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1,僕ら

 好きです。

 そう言ったのは僕ではなく、僕の目の前に立つクラスメイトだった。話したことは数えられるほどで、その内容も挨拶だとかプリントの回収だとか、そういう細々としたものばかりだ。つまるところ、殆ど他人だ。

 そんなクラスメイトから告白されて、嬉しいという気持ちも無くはないが戸惑いの方が強かった。どうして僕なんだろうか。そう困惑しながら彼女を見つめる。

 健康的な小麦色の肌。そういえば陸上部だったか。この前の体育祭では活躍していた気がする。僕はあまり競技を見ていなかったため、自分が出た競技以外はよく覚えていないが。終わった後に彼女が友人たちに囲まれて凄かったよ等と言われていたと思うから、たぶん記憶違いではないだろう。

 肩で切り揃えられた髪はさっぱりとした清潔な雰囲気を彼女に与えている。毛先が茶色く傷んでいるのはご愛嬌といったところだろう、気にすることでもない。サイドの髪を耳にかけていて、いい耳の形だなと思った。何となく触ってみたい形だ。どうしてかは分からないけれど。

 そうして値踏みをするようにと言うと聞こえは悪いが、見つめているとそんな僕に痺れを切らしたのか彼女が「ええと」と口ごもった。


「あの、私、美月みつきくんのことが好きで、その、付き合ってほしいというか、なんというか。えっと……返事をね、聞かせてほしいな、みたいな……」


 顔を真っ赤にして恥ずかしそうに言う彼女はなんだか可愛らしかった。だんだん小さくなる声は震えていて、普段はもっと溌剌としていたはずの彼女とはまるで別人のようだった。

 さて、返事か。うーんと考えるように目を逸らし、その実もう答えは決まっているため別のことを考えた。早く帰りたい。


「悪いけど付き合うことはできない、ごめんね。でも気持ちは嬉しかった。ありがとう」


 素っ気なくならないように気をつけて断りの言葉を言う。本当は人を待たせているため今すぐにでも帰りたいのだが、勇気を出して告白してくれた彼女にそんな態度をとりたくはなかった。誠意には誠意を。僕のモットーの一つだ。

 泣かれるかなと少しだけ不安だったが、杞憂だったようだ。どこかさっぱりした表情でそっかと苦笑いする彼女は僕の返事を予想していたようにも見える。

 もう一度ごめんねと言うと、「いいの、分かってたから」と返されて首をかしげた。分かってたとは、一体。


「美月くんは綾小路さんと付き合ってるんだもんね、分かってる。でも伝えたかっただけだから。……まあ、あわよくば、なんて考えなかったとは言わないけどさ」


 こっちこそごめんねと右手を振る彼女の言葉に、一瞬反応が遅れた。

「美月くんは綾小路さんと付き合ってるんだもんね」……僕と、あの娘が、付き合っている?

 何だかとんでもない誤解を受けているらしい。まさか、そんなはずがないのに。


「えっと、勘違いしてるみたいだけど僕と夕月ゆうづきはそんな関係じゃないよ」

「え?」


 いかにも意外といったように首をかしげる彼女に、僕の方が首をかしげたくなった。

 訝しげに僕を見る彼女の勘違いを正すために続けて口を開く。


「僕と彼女は……えーっと、なんというか、とりあえず恋人ではない」

「……嘘だぁ。私、美月くんて綾小路さんは付き合ってると思ってるんだけど」


 いや、事実ですけど。

 僕はたしかに夕月のことが好きだし大好きだし愛してると言っても過言ではないけれど、恋人ではない。僕にとっての夕月はすべてだけど、夕月にとっての僕はすべてではない。そういうことだ。

 そういった趣旨のことを少しだけオブラートに包んで伝えると、納得したようなしないような微妙な表情になった。百面相みたいだ、とちょっとおかしくなった。


「じゃあ美月くんの片想いってこと?」

「……なのかな?」


 というか、どうしてそんな勘違いをしたのだろう。僕と夕月が付き合っているなんていうとんでもない誤解を。もしもあの娘を猫可愛がりしている父親に知られたら僕は抹消されるかもしれない。そんな想像をして、笑えないなとぶるりと震えた。あながち妄想とも言えないところが怖い。本当に怖い。

 その時、僕の携帯端末がメッセージの受信を知らせた。正面の彼女に断ってから見てみると、今まさに話題に上っていた夕月からだった。


『遅い』『どこにいるの』


 サッと血の気が引いた。時刻を確認すると普段より十五分ほど遅い。やばい、早く行かなきゃ。

 すぐ行くと慌てて返して、「ごめんもう行かなきゃ、じゃあまた明日!」と言って返事も聞かずに駆け出した。

 早く早くと気が急いて足がもつれそうになったが何とか持ち直す。運動音痴じゃなくてよかった。運動神経万歳。もし転んでたら夕月のところに行くのが更に遅れるところだった。持ち前の運動神経で夕月のもとに急ぐ。彼女が待つ教室まであと少し。走った勢いを殺しつつ手を扉をかけた。


「っ、遅れてごめん!」

「――土下座ね。私を待たせるなんて駄目じゃないの」


 四月から変わらない定位置にいる夕月は息を切らした僕を見るや否や、無表情でそう言い放った。

 土下座くらいで彼女の機嫌が直るならと急いで夕月のもとに駆け寄り、一瞬も躊躇わずに膝をついた。プライド? 夕月に嫌われるくらいならそんなものゴミも同然だ、捨ててやる。というかもう僕にプライドなんてものはない。

