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第一章 青春の影



   1 九月十三日 木曜日



「今日も遅刻か、美吉」

 この三年間、担任の先生にこの言葉を何度言われてきたことか。美吉蓮治は頭を下げることしかできなかった。坂田金矢先生との数分のやりとりを終え、やっとのこと自席に着くと、隣で石井陽子が半笑いしていた。

 「何だよ」と意地を張ると、陽子は「バーカ」と言った。無性にイライラしてきて、蓮治の心に火が付く。

「おまえさ、誰に向かってバカとか言ってんだよ。俺の成績の良さを知らないの?」

少々声を強くして反抗したのだが、陽子は聞いていないふりをしていた。その意味が分らずにいた蓮治は「聞いてんのかよ」と更に大きな声を張り、その勢いでバっと立ち上がった。

そのとき、自分のことを呼ぶ声が聞こえた。黒板の方に視線を戻すと、自分の席から僅か三十センチあるかないかの位置に、坂田が仁王立ちしていた。

(陽子の奴め・・・)

 自分に被害が及ばないように、聞かぬふりをしていたのだ。まったく、このクラスの学級委員とは思えない悪だくみだ。第一、学級委員はクラスのみんなのために尽くすのが存在意義ってものだ。

「おまえは遅刻したのに、何を喋ってんだ。少しは反省しろ。反省を」

「だって、こいつが・・・」陽子を指差す。

「だってもくそもねえだろ。こっちは反省しろって言ってんだ」

「・・・はい」

蓮治は観念して席に座ったが、横をみると、陽子がまたからかってくる。一瞬、腰を浮かせてしまったが、胸に込み上げてくる怒りを鎮めようと唾を何回も飲んだ。

こんなことが日常茶飯起きていた。いや、起こしていたという表現の方が正しいかもしれない。時に、自業自得。時に、陽子の手によって。

生活面ではぐちぐち言われるが、さっき自分でも言ったように、成績は優秀である。いつも首位を争うほどの頭脳を持っている。だから、不定期に行われる面談では、学習については何も言われないのだが、遅刻を始めとし、勉強以外の数々の点の指導のせいでクラス、いや学年一の時間を費やすのだ。問題児は問題児でも、普通とはいささか異なる生徒なわけだ。

問題といえば、蓮治の言うならば、「鋼のメンタル」には先生さえもが参ってしまう。後で振り返ると、自分でも驚くような誰も止められないような愚行に走ることもある。

いわば、自分が自分の正義に基づき、その正義に謀反した人間を徹底的に追い詰める、といったところだろうか。しかし、これといって蓮治の正義は間違いではないのだ。相手が悪い。傍から見ても相手が悪い。そういう奴しか俺は相手にしない。蓮治が目にした奴は、勝つまで攻め続ける。どんな手を使っても、相手が降伏するまで戦い続ける。


中一の秋ごろだった。

我が城川中学は私立学校で受験もあったが、小学校や塾からの知ってる顔も十分にいた。それは、新しい集団で一年を過ごすことを意味している。四月ごろの緊張や警戒心は何だったのか――そんなことを感じさせられるほど、新鮮な環境に慣れ、キレイ事のように聞こえるが、友情が芽生え、お互いに認識し合える時期だ。

それまで、それなりに平穏無事にスクール・ライフを送ってきたわけだが、この蓮治がまるで突然町を襲う地震のように、クラスの「足元」を揺るがしたのだ。

男子中学生というのは、すぐじゃれる、ける、殴るが然るべき光景のようになってきているが、その場面というのも、時折つっこみのように他人の頭を叩いたり、それに乗っかったり、とにかく他愛もない会話をしている時だったのだ。

普通に好く接していた紺野忠嗣という男子が、故意じゃないが、蓮治の制服の第三ボタンをむしり取ってしまったのだ。

「あっ・・・」

お互い、カランカランと床に落ちたボタンを見た。

そのとき、四、五人で話していたのだが、それに気付いたのは「被害者」の俺と「加害者」の紺野の二人。「残りのみんなが目撃していない」「まだ俺が硬直している」そう判断したのか、罪を逃れるためか、紺野は蓮治以外の、すなわち事情を知らない会話中のクラスメートに「ちょっと、トイレ」とだけ言って、教室を出ていったのである。

その言葉に、蓮治は胸にこみ上げるものがあった。闘争心が燃えあがってきたというべきだろうか。すぐさま、紺野を追いかけた。後で聞いたことだが、そのときの蓮治は、獲物に喰らいつく血に飢えたハイエナのような眼をしていたらしい。

舌打ちだけを残して、大きな音を立てて教室の扉を開けると、まだトイレへ向かっている紺野に、「おい、待てよ!」と走りながら叫んだ。その勢いで廊下の壁に紺野の体躯を押しつけると、紺野の胸倉を掴んだ。

「おめえさ、人のもの壊しておいて、そりゃあ、ねえだろう。何がトイレだ。トイレ行く前に言うことあんだろ。謝ることもできないのかよ、おまえは」

静かめのトーンで怒りを爆発させる俺に、紺野は対抗してきた。

「ボタンぐらい自分で止められんだろう。そんなに怒る必要あるわけ?」

トイレから出てくる他クラス、他学年の生徒は関わりたくないからか、一度だけ目をこちらに向かせて素通りしていく。

「自分でボタン止められるから、人のもの壊していいのかよ。自分が壊しても謝らずにいていいのかよ」

何だ何だと、徐徐に野次が集まってきた。そこからしばしの沈黙が廊下に流れた。観衆も空気を読んだのか、何もしゃべらない。その空気に嫌気がさした俺は、行動に出た。

「何か言えよ!」

その言葉と同時に、俺は押さえていた腕を外し、その手で紺野の頬を殴った。さすがに止めなきゃと察したのか、周りは止めにかかる。殴られた紺野は床にへたりこんだ。殴られた箇所を痛そうに手で抑える紺野に「大丈夫?」と心配する野次馬たち。

さすがにこの状態では――と観念し、蓮治は教室に戻った。

その後、担任の先生に事情を尋ねられ、無理矢理和解させられて事は治まったのだが、それから必要以上の会話を御互いせずに、進級の際のクラス替えで、見事(?)クラスは別れた。

非は紺野にあるのだが、暴力を振るったことにより、こちらも非難されることになったのだ。でも、自分は自分の正義に基づいて行った行為であるから、紺野に成敗を与えただけであり、もちろん非行なんて微塵も思わない。

この実体験はまだ普通の方であり、風呂敷を広げればそう珍しくも無い。自分でも思い出すことすら拒んでしまうような事例がある。それは後々打ち明けるときが来るであろう。

当事者に深い事情や言い訳があったとしても、外から見れば中学生同士のただの喧嘩だ。バカな騒ぎに付き合ってはいられんと、担任の坂田先生は毎回面倒な思いをしているらしい。


