救ってあげる
私がなゆたくんと初めて会ったのは高校を卒業した年の桜が散り始めた頃だ。
いつものようにあきらをバイト先に迎えに行ったときになゆたくんはいた。
「あきらー!かえろー………!」
生まれて初めて感じる衝撃が身体中を走った。
理由なんてわからない。
ただただその人に心を奪われてしまった。
その人はあきらと一緒に休憩室でタバコを吸っていた。
「勝手に入ってくんなって言ってんだろ。
なゆた、こいつは俺のアパートに住み着いているあかりだ。
あかり、こいつは新しく入ったなゆただ。
たしかお前ら同い年かな。まぁ、仲良くしてやってくれよ。」
「あ…はい!はじめまして。
陽毬なゆたです。よろしくお願いします。」
顔が別にいいとは思わなかった。
態度もどこか弱々しく別に私のタイプでもない。
でも私はこの人がいることによって全身が高揚しているのを感じる。
「……あかり?」
「あ!ごめんごめん!!
あはは!うん!こちらこそだよ!よろしくね!
なゆたくん!!」
「………」
あきらがタバコの煙を吐きながら何も言わず私の方を見る。
長い付き合いだ。あきらにはきっとわかっているのだろう。
わかった上でその顔は無言で私に訴えかけてくる。
こいつはやめとけって。
この日からの私は幸せだった。
なゆたくんのことを頭に思い浮かべるだけで全身に快感に似たような衝撃が走る。
生まれて初めてのことだ。
これが人を好きになるってことなんだと思った。
だからこの日に受けた衝撃も私にとっては凄まじいものだった。
「ねーねー!なゆたくん!この後はおひまかな?よかったらこの後3人で飲みにでも行かない?!もちろんあきらのおごりで!」
あれから数日後、いつものようにあきらをバイト先に迎えに行ったときになゆたくんを誘ってみた。
最初は2人はどうなのかと思い、3人でと提案した。
「すいません……なるこを……彼女を家で待たせてるんで………。お先失礼します。」
そう言って固まっている私を横切ってなゆたくんは休憩室を後にした。
心臓を像にでも踏み潰されたような感覚だった。
何も言葉がでなかった。
彼女?待たせてる?
なに?どういうこと?
まわらない思考で何度も同じ言葉を反復させてようやく理解できた。
その間、あきらは何も言わずタバコを吸っていた。
「……知ってたの?」
「……まあな。」
「なんで言わないの?」
「言ってお前は諦めれたか?
最初に忠告したはずだ。やめとけって。」
「はぁ?あんなんでわかるわけないじゃん。
……諦める?あははは!誰に言ってるの?バカじゃないの?彼女がいようが結婚していようが渡さないよ。なゆたくんは絶対渡さない。」
滑稽な女に見えただろうに。
渡さないもなにもなゆたくんは私のものではないのに。
「……そうか。なら俺は何も言うことないよ。
帰ろう。今日はなにが食べたい?」
それでもあきらは私に優しく声をかける。
いつもそうだ。
こいつは私の感情を逆なでする。
「特にないですけどなるこが心配すると思うんで帰ります。すいません。」
その日の私は自分でも驚くくらい上機嫌だった。
なゆたくんと2人でお茶をすることが出来たし、旅行の約束もできた。
なるちゃんとやらも一緒に連れて行って私といた方が楽しいことをわからせてあげるつもりだ。
そんな幸せもこの言葉に全てかき消される。
私がなるちゃんに勝てないのが辛いんじゃない。そんなものは今だけでこれから時間が解決していく問題だ。
そんなことよりも私はなるちゃんに怒りと憎しみを覚えた。
なるちゃんのためになゆたくんはいくつの楽しみを、幸せを、喜びを、経験を捨てなくてはいけないのだろう。
信じられなかった。仮にも好きな人の人生をこんなに無駄にして駄目にして平気でいられる彼女が許せなかった。
「まぁそうなんですけど…今日は早く帰るって言っちゃってるんで……。
それに女の人と2人で飲んでくるなんて嫌がるだろうし。」
かわいそうななゆたくん。
このまま歳をとるにつれて社会に近づくにつれてなゆたくんはなゆたくんの行動によって孤独を、疎外を、孤立を味わっていくだろう。
本当とは違う意味で人が1人で生きていけるのは学生までだと思う。
今ならまだ間に合う。
なゆたくんを救えるのは私だけだ。
「そんなに縛られてて楽しい?」
もう付き合えなくてもいい。
嫌われたっていい。
とりあえずなゆたくんはなるちゃんと別れないと不幸になる。
それだけはだめだ。
だから私が別れさせてあげる。
私が現状の不幸さを教えてあげる。
私がー
「……俺はなるこが好きですから。」
私がー
笑うしかなかった。笑ってごまかすしかなかった。
そりゃぁそうだよね。
なゆたくんはなるちゃんが好きなんだ。
自分を犠牲にできるくらい。
ねぇ、なゆたくん。
私はあなたを救いたいのにあなたは私の手を振り払うの。
いいよ、なゆたくんはそのままで。
私が悪役になってでもなゆたくんを救ってあげるから。
辛い。
私は辛いことが嫌いだ。
そんな感情は両親が目の前で死んで親戚に引き取られて以来かな。
中学生に上がるまでは本当に死んでやろうかとも思ってた。
それ以来辛いことなんてなかった?
なんで、なんでだろ、なんでだっけ。
なんで辛くなかったんだろ。
忘れちゃった。
忘れた。
でも幸せではなかったんだと思う。
なゆたくんにあったとき、私は久しぶりに自分が幸せだって感じたんだから。
あれ、幸せを感じるのはいつ以来だろう。
お父さんとお母さんといたとき?
あれ、あれれ。
忘れちゃった。
「……あきら迎えにいかなきゃ。」
1人になった喫茶店で小さく呟いた。
あれ、迎えにいかなきゃってなんだ。
あはは、もう自分がなにを考えてるのかさえわからないや。
わからない。全然わからない。
いま私は辛い。
なゆたくんのことを考えると心臓が張り裂けそうになる。
それこそあのとき以来に感じる辛さに匹敵すると言っても過言じゃない。
でもそれ以上にいま私は幸せだ。
私は喫茶店で3人分のケーキをお持ち帰りで買って鼻歌を歌いながらあきらが働いているファミレスを目指す。