幸せ
人は幸せにもなるし不幸にもなる。
生きていれば当たり前のことだ。
それを終わりと思うのも自分だしそこから始まりだと思うのも自分なのだ。
彼女は不幸だったのか。
確かに端から見れば到底幸せには見えなかった。
でもそれを決めるのは他人ではない。
自分自身がどう思いどう感じてそこからどう行動するかなのだ。
彼女は信じて疑わなかった。
ここが自分の始まりであると。
その後、彼女がどうなったのかは誰も知らない。
「今日からこちらで働かして頂きます陽毬 なゆたです。よろしくお願いします。」
大学に入ったばかりの18歳の俺は学校の近くのファミレスで働き始めた。
24時間営業のファミレスで人手が足りないらしく入ったばかりなのに週5で働かされた。
アパートを借りたばかりでお金がなかったからありがたかったけど。
「面接でも言ったが陽毬にはホールをやってもらうからな。じゃぁ、あきら、指導頼む。」
そう言って店長は俺の横にいた長身の男性の肩を叩く。
「うぃっす!じゃぁなゆた、今日からよろしくな!ホールリーダーの早乙女あきらだ。
名字はあんま好きじゃないから名前で呼んでくれな。」
「は、はい!よろしくお願いします!」
決して顔がいいとは言えないけど人見知りな俺は初対面でこの人に憧れた。
仕事はできるし面倒見もよくて人当たりもよくて頼れる先輩だった。
俺が理想としている人物像に近かった。
俺は俺が嫌いだ。
飲みの席にいてもたいして盛り上がることもできないし社交性もないと思う。
少しでも自分を変えることができるんじゃないかって思ってこのバイトをホール志望ではじめた。
「バイト代入ったからおごるっていってファミレスかよぉ……。」
そんな俺にも彼女がいた。
2個下のなるこだ。
一言で言えば頭のおかしなやつだがこいつといると落ち着けるから俺は好きだ。
「うるせーなぁ。まだ研修中だから時給安いんだよ。おごってもらえるだけありがたく思え。」
「あー、はいはい。こぉなったらいっぱいたべてやるからなぁ。」
なるこは中学のときから家に帰らずずっと俺の実家にいた。今はアパートに一緒に住んでいる。高校には進学せず、1人じゃほとんど家から出ない。
「…お前…出かけたりしたか?」
「してないけどぉ。つまんねぇこと聞くんじゃぁねぇよぉ。」
「……そうだな…わるい。」
なるこは中学の頃いじめられていた。
だなら今は友達もいない。それに片親の父とも上手くいっていない。
このままではだめなのはわかっているが俺になになにができるわけでもない。せめて側にいてやることくらいしかできない。
「ひひひ、うちにはなゆちゃんがいるからつらくねぇよぉ。…ずっとこのままがいい。」
「……俺はずっとお前の味方だよ。
ずっと側にいる。」
「……うん。」
俺がなるこを守る。
外にでることが、人と上手くやっていくことがすべてじゃない。
なるこが幸せなら俺も幸せだ。
「いらっしゃいませー、ってあかりさんか。」
「おーす!って、ちょっと、なゆたくん!
私、客だよ!?お・きゃ・く・さ・ま!!その態度はどうかと思うよ?!
あきらに言っちゃうよ!?」
「あきらさんに客扱いしなくていいって言われてるんで。」
「なんだとー!もうあれだな!あいつは帰ったらトイレ掃除だな!」
「あはは、もうあきらさん仕事あがって裏でタバコ吸ってると思うんで声かけてきますね。」
この小さくて元気いっぱいの女の人は橋本あかりといってあきらさんの彼女だ。
あきらさんと同棲していて、一応俺とタメなのだが大学にはいっていなくて大学の近くのケーキ屋でバイトをしている。
仕事の終わる時間を合わせてこうやってあきらさんを迎えに来ていつも一緒に帰っている。
その手にはいつもケーキの箱を持っていた。
「あ!待って待って!なゆたくん明日の午後は空いてる?」
「え?あー、学校が3時に終わるんでその後であれば。バイトも休みですし。長くは厳しいですけど…。」
「ならさ、明日学校終わったら私が働いているケーキ屋にきてよ。ちょっと相談したいことがあるわけだよ。」
「俺は別にいいですけど、あきらさんに悪くないですか?」
そう言いながらなるこの顔が脳裏をよぎる。
言ったらあいつは不安がるんだろうな。
「んえ?なんで?」
「……なんでもないです。じゃぁ明日学校終わったら行きますね。」
反対にあかりさんは全くそういうことを気にしない人だ。
男友達もたくさんいてよく遊びにもいくらしい。あきらさんもそれを気にしているような感じはない。
「いらっしゃいませー、あ!なゆたくん!きたきた!ちょっと待っててね。仕事もう終わるからさ。」
次の日、俺はあかりさんが働いているケーキ屋に行った。
あかりさんの仕事が終わり近くの喫茶店に入った。
「で、相談ってなんですか?」
「あ、あれだよ、あれ!もうすぐなゆたくん夏休みじゃん?