遅刻したから三分の二しか授業を受けていないが、どうせ分りきったことだからと、何ら心配もしていない。

チャイムが鳴り、授業間の休み時間になった。

「あのさ、陽子さ、一緒に喋っててさ、俺だけ怒られるっていうのは不平等ってもんじゃないの?」

「だって、蓮治をいじるの楽しんだもん」

気味が悪いくらいニコニコしながらそう言った。

「はあ?」

全く呆れたものだ。人をいじって快感を覚えるとは、今の若者を見ていると日本の将来が思いやられ・・・と、自分もその今の若者であることに心を痛める。

「蓮治、次、音楽だよ」

近くの席の久留嶋龍也が、おそらく音楽の支度をしながら忠告した。

「言われなくても、分ってるよ」

龍也とは幼稚園から一緒の親友で、俺の「鋼のメンタル」の件も本心はどうかはしらないが、一応分ってくれる一人だ。さっぱりとした髪型で、細々とした顔貌が昔からの特徴である。

「そういえばさ、龍也。何で昨日メールしてくれなかったの?心配したんだけど」

都木浪恵が音楽用の鞄を手提げて、龍也に訊ねる。浪恵は龍也の彼女だ。

「あ、ごめん。ここ一週間、親に電話取り上げられてて。急だった?」

「別に大したことじゃなかったからいいけど」

「そうか。蓮治、行くぞ」

全く、青春なんて社会までの道程に過ぎないのに、恋愛なんてものにうつつを抜かすと、社会の道を踏み外すことが懸念してならない。でも、せっかく中高合わせて六年間もの時間があるわけだから、納得できる部分も無くは無い。分っていながら、夢見る思春期の蓮治である。

そんなことを龍也と浪恵の二人を黙視しながら考えていると、頭に物体がぶつかってきた。

「痛っ!」

物体が飛んできた方に目を向けると、またしても心の底から苛立ちが湧いてくるあの顔が俺の眼に映った。もちろん、陽子である。

「行くよ。ノロマさん」

またしても、苛立つ顔に苛立つ言葉だ。そうこうしているうちに、教室は無人。だれもいなくなった教室を眺めた。ため息を漏らし、振り向いたときには陽子の姿さえもが既に見えなかった。

「誰がノロマだよ」

そんな独り言兼愚痴を呟いて、音楽室へと向かった。

五教科――国語、数学、社会、理科、英語に比べ、専科は苦手だった。特に音楽は最も不得手と言っていいかもしれない。しかし、その分努力するから、好成績は保たれている。苦手だからこそ他教科より磨きをかけるという思考が、常人には欠落しているため、通知表が伸び悩んでいるのだと龍也は言う。

しかし、音楽で「5」をとったことは一度も無い。どんなに頑張っても「4」止まりだ。理由は本人が一番理解している。無論、技術面だ。「秀才」で名が通っていたことに劣ることなく、昔から音痴で有名だった蓮治は、技術の評価で大いに減点されている。これだけはうんともすんともできないことだから、正直諦めている。

音楽室の扉を開く度に、そんなことを考え、そのたびに胸に込み上げる憂鬱や苦痛を逆手に取って、自分を立て直している。

毎度のことになってきて、別段珍しくなくなってきた故に、遅刻したことなんてその日の昼休みには記憶から抹消されていて、教室から窓の外を眺め、龍也たちと歓談の快楽に浸っていた。だが、時折入る龍也と浪恵のいちゃつきに少々苛立ちを覚える。決して嫉妬というつまらない理由では無い。絶対に――というよりも、信じたい。潜在的に内に秘めているのは、ある意味人間らしい憧憬、嫉妬という情動なのかもしれない。そんな事実を認めたくない一方、認めたいという自虐的な気持ちもあった。思春期に生まれるジレンマ、と言うべきか。

蓮治の心を見透かしたのか、次の瞬間、龍也が鋭いことを口にした。

「おまえも、彼女の一人や二人、作っとけば」

「は、はあ?」

「顔に書いてあるよ」

そう言って、龍也はどこかへ去って行った。次いで、浪恵も蓮治にくすりと笑って龍也を追いかける。一瞬、陽子の姿とダブって見え、目を疑ったが、それどころではない。どことなく怪しい占い師に自分の事柄について当てられたときに見られるような動揺を、蓮治は隠しきれない。どうして分ったのか。その疑念が生まれ、探究心へと徐々に変化していくような様子に自分の事ながら気付く。

「へえー、蓮治って、彼女欲しいんだ」

いつのまにか陽子が隣の窓からグラウンドを眺めている。気配を消していたのか。いや、違う。陽子の存在に気付かないほど戸惑っていたのだろう。

「バーカ。なわけねえだろ。龍也の勝手な思い込みだ。彼女いるからって調子に乗り上がって」

 あくまで冷静を装ったつもりだが、墓穴を掘った。

「ほら、やっぱりそうだ。龍也の事羨ましがってる」

「だから、違うって」

 必死に否定し続けるが、それは逆に自分の首を絞めていくだけであった。

「蓮治って嘘つけないタイプだね。すぐ顔に出ちゃうんだもん」

「何とでも言ってろ」

「蓮治に隠し事あったら、絶対にばれるね」

 陽子は面白そうに言っている。

「今まで隠し事なんてしたことねえよ」と負けずに反論すると、「どうだかね」とだけ言って、スキップしながら駆けていった。



   2 九月十六日 日曜日



――人間って弱いんだな。

そう思えたのは、今まさにそのときである。

 ピクリとも動かずに脈拍が停止した人間を前に、思わず口にした。もうすぐ七十の御老人だから名残はないだろう。かつて政界に立ちやりたいことを思う存分やってのけたらしいから、あの世では死者たちの話題の一つにはなるだろう。

 殺人犯となった俺は首を振った。殺人という「愚行」によって、異次元のものと化した自分の精神を立て直した。

 三百六十度見渡し、誰もいないことを察する。彼が殺したこいつは、生きるに値しない人間だ。そして、彼は生きるに値した人間を殺した民意の代表者だ。彼が警察に捕まる理由など決して無く、悠々と生きることが許されるのだ。

 殺した男はアルコールを含んでいた。警察は歩いている途中によろけてバランスを崩し、後頭部を打ったと、事故と見てもおかしくないだろう。しかし、日本の警察はいざとなれば優秀だ。腹部を蹴り押した跡が残っていたとしたら、いや、多分残っている。その形跡を見逃すはずはないから、殺人の方針で捜査を進めるかもしれない。

「でも、警察が俺に辿りつけることは無いだろ。絶対・・・」

 走り去りながら、彼は口にした。無論、彼――美吉蓮治は、正義の鉄槌を下したことに悔恨の情など全くない。


人がちらほら見え始めた。蓮治は走るのをやめ、歩き出した。走ると目立ち、人の目につきやすいと判断したからである。上着にフードが付いていたが、これもまた逆に印象に残りやすいだろう。故に蓮治はそれをかぶらなかった。

 どれぐらい歩いただろうか。これまでに駅もあったし、バス停もいくつかあった。でも、乗る気にはなれなかった。歩き彷徨うことが、自分の高鳴る鼓動を抑えるのと同時に、精神を安定してくれる術だと思った。

