恐怖のラブラブ親子
僕が生まれた時、家族の中で一番大喜びしていたのが、ママだった。
パパの親族は代々男の子しか生まれてこなくて、今度こそは女の子を、と皆願っていたらしい。ところが生まれたのは、僕だった。
パパやママは僕の誕生を喜んでくれたが、親戚の反応といえば「なんだ、また男の子か」と、ガッカリモードだった。それが両親にとっては悲しくてならなかったらしい。
周囲の反応とは裏腹に両親は、特にママは僕に注げるだけの愛情をくれた。
「子どもは絶対母乳で育てた方がいい」ということを聞き、僕は母乳で育てられた。出ない時でも、出る時に冷凍保存しておいた母乳を与えられるなど、徹底していた。
それにオムツかぶれを気にして、布オムツを使っていた。ママは友人に「紙オムツの方が楽でいいわよ」と言われても、手が荒れても、布オムツを手洗いし続けていたらしい。
服も靴下もよだれかけも全てママの手製。買ってもブランドものの高品質ベビー服以外、一切受けつけなかった。
離乳食が食べられるような年になれば、料理本と格闘し、全て自ら吟味したオーガニック食材を使用して手作りした。
公園デビューの時は、徹底的に「乱暴な子がいない」公園を調べ上げ、僕を限りなく安全で有名な公園で遊ばせた。
おもちゃは戦隊ヒーローもののプラスチック製品は避け、北欧風の木でできたおもちゃや、美しい絵本、ぬいぐるみを買い与えていた。
どんなに疲れていても、食事はファミレスで済ませず、全て手料理。デザートも甘さ控えめにしたママの手作りだった。
何故こんなに僕がママの子育てについて詳しいかって? 昔からもう200回以上は聞かされているからさ。
「ママぁ……ビールじゃなくて、日本酒がいいな」
僕がねだれば、ママはいそいそと台所から日本酒と、手作りのおつまみ2,3品を持って現れる。
「はいはい、リュウちゃん。 今日はおつまみにね、から揚げとアボガドサラダと揚げ春巻き作ったのよ」
リュウちゃん、好きでしょ?と、ニコニコしながらママは日本酒とつまみを僕の前のテーブルに置く。
「好きだけどさぁ、ビールのつまみじゃないんだから……日本酒なら、刺身がよかったな」
するとママは顔を真っ青にし、
「ご、ごめんねリュウちゃん。 そういえば冷凍庫にマグロの刺身があったわ。 明日はそれを切るわね」と言った。
僕はブチ切れ、
「明日じゃ遅いよ! 今食べたいんだ! だいたい僕に冷凍マグロなんて食べさせる気? なんとかしてよ」と怒鳴る。
そう言うと、ママは困惑したように言う。
「で、でもマグロは今すぐ解凍できないし……もうこの時間じゃスーパーは開いてないわ」
オドオドした態度が、余計癇に障る。
「もういいよ、使えないなッ!」
僕が諦めてママの作った唐揚げに手を伸ばせば、ママは「ごめんねごめんね」と何度も謝った。僕はママに構わず、無視してテレビを見続けた。
その一部始終を黙って眺めていたパパは、何故か溜息をつきつつ、口を挿んできた。
「おい隆一。 お前、こないだパパが見つけてきたバイトの面接、行ってきたのか?」
「ああ、事務のバイトね……行ってないけど?」
「行ってないってお前、なんでだよ」
「だーって事務ってなんか地味じゃない? 僕、営業の方が向いてると思うんだ。会社の花形だしさ」
事務なんて、普通の人っぽすぎてつまらない。そうパパに抗議した。
「気持ちはわかるけどな、お前は就職経験がないだろう? まず事務のバイトに就いて、経験をつけてから転職するようにしないと、就活も難しいんじゃないのか」
「そんなまどろっこしいことしてられないよ」
「でもなぁ……あ、じゃあ公務員試験を受けてみるのはどうだ? 今から勉強しても遅くはないし」
「公務員? そんなのコネでしょ。 パパ、公務員のコネ持ってないしさぁ。 それになんか一般企業に入れなくて公務員になるって、一番かっこ悪いパターンだよね」
というか、そもそも就職する気がない。それなのに、ママと違ってこうした進路関係についてはパパがうるさくて仕方がない。
「じゃあ、これからどうしたいんだ」
それでもめげずにパパが聞いてくる。
「うーん、起業でもしようかなって思ってる」
「起業ってなぁ……そんな簡単なモンじゃないんだぞ? 自分が社長で経営者な以上、社員に対して責任もあるし、起業で失敗している人だって大勢いる」
「うるさいなぁ! 僕社長さんになるのが夢でもあるし、失敗した人は見通しが甘かっただけだと思うよ。 僕は大丈夫」
そう言うと、パパはまだ何か言いたげだったが、ママが
「そうよ、リュウちゃんにはリュウちゃんのペースがあるの。 パパは急かしすぎよ!」と、援護射撃した。
「…………」
そしてパパは、それ以上何も言わなかった。
僕は今年で30歳。まだまだ若いし、いけると思うんだ。
僕はいつか社長になって、パパやママに大きな家を建てて、あっと言わせてやるんだ。まさに人生逆転ってやつ?
