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第一章*誕生

    

 ザアァァ――……



 雨が激しく叩きつけられる音がする。窓などが一切ない、閉鎖されているかのようなドーム状の施設の中で、哀れな誕生日を迎えた者がいた。



「ゲホッ、カハッ!」



 少し長めの黒髪は、羊水のような膜に浸かっていたせいで濡れている。普通は生まれてくるといえば赤ん坊なのだが、彼は違った。


 切れ長の目は地面に伏せられ、四肢を上手く動かせないのか地面に這いつくばっている。彼は半刻前に生まれた人造人間。


 背後には青い羊水の塊のようなものがいくつも並んでおり、その中の一つが彼だったのだ。



「ルーベンス博士!! No.29572が目覚めました!」



 喉に詰まった羊水をひたすら吐き出していると、あの暗い世界では聞いたことのなかった甲高い女の声が鼓膜を貫く。生まれたばかりの身体には少々耳に煩くて、思わず青年は顔を顰めた。


 先ほどの研究員の女がそう叫んだと同時に、彼の視界の端に映っていた白衣を着た他の研究員たちは、忙しなく動き出して彼の視界から消えていく。そしてその直後。



「やあ、おはよう。」



 聞こえた穏やかな声に、思わず青年は顔を上げた。その言葉が自分に向けられていたからだ。話の流れから察するに、どうやらルーベンス博士と呼ばれていた人物らしい。


 茶色い髪をしていて、温厚という言葉がぴったりな、虫一つ殺せなさそうなヘラリとした顔をした男。なのに髪と同じ色の眼光は、柔らかながらも隙が無い。けれど今は、その心配しているような瞳は純粋に自分に向けられていると青年は理解した。



 そう観察していると、急に体に白い布が被さった。これが白衣とばれるもののようだ。ふとルーベンスを見上げると、彼はにこりと微笑む。白衣からは薬品の匂いと混じって、彼の香りだろうか、甘く安らかな匂いがした。


  

「風邪を引くといけないだろ。君は僕らの救世主なんだから。」


「……救世主?」



 ふとルーベンスの口から出た言葉に疑問を感じて青年が問い返してみるが、ルーベンスはただ苦笑を浮かべるばかりだ。青年はもちろん、わけがわからない。


 持って生まれた切れ長の目で睨んでも、やはり観察通りに意外と肝が座っているようで怯む様子はない。そのままなぜかお互いが動かないでいると、急に施設内全体を揺さぶるほどの怒号が響き渡った。



「おいルーベンス、お前一体何してる! 生まれたばかりの体は弱いんだ。さっさとアダムを運んでやれ。」



 アダム。


 青年はそれが自分の名だと気づくのに数秒、コツコツとヒールを鳴らしながら現れた彼女があの暗い世界で聞いた声の主だということに気づくのにまた数秒かかった。


 女性はあの暗い世界を思わせる漆黒の黒髪に、同じような黒い瞳をしている。髪は後ろで高い位置に一つで纏められており、自分にかかっているのと同じような白衣を着ている。というか、白衣を着ていない者を、青年はまだ見たことがなかった。


 ルーベンスがその女性に気がつくと、一瞬彼女と視線を交わらせてから、アダムと呼ばれた青年にまたにっこりと微笑む。



「彼女はね、僕の妻兼この研究所の責任者で、名はディンっていうんだ。」


「妻? 責任者? それってなんだ。」



 まだ生まれたばかりで知識が乏しいアダム。数学的な能力や科学的な能力は羊水の中で授かった、否、特訓させられたものの、世間一般的なことに関して彼は何も知らないのだ。


 そんなアダムに向かって、ルーベンスはまたにっこりと笑う。本当に彼は、誰の目から見ても模範的な紳士だった。ポロポロ零れ落ちてくる全ての質問に微笑みを忘れることなく答えるのだから。


 

「責任者っていうのは、ここで一番偉い人のこと。あ、偉いの意味は分かる?」



 その言葉にアダムはコクリと頷く。それにルーベンスも一つ頷くと、話を続けた。


 近づいてくるディンという女性には聞こえないトーンで、ルーベンスは楽しそうに話す。しかしヒールの足音は徐々に近づいてきていた。



「で、妻っていうのは……っと、それはまた後でね。」



 なんで、と言いかけたアダムの耳元にルーベンスは口を近づけると、聞こえるか聞こえないかの瀬戸際の声でそっと囁く。内緒話をするかのように。



「ちゃんと後で教えてあげる。ディンは照れると可愛いけど怖いんだ。」



 そう言って彼は苦笑した。少しだけ、どこか子供のような無邪気な笑みが混じっていた。


 ルーベンスの言葉に思わずアダムがディンを見上げると、黒髪に強気な顔立ちをしたディンという女性は確かに気難しそうな顔をしている。よほど説得力があったのか、アダムはなるほどと頷いてしまった。