 やっと通常の自分を取り戻した頃のことだった。

「そろそろ、電車で帰るか」

 やっと決心して、辿りついた駅は、奴を殺した犯行現場の大横川親水公園からは、程遠い有楽町駅だった。荒川の方へ向かっていたはずだが、舞い戻っていたらしい。おぼろげに記憶に残っているが、今振り返るとかなり動揺していたから、今どこにいるかなど、あるいはどこへ向かうかなど気にも留めなかったのだ。殺人により引き起こされる精神状態には、恐れるものがあった。横を流れる自動車や少し先の多様な施設、飲食店などに、時折べつだん理由も無く目をやったが、そこから目に入る無数のまばゆい光が、自分に何か問いかけてくるようで当惑した。

――あれは、何を意味していたのだろうか。

定期に入っている残額を精算機で確認しながら、蓮治は考えていた。

(今は、何時だ?・・・)

 答えを探すべく、振り返ってから首を左右に振って時計を探した。針は十時半を指しており、部活帰りの電車よりかは大いに空いているだろうが、改札に入って行く人の姿はちらほらと確認できる。

 定期を所定の場所に翳して改札に入った。すると、「蓮治!」と自分の事を呼ぶ女声がした。事の後だからすこぶる驚いたが、声のした方へ向いてみると、どういう経緯なのか、すこぶるおしゃれした姿の陽子がこっちへ駆けてくる。一瞬、自分の眼を疑った。何度も瞬きを繰り返したが、映る人物に変わりは無かった。

「蓮治、どうしたの?」

「いや、それこっちのセリフ。何でこんなところにおまえが?」

「私は、さっきまで招待されたパーティーに行っていたの。この近くの会場だったから・・・」

「あ、そう・・・」

 とんでもない時に、とんでもないやつに会ったな、と蓮治は無性に苦い顔になる。よりによって同級生の陽子とは。それにしても、遅くまでパーティーとは、陽子も育ちが良いのだろうか。

「で?」

「あ、な、何?」

「蓮治はどこしてここにいるの?それもこんな時間に」

「ちょっと、用があって」

「ふーん」

 でも、ある意味陽子でよかったのかもしれない。こいつの鈍くさいことといったら並みを大いに超える。兎にも角にも、平静を保っていないといけない。普段通りに接すれば、何も疑われない。何が運命したのか分らないが、不幸中の幸いなのかもしれない。

「どうせだからさ、一緒に帰ろうよ」

「え?」

「行こ行こ」

 返事を聞かないまま、俺の腕を勝手に引っ張って行った。よく考えてみると、二人の家の方向が一緒で、JR線に乗車しなければいけない。

(まじかよ・・・)

 ほんの一分も話していないのに、急に疲労感が湧き起こってきた。夜遅い時間に数キロ歩いてきたからでもあるが、陽子と接したことによってとどめを刺された感じがした。でも、何があろうと平然としていなければいけない。

 掲示板を見ると、電車が来るまで六分。二人はベンチに座って待つことにした。周りの人はごく少なかった。この長そうで短そうな中途半端な時間が、疲れをどっと膨らませる。陽子は何かいろいろと喋っている。適当に聞いて、時折相槌を打って対応した。二時間、三時間待たなければならない田舍の列車ではないが、それと同じような長さを待っている気分だった。

「ねえ、聞いてんの?」

「え?うん、まあ」

「絶対聞いてないでしょ」

「ちょっと俺、疲れてるからさ」

「あ、そう」

 陽子は面白くなさそうに黙った。実際、蓮治が疲れているのは事実だ。それを改めて思うと、尋常じゃないほど身体が重くなってきた。そのまま瞼が閉じていきそうなほどである。蓮治はそれを必死に堪えた。

 アナウンスと共に、強い光線を放った「鉄の塊」が迫って来た。「蓮治、来たよ」と、身体を揺すられて蓮治は瞳を開いた。いつの間にかまどろんでいたらしい。

「俺、寝ちゃってたね。ごめん」

「蓮治の寝顔って、意外と可愛いね」

「ほっとけ・・・」

 思ったことをすぐ口にする御茶目な小娘だ。

ゆっくりと立つと、一度欠伸をしてから乗車した。幸いにも車内は空いていた。端に位置する紺色の椅子に座るやいなや、自然と瞳を閉じた。隣に座った陽子が、持参した本をペラペラと開く紙の音がした。

(俺はこんなにまで疲れていたのか・・・)

 いわゆる「愚行」の後、街中で彷徨を続けて、JRの改札へと入ったら同級生の陽子と出会った。今までのこの流れは一体何なのだろうか。偶然の産物として片付けるのは、さすがに無理がある。深く考えもしないまま、蓮治の意識は徐々に薄れていき、やがて深い闇の中へと迷い込んだ。

 右肩に重みを感じ、蓮治は目を開けた。見ると、陽子が自分の肩を枕に熟睡していた。読みかけの本が彼女の膝に乗っている。状況から察するに、陽子も蓮治と同じように大変疲れていたらしい。

(こういうことって、恋仲の奴らがやることだろ)

 寝起きの蓮治はため息をついた。慌てて周囲に気を配ったが、こっちを見ている者はいなかった。陽子を無理矢理起こすのも忍びない。というか、仮にも蓮治は大罪を犯した人間だ。清廉潔白の陽子が何だか可哀想になってくる。こんな蓮治に他人を愁うことなど許されないのがもっともだが、無性に配慮してしまう。

(おまえの寝顔の方が可愛いじゃねえか)

 陽子の顔を見つめていると、可愛げな寝顔に魅了され、ふと心の中で呟いた。そのとき、いつもの苛立ちなどは全く感じなく、女性としての魅力しか感じなかった。蓮治は息を飲んだ。そして、目を大きく開いた。

 彼女の寝顔に魅せられていると、ふと今ここはどこだろうかという疑問が生じた。電光掲示板に目を移すと、赤羽駅で降りるはずが、「次は南浦和」と表示されていた。おそらく、陽子も乗り過ごしているだろう。

(まじかよ・・・)

 仕方なく、さっき起こされたように、ためらいを見せながら左手を差し出して、陽子の右肩を揺すり、小さく起きろと言った。ゆっくりと目を開け、自分が蓮治の肩に寄り添っていたことに気付くと、陽子は恥ずかしそうに姿勢を正した。

「ご、ごめん」

「何が?」

 分っていながら意地悪そうに聞いてみる。

「え、いや、何でもない」

「それより、俺ら寝過ごしちゃって、次南浦和だけど・・・」

「え!嘘!」

 俺は唇に人差し指を当て、「電車内」と忠告した。周りには少人数の乗客しかいないが、マナーであることに変わりは無い。

 結局、南浦和で降り、赤羽へ向かう電車に二人で慌てて乗車し、再び椅子に隣り合って座った。さっきのことがあってか、お互い疲労など忘れており、妙に畏まって黙っていた。そのまま駅まで沈黙が続いた。電車の揺れに身を任せながら、この微妙すぎる空気から早く脱したいとばかり祈り、目的地に着くのを待った。

 学校に行くルート、帰るルートは全く別だったが、陽子は蓮治と同じ赤羽駅で降りるらしい。三年経った今になって、意外と近隣なのかと、蓮治は陽子との親近感らしいものを無意識のうちに感じていた。

 蓮治はそのまま赤羽から歩くのだが、陽子はあと一本乗り換えるらしい。お互い「じゃあね」と言って、別れの挨拶を交わすと、それぞれの道へと歩み始めた。一度、蓮治は振り返り、陽子の背をむけた姿を見つめていた。脳がその動作を指令したのは、何が左右したのか分らない。

だが蓮治は、「犯行」後にこうして「魅力的な石井陽子」と巡り会ったことは偶然じゃないと、頑なに信じていた。



   3 九月十六日 日曜日



 時計の針だけが寝室に響き渡る。十二時を軽く過ぎていた。

 陽子はベッドに入ってからも、興奮状態が続いていた。大きく深呼吸を何度もしたが、一時間もしないうちに脳裡に蘇ってくる記憶は、陽子の胸を高鳴らせた。

 瞳をつぶっても、頭には車内での情景が浮かび上がってくる。

(そういえば、何で蓮治はあんなところにいたんだろう。それも、あんな時間に・・・)

 ふと、疑問が生じた。確か、「ちょっと用があって」とか言っていた。大抵の場合、その返答をしてくるということは、何か知られたくない事情があるのではないか。

(蓮治の知られたくない事情?)

