哀情
それの側には大量の本が並べてある本棚があった。
漫画、絵本、小説。様々な本が並べてあった。
それは長い時間をかけてそれらの本で字を学び、社会を学び、人を学んだ。
そしてそれは自分が女であることを知った。
そして現状の異常さと孤独を知った。
何故、自分は1人なのか。何故ここには自分しかいないのか。
何故自分は産まれてきたのか。
ある本の中に乗っていた男性の横に書いてあった言葉が印象に残った。
はじまりと思うのも自分。
もう終わりと思うのも自分。
女はこの薄暗くただただ広いだけのこの部屋を出る決意をした。
なるこのいない暗い部屋をパソコンのスクリーンが照らす。
なるこが俺の部屋を出て1ヶ月がたった。
あの日、家に帰るとなるこの姿は無く、ただ別れの言葉がひと言書かれたメモが机の上にあった。
『さよなら、なゆちゃん』
それは間違いなくなるこの字だった。
何故なるこが出て行ってしまったのかなんとなく検討はついた。
家に帰ったとき覚えのある匂いがした。
あかりさんの香水の匂いだ。
何故今になってなるこの前に現れたのか。
何故俺の家を知っているのか。
なるこは何故ー
様々な疑問が頭の中で溢れそうになったがすぐさま部屋を飛び出して以前働いていたファミレスに向かった。
この時間ならまだいるはずだ。
「あきらさん!」
「うぉい、なんだよ。なゆたじゃん。久しぶりだな。なんか用か?」
あきらさんは仕事をあがり以前のように休憩室でタバコを吸っていた。
どうやらあきらさんは何も知らないようだ。
「あかりさんは!?」
「あー、そういえば今日はまだ来てねぇなぁ。
またあいつが迷惑かけたか?」
「なるこが!なるこがいなくなったんです!!
あきらさん!あかりさんに連絡とってくれませんか!?」
「ちょ…まてまて、全然わかんねぇから。
なにが起きたか説明してくれ。」
部屋に戻るとなるこがいなかったこと。
メモがあったこと。
あかりさんの香水の匂いがしたこと。
俺はあきらさんに俺の知る限りのことを話した。今の俺に上手く説明できたかは自信はないが。
「そうか。あかりが連れ出したかはわかんねぇけどとりあえず連絡してみる。警察には?」
「…まだ言ってません。」
「最悪の場合まで言わないほうがいいよ。」
「……え?」
「お前、親の許可なくなるこさんと同棲してんだろ?親に警察が行って下手したらお前なるこさんと一緒に住めなくなるかもしれないぜ?」
考えたこともなかった。
今の状態を罪に問われるなんて。
もしなるこの父親が警察に被害届をだしたら一緒に住めなくにるらしい。
「……かまいません。なるこさえ無事なら。」
「まぁ、待てって。あかりに連絡してみるから。」
あきらさんが電話をかけると数秒もしないうちに相手がでたらしい。
「もしもし、ああ、俺だ。
今なるこさんといるのか?………そうか、今どこにいる?……いいから教えろよ。今なゆたが俺んとこきてるんだ。…………わかった。」
そう言って電話を俺の方に差し出す。
「お前と直接話したいんだとさ。」
それを受け取り耳にあてる。
「………もしもし。」
『もしもーし!なゆたくん?おひさー!!
なんか声に元気ないなぁ!てかよくわかったね、私となるちゃんが一緒にいるって。」
「そんなことどうでもいいだろ!今どこにいるんだ!?」
『ごめんね、教えれないよ。
教えたらなゆたくんはなるちゃんを連れて帰ろうとするもん。』
「当たり前だろ!!」
『……そうだね、今のなゆたくんには当たり前なのかもね。』
「……あんた、なにがしたいんだよ………。」
『……私はね、なゆたくんを不幸にしたくないの。それだけだよ。ほんとただそれだけ。』
「…あんたになにがわかるんだよ…!」
『私はなゆたくんがなるちゃんと一緒にいたら幸せになれないと思うの。なるちゃんも同じ気持ちだよ。
知ってた?いや、知ってるよね。なるちゃんが悩んでたこと。でもなるちゃんはなゆたくんが思ってたよりもずっとずっと追い詰められてたんだよ。ずっとずっと悩んでたんだよ。
今回だって別に私が連れ出したんじゃないよ。私はただ手を差し伸べただけ。
なるちゃんはなるちゃんの意思でここにいるんだよ、なゆたくん。この意味わかる?』
知っていた。なるこが俺といることで迷惑になっていないか気にしていたのを。
でもそこまで悩んでいるものとは知らない。
なんで悩むんだよ。わからないよ。
お前がいて迷惑なんて思ったことないのに。
俺はお前といて幸せだったのに。なんで…
『……なゆたくんにもそのうちわかってほしいな。……なゆたくんは私のこと頭おかしいって思うだろうし否定はしないけど、なるちゃんになにかするとか傷つけるようなことは絶対しないから。そこだけは安心してほしいな。』
「…………最後になること代わってもらえますか?」
「………あらら、最後は敬語に戻っちゃったね。わかったよ。ちょっと待っててね。」
数秒の静寂の後、今1番聞きたかった声が電話越しに耳に響く。
『も……もしもしぃ……』
「……なるこ……あの女になにかされたりとかしてないか?」
『う、うん。だいじょぉぶだよぉ…。
ご…ごめん…なんも言わないで出て行っちゃって……。』
「…謝るくらいなら戻ってこいよ……。」
『…………ごめん……。』
「……お前が俺のこと想ってくれてるように俺もお前のことを想ってるんだよ……。
なるこ……お前は今幸せなのか……?」
もう自分自身でもどうすればいいのかわからなかった。
無理矢理連れ戻してそれでなるこは幸せなのだろうか。
あかりさんの言うようにこれがなるこが出した答えならそれを尊重すべきなのだろうか。
俺にはもうなるこの気持ちがわからなかった。
『…………………………………うん………………。』
その返事を聞いて俺は静かに電話を切った。
これでよかったんだ。
なるこが幸せだって言うなら…俺がいたら苦しんでしまうなら、俺はいないほうがいいんだ。
これで……いいんだよな。
あれから1ヶ月がたった。
時間が経ってもなるこのいない生活に慣れることができなかったしなるこのことが頭から離れなかった。
なるこがいなくなったって別に飲みに行くこともなかったし誰かと遊びたいとも思えなかった。
なるこがいようがいまいが俺はこういうやつみたいだ。
たぶん頭の片隅で、いや、きっとそう思っていただろう。なるこのために我慢していると優越感に浸っていたと思う。
俺は俺を殺してしまいたい。
なるこのことを守ってやりたいと思っていた。
なるこが喜んでくれるのが嬉しかった。
なるこが俺を必要としてくれるのが嬉しかった。
なるこが俺を待っていてくれるのが嬉しかった。
なること愛し合えることが嬉しかった。
なること苦痛を共有できなかった。
なるこの力になってあげれなかった。
なるこを幸せにしてあげれなかった。
なるこの悩みに気づいてあげれなかった。
俺はなるこのことを守れなかった。
学校をサボり、家で起きる気力もない俺の耳にインターホンの鳴る音が聞こえた。
誰だろう。俺の部屋に訪ねてくるやつなんてほとんどいない。
無断欠勤していたからバイトのやつか。
講義を一緒にとっている大学のやつか。
それともただのいたずらか。
「………なるこ……?」
自分の希望的観測を声に出して身体を起こし、玄関に向かう。