夏休みに入ったら旅行でもどうかなぁって思ってさ!青春しようぜ!少年!おひまなときある?」
「…えーと…つまりあきらさんとかみんなででってことですか?」
「……んーまぁ、うん、みんなっていうかあきらとなるちゃんでも誘ってさ。」
「なるこですか?」
何度かなるこのことをあかりさんに話したことはあるけど面識はない。
それでなるちゃんと呼ぶのはこの人はこういう人だからとしか言えない。
「そぉだよ!なるちゃん仕事で疲れてるだろうしリフレッシュしなきゃ!
家にこもりっぱなしはあれだと思うよ!」
なるこはプロの小説家だ。
正直、俺なんかより全然稼いでいる。
ああ見えて恋愛小説なんかも書いたりする。
しかしあかりさんはなるこのことをわかってない。
正反対の2人だから仕方がない。
なるこは今までの環境のせいか人と会いたがらないし用がないとあんま外にもでたがらない。
それこそここ最近は俺か編集の人としか話してないと思う。
父親にさえほとんど会ってないんだ。
「ほんとあかりさんは何というか急ですね。」
「だれが馬鹿だ!!思い立ったが吉日だよ、なゆたくん!」
「あはは、そこまで言ってないですよ。
一応なるこに聞いてみます。」
「よろしくね!日にちはまた今度決めよう!
で、なゆたくんはこの後は用事とかある?
よかったら少し飲んで帰ろうよ。」
「特にないですけどなるこが心配すると思うんで帰ります。すいません。」
「んえ?心配?メールして遅くなるって言えばいいじゃん。」
「まぁそうなんですけど…今日は早く帰るって言っちゃってるんで……。
それに女の人と2人で飲んでくるなんて嫌がるだろうし。」
「……んー、そういうもんかいね、私にはわからんよ、なゆたくん。」
「そういう生き物もいるんですよ、あかりさん。また1つ賢くなりましたね。」
「………ねぇ、なゆたくん。」
いつもみたいに冗談に対して怒ってくると思ったが静かにあかりさんは続ける。
「そんなに縛られてて楽しい?
いつか1人ぼっちになっちゃうよ?」
いつもの明るいあかりさんの声から想像できないくらい冷たい声に寒気がした。
「……俺はなるこが好きですから。」
「……あはは、なにその答え。
まぁいいや!じゃぁなるちゃんによろしくね!
ここはお姉さんが出しといてやろうじゃないか!」
いつものあかりさんの口調にもどって胸をなでおろす。
「お姉さんって…タメじゃないですか。」
「やや!たしかに!なら敬語なんか使ってんじゃぁないよ!タメ口でいいって。」
「いや…それは…」
先輩の彼女にタメ口なんて聞けるか。
その後、急いでることもあったしあかりさんの強い押しでこれからはタメ口で話すことになった。
アパートの前について自分の部屋の窓が真っ暗なのが見えた。
「あー……やっちまった。」
時計を見ると6時半を指していた。
あかりさんの仕事が4時に終わってそこから相談とやらに入るまでの雑談が長かったせいですっかり遅くなってしまった。
ドアを開けて電気をつける。
「………悪い……おそくなった……」
部屋の隅で縮こまって小刻みに震えながら何かを呟いているなるこがいる。
最初にそれを見たときは本当に驚いたのを覚えている。
「………なゆちゃん……おそ……い…ぃ…。」
俺の顔を見て相変わらず震えながら小さく呟いた。
「きょぉ…は……バイトもないから……16時には帰れるって……言ってた……のに…ぃ…」
なるこに近づいて優しく抱きしめる。
「おそいおそいおそいおそいおそいぃ……!」
なるこも抱きしめ返してくる。
俺がそこにいるのを確認するかのように、強く。
「……ごめん……知り合いに相談に乗って欲しいって言われて……」
「………おとこ?」
「……女だよ……バイトの先輩の彼女。」
「ひ……ひひひ……ばかだなぁ、なゆちゃんはぁ……。そこは気ぃ使えってぇの………」
目をそらし泣きそうな顔で言う。
「嘘つく必要ないだろ。俺が好きなのはなるこだけだ。……おそくなってごめんな。」
「……もっと言って………。」
「…ごめん…」
「そっちじゃない……」
「愛してるよ、なるこ…。」
そう言いながらなるこにキスをする。
「……足りない……もっとうちを愛してよ…。」
なるこには俺しかいない。
自惚れでもなんでもなくて俺との世界で完結している。
それが愛おしくて嬉しく感じる俺はひどいやつなのだろうか。
少なくともその頃の俺はこの世界を壊したくなかった。