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共同生活 (4)

 ハイドは一階からの大きな音で目を覚めた。今まで一人だけで生活していた空間で音がした。寝ぼけていたハイドはヨシノの存在を忘れて、その時は強盗が入り込んできたのではないかと飛び上がった。


 しかし、ヨシノのことを思い出すと、今度はヨシノが何かをしでかしたのではないかと心配になった。大きな音がしたことから、何かを盗もうとしているわけではないと考えられる。しかし、ハイドが寝ている間に何をしているのかは気になることであった。


 「……何してる」


 声をかけながら階段を上がる。すると、ハイドは煙たい空気に襲われた。ヨシノは箒を持って立ち尽している。


 「あっ、ごめんなさい」


 ヨシノはハイドの姿を見て謝る。しかし、ハイドは何に対して謝られているのか分からなかった。


 「さっきすごい音がしたけど?」


 「ごめんなさい、これを動かしてて」


 ヨシノはそう言って部屋の隅の大きな機械を示す。それは金属を加工するときに使用するもので、いつもの場所からほんの少しだけ移動していた。


 「どうしたの?」


 ハイドはヨシノの姿を見ていたものの、考えをまとめきれないでそう尋ねる。ヨシノは両手で持っていた箒を少し振った。


 「掃除をしていたんです。暇だったので……」


 「なるほど」


 ハイドはこのときになって、ヨシノが一人で大きな機械を動かそうとした理由を把握する。この店を受け継いで以来、ハイドがその機械を動かして掃除をしたことはない。ヨシノはそんな機械と床の隙間を見て掃除を決心したらしかった。


 「……迷惑でしたか?」


 「いや、迷惑ではないんだけど。……先に掃除を終わらせようか」


 言いたいことはあったが、先に掃除を終わらせてしまおうと雑巾を持って手伝いを始める。掃除は小一時間ほどで終わり、そのままの流れで開店する。時間はちょうど昼過ぎとなっていた。


 「ちょっと良い?」


 ヨシノが箒を片付けて手を洗い終えたことを確認してから、声をかけて椅子に座らせる。ハイドはその間に紅茶を二人分用意しており、ヨシノが椅子に座るとカップを渡した。


 「ありがとうございます」


 ヨシノはそれを受け取ると、始めに手を温め始める。この店で使う水は井戸から引き上げた地下水で、水温は常に十度を上回る程度である。季節の変わり目のこの時期は、このことが地下水の短所になりつつある頃だった。


 「まさか一人で掃除してくれるとは思わなかった。それもあれを動かしてまで」


 ハイドは思ったことを述べて感心する。ヨシノは反応を示さない。


 「でも、一つだけ覚えていて欲しいことがあって。最初に言ってなかったから仕方ないんだけど、これから気をつけて欲しいこと」


 「なんですか?」


 ヨシノは不安そうな顔をする。ハイドはそんなヨシノの前で作業机の上を示した。


 「ここに修理している何かが残ってるときは、それを片付けてから掃除をするようにしてほしい。今は指輪しか出てなかったから良いんだけど、もし時計とかが出てるときは気をつけて」


 「どうしてですか?」


 ヨシノはカップを机の上に置いて手を膝の上で重ねる。ハイドはまだ凝り固まっている体を動かしながらその理由を説明した。


 「時計の修理で気をつけたいのは、湿気と埃。特に埃はゼンマイの隙間に入ると動作不良を起こすことがあるからね」


 ハイドの店で修理する時計に精巧な作りのものは少ない。しかし、基本的に小さな機構が集まっている時計の場合、些細な異物も故障の要因となってくる。


「そうだったんですか……すみません」


 ヨシノはまた謝る。ハイドはそんなヨシノの性格が窃盗と関係していたことを再確認し、それでも強い結びつきがないことを知る。また、ヨシノに言っておきたいことが一つ増えた。


 「あと、気になったことがもう一つあるんだけど……」


 「他にも何かしましたか?」


 ヨシノはこの一件の他にも悪いことをしたのではないかと心配する。しかし、そんな必要はなかった。


 「違うよ。大したことじゃないんだけど、話し方というか。ヨシノさん、僕に敬語使ってるのが気になって」


 「……ですけど、ハイドさんは私の雇用主ですから」


 ヨシノは自分が敬語を使っている理由を説明する。それは反論の余地のない正論だった。しかし、そうだとしてもハイドは気になってしまう。


 「最近はずっと一人で仕事をしてきてたし、自警団とか街の集まりとかでも基本的にまだ若い方だから敬語で話されることに慣れてなくて。……だから、他人行儀にならないで気楽に話しかけてもらえると嬉しいんだけど。無理かな?」


 ハイドはヨシノに敬語で話しかけられる事が気になり、はっきりとした上下関係を構築してしまっている状況が違和感でしかなかった。初日にこんなことをお願いするべきではないのは間違いない。それでも、異質な空間の中で仕事をしたくないという理想から出た提案だった。


 しかし、ヨシノは難色を示した。


 「それは無理じゃないですか?ハイドさんが自分の生活を変化させてまで助けてくれたことに私はとても感謝しています。それに、これから生活していく上で必要になるものは、全てハイドさんが享受してくれることになってます。ハイドさんは私とこんな関係の中で、それでもそんなことを求めるのですか?」


