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短編

俺と亜里(あり)さんのクッキー事件簿

作者: 白千ロク

【 まえがき 】


■個人サイトからの再掲です


■使用人とお嬢様のなんやかんや


2015.03.25

 まずいまずいまずい。くそまずい。第一の感想はそれだ。砂糖と塩を間違えたらしいクッキーの味は、もはや解らなくなっている。

 いますぐに吐き出して、口直しに紅茶を飲みたい。が、目の前にいる亜里(あり)さんには、『くそまずい』なんて言えるわけがなかった。

 俺は脂汗を噴き出しながらも、笑みを浮かべた。――ように見えるだろうか。顔は引きつってないよな……?

 不安だが、とにかく言葉を絞り出した。


「お、おいしい、よ……」

「本当にか?」


 疑いの眼差しで俺を眺める亜里真由加(ありまゆか)は、可愛らしくラッピングをしたクッキーに視線を遣った。バニラとココアの二種類あるそれは、星や丸、ウサギやクマの形をしている。


「本当に、おいしい? ――八千代(やちよ)


 なにを隠そう俺の名前は間崎八千代(かんざきやちよ)である。女の子しい名前だが、桜が咲く季節に祖父母が考えてくれたらしい。俺が小さいときにふたりとも亡くなってしまったけれど。

 ちなみに、俺はこの名前は嫌いではない。名前で女の子に間違われたりするが、別段からかわれたりしたことがないからだ。だがそれは、亜里さんのお蔭だと知っていた。


「八千代」


 亜里さんの笑顔が輝く。天使の笑みだと(学校などで)評判のそれに、俺の冷や汗が増す。


「お、おいひいございまする」


 慌てすぎて言葉が変だ。しかし訂正する(ひま)もなく、亜里さんから視線を逸らした。


「そうか」


 小さく漏らされたため息。――のあとに、俺の頭付近に衝撃がくる。


「いてっ……! な、なっ!?」

「八千代、私がなにを言いたいか解るな?」


 投げられたものが足の上に落ち、拾い上げてみて解った。それは件のクッキーだ。亜里さんお手製のそれは、さきほどの衝撃で形が崩れているものもある。特に星形なんて酷い。


「亜里さん、食べ物を粗末にしてはダメだって教わっただろ?」

「知らないな」


 両指を絡ませたそこに顎を乗せ、亜里さんはじっと俺を眺める。が、視線を外して立ち上がった。


「さて、八千代。鬼ごっこをしようか。言いたいことがあるのなら追いかけてこい」


 にこりと柔らかく笑うその顔に、本気が見て取れた。亜里さんは柔和なほど本気なのだ。恐ろしいほどに。

 だから俺は、小さくなる背中を追いかけるのに必死だった。捕まえなければこのまま逃げ続けるわけだ。手を抜かずに。俺と亜里さんの運動神経の違いなど構うことなく。


「亜里、さん……っ」


 「もうダメだ」とへばる俺の遥か前で、亜里さんは足を止めた。眉を顰めたその顔で振り向き、一拍おいてずんずん近づいてくる。


「お前は! いつもそうだっ!」


 「いつも!」と声を荒らげる亜里さんが言うには、俺はいつも肝心なところでヘタレるらしい。そんなことを言われても、ダメなものはダメなのだ。これ以上は走れない。

 肩で息をしながら答えた俺に、亜里さんの唇が重なった。腰を抜かすしかなく、「ほへっ」とわけの解らない言葉も出てきた。


「……馬鹿者……」


 屈んだ亜里さんは俺を抱きしめ、ふたたび「馬鹿者」と紡ぐ。


「不味いなら不味いと言えばいい。構わないんだ、それで。八千代なら構わない。不味いと言うか試したのに、お前は素直でないよ」

「もしかして……わざと……なのか?」

「当たり前だろう。だが、本当に失敗することもあるかもしれないから予行をしたんだ」

「予行って……」


 そんなの必要なくね。呆れが顔に出ていたのか、亜里さんは俺を離して俯いてしまう。


「やはり不味い料理を出す女は嫌いか?」

「いや……、好きな人が作るものなら、不味くてもおいしいと言うよ。俺は」


 「まずい」と言って傷付けたくないのもあるが、なにより好きな人が一生懸命作ったものだと解っているからだ。一度は「おいしい」と言いたい。

 そう説明すれば亜里さんは笑みを浮かべた。


「――そうか。私は八千代を甘く見ていたようだな」


 柔らかな笑みのまま再度顔が近付いてくる。触れたのは一瞬だが、赤面するには十分だ。

 ――俺と亜里さんは使用人の子とお嬢様という関係であり、だから俺は亜里さんには逆らわない。

 けれどそんなのは建前で、俺は亜里さんに恋をしている。

 もうずっと前から。

 ――あのときから。


『八千代という名前は、私が一番好きな名前だ。それを汚すのなら、私が天誅を下してやろう』


 陰で俺の名前をからかっていたクラスメイトに放った言葉。逃げるクラスメイトに亜里さんはさらに続ける。


『私の一番好きな男を傷付けても天誅を下すぞ! 覚えておけ』


 亜里さんのその凜とした姿に惚れてしまったのだ。男の俺より男前な亜里さんに惚れるなと言うほうが難しいだろう。

 俺の手を取った亜里さんは、「ティータイムに戻るぞ」と導いていく。鼻唄を歌いながら。


「美味しいクッキーで口直しだ、八千代」


 きちんとアフターケアを忘れない亜里さんに、俺はこの先も敵わないであろう。

 なにせ、彼女のこの笑顔に惹かれているのだから。




(了)

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