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4,風紀委員の仕事

 放課後、予想通り不機嫌になってしまった夕月に一人で帰ってもらうように説得してどうにか車まで送り届けた。運転手さんにどうかよろしくと頭を下げて、また後で夕月にも頭を下げることになるんだろうなと覚悟しつつ教室へと戻った。……本当に、夕月に嫌われなければいいんだけど。


「あ、美月くん! どこに行ってたの?」


 朝と同じように出入り口の横で待っていた櫻井さんは僕を見つけるとパッと花が咲いたように笑った。他のクラスというのはやはり居心地が悪いから、ほぼ初対面であると言っても顔を知っている僕と会ってほっとしたのだろう。ちなみに唐野は既に部活に行ってしまっている。あいつは剣道部で既に引退はしているようだが、頻繁に顔を出しているらしい。


「夕月……あー、僕が世話してる人を車まで送ってきたんだ。待たせてごめん」

「ううん、全然待ってないから大丈夫!」


 櫻井さんはそう言うが、実は既に放課後になって二十分が経過してしまっている。夕月を説得するのに時間がかかりすぎてしまったのだ。それなのに嫌な顔一つしない櫻井さんは良い人だと素直に思う。


「そう言ってくれると助かるよ、櫻井さんは良い人だね」

「いやいやこれくらい……」


 照れたように首を振る櫻井さんは、なるほど可愛らしいと思った。生徒会の人たちは櫻井さんのこういうところに惹かれたのだろうか。いや、この人が噂の櫻井さん本人かは分からないけど。

 まあどちらにせよ、夕月にはもちろん敵いはしない。


「それじゃあ早速見回りをしようか」

「え?」


 早速仕事をしようかと櫻井さんを促したが、その彼女は意外と言ったように目をぱちくりと瞬かせた。何か変なことを言っただろうか。僕も彼女につられて目を瞬かせる。


「どうかした、櫻井さん」

「え、いやだって、まずは風紀委員の仕事について教えてくれるはずじゃ……」

「は? 何それ、どういう……まさか唐野がそう言ったの?」

「う、うん」


 なるほど、全て唐野が悪いということか。何なんだあいつ、連絡不足にもほどがあるだろ。あんなので委員長が務まるのか?

 後でシバこうと決意し、こめかみを押さえつつため息をこぼした。それに櫻井さんがうろたえる気配がするが、櫻井さんは全く悪くない。唐野のやつ、ちゃんと話しておけよ。


「あー……じゃあ立ち話もあれだからとりあえず入って。簡単に説明するから」


 教室に残っている人は殆どいない。残っているのはクラスでも目立つ女子のグループで、教室の後ろの方で固まって何かを話していた。櫻井さんは小さくお邪魔しますと言ってから足を踏み入れ、そんな彼女に何人かが目を向けたがすぐにまた談笑に戻った。

 彼女を唐野の席に座らせ、僕は自分の席に座る。櫻井さんは持っていた鞄を膝の上に置き、体は僕と斜めになるように、顔は僕へと向けた。

 さて、説明するとは言ったが僕は殆ど活動に参加していなかった謂わば幽霊委員なのだ。だから実際どんな感じかなど分からないし表面上の説明くらいしか出来ないが、とりあえず出来る限り詳しく話すようにした。


 風紀委員の仕事は主に二つだけ。

 一つ目はこれから行う予定の校内の見回りだ。この清楼院学園は敷地が無駄に広大で、人目につかない所がたくさんある。そういう場所でよからぬことをする輩がたまにいるので、それを取り締まるのが風紀委員の仕事だ。

 二つ目は月一回の服装チェック。この学園は色んな企業の子息子女などが集まっているため世間からの注目度が高い。そういう世間からの印象を悪くしないためにまず目につく服装を気を付けようと、この学園では月始めに風紀委員会による服装チェックが行われるのだ。

 この二つしか仕事はないが、見回りは休日にも行わなければならないし意外と大変なのだ。これのせいで風紀委員会は人気がないと言って良いと思う。何が楽しくて休日にまで学校に来なければいけないのか。いやまぁ、普段サボっている僕が言って良いことではないかもしれないが。


「見回りは夏休みとかにもしなきゃいけないんだ。休みの時は人が少ないから羽目外すやつがいるかもしれないって」

「へえ、そうなんだ」


 ふむふむと頷いてメモを取りながら聞いている櫻井さんは真面目で、生徒会から派遣されただけなのに真剣に取り組むなんて良い人だなあと純粋に思う。今朝知り合ったばかりだが好感度は高い。僕はこういう真面目な人が嫌いじゃない、というか好きだ。もちろん言うまでもないが、夕月とは違う好きだ。


「そんなところかな。それじゃあ気を取り直して見回りに行こうか」


 荷物は邪魔になるから適当にそこら辺に置いとけばいいよ、と言って立ち上がり櫻井さんを手招いた。僕の言う通り彼女は膝の上に抱えていた鞄を少し迷って唐野の机の横に置き、出入り口で待つ僕のところに早足で追い付いた。

