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共同生活 (2)

 店内に入ると、ヨシノは玄関の前で立ち止まる。午後から作業を予定していたハイドは早速その準備に取りかかった。


 「そんなところに立ってないで、どこか適当に座って」


 ヨシノは居場所を見つけられていない。ハイドが一つの椅子を指差すと、不安そうな表情のまま座った。


 玄関正面には店の中心となっている作業台がある。ここは接客を行う場所であり、仕事机でもある。工具は引き出しの中に入っていて、管理するアクセサリーや小物の情報がまとめられた紙束も保管されていた。


 ヨシノは少し離れた椅子から様子を眺めている。ハイドは睡魔に負けてしまう前に急ぎの仕事を終わらせた。


 「……ごめん、来てもらったばかりなのに待たせて」


 ハイドは店の奥の台所に向かい、水を注いだカップを二つ持ってくる。瞼は重たくなっていて、ヨシノの対応を面倒だと感じていた。


 「あの……私はこれからどうしたら?」


 ヨシノは水を受け取るなりすぐに質問する。そんな疑問は当たり前だった。


 「半年間、色んな雑務をしてもらおうかと思ってる。見て分かる通り、作業をしていると汚れたりゴミが出たりするからね」


 ハイドは再び自分の席に戻ってヨシノの目を見据える。ヨシノは小さく首を傾げた。


 「雑務って、掃除だけですか?ここは修繕店なんですよね?」


 「何か不満ある?」


 示した仕事内容が過酷だとは思っていない。ヨシノが不満を漏らしているように見えたハイドは不思議に思った。


 「それで私は賃金をもらうんですか?」


 「そうだよ。従業員に賃金を支払うのは雇用者の義務だからね」


 「そうじゃなくて……」


 ハイドが当たり前のことを説明すると、ヨシノは首を振る。ハイドは訳が分からず眉間にしわを寄せた。


 「例えば、何かを私に教えるとかはしないんですか?時計やアクセサリーの直し方とか」


 「……ああ、なるほど。そんなことはしないつもりだけど?」


 「どうしてですか?」


 「意味がないから。ヨシノさんは半年間この店で働くけど、そんな短期間では基礎の一部さえ教えられない」


 ヨシノの提案は無意味に等しい。ハイドの場合、最低限の仕事を任されるまでに五年以上かかった。半年でこの店の戦力になることなど不可能なのだ。


 「……でも、掃除だけだと仕事だとは言えません。そんなのすぐに終わってしまいます」


 「激務を望んでるの?」


 ハイドはあり得ないと思いながらヨシノに尋ねる。案の定、ヨシノは首を横に振った。


 「そうじゃなくて、金額に似合った仕事がしたいだけです。掃除だけでこの対価を得ることになると、私はまた特別扱いされることになりませんか?それが嫌なんです」


 ヨシノは真剣な表情をしている。ハイドはヨシノがこの店の仕事をまだ把握できていないことが全ての原因だと予想した。


 「じゃあ、少しだけ体験してみる?」


 「してみたいです」


 ハイドが心の中で悪い笑みを浮かべながら尋ねると、ヨシノは即座に頷いた。この瞬間だけ睡魔に打ち勝ったハイドは早速準備に取りかかった。


 ハイドが用意したのは、大きさの異なる五つの指輪と一つの定規だった。ヨシノは困ったようにハイドに説明を求めた。


 「指輪には外径と内径がある。外径はリングの外周を円とする直径のことで、内径はリングの内側の空洞を円とするときの直径のこと。今からこの定規を使ってこれらの外径と内径を測って欲しい」


 ハイドは簡潔に作業の説明を行う。ヨシノに求めたことは言葉の上では難しくない。しかし、一つの指輪を手に取ってヨシノの表情は変わった。


 「リングが変形しています」


 「そう。初めは綺麗な円形に作られていても、持ち主が変形させてしまうことがある。勿論、作られたときから綺麗な円じゃないときもある。だけど、外径と内径は指輪を区別するときにとても重要で、正確に測らないといけない。……分かる?」


 「なんとなく」


 ヨシノは少し怖い表情をしている。ハイドは真剣になっている証拠だと勝手に解釈した。


 「そんな時は歪な円の一番長い直径を測ればいい。その長さが分かれば、所有者の指について分かることがあるから。……じゃあ、測ってみて」


 ハイドの指示と同時に、ヨシノは早速作業に取り掛かる。定規を指輪に当ながら一番長い場所を探す、素人の手法だった。


 ハイドも昔、同じ方法を行ってヘリーに怒られた。ヨシノに同じ態度を取ることはしないものの、ハイドはヘリーの気持ちが分かったような気がした。


 「一つ目から言いますね」


 「その欠けたシリナイトが埋め込まれた指輪だね?」


 ヨシノは透明の鉱石が装飾された指輪に定規を当てていた。


 「外径が2.5センチで内径が2センチです」


 「貸してみて」


 ハイドは数字を聞いて、指輪と定規をヨシノから受け取る。指輪に指を這わせた後、一箇所に定規を当てて数値を読み取った。


 「外径が2.73センチで内径が2.27センチだ」


 ハイドは答えを告げて指輪と定規を机に置く。ヨシノは多少の誤差を認識しながらも、大きく間違った数字を言ってないことに安堵した。しかし、ハイドにとってこの誤差は話にならない。