僕は今、波瀾万丈でいうところの波瀾の時期を生きているんだ。今のところは無職でも、本当は人にはわからない才能があって、その内開花するのだと思う。
だってママがよく言ってたもん。「この子は将来、大物になるわよ」って。
子どもの頃、学校で作った絵や作文を見ては、「才能があるわ」と褒めてくれた。多少勉強の成績が悪くても、「これから頑張ればいいのよ」と励ましてくれた。就職活動に失敗しても、「リュウちゃんの良さがわからない会社が悪いのよ!」と怒ってくれた。
ママが言うなら、そうなのだ。間違いない。僕は絶対大物になる運命を背負っている。少年漫画の主人公は、みんなドジで欠点だらけのヒーローでも、何か特別な能力が覚醒して、みんな幸せになっていく。
僕だけがニートのまま終わるはずがないよ。
ある日僕は僕とママの洋服を買いに、二人で大きなショッピングモールに来ていた。僕の住んでいる町は田舎というほどではないが、過疎化が進んでおり、この大きなショッピングモールこそが唯一の若者の遊び場でもある。
ママと二人で中を巡回していると、僕と同じ年ぐらいの男達が奥さんや、ベビーカーに乗せた赤ん坊と一緒に楽しげに買い物をしている。
そして僕より明らかに若いカップルが、あちこちイチャつきながら歩いている。
「まったく、他に行くところがないからって……うざったいなぁ」
僕は呆れながらソイツらを見ていた。
「はいはい、いいからリュウちゃんはこっちのシャツとこっちのカットソー、どっちが似合うかしら?」
ママは僕に服を当てながら、どちらが似合うか真剣に悩んでいた。はっきり言って服なんてどうでもいいけどね。ああ、早くゲーセンに行きたい。
ママがあんまりしつこく僕を連れまわすから、いい加減キレようと思っていたところに、後ろから声をかけられた。
「あらぁ、山下さんじゃない?」
振り向くと、そこには知らないオバさんがいた。
「あら! 川島さん! 久しぶりじゃない、元気にしてた?」
どうやらママの知り合いらしく、きゃあきゃあと二人で盛り上がっていた。
「リュウちゃん、私の短大時代の友達、川島さんよ」
心底どうでもよかったが、紹介されては無視するわけにもいかない。一応「どーも」と頭を下げる。
「へぇ、……お婿さん? 山下さんとこ、娘さんいたの?」
と、川島さんが聞いてきた。ママは少しムッとしながら
「うちの息子よ」と言った。
すると、一瞬だけ驚いた顔をした川島さんは、「あらごめんなさい」と言って、手に口を当てた。べつに謝るほどのことじゃないと思うけど。
「今日はね、息子とショッピングなの。川島さんは?」と、ママが気を取り直して川島さんに話しかけた。
「私は一人よ。 実はね、今年孫が生まれて。 それが女の子なのよ! だからかわいい服やおもちゃを買ってあげようと思って、ベビー用品のショップを見に来たってわけ」
川島さんは、こちらが聞いてもいないことをベラベラ話し出した。
「あらぁ、お孫ちゃんが? いいわねぇ」
ママが褒めると、川島さんは
「もうかわいくて仕方がないの」と、微笑む。どうでもいいけど、早くゲーセンに行きたいからどっか行ってほしい。そう思っていると、向こうにボクの思いが伝わったのか、川島さんは
「そろそろ息子夫婦が帰ってくる時間だから、帰るわね。山下さん、今度一緒にゆっくりお茶しましょうね」
と言って去って行った。
やれやれ、嵐が去ったと安堵していると、ママは急に押し黙って僕の腕をギュッと絡めてきた。
「どうしたの、ママ」
一応何事かと聞いてみる。するとママが静かな声でこう言った。
「ママにはね、リュウちゃんがいればいいの。 リュウちゃん、ずっとそばにいてね。 他にお婿さんに行っちゃダメよ」
僕の腕にママの力が強くなる。
「べつに、どこにも行かないけど?」
というか、嫁をもらって家族を養うのがめんどいし。でも、そう言うとママはすごく嬉しそうに頭を僕の肩に寄せてきた。
そうして二人で恋人のようにくっついて歩くと、周りの家族連れやカップル達がこちらを見てくる。
