共同生活 (5)
開店後、ハイドとヨシノはそれぞれ違う作業をして時間を費やした。依頼分の修理を全て終えたハイドは、軍から運ばれた未分類の小物やアクセサリーの分別作業に着手する。今日も誰かがヘリー修繕店を訪ねてくる様子はない。いつか役に立つことを願いながら、次の搬入日までに整理を終わらせられるよう効率よく作業をこなした。
ハイドの仕事は猫の手も借りたいほどの量である。しかし、それを担える人間はハイドの他にいない。ハイドの隣で測定の練習をしているヨシノも、ただの飾り同然だった。
ヨシノからやらせて欲しいと進言し、ハイドは要求通りにさせている。しかし、技術習得には膨大な時間が必要になる。それに加えて、小物やアクセサリーの分別で重要なことは、正確な長さや形状を測定することだけではない。傷の付き方や、加工方法、使われている材料や、修理の有無など、見極めるべきことは多岐に渡る。ヨシノがハイドの片腕を担う日は来そうになかった。
しかし、ハイドがその事実を遠回しに伝えても、ヨシノは耳を貸さなかった。一連の作業がほとんど感覚に依存することを知っているハイドは、どんなに頑張ったところで短期間で習得できないと分かっている。しかし、ヨシノの姿を見ているとそれ以上は何も言えなかった。
結局、二人は閉店まで同じ作業を続けていた。ハイドにとってその時間は予想以上に過ごしやすく、滑り出しは好調に感じる。しかし、問題が起きたのはその後だった。
「お疲れ様。今日の仕事はこれで終わりだから、自由にしてもらって良いよ」
「自由って……何ができるんですか?」
ハイドが周囲を片付けながら声をかけると、ヨシノは困ったようにそう尋ねる。ヨシノがそんな疑問を持つことも無理はない。ハイドはまだこの建物の紹介しかしていないのだ。
「えっと、お腹がすいたならご飯を食べて良いよ。食料品は……言ってなかったな」
ハイドは自分が雑な説明しかしていなかったことに気付く。ヨシノを連れて台所に向かった。
「この棚に食べ物が入ってるから。干し肉とか野菜とか、主食の小麦はその下の棚に。料理したいときはそこの釜の中で火をつけて。薪はこの隅にあって木くずはその横の箱に入ってる。火を起こすときは火起こし器を使ってもらえば良いから。早く大きな火を出したいときは作業場の潤滑油を使っても良いけど、匂いと煙がすごいからおすすめはしないかな」
ハイドは調理に関しての説明を行う。すると、ヨシノは一通り聞いた後に首を傾げた。
「店長はどうするんですか?」
「面倒だから、いつもは干し肉をかじってしのいでる。本当はパンがあるんだけど、今はなくなってるから主食は小麦以外なし。ヨシノさんは気にしないで勝手にここにあるものを使ってくれて良いから」
ハイドはヨシノの質問に答える。しかし、ヨシノは余計に困った表情をした。
「いつもそんな感じなんですか?健康的じゃないですね」
「そうでもないよ。野菜とかも食べてるし」
「でも料理してませんよね?」
ヨシノは台所の隅々を観察していく。褒められているわけではないと分かっていたが、ハイドの生活ではそれが普通である。ヨシノが疑問を持ったところでどうしようもないことだった。
「私が何か作りましょうか?特別上手なわけじゃないですけど」
「別に僕のことは気にしないでいいよ。ヨシノさんが好きなようにしてくれたらいいから」
ヨシノにそんなことをさせたいわけではない。立場の差を利用しているような気がして、ハイドはその提案を簡単に了承できなかった。しかし、ヨシノはそんな事情を察することなく話を進めていく。
「別に一人分作るのも二人分作るのも変わらないです。……でも火の付け方がよく分からないので、それだけ手伝ってもらって良いですか?」
ヨシノはすでに料理をするつもりらしく、ハイドに火起こしの手助けを依頼する。ハイドは困ったあげく、こればかりは必要なことだと考えて火をつける準備をした。
