意で自警団本部に連れていって話を聞こう」
自警団には犯罪を行った者を確保する権利が与えられている。しかし、そのためには犯罪を立証できる状況が整っていなければならない。アルを信頼しているハイドではあったが、その状況を見ていた自警団員はアル本人しかいない。立証しなければならないとき、ハイドらが苦しむ可能性があった。
「……分かった。そういうことだ、大人しく自警団本部に来てもらおう」
「そっちの自警団員さんも何言ってるの?この人は私を不当に確保しようと嘘をついているんだよ?連れて行かれるべきはそっちじゃないの?」
「そもそもこっちには違法にデモ活動をしているあんたたちを確保する権利を持ってる」
口論が激化する。次第にデモ参加者も気性を荒くしていった。
「自由な活動を抑制して戦争に反対する人間を抑圧することが、戦争を継続させて悲劇を連鎖させているとなぜ気がつかない?」
「活動をするなとは言ってない。許可を取ってから行えと言っている」
アルが苛ついた態度を見せる。言っていることは間違っていない。ただ、男性の言い分も一部は理解できる。許可を取ろうとしても街が認めるわけがないのだ。
「では、誰がこのデモ活動を主催している?」
アルが話題を変えて問いかける。しかし、そんな問いかけにも答えようとはしない。
「関係ないことだ。私たちは自由と平和のために活動する」
「そうか。……ハイド、確保だ」
アルはそう言ってもう一度男性の確保に乗り出す。ハイドも混乱を解消するためには仕方がないと判断する。参加者全員を確保することは不可能である。そのため、誰かを見せしめとして確保するしかなかったのだ。
ただ、周囲はハイドとアルを押し返して抵抗する。いたちごっこになりつつあった時、ハイドらのもとに他の自警団員の応援がやって来た。
「どうしましたか?」
「こいつを脅迫罪で確保するところだ」
「そうですか。向こうでも何人かが確保されています。次第にデモ活動は解散しているようです」
ハイドはそれを聞いて少しばかり安堵する。自警団だけで強制的にこのデモを解散に持ち込むことはほとんど不可能だった。そのため、解散の流れは好都合だったのだ。
しかし、それを聞いて目の前の集団は過激に反応した。
「不当弾圧には屈さない!」
その言葉と同時に自警団の方へと押し込んでくる。その時にハイドは頭を棒で叩かれた。危ないと怒ろうとした矢先、アルは嬉しそうに声を張り上げた。
「暴行罪で確保だ!」
正当な理由を与えられ、自警団はより力強く男性の確保を試みる。ハイドも細い体つきの中年男性一人を穏便に拘束して協力した。
結局、ハイドらが三人を確保したところで、近くのデモ参加者は散り散りに去っていった。こうしてデモはようやく収束した。