 何だろう。彼女とか?まさか・・・。いろいろな呟きが頭の中で飛び交う。自問自答している自分を惨めに思ったが、気にならずにはいられない。

(でも、蓮治に彼女いるのかな。確か、龍也と浪恵の事羨んでいたようなことあったかも。自分に彼女がいるなら、妬む必要無いし・・・)

 陽子は首を小刻みに振った。今晩は思考が「そっち」の方向へ向かいがちだ。思考を転換しようと思い、トライしてみた。

(まさか、危ない人たちと接触していたりして・・・そんなことないか。あの蓮治に限ってそんなことしないか)

 明日は通常通り学校だ。陽子は思考を張り巡らせることを諦めた。仮に自分が納得のいく答えに辿りつけたとしても、実際どうなのかなんて今は分りっこない。

「早く眠ろう」

ギュッと唇をかみしめ、ペロッと舌を出して唇を湿らせた。そして、吸って吐く動作を何度か繰り返し、精神が正常化したことを実感すると、自分の心は既に蓮治の色に染められているのだろうかと、自分でもバカバカしくなるような妄想を振り払い、眠り始めた。

 翌日、あまり好ましくない目覚めで無性にイラッとしたが、制服に着替え、朝食を済ませるなど、朝の行動を淡々とこなしていくと、スクールバッグを持って家を飛び出した。鍵をかけ、駅へ向かおうと歩き出すと、ちょうど隣の床屋の御主人とばったり会った。両手にビニール袋を持っていることから、ゴミ出しに出てきたのだろう。今までにも何十回ってあったことだ。「行ってきます」とぺこりと頭を下げて歩を続けた。

 毎日の如く、通勤ラッシュ故に満員電車だ。部活で帰りが遅くなるときも、満員電車の事が多い。最近は物騒な社会になったから、そのうち痴漢でもされたらどうしようかと、危惧してしまう。でも、今日はそんな心配は全くなく、陽子の脳内は昨日のことでいっぱいいっぱいだった。時折自分の頬に赤みを帯びていく様子に気付くと、誰も見ていないのに俯いてしまう。

 そうこうしているうちに、下車する南千住駅に到着した。陽子は、意味も無く普段よりも速度を上げて歩き出した。

教室で荷物を整理していると、遅刻せずに登校してきた蓮治が隣に座った。蓮治の顔に変化は見られない。いつもの蓮治の顔だ。視線に気付いた蓮治は、陽子と目を合わせた。何か言いたげそうだったが、口内で舌を躍らせているだけで無言だ。

 見るに見かねて、陽子は口を開いた。

「昨日は、いろいろありがとう」

「別にお礼されるほど何もやって無いけど」

「そんなこと、ないよ」

 何かぎこちない感じがする。蓮治はいつもの怒ったような口調じゃないし、陽子においても、ちょっかい出さずに大人しい。

「そうだ。どうして、あんな時間にあんな場所にいたの?」

 陽子は唐突に訊いてみた。

「え?いや、最近夜の散歩にハマっていて。昨日はちょっと遠くの方まで行こうかなって、それで気付いたら有楽町まで行ってた」

「あ、そう」

 何か説得のない解答に無愛想な対応しかできなかった。夜の散歩も、どんな目的でやっているのだろうか・・・そんなことはどうでもいいか。個人の趣味について深く詮索する必要も無いし、知ったところでどうしたって話だ。

 結局その日は、それっきりろくな会話も無しに帰りのホームルームを迎えた。

翌日、高月悠史というクラスメートが陽子たちにある話を持ちかけてきた。高月は比較的おとなしい性格で、優しい好少年というイメージが陽子の第一印象である。

「ねえ、久留嶋さあ、昨日のニュース見た?」

 「久留嶋」と名字で呼ぶことからも、高月は私たちとあまり馴染みが無い。

「何のニュース?」

「どうしたの?」と、陽子も輪の中に入る。

「一昨日、大横川親水公園っていう公園知ってるかな。その公園で死体が発見されたんだって」

「ふーん」

龍也は関心がなさそうだ。今日の小テストのため、教科書をペラペラめくって重要事項などを確認している。それに構わず高月は話を続ける。

「その近くに前住んでいたことがあって、ここから遠いってほど遠くないんだけど、ほらスカイツリーの近くなんだけど」

「スカイツリーって、あのスカイツリー?」

ビルの隙間の絶妙な位置に聳え立つ東京スカイツリーを眺めながら、浪恵は言った。

「そこで、元国会議員の・・・あれ、何て言ったかな」

遠野嘉政(トオノ ヨシマサ)

いかにも古そうな書物を熟読しながら言ったのは、蓮治だった。

「そう。遠野嘉政って人が死んでいたらしい。警察は殺人事件として捜査しているらしいけど、その遠野っていう元国会議員。過去にいろいろあったらしいよ」

陽子は高月が結構なミステリー通だということを思い出した。世界の名高い推理小説を片っ端から読んでいっているという噂だ。片っ端って、何が発端なのだろうか。片っ端とはどういう意味か、陽子はそこから謎を解いてほしかったが、一度口が開くと満足いくまで喋り続けるようだから、あえて訊かないことにしている。

「『過去にあった』って何が?」

浪恵は意外にも興味津々のようだ。もしくは、私たち以外聞いてくれる人がいないから仕方なく聞いてやっているという、浪恵らしい「嬢様」を気取っているのか。どちらかといえば、後者の方が可能性は高かった。

「殺人の容疑で裁判にかけられたらしいんだよ。結局は無罪になったらしいけど」

「え、どうして?」

「その理由については不明らしいけど、何か臭いと思うでしょ。もしもその遠野嘉政が真犯人だったのなら、過去による怨恨が今の今になって爆発し、犯行に及んだ。そう考えられなくもないでしょ」