「ここで料理するに当たって気をつけないといけないことってありますか?」
ヨシノは何を作るつもりなのか、干し肉と野菜を棚の中から出してくる。適当に放置されていた包丁を握ると、必要な大きさに切って下準備を始めた。
「気をつけることは……指を切らないようにするとか、火事にならないようにするとか?」
ハイドは料理を全くしない人間である。そのため、気をつけることと言われてもなかなか思いつかなかった。しかし、ヨシノが聞いていたのはそんなことではない。
「そういうことではなくて、ゴミの捨て方とか食材の使い方とか」
「……うーん、ゴミは普通にそこの箱の中に捨ててくれれば、乾燥させて週に一回くらいの頻度で裏口で燃やす。食材の使い方は……まあ無駄遣いしないように」
ハイドは問題になりそうなことを絞り出して答える。しかし、言ったことは全て当たり前なことばかりで、有益な情報とは思えなかった。しかし、ヨシノはさらに質問してくる。
「店長はどれくらい食材にお金をかけるんですか?そもそも、私が消費する分はどうしたら良いですか?」
ヨシノはハイドが気にしていなかったことを気にする。ハイドは気にしないでいいことを先に伝えて、この店での食料事情を説明した。
「言い忘れていたけど、パンとか小麦とかは街から配給される。一応戦時中で、こういったものの買い占めとかが起きないように街の中では表向き売られてないんだ。干し肉とかも配給されるけど、そういったものは行商人とか別の卸売りの業者から買ってこれる。だから、主食を使いすぎて次の配給まで主食がないなんてことがなければいいかな」
こんなことは一人暮らしでは考えもしなかった。酒食を使い果たすことは確かに何度かあったが、それはホウカが多く食べたことが原因であって、ハイドが使いすぎたからではない。ヨシノがやって来て、少なくとも次の配給まではハイド一人分で二人分をまかなっていかなければならない。心配すべきことはその程度だった。
「……やっぱり戦争って起きてるんですね」
ハイドが釜の中に薪を重ねているとき、ヨシノが唐突に小さな声で呟く。ヨシノの境遇を思い出すと、今の言葉は若干腑に落ちない。それでもハイドはメンデレーの現状について説明した。
「メンデレーで生活していたら嫌でも肌で感じられるよ。帝国の戦闘機はこの前みたいに頻繁にやってくるし、負傷した兵士が戻ってくることもある。勿論、戦死した兵士も一緒に。ここはいつ戦場になってもおかしくない場所だから、その可能性だけは覚えておいた方が良い」
火が上手くつくと、その小さな火を重ねた薪の中央に置いて空気を送る。ヨシノは唇を噛みしめながら干し肉を小さく切っていた。
「ところで、何を作ってるの?」
「私が昔よく作っていた料理です。……連邦の食材がないのでそのまねみたいなものですけど」
ヨシノはハイドよりは家庭的なようである。ホウカと比べて手早さは幾分か劣っているようだったが、ハイドがその差を問題視することはなかった。
ヨシノはそれから淡々と料理をしていった。ハイドはその姿を眺めているだけで、何かを手伝うことはしない。ヨシノが作っていたのは、野菜や肉が小麦をベースとした生地に埋もれている見たことのない料理だった。ホウカがいつも作っているものとは少し違う。良い匂いがハイドの鼻を抜けた。
「口に合うかは分かりませんけど、食べてみてください」
「どうもありがとう」
ハイドはぎこちなく礼を言って皿を受け取る。味は文句なしでハイドは手放しで賛辞を贈った。ヨシノは久しくまともな料理を食べていなかったようで、少ない食材から作った自らの料理に舌鼓を打っていた。
「さて……最後の問題なんだけど」
夕食後、片付けが終わった頃にハイドがヨシノに話しかける。
「なんですか?」
「お風呂のことなんだけど……どうする?」
「お風呂ですか?」
