野生の姫様 20
遅筆ですみません。
GWの箸休めにでもご覧いただけると幸いです。
ジャンルをローファンタジーからハイファンタジーへ変更しました。
感触は岩そのものだった。
「いっちゃん!いっちゃん!!いっちゃんっ!!!」
半ば悲鳴のように引き攣った声でアルティナはイールギルを叩く。
イールギルは黙して答えない。血が滲んだ痛みでアルティナは気を落とし、力なく腕を下ろした。足元に不安気にシロが寄り添う。
アルティナ達は何度も何度も呼びかけた。
しかし、イールギルは目覚めなかった。
無力感に苛まれ、されどどうする事も出来ず。涙が枯れ果てるのと同じく気力も果てた。
それでも側を離れ難く、イールギルを背にただただぼんやりと虚空を眺めて幾日かの夜、アルティナは不思議な夢を見た。
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アルティナは周りを湖で囲まれた、花咲く小島に立っていた。大きさはアルティナがいた森の窪地くらい。その島には色とりどりの花が隙間無く咲いていて、時折風に花びらを遊ばせていた。
島の中央には大きな石の座が6つ置かれていた。巨人でも座るのかと思う程に大きな石の座は、2つ程ヒビが入って少し崩れているがどれも磨かれたように美しかった。その中の1つは特に美しく、淡く光っているようにさえ見える。
空は吸い込まれそうに澄んだ水色。上空は風が強いのか雲がちぎれながら流れて行く。太陽は見えないが、どこからか春のような日差しと温かさが辺りを包む。
その空を写す筈の湖は何故か暗い。覗き込んで見ると、青空ではなく夜空が写っていた。湖面の夜空には数え切れないくらいの星々が瞬いている。その輝きにアルティナは思わず見惚れ、胸が詰まった。その夜空の湖は光の加減で所々空を映しながら、どこまでもどこまでも続いていた。
こんな美しく幻想的な風景は見たことがない。
アルティナが我を忘れて見とれていると、頭の中で声が響いた。
《此処へは資格のない者は立ち入れぬ筈。汝は何者だ?》
「えっ?!」
アルティナが慌てて辺りを見回すと、先程まで誰も居なかった白く美しい石の座に、真っ白な少年が座っていた。真っ白といったのは比喩ではない。年の頃はアルティナと同じかもう少し下に見える。髪も服も真っ白で肌でさえも心配になるほど青白い。
《アクセスコードを解析・・・。該当なし?イールギルグラズスの権限が使用されている、だと?》
能面のように全ての感情が削げ落ちた顔の上で、眼だけが金色に輝いていた。異様な姿に思わず腰が引けるが、呼ばれた名前に顔を上げれば、既視感のある金の瞳の輝きと目が合った。
「あなた、いっちゃんのおともだち?」
《うん?》
少年がこてんと首を傾げる。
「ちがうの?さっき名前をよんでたわ。」
《・・・あぁ、イールギルグラズスのことか。随分と可愛らしい呼び方を受け入れたものだ。なるほど、イールギルグラズスの加護でもあるのか?いやそれだけではこの庭には入れぬ筈。》
「???」
声は頭に直接響いてくる。体を動かさなければ精巧な人形だと思っただろう。
少年が言っている事はアルティナには良く分からなかったが、イールギルのことは知っているようだった。敵意もなさそうなので、ひとまず知り合いではあると判断した。
「あの、いっちゃんが石になっちゃって、たいへんなの!!なおしかた、知らない?!!」
《石に?・・・レコード”大樹の枝”より個体名”イールギルグラズス”。時間軸より最短で検索。・・・これは自分で封を施したのか?いや、結界か。なるほど隔絶させて循環させているわけだな。しかしこれでは・・・》
少年は空を見上げてブツブツと呟き始めた。正確には口は動いていないので空を見上げているだけなのだが、見ようによっては正気に見えない。
