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5,不可解な言葉

 見回りを終えて帰路についたとき、時刻は十九時を迎えようとしていた。櫻井さんに気をつけて帰るようにと言って急いで帰ったが、すっかり見慣れた豪邸に到着したときには既に十九時を過ぎてしまっていた。夕月にはそれまでには帰ると言ったのに、だ。これはやばい、どうしよう。焦燥と不安が頭の中で渦巻いているが、どうにか表面上は落ち着かせて真っ先に夕月のもとに向かった。

 夕月の部屋はいかにも女の子といった様子で可愛らしい。お嬢様の部屋という言葉がよく似合う。広い部屋に見合う大きなベッド、手すりがついた特注のそれの上に夕月は寝転がっていた。服に皺がついてしまうかもしれない。既に着替えていて制服ではなく私服だったのが幸いか。制服だったとしても替えはいくつもあるため心配ないと言えばないのだが、後でアイロンをかけるのは僕だ。

 扉を後ろ手でそっと閉めて夕月と呼びかけるが反応がない。寝ているのかもしれないと思い静かにベッドに近寄り夕月の顔を上から覗きこむと、それまで微動だにしなかった彼女がおもむろに目を開けた。夕月の大きな瞳が僕と合う。何を思っているのか、その表情からは分からなかった。ただ、静かに「レイ」と呼ばれたことで怒っているわけではないことが伝わってきた。


「帰ったのね」

「ただいま。遅くなってごめんね、夕月。もっと早く帰れたら良かったんだけど……」


 照明が眩しいのか目を細めている彼女は僕の言葉を聞いているのかいないのか、一つ欠伸をこぼした。右手で口元を隠す動作は育ちの良さが表れているが、どうも僕の話を聞く気はないらしい。

 夕月が僕に向けて腕を伸ばす。起こして欲しいという合図だ。そっと覆い被さるようにして夕月の背中に手を回し、起こすよと一声かけてからゆっくりと彼女の上半身を起こした。体を離して皺になりかけている服を直し、夕月の顔が見えるように少し斜めにベッドに腰かけた。


「寝てたの?」

「そうみたいね。誰かさんが私を放っておくからよ」

「……ごめん」


 思わず言葉につまり、絞り出すように謝った。

 夕月の声は穏やかだが、やっぱり不機嫌なのだろうか。どうしたら赦してもらえるのか分からなくて、ひたすら謝ることしかできそうにない。取り繕ったはずの顔は曇って不安が表れてしまっているだろうが、そんなことに気を配る余裕もない。嫌われてしまったらどうしよう。そんなことになってしまったら僕は堪えられないだろう。

 そんな僕に呆れたのか夕月が小さくため息をこぼし、それにすら不安を煽られる。


「……レイ。私、別に怒ってないわよ」


 しかし、続いて夕月が言った言葉は僕にとって嬉しいものだった。怒っていない、本当に?

 思わず目を丸くすると夕月はもう一度嘆息し、そして花が咲いたようにふわりと笑った。外出している時には決して見せない柔らかなそれに、昔から見ている僕も未だに慣れない。夕月はもともと容姿が整っているが、笑顔になるだけで魅力が三割増しになる気がする。やっぱり夕月は笑っている方がいい。

 見惚れて言葉が出ない僕に向かって夕月はさっきまでの少し硬質な態度を取り外し、幼馴染みとしての柔和な態度で接してきた。


「委員会のお仕事だったんでしょう? それに怒るほど子供じゃないわよ、私」


 くすくすと笑って僕に凭れかかってくる夕月に歓喜と愛しさが込み上げてくる。僕の幼馴染みが可愛い、世界一可愛い。さっきまでの不安も焦燥も全て吹き飛んで、ただただ夕月が愛しいという感情だけが僕を満たす。夕月、と呟いた声が自分でも笑ってしまうほど甘ったるい。そのことに彼女も気がついて、更にくすくすと笑った。


「ふふ、レイは本当に私のことが好きなのね。素直で良い子よ」

「僕は夕月のことが大好きだってずっと言ってるじゃないか」

「ええ、知ってるわ」


 家にいる時、特に二人きりの時の夕月はよく笑うし甘えてもくるけれど、それでも僕の好きという言葉には知っているとしか返してくれない。それは外でも同じことで、夕月が決して好きとも嫌いとも返してくれないのは僕のことが好きでも嫌いでもないからだと僕は思っている。嫌われてはいないけど、特別好かれているわけでもない。夕月にとって僕は幼馴染みで世話係ではあるけれど、ただそれだけなのだろう。