この対応にはさすがの浪恵も口を閉ざしたが、そこで対抗したのは依然として読書に耽けている蓮治だった。

「確かに、あり得なくもないけど、どうして今まで犯行に及ばなかったか。それは疑問だけどね」

「まあね。ま、そういうことは警察に任せればいいし、中三の俺らがあれこれ考えたところで、うんともすんともならないけどね」

痛いところを突かれ、さっきまでの積極的な姿勢から一変し、高月は強気を装ってまとめあげた。弱気になった証拠に、振り向きもせずにスタスタとどこかへ去っていった。

それを折りとして、蓮治も本を閉じた。そのとき陽子は、蓮治の右手の拳が微かに震えているところをしっかりと確認していた。無論、特に気にせずにいたが。

それから二日後の夜、陽子の携帯にメールが来た。手にとって見てみると、画面には「浪恵」とあった。珍しい名前にいささか驚いた。珍しいというのも、最後に浪恵からメールがあったのは、浪恵が龍也と付き合う前のことだから、もう半年以上前のことだ。それまでは「明日の持ち物何だっけ?」とか「宿題って○ページから○ページまでだよね」など、学校に関する確認等の内容だった。しばしば他愛もない雑談をするくらいであった。しかし、龍也と付き合い始めると、そういう事務的な事は全部その彼氏に訊くことになったのだ。もちろん、雑談の類も、である。

「何だろう」

半ば期待し半ば疑いながら、陽子はボタで操作した。


「土曜日の午後二時半に上野の喫茶店の前で待ち合わせ」と、浪恵から聞いていた陽子は、その通りに傘を持ちながら待っている。朝方からシトシトと降っている小降りの雨が、傘を叩く音を聞くのは感慨深い。街中を行き来する人の数が乏しいのは、天を仰げば一目瞭然だ。だが、雨天でも時々集団が群れていることや、洋服店や大きなデパートに出入りする人たちが少なくないことは、さすが東京、さすが上野である。

 晴れの日は、近くの上野動物園やアメヤ横町など、栄える場所の活気は凄まじい。陽子はアメ横には何度も行っているが、その度に群衆に埋もれそうなくらいの人の数を実感させられる。

 すぐ近くの信号が三、四回「青」に変わった頃、その横断歩道の向こう側から浪恵が駆けてきた。初め、傘とかぶって顔が定かじゃなかったが、服装や雰囲気、あるいは浪恵の独特の体貌というか、風情というか、伝わってくるものがあり、それに目をつけた陽子は、案の定浪恵だと認めると寄っていた。

「ごめん、待たせた?」

「ううん。大丈夫」

 浪恵は秋物の黄色のジャケットを身に纏っている。それと緑がかったジーンズとの組み合わせだ。傘は濃いグリーンで、バッグの青はバランスを保たせるのと同時に、好い印象を与える。

「雨なんだから中で待っていればよかったのに」

「喫茶店の前って約束でしょ」陽子は笑って見せた。

二人共アイスコーヒーを注文した。

「それで、どうしたの?急に会おうなんて」

陽子は今回の意図はいかなるものか、それが一番訊きたかった。

浪恵は一口アイスコーヒーを飲んで喉を潤すと、胸の前で手を組み、陽子をじっと見た。陽子は催促し、まもなくして口を開いた。

「陽子さ、彼氏できたでしょ」

「え!・・・まさか、ねえ」

「じゃあ、好きな人はできたでしょ」

「きゅ、急にどうしたの」

「だって、最近陽子変わったもん。えっと・・・今週の月曜くらいから」

陽子は息が詰まりそうなほど当惑した。確かに、「蓮治との一件」は日曜日の事で、それから今週一週間は妙に遠慮がちな姿勢をとってきたのかもしれない。自分でも窺えなかったことを、他人に見破られてしまうとは驚嘆の何ものでもない。相田みつをの言葉に「一番分っているようで一番分らない自分」という名言がある。今の陽子の思うことこそ、まさにこれである。

「一日だけっていうのは分るけど、今週の月曜からずっと陽子の様子がおかしいなと思って、これは何かあるなと考えた。中三になって自分の在り方が変わるほどの出来事。思春期に女子中学生が悩めることで、一番初めに思いつくのって恋愛関連くらいでしょ」

陽子は唖然としていた。そういえば、蓮治も龍也に問い詰められていたが、この二人、龍也&浪恵コンビは何か秘めている気がする。

「その顔は図星ね」

放心状態にそれほど遠くない、ポカンと口の開いた陽子の顔を見ながら、浪恵は目を輝かせている。

「で、どうなの?」

浪恵は催促する。

陽子は少しの間躊躇ったが、心の許せる、信頼できる浪恵だから渋々一通り話すことにした。以前から蓮治の気を引こうと、ちょっかいを出してきたこと。先日、もう遅い時間に品川駅でばったり会って、電車の中での一時を過ごしたこと。それにより、夜も眠れず、学校生活にも支障を来すほどの影響があったこと。

「なるほどね」

陽子が話し終わると、浪恵は椅子にもたれかかった。終始赤面の陽子だったが、語り終えた後も少々萎縮しているような様子で、浪恵の口が開くのを待った。

「坂田先生も結婚したしね」

「そうそう。その後の道徳でさ、『人との付き合い』ってテーマで話したでしょ。なんか、まるで自分を見つめ直しているみたいで・・・」

 あれは今週の火曜日のことだっただろうか。六時間目の道徳で、臨時学年集会が開かれ、その場を借りて、坂田が先日結婚したという報告をしたのだ。結構影響を呼んだ話題で、陽子もある意味影響されたうちの一人だった。

まもなくして、浪恵は鞄からスマフォを取り出した。不思議そうな顔をしている陽子に構わず、指を器用に動かす。耳に当てたため、どこかへ電話しているのだろうか。

「ねえ、どこに電話しているの?」

「蓮治」

「えっ!・・・どうして」

ちょっと、と止めにかかったが、浪恵は唇に人差し指を押し当て、シ―ッと静かにするよう合図した。

「あ、もしもし」

どうやら相手、蓮治と繋がったらしい。諦めを意味するように、陽子は大きなため息をついた。

「今、何してた?」

典型的な開口一番である。浪恵は、陽子に内容が分るように受話音量を調節した。スピーカーによって、若干変化した蓮治の声が聞こえてくる。

――今?今、外にいたけど。

「そうなんだ。今、陽子と一緒にいるんだけど、ちょっと陽子と話してくれない?」

「ちょ、ちょっと浪恵」

陽子は唐突な浪恵の発言に、慌てふためいた。

「女子は直球で勝負でしょ」

そう言って、陽子に携帯を渡した。仕方なく受け取ったものの、なかなか話を切り出そうとはしない。

だいたい、何が「女子は直球で勝負」よ――陽子は苦い顔した。

珍しく喫茶店で落ち着いた会談ができたかと思うと、その目的と言うのは、どうやら自分が大きく、いや百%完全に自分が関わったことだった。陽子の今までとは違う一面に目をつけ、並み以上の推理力で陽子の心の内を見事当てて見せた。何をやり出すかと思うと、蓮治の番号に連絡するという「直行作戦」を企てたのだ。浪恵の掌の上で転がされている陽子側からすれば堪ったものじゃない。

なかなか言葉が出ない陽子を見るに見かねて、浪恵は励ますのと同時に催促してくる。

「も、もしもし、陽子だけど・・・」

――あ?何、どうしたの?話って何?