 「誤差は最悪0.05センチ以内にしないといけない。だからさっきの数字はまるっきり違うことになる」


 ハイドははっきりと問題外であることを伝える。ヨシノはそれを聞いてハイドを睨んだ。


 「この定規、目盛りが一ミリまでしかないですよ」


 「定規は最小目盛りの十分の一まで読むのが普通なんだ」


 「私の言葉を聞いてから嘘の長さをもっともらしく言ったのかもしれない」


 「そんなことをする理由がない」


 嘘だと疑われたハイドは気分を害する。ヘリーから受け継いだこの仕事に誇りを持っていたからである。


 「それなら先に全部測って数字を紙に書いてほしいです。それで、その数字と答え合わせをしたい」


 ヨシノは自分の数字に自信を持っているようで、強気に提案してくる。ハイドに断る理由はなかった。


 ハイドが始めに測定を行い、得られた数字を紙に書く。その次にヨシノが同じ指輪の計測に入った。ハイドは余裕を持ってその姿を眺めた。


 「……できました」


 ヨシノが自らの数字を公開する。ハイドの数字と照らし合わせると、やはり大きな誤差があった。


 「基本的に数字が小さいよね。理由は簡単で、ヨシノさんが一番長い場所を見つけられてないから」


 ハイドはヨシノが間違った原因を伝える。ただ、ヨシノは一番長い場所を測ったつもりでいて、簡単に納得はできないようだった。


 「ヨシノさんはどうやって一番長い場所を探した?見た目で判断したとか?」


 「……定規を当てたまま指輪を回して、数字が一番大きくなるところを探しました」


 ヨシノが自らの手法をもう一度見せる。ハイドはそれを見て首を横に振った。


 「それがダメなんだよね。一番長い場所は指輪を親指と人差し指で挟んで回しながら探すんだ」


 ハイドは言った通りに二本の指で指輪を挟んで回転させる。ハイドはそれだけでどこが一番長いかを把握できる。しかし、感覚に支配されたハイドの説明をヨシノは受け入れなかった。


 「やっていることは私と同じです。それが定規を使うのか指を使うのかの違いだけで」


 「実はその違いが大きいんだ」


 ハイドはヨシノが勝手に排除した要因を拾い上げる。ヨシノは目を細めた。


 「定規で測れるのはたった二点間の距離でしょ?点は円周に無限個あるんだから、最適な二点なんてなかなか見つからない。でも、指は点じゃなくて面だから、少し外れた所を触っても気付くことができる」


 「…………」


 「まあ、これをヨシノさんがすぐにできるとは思ってないよ。僕だって何度も叱られて何年もかかりながら練習したんだ。そんなことを半年でできると思う?」


 ハイドは最終的に話を元に戻す。反論できなくなったヨシノは、その一瞬だけ口を固く閉ざした。しかし、しばらくして小さな声を響せた。


 「ハイドさんは、私が自立して生きていけるようにしようとしてくれているんですよね?」


 「そうだよ」


 ヨシノの確認にハイドは声を小さくして返事する。


 「それなら、何か技術を教えて欲しいです。半年後、ここを出た私がどんな仕事をしているのかはまだ分かりません。ですけど、小さな技術があるだけで道は広がると思います」


 「……それはそうだね」


 唐突なヨシノの正論にハイドは言葉を失う。ハイドはヨシノの当面の目的が資金を貯めることだと考えていた。しかし、本当に大切なことはその先なのだ。


 「きっと面倒に思って投げ出したくなると思う。楽しくない仕事だってことは、僕がここではっきりと断言しておくから」


 ハイドは何を伝えれば良いか考えた末に、仕事が容易ではないことを伝える。ハイドの指示に従って訓練のような仕事をこなしても、何かを得られる保証はないのだ。しかし、ヨシノはすでに覚悟ができているようだった。


 「させてください。お願いします」


 ヨシノが深く頭を下げる。気持ちは固まっているようで、ハイドにこれ以上ヨシノの要求を拒絶することはできない。


 「……分かった。そこまで言うんだったら、できる限り何かノウハウを教える。でもその代わり、諦めるなんて言わないでよ?」


 「分かってます。ありがとうございます」


 ヨシノは再び頭を下げ、顔を上げると表情が明るくなっている。ハイドは異質な今の状況についていけなかった。

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