ヨシノはハイドの持ちかけた話題に目を丸くする。ハイドは付け加えて説明をする。
「昼に見せたみたいに風呂がちゃんとあるんだけど……ヨシノさんはどうするかなと思って」
「それは……入りたいですけど……」
ヨシノはそう言って自分の服を確認する。ヨシノはまだ最初から来ていた服のままである。しかし、ヨシノもハイドが問題としていることに気付いた。
「水を沸かさないといけないんだけど、できるかな?」
ハイドはこの店の風呂の仕組みを念頭に話す。ヨシノが一人で入る上で障害があったのだ。
「……何かあるんですか?」
「うん、まあね。ちょっと見てくれる?」
ハイドはもう一度ヨシノを風呂に連れていく。そこには小さな金属製の箱と、その下に火を起こす場所がある。作りとしてはこの街で一般的なものだった。
「ここに水を貯めて火を起こして沸かすんだけど、見ての通り火をどかす場所がないんだよね」
ハイドはそう言って風呂場の中を示す。しかし、ヨシノはその説明を聞いても眉をひそめるだけで、まだ問題をしっかりと把握できない。
「一度火をつけたら、それを常に制御しながら入らないといけない。そうじゃないと沸騰し始める」
「適温を保つことが難しいということですか?」
「そう、難しい。まあ、このことに関して僕は何も手伝えないから、一回練習してみる?」
ハイドには、ヨシノの入浴中にその側で火の管理をしてあげることはできない。ヨシノがこの風呂に入るためには、この風呂の制御方法を覚えるしかなかった。
「……私にできるんですか?」
「まあ、昼にやってた測定の習得に比べれば楽だよ」
ハイドはヨシノが習得しようとしていた測定と比べる。しかし、過去のハイドはこの風呂に慣れるまで一週間かかっている。ハイドはその事実を伝えるべきか迷い、結局しなかった。
「やってみます」
ヨシノのそんな返事の後、長い時間をかけた風呂焚きの練習が始まった。ただ、小一時間が経ってもヨシノは習得できないまま立ち尽していた。
「これ……本当にできるんですか?」
「僕がちゃんと見せたよね」
ヨシノの疑いの目にハイドは苦笑う。ハイドはしっかりと温度を一定に保つ方法を教えた。しかし、ヨシノは燃えている薪を隅に寄せることもできないで、入れば死んでしまう熱湯を作り続けていた。このままでは、到底風呂に入れる状況は訪れない。
「……どうする?」
「………」
ヨシノはハイドに問われて目を細める。ハイドはすぐに変な意味はないとジェスチャーした。しかし、これを口実にハイドが入浴に関与するのではないかと、ヨシノは疑っているようだった。
「じゃあ、店長が適温にしてください。それから温度が上がらないようにしてくれれば、その間に済ませます」
「そうする?湯量が少ないからすぐに冷めると思うけど」
「気にしないでください」
最後、ヨシノはハイドに冷たい言葉を投げかける。ハイドは大人しく従うことしかできなかった。
ハイドは指示通りに湯を適温にすると、すぐさまヨシノに場所を提供した。ヨシノはすぐに出て行けと目で合図してくる。
「くれぐれも自分でもう一回温めようと火のついた薪を外に出さないでよ。周りは木造だから火事になる」
「分かってます」
ヨシノは即答すると、ハイドを追い出して風呂場の扉をしっかりと閉める。ハイドはこれ以上変な疑いをかけられないよう、作業場で大人しくしておくことにした。
それから数分後、ヨシノはハイドに助けを求めて声を上げた。
「すみません」
声を震わせたヨシノがハイドを呼ぶ。ハイドは風呂場に近づきすぎないようにして声をかけた。
「どうかした?」
「……あの」
ヨシノはすでに風呂から出ているようで、声は扉の奥すぐから聞こえる。ハイドはその時に嫌な予感を全身に浴びた。
「……着替えがないです。どうしたら良いですか?」
ヨシノはハイドが想像した通りの問題を伝えてくる。二人は完全にそのことを失念していたのだ。