何をしていたのか仮の見当つかないが、蓮治は、気が立っているのか、さっさと用は済ませたいようだった。もしかして、自分のことを迷惑に思っているのかもしれない。本当のところ、蓮治は陽子を普通の同級生としか見ていないのかもしれない。全く気が無いってことも・・・と、考えれば考えるほど胸が痛むだけで、自信の消失に繋がった。

浪恵は変わらず冷淡な顔をして、残っていたアイスコーヒーを飲みほした。

「別に大した用は無いから、忙しいんならいいけど・・・」

――は?別に忙しくないけど。で、何?

聞こえ方によっては、気を使ってくれている気もしなくもない。

「いや、だから、私はね・・・」

――今、ホントに電池残量がないんだよ。外だから充電できないし話すことあるんなら早くして。

浪恵は口パクで「早く」と急かしてくる。全くこっちの立場になってみてよと言おうとしたが、やめた。

「私は」と言いかけて、電話の向こうでプツっと電波の切れた音がした。そして、ツーツーと無情な音が陽子に耳に伝わってくる。

「切れちゃった」

陽子はぎこちなく笑いながら言った。浪恵はため息と共に、右手で頭を抱えた。

「まったく・・・根性ないね、陽子は」

「だって、しょうがないじゃん」

「何がしょうがないよ。せっかくチャンスを作ってあげたのに」

「そんな簡単にできることじゃないでしょ」

「一応訊いておくけど」

浪恵はそう前置きして、真剣な眼差しで陽子の眼を見る。

「陽子は蓮治のこと好きなの?」

「え?・・・分んない」

「何それ、分んないじゃこっちも分んないじゃん。白黒はっきりしてよ」

「だって、分んないものは分んないもん。多分、好きなんだと思うけど。でも・・・」

浪恵は陽子の話の続きを遮るように、「だったら大丈夫」と言って立ち上がった。

「そのうち、想いが爆発して口に出ちゃうから」

そうアドバイスを残して、浪恵は卓上に千円札を置き、持参の鞄を肩にかけた。どうやらもう帰るらしい。

「私、これから龍也と映画見る約束してるから、じゃあね」

 浪恵は早歩きで出ていった。

(なるほどね・・・)

 陽子との時間は龍也との時間までの単なるつなぎであり、どっちが大事かと訊かれたら後者と即答するのであろう。陽子の一変した原因の真相を、話のタネにするのかもしれない。浪恵も人使いが荒くなったものだ。昔の浪恵はおしとやかで、気品が合って、それでいて可愛げな部分もあるという好印象だった。だが、その魅力が功を奏し、そこそこ人気にあった龍也と付き合い始めた。それにより、あまり目立たなかった気位の高さが際立つようになり、言うところの「お嬢様」感が、他者を渋面にさせていた。

 浪恵のことはともかくとして、陽子自身も自分の事が知りたかった。蓮治に好意を抱いているのかどうか、さっき問われたとき「分らない」と答えたが、そこに偽りは無く、自分さえもが「分らない」のだから、答えを返すのに窮するのだ。

(私は、蓮治の事が好きなのかな・・・)

 何分、今までこんな苦悩をしたことがないため、陽子は困惑している。

小五の時に、俗にいう「両想い」という仲に、一瞬私となった子がいたが、無論初体験であり、何をどうすればいいのかに戸惑い、僅か一週間で破綻した記憶がある。それが苦い思い出となり、異性を好きになるなんて、それ以降皆無の事だった。その私に現在「疑惑」がある。正直言って、自分でも驚いてしまう。第一、その「苦い記憶」の相手の子の名も、竹田か河竹か竹村か、思い出せないのだから、よほどトラウマになっているらしい。

浪恵が帰って、陽子も店を出ようかと思ったが、その気になれず、少しの間黙考していた。途中、気分転換に紅茶を頼んだ。浪恵は千円置いていってくれたので、二人分のアイスコーヒー、そして今頼んだ紅茶を合計しても、お釣りが返ってくる。

店員が運んできてくれた紅茶に、ガムシロップとミルクを入れ終わったそのとき、自分の鞄から着信音が響いてきた。

誰からだろう、と取り出した画面には「公衆電話」の四文字が記されていた。

「はい、もしもし」

恐る恐る耳に当てると、相手も「もしもし」と訊ねてきた。

――あ、さっきはごめん。電池切れちゃったから。

蓮治だ。先ほど電話が蓮治の言うように、電池残量が限界に達し、通話を遮断されてしまった。充電ができないから、公衆電話からかけてきてくれた。そういうところの配慮は、さすが蓮治の優しさと言うべきである。

「ど、どうしたの?」

数分前の緊張感が蘇ってきた。

――それはこっちのセリフだろ。わざわざ公衆電話からかけてやっているんだからさ。

「どうして電話番号分るの?」

――陽子の番号くらいソラで言えるから。記憶力は昔からいいものでね。それより、早く教えろよ。さっきの話の続き。

「だから、その・・・」

陽子は息を飲んだ。

――何だよ。ためるなよ。

「あの・・・頑張ってね」

――は?何を?

「サッカーの試合。確か、大会、近かったでしょ」

――そんなこと?じゃあ、あの間は何だったんだよ。そんなこと、すぐ言えんだろ。

「ちょっと、いろいろあって」

――何訳わかんないこと言ってんの?

「いいから、いいから。頑張ってね。大会。じゃあ、また」

不自然な陽子の対応の末、電話を切ろうとしたとき、「ちょっと、待てよ」と蓮治が慌てるように止めにかかった。

――おまえさ、頑張ってねとか言うぐらいだから、大会来いよ。

「え!」

――観客席で見とけよ。俺が渾身のシュート決めてやるから。

「・・・分った」

――よし、決まりな。絶対だからな。じゃあね。

「絶対」を強調して蓮治は切った。陽子は安堵の息を思わず漏らし、そして自然と笑みが零れた。

「サッカーの大会」という逃げ口を思い出し、何の躊躇なく逃げていったのだが、蓮治が思いもよらぬ対応を、それも、陽子の胸をキュンとさせてくれるような対応をしてくれた。それが、陽子には嬉しかったのだ。

ふと横を見ると、窓の外は、まだ小雨が絶えず降り注いでいる。

今まで曇に覆われた胸の中に、急に光が差し込み、清々しい晴れが訪れた。私の記憶が正しければ、朝の気象予報では、これから順調に雨は止んで眩しい太陽が顔を出すはずだ。



    4 九月二十二日 土曜日



狭い電話ボックスを出て、蓮治は傘を差しながら、落ち着け、とゆっくりと息を吐いた。

(陽子に好かれているかもしれない)

人間、自分に都合のいいように思考回路を組む習性があるが、今回の場合は確実なものであると蓮治は思った。

人に愛されるというのは悪いことじゃない。人に好かれると、自分だけにしか伝わらない相手の仕草、言葉があるのだ。数学の問題のように証明なんてできるはずないが、確信へと変わる実感がどことなくできるのだ。