(ど、どうしよう。へんな子に声をかけちゃった・・・。)
異様な雰囲気にアルティナは及び腰になるが、イールギルを救う手がかりを知っているかもしれない。アルティナは黙って少年を待つ事にした。と、少年はアルティナに向き直った。
《・・・気が触れた訳ではない。》
失礼な事を考えていたのがバレた。心なしか無表情の少年の声音が揺らいでいる気がする。
少年は苦笑いをするアルティナをじっと見つめていたが、やがてため息を吐いた。
《イールギルグラズスの事だが。端的に言えば、彼を目覚めさせる事は出来る。今はまだ駄目だ。》
「どうして?」
《イールギルグラズスの身体にある癒えぬ傷を知っているか?》
「あったけど・・・むりしなければすぐにキズはふさがってたよ。おとなしくしてれば治るんじゃないの?」
《本当に治っていたか?あれは呪いだ。簡単には癒えぬ。》
言われて思い起こしてみれば、確かにすぐに肌が裂けて血が流れていた。その度にアルティナが薬草をすり潰して塗っていたからよく覚えている。
「で、でも治ってたもん・・・ほんとだもん。」
アルティナの言葉に少年は何故か酷く驚いたようだった。少しだけ目が見開かれる。そして少年はアルティナを見つめたまま、何処か遠くを見て再びブツブツと呟き出した。
《レコード”大樹の枝”より”人族”、現在値より検索。該当無し?・・・検索値を変更。”庭園”へのアクセス履歴より最短値。・・・アルティナ=エル=アルバディア。そうか、君はイールギルグラズスの上位存在だな。》
「ぅえ、え?は、はい!?」
なんだか長くなりそうだと景色を眺めていたアルティナは、いきなり名を呼ばれるとは思っておらず上ずった声を上げた。
「じょうい・・・?」
《上位存在。この世界の理においてより強い権限を持つ者の事だ。例えば主とその眷属だな。龍種とその守り人や夜の者達とその僕がこれに当たる。・・・分かったかね?》
「え、えっと・・・えへへ。」
アルティナを見据えたまま、少年は淡々と話してくれた。どこかで聞いたような気もするがショートしたアルティナは笑顔で誤魔化すことにした。表情は変わっていないが、少年から困惑したような空気が流れた。先に音を上げたのは少年だった。
《まあ良い。・・・本来私は干渉してはいけないのだがな。このままイールギルグラズスが消滅する事は、本当の私も望む事ではなかろう。今回だけは私が手を貸そう。》
「え?ほ、ホント?!」
《ただし。》
なんと、少年は治す術を知っているだけでなく、治す事が出来るらしい。驚き喜ぶアルティナ。しかし、それを制したのは、少年だった。
《すぐに、という訳にはいかない。暫く時間をくれないか。》
「わかったわ・・・わたしにも何か――っ?!」
治ると分かっただけでも僥倖だった。アルティナが「何か出来る事はないか」と問いかけようとした時、唐突に日が陰った。空は夜のように暗くなり、嵐の前のような冷たい風が通り抜ける。アルティナは不安に駆られて少年に目をやると、少年は心なしか険しい顔で周囲を睨んでいた。
《時間がないので手短に伝える。アルティナ=エル=アルバディア。イールギルグラズスと君には回廊が出来ている。それを通じて魔素を送る事が出来れば回復が早まる筈だ。できうる限りで構わないので魔素を摂取してくれ。良いな?では、ここにいるのは推奨しない。早く行きたまえ。》
少年の言葉が終わらない内にアルティナの体が何処かへと引っ張られる。
急な浮遊感と共に少年の姿が揺らいでいく。
「・・・?」
消える視界の端に燃える炎のような赤髪を持つ人影が見えた気がしたが、アルティナの意識はすぐに闇に閉ざされた。
きれいな情景の描写は難しいですね。もっと色んな表現を使えるようになりたいものです。
プロローグ的な森編も漸く佳境。あと数話で今度こそ出戻りなく森を抜ける、筈・・・。