でも、どうでもいい。なんだかんだ言ってもママと二人で過ごす、このひと時が楽しいと感じているから。
中学生の時、バレンタインデーに女の子からチョコレートをもらったことがある。
正直、嬉しかったんだけど、他にも同じチョコレートをもらっている男子が大勢いて、なんだ義理かとガッカリした。
考えてみれば、クラスのイケメンが手に持っていたのは、ブランドもののチョコレート。それに比べて僕のは、駄菓子レベルの小さなチョコレートが3つばかり小袋に入っているだけ。この時ばかりは、「ああ僕ってモテないんだろうな」と気がついた。
ところがだ。学校に帰って、ママにチョコレートを見せると、顔をカーッと赤くして、
「誰よ! どんな子にもらったの!?」
と大声で問い詰めてきた。あまりの大迫力に、僕もさすがに動揺し、
「いや、その、義理だよ、義理!」
と慌てて言った。
「義理とは限らないじゃないッ! その女、どんな邪な気持ちでリュウちゃんにチョコレートを……キーッ! 今度の参観日で確かめますからね!」
この時ばかりはママも僕の話を聞いてくれなかった。仕舞いには、
「アンタ……まさかもうこの子とつきあっていて、それでかばっているんじゃないでしょうね?」
と、恐ろしい形相で言い出す始末。まさか、駄菓子の小さなチョコレート程度でこんなにもママが豹変するとは思わなかった。だいたい仮にも自分だって女なんだから、チョコレートを見れば本命か義理かぐらいわかるだろうに。
結局、僕が止める間もなく、参観日に訪れたママは、僕にチョコレートを渡した女の子のところにツカツカとやってきて、
「うちのリュウちゃんにちょっかい出さないでくれるッ!?」
と、言ってしまった。
相手の女の子は小さく震えながら、「はい」と言って、それ以来僕に二度と話しかけなくなった。
その後、ママはたびたび
「どう? あの女はまだリュウちゃんに絡んでくるの、どうなの!?」
と聞いてきて、そのたびに僕は
「べつに話しかけてこないけど」
と、言った。このやり取りを繰り返す内に、やっとママは安心してバレンタインの話題を出さなくなった。
僕はというと、バレンタインが来ても義理すらもらうことがなくなり、毎年ママの手作りチョコレートに、僕の好物が並ぶバレンタインパーティーが主流になっていった。そしてママはバレンタインのたびに、 他の子からもらっていないことを確認すると、
「リュウちゃんはママに似てイケメンなんだから、女の子が寄りつかないわけないのよね。 他の女の子達、リュウちゃんが高嶺の花すぎて、チョコレートを渡せないでいるのよ」
と、ほくそ笑んだ。
なんとなく、なんとなくだがこの時僕の中で、「ん?」という感情が芽生えた。その、「ん?」が何なのか、未だにわからないでいるのだが、あまり深く考えたことはない。
まぁ、正直ママの作ったチョコレートの方がおいしいし、いいんだけどね。
あらかた買い物が済んで、ママと二人で車に乗り込もうとした時だった。
「あれ? もしかして、山下?」
と、また誰かが声をかけてきた。振り向くと、そこには僕と同じ小学校の南がいた。
「あ、南!」
「久しぶり! こんなところで何してんの?」
笑顔で聞いてきた南の隣には、キレイな女性が立っていた。
「ちょっと買い物。 久しぶりだなぁ、南!」
僕の小学校時代の友人、南。もともと大人しくて友達のいなかった僕に話しかけてくれて、グループに入れてくれた活発な南。でも「乱暴だから」という理由で、途中からママが遊ばせてくれなかった。
「よくボ……オレだって、わかったなぁ」
「わかるよ。 よく遊んだし、お前変わってないもん。 あ、これうちの嫁さん」
南は横にいた美人を紹介した。美人の嫁さんはペコリと頭を下げた。
顔を上げると、どこかで見覚えのある女性だった。
「あッ もしかして……横山さん?」
つい、口ベタな僕がその嫁さんに声をかけてしまった。
「やま……した君……?」
南の嫁さんは、僕の中学の時同じクラスで、僕に義理チョコレートを渡した横山さんだった。
まさか南と結婚していたなんて、さすが田舎は世界が狭い。