この際、少なからず陽子に気がある自分はどのような対処をすべきか。

一、相手に好意を抱かれていることが自分の思うに判明したから、自分から意を表明し、好い方向へと持っていく。

二、一度断り、それでも挫けない固い想いがあると確認してから、付き合う。

三、ここは相手の出方を窺い、自分からは特に行動に移さない。

 このように考え出すと、きりが無いような気がしたから、やめた。無論、こんな選択に迫られることも過去に無いことだし、納得できる正確な判断が利かないと思う。

再び、歩み始めた。

今日の土曜練習は教員の都合上、午前中で切り上げることになった。雨降る中、蓮治はこの大横川親水公園に訪れている。というのも、「あれから」の自分自身の異変、鬱憤とも呼べる原因を探るべく、もちろん警戒しつつもこの公園の地に立っているのである。この犯行現場の公園に、その答えがあるかもしれないと勝手に思い、足を運んだ次第である。


今日の午前中 体育館にて――。

朝からの雨で、特例だが体育館で活動している。運動部にとっては、こんな小雨なんて降っていないも同然だと、言い張りたい選手もいるはずである。おそらく、龍也もその一人であろう。

「集合!」

サッカー部の顧問の先生――岡江敬人先生が叫んだ。「鶴の一声」とはこういうことで、青いユニフォームを着用している部員は、岡江先生の周りを囲むように並んだ。全員が気をつけの姿勢で並び終えたことを認識すると、「今日はこれで終わり、着替えてこい」と命令した。計二十人程の選手たちが、ぞろぞろと更衣へと向かう。

「おい、蓮治」

龍也が歩きながらリフティングをして、こっちへ来た。

「おまえさ、最近、力入って無いんじゃないの?」

「別に、そんなことないだろ」

「だって、コントロールは安定しないし、一つ一つの動きが雑になってるよ」

「そうかなあ。気をつけるよ」

 まだ何か言いたそうだったが、「よろしく頼むぞ」とだけ残して、下駄箱へと去って行った。

龍也が心配するのは重々理解できる。来週の日曜日に大会が控えているからだ。前回も前々回の大会も予選で敗退というみっともない結果だったから、キャプテンの龍也をはじめ、サッカー部全員の士気が高まっている。何しろ初戦の相手は、前回大会準優勝の強豪チームだ。

 キャプテン龍也は、自分の分析の結果、こう話していた。

「巧みなパスを回し、最終的にエースの奴、十一番だったかな。そいつにボールが渡ると、絶妙なコースでシュートを決めてくる。大量得点が武器の強豪チームだ。だが、俺が思う限り、守備はあまり優れていない。ボールを奪ったらすぐに切り替え、サイドからの攻撃で抜けるはず」

 この熱気からも伝わるように、特に龍也は真剣だった。

 しかし、蓮治だけは違った。

「あれから」というものの、身体が不自然な気がしてならない。人を殺してから、時に身体のどこからか「ねじ」が三本くらい抜けたような感覚がするのだ。それ故に、朝はいつも以上に寝坊するし、先生の話は、自分と先生の間に数十メートルも距離があるような感覚に囚われて、ほとんど耳に入ってこない。さらには、幼稚園の頃からやってきたサッカ―まで身が入らない。さっき龍也に指摘され、蓮治ははぐらかしたが、実のところは全くその通りである。

(どうしてしまったのだろうか・・・)

今改めて不安になる。しかし、蓮治には「約束」があった。陽子との約束が。

――観客席で見てろよ。俺が渾身のシュートを決めてやるから。

バカみたいにカッコつけたことはともかく、今になって自信が失せてきた。

少しばかり意気消沈していたが、岡江先生に「早くしろ!」と叫ばれ、渋々龍也の後を追った。


今朝の練習で膝を怪我したのが、まだヒリヒリしている。今までは、かすり傷を試合中に少々つくるだけで、本日の練習の際に負傷したのは、やはり「異変」のせいなのかもしれない。もっとも、その「異変」の正体を求めに、この場所の地を踏んでいるのだ。

しかし、殺人犯がのこのこと現場に戻ってきては、あまりにもリスクが高すぎる。というより、そんな犯人なんているのだろうか。自分でも不思議に思えて仕方が無いが、蓮治の「正義」はこの動作を選んだ。

 犯行現場の周辺に近づいて怪しまれるとさすがに危険なので、ぎりぎり例の階段が見えるこの場所で留まった。

 じっと見つめていると、自然と「あの日」の出来事が脳裡によみがえる。

「遠野嘉政・・・」

 蓮治はそう呟いた。慌てて周りを気にしたが、どうやら大丈夫のようだ。大通りの割に人の往来がそんなに多くないし、車の騒音もあったので、微かな蓮治の声を聞いた者はいなかった。

――俺は人を殺した。

 大罪を犯した罪の意識はあるが、罪悪感は皆無といっていいほどだ。第一、あの男は、美味い酒を飲み、ごくありふれた平穏無事な生活を送ってきたことは、まず間違いなのだ。正義は誰でも信じることができ、自分を正当化することができる。今の蓮治も、自分の信じる正義によって自分を正当化している。

(正義の鉄槌を下した俺は、罰せられるべきか。俺が殺した遠野よりは、十分生きるにふさわしい)

 ふと、満面の笑みを浮かべた陽子の顔が、脳をかすめた。陽子は人を殺した、つまり殺人鬼に恋心を注いでいるかもしれないのか。そう思うと、蓮治は心が痛む。その痛みは、胸の中だけでは抑えきれず、左手で髪を掻きあげた。自分でも息が荒くなっているのに気付いた。静かに目をつぶって、気持ちが高揚するのを必死で抑えた。

 しかし、こんなところで心が折れては元も子もない。蓮治にはまだ、自らの手によって罰せねばいけない愚かな人間がいるのだ。

 「愚か」という言葉の範囲は一見広く思えるが、蓮治が思うに、本音とも言うべき自分の正義に大きく逸れている人間こそ、「愚か」である。その一人として、既にこの世の者ではないが、遠野嘉政が挙げられる。殺人という自分の罪を認めずに、自分に非なんて一切ないと言わんばかりの大胆な男だ。国会議員だからといって調子に乗りすぎたのだ。

「ん?」

 蓮治の視線の先に、どうやら刑事らしい人物が二、三人現れた。再び現場を調査するためだろうか。黒や灰色と言った地味な服装と、警察官特有の動きや姿勢が目に残る。雰囲気や直感という、いかにも非論理的な理由を理由として採用するのは、どこか人間的な要素が伝わってくる。

 気付かれる前に、蓮治はその場から立ち去った。現場の位置と数十メートル距離はあったが、「念には念を」とよく言う。蓮治の立場を踏まえたら、なおさらのことだ。

「あの日もこうやって彷徨っていたんだよな」

 あてもなくぶらぶらと歩き続けていると、たまらず蓮治は口にした。強いて違いがあるとすれば、昼夜の差だろう。あの日は星がちらほら望める夜空だった。でも今は、さっきまでの雨はすっかりやんで、遠くの空は爽やかな青色をしていた。

 

翌日の日曜日、蓮治は六時半に目を覚ましてから、なかなか身体が起きる気がせず九時頃まで布団の上でゴロゴロしていた。

父親も母親もいない孤独な人生。大きく分けて、二つの大きな力によって蓮治は生きていられるのだ。一つは青春という名の学校生活である。その過程で交差する多種多様な人情が蓮治の孤独を消してくれているのかもしれない。もう一つは、蓮治の生活のほぼすべてをこなしてくれている國又豪のおかげである。

