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今日の最悪の病気はハンセン病でも結核でもなく、自分は不必要な存在だという思いである。


それは独りだった。

産まれたときからずっと独りだった。

何故自分は産まれたのか、どのように産まれたのかも自分の性別すら知らない。

ただ言えるのはそれは独りであることに疑問すら持たなかった。









「じゃぁ、学校行ってくるよ。

今日はバイトだから帰るのは19時くらいだと思う。」


「わかったぁ。いってらぁ。」


季節は2月になり肌寒くなった頃、うちは相変わらずなゆちゃんの家でお世話になっている。

そして相変わらずカタカタと小説を書いている。


なゆちゃんが夏休みに入る前、うちはいま書いている小説を書き上げたら書くのをやめるつもりだった。

やめて外にでて働くつもりだった。

なゆちゃんに迷惑をかけたくなかったから。

なゆちゃんと一緒にいたかったから。


でも上手くいかなかった。

正社員にも契約社員にもアルバイトでも働く前に拒否された。

社会不適合だと面接のときに判断された。

社会に出たくてもうちは社会に拒否されたのだ。


弱くずるいうちは当然のように今までの暗い穴に戻った。

これ以上傷つくのが怖くて。最低だ。

そんなうちをなゆちゃんは優しく向かい入れてくれた。

どこか安堵したような表情で。


なゆちゃんがどれに安堵しているのかはわからない。うちには想像するしかない。

でもその安堵がなにを意味していようがうちはあの女の言う通りまたこれからなゆちゃんに迷惑をかけていくのだろう。

そう思うとうちはうちを殺したいくらい憎く感じた。


こんな気持ちとは裏腹にいつも以上に仕事が進む。




本当になゆたくんは幸せだと思う?




何も考えたくなかった。

だから1人のときは小説をひたすら書いた。

でもその僅かながらの抵抗がうちの思っていることそのものだろう。


うちにはうちといてなゆちゃんが幸せになれるとは思えなかった。


うちはいい。

うちはなゆちゃんで世界が完結しているのだから。

なゆちゃんさえいれば幸せなのだから。

小説を書いてなゆちゃんを待ってなゆちゃんとのひと時を大事に大事に過ごす。

それだけで幸せなのだ。


でもなゆちゃんは違う。

うちとは別の世界を持っていて友達がいて後輩がいて仕事があり、やりたいことだって没頭したいことだってきっとあるだろう。


あの女の言う通りだ。

なゆちゃんは大半を諦めてうちといる。

いてくれている。

毎日毎日、代わり映えのない辛気臭いうちに合わせてくれている。

これからも多くの自分を犠牲にしてうちといてくれるだろう。

うちが自由にしてくれていいと言っても聞かない。優しいから。

些細なことで取り乱すうちを放っておけないんだ。優しいから。


出会ったときからそうだ。

うちはなゆちゃんのその優しさにつけこんで束縛している。最低だ。

そんなのでなゆちゃんが幸せになれるわけがない。









「お兄ちゃんも一緒に手伝うからさ。」


なゆちゃんと初めて会ったときなゆちゃんは私に優しく呟いてくれた。

そして次の日も、そのまた次の日もなゆちゃんは一緒にママが見つかるまで探してくれた。


だからママを見つけたときもうちは泣かずにすんだ。

知らない子どもと男の人といたのを見たときも、いらない子だと言われたときも泣かずにすんだ。なゆちゃんは抱きしめてくれた。

何も言わず強く、優しく抱きしめてくれた。

なゆちゃんは出会ったときからうちに優しくしてくれた。壊れ物を扱うように。

それでよかった。

その優しさが嬉しかった。

なゆちゃんの気持ちを考えることもなくこの人と一緒にいたいと思った。


なゆちゃんがうちのことが好きと言ってくれるのは嘘じゃない…と思う。

でもそれはきっと壊れてしまいそうな脆いうちが好きなのだろう。

きっとその気持ちは同情に近いものだと思う。





「なるちゃーん!」


朧げな思考を現実に戻すようにチャイムと聞きたくもない大声が耳に入る。

あの女だ。

なんでここにあの女がいるんだ。


「いるのわかってるからー!あけてよー!」


いないふりを通そうとするがその女はチャイムを何回も鳴らしながらドア越しに叫ぶ。


「な……なゆちゃんならいま…い…いないよ…。」


がたがた震える身体を両腕で抱きしめながら必死の思いで声を返す。


「あはは!やっぱりいた!

いいよいいよ!なゆたくんがいないのは知ってるから。今日はなるちゃんに会いに来たんだよ!早くあけてよー!」


ドアノブをガチャガチャ何度も動かしながらあの女が笑う。


「よ…よぉがあるなら…そ、そこでいってよぉ…」


「……あーもー。」


そもそもなんでこの女はこの家を知っているんだ。なゆちゃんが教えたとも思えない。

調べたのか、ストーカーでもしたのか。

どちらにしても正気とは思えない。


そんなことを考えていると鍵の開けられる音が部屋に響いた。


「………え?」


内鍵を閉めていなかったことをこんなに後悔したのは初めてだ。


「はろぉ、なるちゃーん。」


ドアの隙間から覗かせる目で背筋が凍るような可愛らしい笑顔で挨拶をしてきた。

怖くて言葉もでない、身体が言うことを聞かない。


「ひどいなぁ、なるちゃんは。

早く開けてくれればいいのに。寒いじゃんかよぉ。」


「……ど…ど、どうして鍵を持ってるの…?」


「んぇ?作ったんだよ?あ、大丈夫大丈夫!