ふーん、男子なら誰でも愛想良くする派手めの女の子だったのに、すっかり清純派に収まったんだな。
「誰、その人?」
ママは横から無愛想に口を出してきた。
「ああ、中学の時の同級生の横山さんと、その旦那さんで小学校の時の友達、南……」
横山さんは、「あっ」という顔をし、ママはギロリと横山さんを睨んだ。
「この子、リュウちゃんにバレンタインチョコあげた子じゃないの?」
と、昔の話をほっくり返してきた。
南は「えっ」という顔で横山さんを見た。横山さんは慌てて、
「あのっ、行こうジュン君!」
と言って、南をぐいぐい引っ張って行った。
「え? なんだよ急に……あっ、山下今度一緒に飲もうな!」
ヘラヘラと南は横山さんに引っ張られながら、僕に手を振ってくれた。
ママに怒られて、途中で遊ばなくなってしまったのに……僕のこと、覚えていてくれたんだな……。
「なあに、ヘラヘラチャラチャラした男ねぇ。 リュウちゃん、あんな人と友達だったの?」
ママは横山さんのことは覚えていても、さすがに小学校時代の友人、南を覚えてはいなかった。
「うん、そうだけど」
「リュウちゃん、リュウちゃんはもっと上等な人達と付き合うべきよ。 つきあう人を選ばないと、その人に感化されて自分も似たような感性の人間になってしまうわ」
一瞬、「上等な人って誰のことだろうか?」と考えてしまった。でも考えるのは面倒くさいし、ママが言うならきっとそうなんだろう。
ママが選んだ友人、ママが選んだ学校、ママが選んだ人生。
歩んできて損はなかったはず。今だってそれなりに楽させてもらっているし。たまにパパの小言がうるさくなってきたけれど、ママだけは僕の味方でいてくれる。
ママが選んだものを進んでいけば、間違いはない。だってママはいつだって僕のことを考えてくれているから。そんなママが僕にとって不幸な道を選択するはずがないよ。
ああ、自分で選ばなくていいって、なんと楽で幸せなことだろう。
なんだか、ママに「それはダメだ」と言われれば、本当にそんな気がしてくる。南だって、横山さんだって、つきあわなくてよかったんだ。うん、きっとそうだ……。
僕は、あまりファミレスや安いチェーン店でデザートを食べたことがない。
ママによると、「体に悪いから」連れて行かなかったそうだ。だからほとんど、ママが作る甘さ控えめのお菓子しか、口にしたことがない。
初めてクラスの文化祭の打ち上げでファミレスに行き、パフェを食べた時は、「パフェって本当はこんなに甘いんだ」と知った。
子どもの頃本当に欲しかった戦隊ヒーローの変身ベルト、ママに「乱暴だから」といって、買ってもらえなかった。体に優しいという理由で買い与えられた木のおもちゃは、あまり遊んだ記憶がないのだが、ママの思い出話にのみ登場してくる。
ママの手作りデザートも、木のおもちゃも、みんなみんなママが僕を大切に育てるために、必要なものだったのだ。だから僕は多少不満な思い出があっても、ママの愛情で上書きされつつある。
車を運転している途中、赤信号で止まった。ママはまた僕に話しかけてきた。
「さっきのチャラチャラした男、リュウちゃんを飲みに連れていくだのなんだのって言ってたけど、ダメよそんなの。 お酒はお家で十分。 飲み屋を渡る男なんて、最低なのよ。 リュウちゃんはそんなみっともない男になっちゃダメ」
ママは僕の顔を見ている。
「うん、そうだね」
僕は買い物で疲れ、眠たくて仕方がなかった。
うとうとしていると、ママは微笑みながら僕の肩にまた頭を乗せてきた。
「リュウちゃんはね、ずーっとママのそばにいればいいのよ……一生ママの大事な息子でいてね」
僕はもう、半分眠っていて、ママの話は全然耳に入らなかった。
「ずっと私だけのリュウちゃん……」
そうこうしていると、後ろの車からクラクションを鳴らされた。
「あらいけない、青信号だったわ」
ママは慌てて車を動かし始めた。
僕は完全に眠ってしまっていた。きっと家に着いたらママが起こしてくれるだろう。
僕は、ママがいれば人生無敵なのだから。