 そんなことより、これで赦してくれるだろうか。嫌わないでいてくれるだろうか。もしも嫌われてしまったら、夕月の傍に居られなくなったら、そんな想像をしてしまう。頭を下げたままのため夕月の表情は当然ながら見えない。何を考えているのだろう。不安が募る。

 数秒か、数分か。おそらくほんの数秒ほどだろうが、とてつもなく長く感じられた沈黙の後に「いいわ、赦す」という声が聞こえた。おずおずと顔をあげると僅かに口の端を上げた彼女がいた。


「ほ、本当? 怒ってない?」

「ええ、私の言った通りに土下座したもの。レイは良い子ね」


 頷かれ、ほっと息を吐く。そこでようやく自分が息を止めていたことに気がついた。走った後にそんなことをするなんて、よく考えなくても馬鹿なんじゃないか僕。軽く咳き込みながら、もう一度ごめんと謝った。

 息を落ち着かせつつ、可愛い可愛い夕月を見つめる。白磁の肌はキメ細やかで、おそらく生まれてこのかた日焼けなど一度もしたことがないだろう。少なくとも僕が夕月と出会ってからはないはずだ。黒曜石のような煌めきの瞳は、目が合う度に吸い込まれそうだと感じる。小さな唇は淡く色付いていて蠱惑的。細い身体は筋肉など付いておらず、抱き締めると折れそうで不安になるほどだ。髪は腰よりも長く、黒く艶やかに光る。さらさらとしていて指通りが良い。シャンプーが高級品だからだろうか。

 髪が顔にかかって邪魔そうだったのでそっと耳にかけてやる。すると見えた耳に、さっきの彼女の耳は夕月のと似ていたのかと気付いた。だから触ってみたい形だと思ったのだろう。


「どうして遅れたの」


 伸ばした手でそのまま髪をすいていると、夕月がそう問いかけてきた。何を思っているのかは分からない。夕月は家でならともかく、外では感情があまり表に出ない。それでも長年の付き合いから何となく不機嫌そうだと思った。やはりまだ赦しきれていないのだろうか。

 不安がぶり返してきたが、とりあえずと口を開いて夕月の問いに答えた。


「告白されてた」


 隠すことでもないので正直に話す。夕月は他人と話す方ではないのであの娘が僕に告白をしたと噂が流れることもないだろう。

 僕の答えに夕月は少しだけ瞠目してから「そう」と頷いた。


「断ったのね」


 確信を持って問いかけられて今度は僕が瞠目する番だった。どうして分かったのだろうか。

 夕月はあまり人の感情の機微に悟い方ではない、というか寧ろ鈍い。それは夕月自身が人と少しずれた価値観を持っているからか他人に興味がないからか、どちらでもあるのかどちらでもないのか。理由は定かではないがそういったことを察することが苦手なのだ。

 そんな夕月がいくら幼馴染みといえど僕の行動を察するというのは意外なことだった。


「どうして分かったの?」


 正直に尋ねると夕月は可笑しそうに笑みを浮かべた。


「だって、レイは私のことが好きでしょう」


 さも当然と言うように――正しく当然ではあるのだけど――平然とそう言ってのける夕月。実際、僕は夕月のことが好きだから告白されても断るに違いないというのは全くその通りであり、だから夕月は珍しく僕の行動を察することができたということらしい。

 否、もしかしたら彼女は僕に関してだけは鋭いのかもしれない。何せ昔から殆ど一緒に過ごしてきて、その時間は実の家族よりも多いのだ。だからいくら鈍い夕月といえど僕のことだけは理解している可能性はある。本当のところは夕月本人にしか分からないが。

 でもその可能性は高く、だとしたら夕月にとって僕は多少は特別な人間なのかもしれないと思うと、心の底から喜びが沸き上がってきた。少しでも夕月の心の中に存在できるということは、僕にとっては何よりも喜ばしいことなのだ。


「うん。僕は夕月のことが大好きだよ」


 満面の笑みでそう言うと、夕月は「ええ」と頷いた。


「ええ、知ってるわ」


 夕月は僕が好きだと言っても照れもしない。いつだって普段と同じ表情で、動揺なんて少しもしない。それに決して僕に対して好きだと言い返してこない。

 それでも僕はそんな夕月のことが好きだ。出来ることならずっと傍に居たい。傍にいて支えてあげたいし助けてあげたいし幸せにしてあげたい。夕月から受けた恩はそれくらいじゃとても返せないけど、僕の一生をもって彼女に尽くす所存だ。


「レイ、そろそろ帰りましょう」

「そうだね」


 外はまだ明るいとはいえ、いつもより遅い時間になってしまっている。夕月の過保護な家の人たちが心配しているかもしれない。早く帰った方が良いだろう。

 彼女の机の横にかかっている鞄を持ち、彼女の後ろに回って車椅子のブレーキを解除した。「じゃあ行こうか」ともう一度声をかけ、僕はいつも通りに夕月の乗る車椅子を押した。

 身体の不自由な夕月は日常生活を普通に送ることが困難だ。足が動かないから歩けないし、手も不自由だから箸を持つことも上手に出来ない。そんな夕月には傍で彼女を支え助ける人間が必要で、彼女の過保護な両親はその役目を僕に任命した。それはもう今から十年前のことで、その時から今に至るまで僕と夕月は殆ど一緒の時間を過ごしてきたのだ。


「レイ」

「うん。帰ったらおやつにしようか。この前話してたケーキ、買ってあるよ」


 満足そうに頷く夕月の頭を撫で、僕らは車へと向かった。



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