「おい、蓮治。そろそろ起きろ」

國又が寝室の扉を少しばかり開けて言った。

國又豪は、蓮治の父母が他界した時から、ずっとこのアパートの片隅で共生してきた。詳細は未明だが、蓮治の父親と親しい仲だったそうだ。それ故に、蓮治が孤立して困っている時に、快く手を差し伸べてくれたのだろう。彼の職業は普通の営業マンである。決して高くはない収入で、蓮治の事も面倒見てくれるんだから、感謝以外の何物でもない。よく相談に乗ってくれて、その度に親身になって対応してくれる。同じ男同士、気が通じ合うものがある。だから、今まで特に目立つような躓きもなくやってこられたのである。

(それにしても、豪兄――昔からこの呼び方のため、その名残は消えずに今も「ゴーニー」と呼んでいる――はすごい)

料理は並み以上にできるし、家事もちゃんとこなしてくれる。家庭的な國又を蓮治は心から尊重している。「豪兄」という愛称は、昔からのもので、今まで、「豪兄」以外の呼び方で呼んだことは一度もない。

國又の助言もあって、蓮治は身体を起こした。洗面台で顔を洗い、歯を磨き、ブランチを済ませた。

「どうしたんだ?顔が蓮治らしくないな。何かあったか」

國又はいつもこうやって心配してくれる。「そうかなあ」とはぐらかしたが、國又には蓮治のちょっとした「異変」も見破っているような気がする。國又には敵わないなあと内心思ったが、もちろん口にするわけにはいかず黙っていた。

「蓮治はどんな秘密も、自分の胸の内だけに閉じ込めておく奴だからな。他人には決して見せない一面が、蓮治にはある。それは俗言う『正義』と言うものかな。それは美点でもあり、欠点でもある。つまりは表裏一体ってことだ。コインを投げて、フィフティフィフティの確率で表になり、裏になる。出方次第で美しくも、醜くもなる。それが『正義』ってものだよ。まあ、蓮治自身が一番分っているだろうけどな」

「・・・うん。分ってる」

 昨日、自分で作った問題の解答を探しに、大横川親水公園まで出向いていたが、その解答というのは、今國又が説いてくれたことそのものだったのかもしれない。なぜなら、蓮治自信が大いに納得したからだ。

(出方次第で美しくも、醜くもなる、か。)

 この言葉は蓮治の心臓にプスリと刺さった。豪兄の言うとおり、美と醜は背中合わせ、「表裏一体」なのだ。

 別にやるべきこともないので、蓮治はコンピューターを起動させた。「ようこそ」という文字と共に、始まりの音楽が流れる。幼いころ、この音に何度驚かされたことか。今でも突然流れると、仰天するときがある。

「ちょっと買い物に出掛けてくる」

 そう言って、豪兄は靴を履き終えた。

「はーい」

 生半可な返事をすると、玄関の扉が開いた音がこっちにも聞こえた。

 とりあえず、「事件」のことについて調べてみるか。ウェブページを開くと、キーを叩いて「大横川親水公園」と打った。既に候補の中に「・・・事件」と繋がるものがあったので、それをクリックした。まだ日が経っていないから、社会のみんなも注目しているのだろう。

 トップにあった項目を見てみると、次のような表記がされていた。


 大横川親水公園の元国会議員殺人事件

  九月十六日(日)、台東区の大横川親水公園で一人の男の死体が発見された。殺害されたのは元国会議員の遠野嘉政氏(六十六)。階段の一段目の角に後頭部をぶつけ、死に至った。被害者の遠野氏は、過去に殺人の容疑で裁判にかけられた男である。警察は過去の事件も視野に入れながら、捜査に力を入れている。


 特に有力な情報は掴めていない。いや、正確には公開されていないといった方が正しい。          

まあ、警察だって遠野と特に繋がりもない中学三年生が殺めたとは、夢にも思っていない。例え過去の事件まで遡っても、この美吉蓮治に辿りつくことは、ゼロに近いといっても過言ではないだろう。

他にもいくつか記事を「探しては、見て」を繰り返したが、どれもこれも似たり寄ったりだった。ひとまず安心、という意味でのため息を一度ついた。

その日の夕食は豪兄特製のハンバーグを召しあがった。やっぱり美味い。豪兄の作るハンバーグは天下一品だ。未だに豪兄のハンバーグに勝る品に出くわしたことは無い。

「豪兄、今日も美味かった」

「そうか。サンキュー。ところで、学校の方は上手くいっているんだよな」

「え?急にどうしたの」

「いや、最近どうなのかなと思ってさ」

「別に、順風満帆だけど」

豪兄はそう聞くと、「そうか」とだけ言って、食器を片づけようと、台所へと向かった。蓮治も後に続き、流しに食器をカチャンと置いた。

「自分の食器くらい、洗っとけよ」

「分ってるよ」

言われた通り、というより、いつもやっているように自分の食器を洗い終え、蓮治はふと疑念が生じた。

(何故、豪兄は『学校の方は上手くいってるんだよな』なんて質問をしたのだろうか)

豪兄の部屋の方に視線を送りながら、しばらく佇んでいた。

蓮治の「異変」に勘付いて、学校で何かあったのではないか――と推測したのか。もしかしたら、これといった意図はなく、ただただ質問したかっただけなのかもしれない。このケースだって十分説明がつく。でも、普段訊かないようなことを、今更になって言うべきだろうか。

まさか・・・。

蓮治は一瞬不穏な想像が脳裡をよぎった。いくら豪兄でも気付いていることはないだろう。蓮治は拳を自分の胸にそっと叩きつけた。

(俺は、遠野嘉政という男を殺した。これは紛れもない事実であり、何ら否定もしない。当時の世論に代わって犯行に及んだつもりだ。後悔などはまんざらない。そして、まだ俺の『正義』は終わらない。でも・・・犯行後から『異変』が自分の身に起きている。その『異変』の正体のだいたいのことは理解している。だが、核に触れたような感覚は今までない。ぼんやりと全体を掴めてはいるが、最も重要な核の部分を握りしめることができていなかった)

 その核とは何なのだろうか。試しに目をつぶってみたが、これが頭のど真ん中に重く残っており、すやすやと眠れる気配がない。

 次に思わず瞳を開いてしまったのは、一人の人物の存在が脳内に蘇ってきたときだった。

(陽子・・・)

 一般的に愚行とされている行動後、辿りついたその先にいたのは同級生の石井陽子だった。何故なのだ。何故、あのとき陽子にあったのだろうか。無論、神によって仕組まれた偶然として片付けるべきだが、この出会いが何かを意味しているようで恐ろしくなってくる。

――しかし・・・。

 まだ罰さなければならない人間がいる。蓮治の正義が決して許さない人間が、この世にまだ生きている。そういう人間は排除すべきだ。何事にも恐れずに、自分の正義を貫かなければならない。

 蓮治は玄関で靴を履く。靴入れの上の時計の針は午後八時を示している。壁に飾られたカレンダーを見て、今日が九月二十三日であることを改めて知る。

眼に力が入っていることを、今になって気付く。それこそいつの日か言われた、獲物に喰らいつく血に飢えたハイエナのような眼をしているのかもしれない。

 路を行く黒い影は、夜風に揺られて恐怖の色を帯びていた。



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