悪いことになんて使ってないからさ!心配しないでよ!」


相変わらずの笑顔で真っ直ぐこちらを見てくる。

悪用したかしてないかじゃない。

この女がこの部屋の鍵を所持していること自体が恐怖なのだ。

初めてファミレスであったときから怖かった。

うちを無視しなゆちゃんに話しかけていたこの女が。

そして今、確信になった。

この女は自分のためならなんでもする。正確にはこの女いわく、なゆちゃんのためならだ。

それが怖くてたまらない。

そんな女と今密室にいるのだ。


「初めて会った以来だね。半年ぶりぐらいかな?そういえばあれ以来、なゆたくんともお話ししてないなぁ。」


遠い目をしてうちに話しかけるでもなく呟く。

そうだ、半年間この女とは会わなかった。

今の台詞からするとなゆちゃんとも会っていない。

なゆちゃんはあの後、すぐにバイト先を変えた。偶然か、会おうとしなければ会うはずがない。

なのになんで今になってこの女はこの部屋を訪ねたのだ。


「……なるちゃんは今も小説を書いているんだね。」


その女は当然のように部屋にあがりつけっぱなしだったパソコンの画面を見る。


「それは独りだった。

産まれたときからずっと独りだった。

何故自分は産まれたのかもどのように産まれたのかも自分の性別すら知らない。

ただ言えるのはそれは独りであることに疑問すら持たなかった。」


冒頭だけ声にだして読み、その後、無言で数秒パソコンに目を通した。


「うん、ちょっと目を通しただけだけど面白そう。なるちゃんは才能があるんだね。」


「これは……」


これは作品ではない。

ただ空いた時間に気を紛らわすために書いているだけのものだ。


「………で、これからも続けるの?」


今までの声から想像もつかないような低い声でうちに問いかける。

その問いがなにを意味するかは理解できた。

理解はできた、が答えることはできなかった。

その女は黙っているうちに視線をうちに変えて続ける。


「半年間、なるちゃんが頑張ってたのは知ってるよ。変わろうとしてたのは知ってる。

それだけ、なるちゃんがなゆたくんのことを好きなのも知ってるし私の言葉を真剣に考えてくれたのも知ってる。

これ、盗聴器ね。」


話しながらベッドの裏にあるコンセントにささっているものをはずした。

盗聴器を仕掛けられていたことよりもこの女のうちに対する態度に驚いた。

まるで親友か恋人にでも話しかけているような優しい口調でうちに話す。


「でも変わらなかったね。」


「……………うちぁ…最低なんだよぉ……」


涙がこぼれた。

止まらなかった。誰かにぶちまけてしまいたくて誰にも言えなかった感情が溢れる。


「それはなるちゃんも悪いし、今の社会のあり方も悪いよ。でも私たちが欲しいのは過程じゃない。結果だよ。

なゆたくんが幸せになる結果が欲しいんだよ。」


ああ、そうか。うちもこの女も結局は同じなんだ。同じ想いを持っているんだ。


「私とここから出よう。一緒に暮らそう。

私たちじゃなゆたくんを幸せにできないんだよ。だから私たちはもうなゆたくんに会わない。遠くから見守るの。

今日はそのためにきたんだ。」


そう言いながらうちの目の前に手を差し出す。


「……でもうち……耐えれない……」


なゆちゃんに一生会えないなんてうちにはきっと耐えられない。

この女のことを悪く言う資格なんてない。

どこまでいってもうちは自分本位なのだ。

ほんとに自分が嫌になる。


「……最初は辛いと思うよ。

痛くて辛くて悲しくて寂しくて死にたくなるくらいつらいと思う。

でも最初だけだよ。私は今、その痛みさえも幸せなの!なゆたくんが幸せになるための痛みなんだもん!今まで受け入れられなかった私がバカみたい!バカ!バカ!バカ!バカだよ!!

愛されることを、側にいることだけ考えるなんてバカだよ!!

好きなら!大好きなら!その人が幸せになれるなら!!どんな痛みも受け入れらなきゃ!!」


この女はきっと頭がおかしいと思う。

でも悔しかった。

やり方はどうであれ、頭がおかしくなるくらいになゆちゃんのことをそこまで考えられるこの女が嫉ましく思えた。


そう思ったからなのかそうじゃないのか、これが正解なのかそうじゃないのか。

わからない。わからなかったけどうちは差し出された手に自分の手を置いた。


その女は屈託の無い可愛らしい笑顔でうちの手を強く握りしめて言った。





「いこう!なるちゃん!」












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