 とりあえず適当な所をうろついていようかと二人並んで歩き出す。ぽつぽつと世間話をしながら、夕月はどうしているだろうかと内心顔を曇らせる。

 今頃はもう家についた頃だろうか。僕がいなくても夕月の世話をする人はたくさんいるからそこは心配しなくていいにせよ、周りの人を困らせてはいないだろうか。無理な我儘を言っているかもしれない。気にくわないからと言って土下座させようとしているかもしれない。僕が今までされたあれやこれやが脳裏によぎり、同じような目にあっている人がいるかもしれないと思うと今すぐ帰りたくなる。僕自身が夕月にどんな扱いをされようと構わないし、嫌われないのなら何をされようと嬉しくさえあるけれど、他の人はそうではない可能性が高い。そうなると後で僕がその人へのフォローをすることになるだろうし、夕月の機嫌もさらに低下している可能性があるのだ。……帰りたい。


「美月くん。浮かない顔だけどどうかしたの?」


 そんな思いが知らず知らず顔に出ていたらしい、櫻井さんが立ち止まって心配そうに僕の顔を覗きこんできた。近距離にある顔は夕月とは似ても似つかないけれど、何となく可愛らしいと思った。何故だろう。

 妙な感覚に首をかしげつつ「何でもない」と笑顔を浮かべて返した。それでも納得いかないような顔で櫻井さんがでもと言葉を続ける。


「具合でも悪いの? もしかして風邪とか?」


 そう言って僕の額に手を当てて熱を測る彼女に、少しだけ動揺した。夕月じゃないのに何でだろう、本当に具合でも悪いのだろうか。自己管理はしっかりしていたつもりだったのだが。

 未だ額に当てられている彼女の小さな手を掴んで引きはがし、触られた箇所を自分でも触れて熱を有無を確認する。特別熱いというわけでは無さそうだが、一応今日は早めに寝た方がいいかもしれない。

 ふと、櫻井さんが顔を赤くしていることに気がついた。あれ、彼女の方こそ風邪を引いているようだが。


「櫻井さん、どうかした? 顔赤いよ?」

「え、その、あの、手が」

「手? ……ああ、掴んだままだったか。ごめん、嫌だったよね」


 ほぼ初対面の男に手を握られるなんて流石に嫌だったのだろう、しどろもどろと言葉をつまらせる彼女が可哀想で咄嗟に手を離した。彼女から僕の額に触れてきたので大丈夫かと思ったのだが、やはり自分からと相手からでは違うということなのだろう。悪いことをしてしまった。

 申し訳なくなりごめんともう一度謝ると、櫻井さんはブンブンと勢いよく首を横に振った。勢いがよすぎて首が取れてしまいそうで、少し面白い。


「きっ気にしないで! 嫌とかそういうのじゃ全然ないから!……さすがドM従者、ヒロインに興味がないからこそサラッとスキンシップを取ってくる……下心が全くないあたり本当にこいつは……」

「え、何? よく聞こえなかったけど」

「ううん、何でもないよ美月くん!」


 何かをボソボソと呟いたようだったが、気のせいだろうか。従者だとかヒロインだとか聞こえたような気がしたけれど。

 まあいいか。彼女の様子だとあまり聞かれたくないことのようだし、そもそもあまり興味はないのだから。

 見回りの続きをしようかと再び並んで歩き出す。今度は先程とは違って世間話のような会話すらなく、遠くで部活動に励む声や僕ら二人の足音だけが響く。


「……」

「ん、何?」


 視線を感じたので櫻井さんを見下ろすと、じっと僕を見つめる彼女がいた。不思議に思いつつ首をかしげると、何かを誤魔化すようにええとと彼女が口を開いた。


「その、さっき美月くんが遅れてきたとき、夕月って人を車まで送ってきたって言ってたよね? その人と美月くんってどういう関係なのかなって気になって……」

「夕月のこと? 聞きたいの?」

「う、うん!」


 頷く櫻井さんに思わず笑顔になる。いや、さっきから愛想笑いは浮かべていたけど今のは愛想笑いではなく心からの笑顔だ。夕月のことを思うだけで僕は幸せになれる。やはり夕月は素晴らしい。


「夕月は僕の大切な人だよ。彼女と出会ったのは十年前なんだけど、その時からずっと一生傍に居て守りたいって思ってるんだ」

「……へ、へえ」


 本音を伝えると、何故だかひきつったような笑みになった。あれ? 唐野に夕月の話をしたときと同じ反応だぞ、これ。やはり僕のこの思いは他人には理解されづらいらしい。僕はこんなにも夕月のことを愛しているだけだというのに。


「……最高難易度なだけあるわ、このルート」


 櫻井さんがまた何かを呟いたけど、やっぱり興味は引かれなかった。


 それからしばらく見回りを続けていると、時刻は五時半になっていた。見回りは完全退校時間である六時半までやることになっているが、あと一時間もうろつき続けるのは疲れるので一旦休憩することにした。僕としてはもう帰りたいところだが、櫻井さんがいるのだから僕だけ帰るわけにはいかない。こういうことを見越して唐野は僕と櫻井さんをペアにしたのだろうか。櫻井さんに仕事を教えるだけでなく、僕がサボらないように見張りをつける意味もあったのかもしれない。