 それでも、夕月がこうして甘えてくるのは彼女の両親を除けば僕だけで、好きでも嫌いでもないけど多少は特別視してくれているのだと思う。夕月は興味のない人のことは顔も名前も覚えないし、それだけで僕は十分恵まれているのだ。


「レイには私のお世話をしてもらわなくちゃいけないから出来るだけ傍にいて欲しいけど、委員会のお仕事なら仕方ないわ。それくらいはちゃんと分かってるわよ」

「学校で説明したときは文句言ったくせに?」

「それはそれよ。その時の私と今の私は違うもの」

「何それ」


 顔を見合わせて二人で笑っていると、不意に夕月が思い出したように問いかけてきた。


「ねえ。あの噂の女の子の名前、何だったかしら」

「え?」


 突然どうしたのだろうか。話の流れに脈絡がなくて戸惑うが、夕月は首を軽く傾げたまま僕を見つめている。可愛らしいその仕草に笑みをこぼし、頭を撫でる。

 噂の女の子の名前とは、と少し考えてすぐに思い至った。


「噂って、昨日話したやつ?」

「そう。生徒会の人たちが夢中になっている女の子の名前」

「櫻井さんだけど……」

「下の名前は?」


 いつになく興味を示している夕月は何故か真剣な、それでいて困ったような顔をしていた。一体どうしたのだろうか。


「確証はないけど、たぶん陽奈だと思う。櫻井陽奈さん」

「さくらい、はるな……」


 風紀委員会に助っ人として派遣された櫻井さんがイコール噂の人とはまだ確かめていないが、その可能性は高い。だから櫻井さんの名前を教えたが、夕月は何を気にしているのだろうか。もしかしたら知り合いだったりするのだろうかと思ったが、それなら僕が知らないのはおかしい。不思議に思って夕月を見つめると、彼女はまた僕に問いかけた。


「それって今日レイと一緒に風紀委員のお仕事をした子?」


 疑問系だがどこか確信を持ったようなその問いに、僕は目を見開いた。どうして分かったのだろうか。僕は夕月には「風紀委員会の仕事があるから一緒に帰れない」としか説明していない。だから僕が櫻井さんと見回りをしたことはもちろん、そもそも誰かと一緒にしたなんてことも知らないはずだというのに。


「そうだけど……何で分かったの?」

「……秘密」


 目をそらして誤魔化されてしまった。聞いてほしくなさそうだったので深く追求しないことにする。必要ならその内話してくれるだろう。


「珍しいね、夕月が他人に興味を持つなんて」

「興味というか……その子はたぶんヒロインだから」

「は?」


 ヒロイン、とは?


「この世界がゲームだとしたらその子がヒロインってことよ」

「……夕月、ゲームとか好きだっけ?」

「お菓子の方が好きね」


 ますます分からない。どういう意味なのだろうか。たまに夕月は変なことを言うと思っていたが、これはその中でも断トツに変だ。こんなことを言い出した意味が分からない。


「それでレイは攻略対象で、私は悪役」

「……ごめん、分かるように説明してくれる?」

「嫌よ、面倒くさい。私が説明とか苦手なのはレイも知ってるでしょ」

「うん、それはそうだけどね?」


 夕月が悪役というのも意味不明だが僕の攻略対象というのも分からない。僕が攻略されるのか? どうやって? どんな風に? そもそも攻略って何だ?

 頭の中にクエスチョンマークがいくつも浮かんで踊る。考えても解決するはずはなく、クエスチョンマークは消えるどころか増える一方だ。

 それに夕月が悪役で櫻井さんがヒロインというのもおかしな話だ。夕月がヒロインというならまだ納得できるが悪役、しかも見ず知らずのはずの櫻井さんをヒロインに設定している。どういうことなのだろうか。


「夕月、それってどういう――」


 悩んでも分かるはずがないのでどうにか説明してもらおうとするが、その前にココンとドアがノックされた。反射的に返事をしてドアを開けると、綾小路家の使用人の一人が立っていた。その人物を見て用件を察するが、一応ちゃんと聞いておく。


「夕月お嬢様のお食事の用意ができました」

「分かりました。それではお嬢様をダイニングにお連れいたします」


 使用人(世話係)としての態度で返し、その人がそれではと立ち去るのを確認してからドアを閉めた。夕月に「食事の用意が出来たって。行こうか」と言うと、ええと頷いて微笑んだ。うん、夕月にはやっぱり笑顔が一番似合う。夕月の笑顔に比べれば櫻井さんがヒロインとか僕が攻略対象とかそんなことはどうでもいい。それよりも早く連れていこう、夕月のためのご飯が冷めてしまう。

 夕月をベッドの横に置いてあった車椅子に移動させるため、僕は夕月に腕を伸ばした。



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