 「いや……そんなに難しく考えなくても」


 ヨシノからの論理的な攻撃に思わず頬を引きつらせる。ハイドとしては、そこまで真剣に考えてもらうつもりはなかったのだ。しかし、ヨシノはハイドと同じようには捉えていなかった。


 「それなら、ハイドさんは私にどんなことをしてほしいんですか?」


 「どんなって……」


 具体的な質問を受けてハイドは困る。そうして答えられないでいると、ヨシノは言葉を付け加えた。


 「私はハイドさんを信頼しようと思います。そうでないと、初対面の方といきなり共同生活なんてできませんから。……ですけど、ハイドさんの要求は少し怖かったです」


 「怖かった?」


 ヨシノの予想外な発言に、ハイドは聞き返してしまう。その理由が全く掴めなかったからである。ヨシノはその意味をはっきりとハイドに伝えた。


 「すぐに壁を取り払って親密になろうという風に聞こえました。ハイドさんがそんなことを考えていなかったとしても」


 「……それは、良くないね」


 ヨシノの言葉を聞いて、ハイドは繊細さを欠いたことを知る。そして、自分の発言を恥じた。


 「ごめん、変な気はなかったんだ」


 ハイドはすぐに謝って、ヨシノが気にするようなことは考えていなかったと説明する。焦っていたハイドは額の冷や汗を拭うこともできない。ヨシノは溜めていた息を吐いた。


 「でも、ハイドさんはどうして欲しかったんですか?……そういえば、ハイドさんと私ってどっちが年上なんでしょう?」


 ハイドを気にかけてくれたのか、ヨシノが話題を変えて話しかけてくる。ハイドはそれを聞いて確かに気になると思った。


 「僕は一応十八歳としてこの街で暮らしてる」


 「それなら私の方が年上ですね。私は今年で二十歳なんです。……そういえば、尋問のときに年齢を聞かれなかったですけど、あれは良かったんですか?」


 ヨシノが二つも年上だったことにハイドは驚く。しかし、ヨシノは別のことに興味を持った。


 「自分の年齢を正確に分かっていない人、メンデレーには多いよ。メンデレーで生まれた人は正しい年齢を把握できているけど、僕みたいにメンデレーの外から来た人は分からないことが多かったり」


 「ハイドさんはこの街で生まれたわけではないんですね?」


 ヨシノが驚いた表情を見せる。ハイドはそれに頷くも、詳細を話すことは躊躇った。


 「僕はまだ記憶がないときに戦争で両親を失った。勿論、自分の年齢をその時には分かってなかったから、その後にお世話になった孤児院でも僕のはっきりとした年齢を知ってる人はいない。だから、今でも本当の年齢が分からないまま、推定の年齢で生きてる」


 ハイドは自分の生い立ちを軽く説明する。ハイドがこの話を他人にしたことはほとんどない。ヨシノに話してしまったのは、先程の焦りが影響していた。


 「ということは、この街で年齢はあまり意味のないものなんですか?」


 「意味がないわけじゃないよ。ただ、個人を特定できないときに、年齢で誰なのかを判断することはあまり当てにならないってだけで」


 ヨシノの尋問の時に年齢を重要視しなかったのもそれが理由である。ヨシノは何度か相槌を打って納得した。


 「……というか、ヨシノさんの方が完全に年上なんですね。てっきり同じか下だと思ってました」


 「若く見えたってことですか?」


 「そうとも言います」


 ハイドは今更になって緊張し始める。ハイドの人生で年上の女性と二人きりで話したことは少ない。ただでさえ社交的でないハイドは、新しく知った状況に戸惑いを感じた。


 「でも、自分の年齢がはっきり分かっていないということは、もしかしたら同い年かもしれないってことですよね?」


 「いや、さすがに誤差が二歳もあるとは思えないからそれはないかな」


 ヨシノが示した可能性をハイドはすぐに排除する。ヨシノはハイドの答えを聞いて少し不満顔を見せた。


 「……じゃあ、なるべく気さくに話しかけるようにします。それと、呼び方も変えましょうか?」


 ヨシノは表情を元に戻すと、唐突にハイドに提案した。考えの変わりようにハイドは思わず確認を取る。


 「いきなりどうしたんですか?怖いって言ってたのに」


 ハイドはヨシノの雰囲気が変わってしまったことに驚いた。年齢の関係を知って考えが靡いたのかもしれない。今度はハイドが変なことを考えてしまう番だった。


 「別に何でもないです。……でも呼び方を変えるのは難しいですね」


 「無理しなくても……」


 ハイドの方が慎重になってヨシノに自制を求める。しかし、ヨシノにハイドを気にする様子はない。ヨシノの提案があったのはその後すぐだった。


 「じゃあ、店長って呼びます」


 「……店長?」


 ヨシノが出した答えは、余計に他人行儀に聞こえてしまうものだった。しかし、役職で呼ばれているため、年齢差に関しては心配しないで良い。


 「店長は私のことをどう呼びますか?」


 「え……僕はヨシノさんのままで」


 ハイドは何か特別なことを考えることなく、当たり障りのない回答をする。それを聞いたヨシノは、分かりましたと簡単に返事をした。ヨシノは唐突に考えを変えたが、何がそうさせたのかは謎である


 「……本当に店長は良い人ですね」


 ヨシノが囁くように口にした言葉はさらにハイドを困らせた。しかし、当の本人はカップを手にして何事もなかったかのように振る舞っている。ハイドは馬鹿にされたわけではないと自分に言い聞かせてヨシノとの話を終えた。

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