「ここには女性用の服は一つもないよ。男用で良いなら貸せるけど」
こんな提案をして良いものか、ハイドは言ってから気になる。しかし、ヨシノが着替えを持っていないことは明白で、その対処ができるのはハイドだけだった。
「………」
ヨシノは考えているのか、ハイドの問いかけになかなか答えようとしない。ハイドは辛抱強くその時間を堪える。しかし、やはり無理な相談だったかもしれないと感じて、次に思いついた代替案を提示した。
「それともホウカ……昼に会った向かいのあいつに服を借りてこようか?」
「……お願いできますか」
その提案は了承できたようで、ヨシノはその方向で対処するようハイドにお願いをする。ハイドはそれを聞いて早速店を飛び出した。
「………はあ、どうしてそんなことも考えてなかったの?」
事情を説明すると、ホウカは文句を言いながら必要最小限の衣服を用意してくれた。ただ、ハイドにこれ以上は任せられないと言い、ホウカも一緒にヘリー修繕店にやって来た。
「ハイドはここで待ってて」
ヨシノに強く命令されて、ハイドは作業場の椅子に座り込む。ホウカはまるで自分の家かのように風呂場に向かい、ハイドの視界から消えていった。それからすぐにヨシノの悲鳴が聞こえてくる。
「……ハイドが勝手に入ってきたと思った?」
ホウカの声が小さく届いてくる。ハイドは何も聞かないようにして二人が出てくるのを待った。
「ご迷惑をおかけしました」
ヨシノは出てくるなりハイドに謝る。ただ、ハイド自身も失念していたことで謝られることではない。ハイドは笑ってヨシノの言葉に応えた。しかし、ホウカはハイドに対して怖い形相を見せ、今回の騒動を問題視した。
「どうしてここの風呂を使わせようとしたの?」
「……何が?」
ハイドはホウカの質問の意図が分からず聞き返す。ホウカは眉間にしわを寄せるとハイドに詰め寄った。
「何かやましいこと考えてたんじゃないでしょうね?」
「ま、まさか」
どうして何度も疑われなければらないのか。ハイドは自らの境遇を可哀想だと感じる。しかし、ホウカはそんなハイドをただ蔑む目で見ていた。
「ヨシノさん、明日から私の所でお風呂に入る?そっちの方が安心できるでしょ?」
「……それはそうかもしれないですけど」
ヨシノはホウカの気遣いを聞いてハイドのことを見つめる。ハイドとしてはそれを止める理由はなかった。
「そうしたら?ホウカのところは大きいからね」
「それに男が入ってくる心配もないし」
ハイドを睨みながらホウカが付け加える。それはどちらも一緒だと反論すべきだったが、ヨシノがどのように考えるかはハイドの影響を受けない。ホウカの提案に従う方が、この場の誰もが不幸にならないで済んだ。
「本当は私の所で生活しても良いよって言いたいんだけど、行政長がダメだって」
「わざわざ行政長のところまで話しに行ったのか?」
ハイドはホウカの話を聞いて驚く。ホウカがそこまでする理由はない。ハイドはヨシノがそんなことをしていたと知って不思議に思った。
「……それで、もう他には何もない?」
助けを求めに行ったとき、ホウカはちょうど寝ようとしているところだった。そんなこともあって、ホウカの機嫌はすこぶる良くない。ハイドは最初からホウカに用事はなかった。ヨシノが最後に礼を言った後、ホウカは宿屋に戻っていった。
「……あと何か気になることはない?なければもう寝ようか」
「そうですね……ちょっとここがきついです」
ハイドが何か解決しておくことがないか尋ねると、ヨシノが胸のあたりを気にする。すると、唐突にヘリー修繕店の玄関が開いた。
「何か聞こえたんだけど?」
ホウカは地獄耳のようで、今度はヨシノを睨みつけている。ハイドはそんなホウカを追い出すなり、扉をしっかりと施錠する。その後、ヨシノに警戒されないように早々と自分の寝床に入って就寝した。