 校内のいたるところに設置されている自販機で飲み物を買い、櫻井さんに渡す。校内とはいえ今は七月、暑いに決まっているし熱中症になる恐れもある。櫻井さんは申し訳なさそうに受け取って一口飲んでから口を開いた。


「ありがとう。後でお金渡すね」

「百円でいいよ」

「……うん」


 二十円まけて百円。相手が唐野や他の風紀委員ならきっちり貰っていたが、助っ人で来てもらっているだけの櫻井さんに全額払ってもらうつもりはない。

 だったらいっそ奢ればいいじゃないかと思うかもしれないが、それはしない。僕の持っているお金は夕月の世話係として働くことで手に入れたものと、夕月の両親からお小遣いとして貰ったものだ。つまり全て綾小路家から出たお金であり、あの家にとてもお世話になっている僕がそのお金を無駄にすることなど出来るはずがない。それに、一ヶ月に使うのはお小遣い以外の収入分である数万円だけと決めている。出来ることなら貯金しておきたいし全てのお金は夕月のために使いたい。


「今ケチって思ったでしょ、櫻井さん」

「え、いやそんなことはないよ!?」

「よく言われるから分かる、遠慮しなくていいよ」


 苦笑しつつ僕も冷たいスポーツ飲料を飲むと、櫻井さんはもう一度そんなことないと言った。


「お金は大事だもん、ケチなんて思わないよ。一円を笑うものは一円に泣くんだよ!」


 そんなことを妙に真剣な顔で言うものだから、思わず吹き出してしまった。笑われて恥ずかしいのか赤くなって体を震わせていて、小動物のようで可愛らしい。ただ言ってることには僕も同意だ。お金は大事、その通りだ。

 この学園には夕月も含めてとんでもないレベルのお金持ちがほとんどだ。そのため金銭感覚が少しずれている人が多く、櫻井さんのような人は珍しい。彼女も僕と同じく一般家庭の人なのだろうか。


「ふ、ははっ何でそんなに真剣に言うの、あははっ」

「う……ここに来てから金銭感覚の違いを物凄く感じてて、つい過敏な反応を……」


 なるほど。僕は一般家庭の生まれとはいえ綾小路家で世話になっている期間の方が長い。だから金銭感覚の違いなど今さらだし気にしてもいなかったのだが、櫻井さんは違うらしい。にしても、少し引っ掛かる言い方だがどういう意味だろうか。


「ここに来てからって? もう三年でしょ、まだ慣れてなかったの?」


 彼女の言い方だとまるでつい最近来たような口ぶりだ。


「私、四月に転校してきたから。実はまだここに来て三ヶ月なんだよね」

「転校? へえ……」


 この学園に転校してくるなんて珍しい。しかも三年になってからなんて、周囲と馴染みにくそうなのに。引っ越しか何かでここに来たのだろうか。いや、でもこの近くに公立高校があるのだからそこに行けばまだ苦労は少なかったのではないだろうか。わざわざこんな私立の金持ち学校に来るのだから何か特別な理由があるような気がするが、まああまり深く突っ込む必要もないだろう。藪蛇だったら怖いし、そんなことに興味もない。流しておくのが良いだろう。


「そっか。じゃあ今まで結構大変だったんじゃない?」

「大変なこともあったけど、皆よくしてくれたから」

「ふうん、皆って生徒会の人たちとか? ……というか、そうか。来て数ヶ月で生徒会役員になってるんだね。卒業まであと一年もないし、世代交代する十二月までのほんの短い間なのに」


 そう考えるとなかなかアグレッシブだな、櫻井さん。

 清楼院学園は大学までエスカレータ式のため、単位さえ取れていれば受験なしで進学できる。そのため受験勉強に力を入れる必要はなく(他の大学に進学する人もいるが少数だ)、十二月まで部活や委員会などの活動をしていても大丈夫なのだ。唐野が頻繁に顔を出しているというのもそれが理由だ。

 とはいえ櫻井さんのように四月に転校してきて十二月には引退することが分かっているのに生徒会役員になる、なんてことは中々ない。まあその前に会長補佐として生徒会入りするには生徒会長に認められなければならないのだが。もしかしたら櫻井さんは凄い経歴の持ち主なのかもしれない。


「いつの間にか成り行きでこんなことになってて……今は慣れたからそうでもないけど、前は疲れちゃって家に帰ったら即就寝ってこと多かったなぁ。会長補佐って雑用ばっかりで何気大変なんだよねぇ」


 どこか遠い目をしてぼやくように櫻井さんがそんなことを言うものだから、思わず同情してしまった。


「それは、……大丈夫?」

「あっ、大変だけどやりがいはあるから! 毎日楽しいよ!」


 そう言って笑う櫻井さんは、やっぱり良い人なのだろう。微笑ましくなって、つい夕月にやるように頭を撫でてしまった。

 ……夕月は今頃何をしているだろうか。思い出してしまうと、途端に今すぐ帰りたくなってしまった。早く夕月に会いたい。


「……」


 夕月のことを考えていたからか、櫻井さんが僕のことをじっと見つめていることに気が付くことはなかった。



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