 そしてディンは、そんなルーベンスを黙殺しながらまた一歩前に進み出ると、ふいにアダムの側にしゃがみ込む。アダムは何をするでもなく、ディンを見つめた。



「いいか、お前の名はアダムだ。お前は世界の為に戦ってもらう。」



 そう聞かされた瞬間、アダムは急に現実に引き戻された気がした。それまで感じなかった地面の冷たさや空気の冷たさが一気に襲ってきて震えてしまう。


 唐突にそんなことを告げたディンに、ルーベンスは静かに静止をかけた。頼れる大人の顔に戻っているが、ディンを見つめる瞳は優しかった。諭すような、けれど彼女の意思は最大限尊重するというような、そんな目。



「ディン、今はよそう。それはまた後で、落ちついてからでも良いじゃないか。」


「私はアダムを甘やかす気はない。」



 そう言うと、彼女は背を向けて歩きだそうとする。しかし一歩踏み出した所で立ち止まり、振り返らずに小さな声でルーベンスに告げた。


 ルーベンスは次にくる言葉を大方予想していたのか、ただ肩を竦めるだけ。



「……ルーベンス。彼を部屋に案内してやってくれ。」



 そして今度こそ、アダムをこの世に生み出した張本人である彼女は、研究所の奥の奥にある闇に向かって去っていった。


 仕方ないな、というような顔をしたルーベンスは、アダムに白衣を着せたまま立ち上がると手を差し出した。大きくて肉厚で、細身で頼りない自分の手とは違う、頼れる手を。



「いこうか。」



 いつか自分も、彼のようになれるだろうか。彼のような器用な優しさの持ち合わせがないことは、自分が一番よくわかっているが、せめてこの頼れる手を自分も持てるようになりたい。


 アダムはふとそう思った。誰かのためにそうなりたい、と願ったはずであるのに、その肝心な"誰か"がわからない。そもそも生まれたばかりの自分にそんな感情があるとは思わなかった。人造人間は戦闘兵器とされるのが一般と聞かされていて、思考は持ち得ても感情は持ち得ないというような話を聞いていたから。


 アダムは不思議に思ったものの、それ以上を考えようとすると頭の中にモヤがかかってきたため、これ以上はまだ考える時ではないと冷静に判断を下し、ルーベンスの手を取って立ち上がる。


 ルーベンスは、アダムが無表情に立ち上がり、しっかりと足が地を踏んでいることを確認すると、ゆっくりとしたペースで歩き出した。






 金属で出来た研究所の廊下を歩く音が二つある。片方はコツコツと、もう片方はヒタヒタという音がしていた。


 無論、靴の音の持ち主でない方がアダムである。廊下は金属製のため、冷たく感じるはずなのに、それを感じない。温度に適応するのも、人造人間の機能の内ということのようだ。



「ディンのことだけどね、」



 今まで沈黙していたルーベンスは急に口を開く。アダムは彼の方を向くことなくただ耳を傾けていた。


 ルーベンスもそれがわかっているのか、気にする風でもなく話を続ける。広くて何もないこの廊下という空間に、ルーベンスの声は、大きな声を出しているわけでもないのにやけに大きく響いた。



「彼女、本当はもっと良い女の子なんだよ。ただ彼女が背負ってる責任の重さのせいで、素直になれないだけなんだ。」



 アダムは黙って聞いていた。一切反応も返さなかった。やがて会話は途切れ、二人は雨で冷えた廊下を歩く。ルーベンスは彼を一瞥するも、何も言わず沈黙を保ったまま案内した。


 やがて一室の扉の前で彼は立ち止まる。無論、連れられていたアダムも同じように立ち止まった。


 ルーベンスが扉の前に立つだけで、センサーでもついているのか、空気が抜けるような音と共に扉が開いた。重厚なその扉は、自分の体を動かすことすら大変そうだ。



「この部屋を使うといいよ。何か欲しいものがあったら何でも用意するから、気軽に言って。」



 何でも、という言葉にアダムは首を傾げる。何でもとはいい加減すぎやしないか、と。


 用意して欲しいのは、この空間からの自由。そう言ったとして、彼らは聞き入れてくれるかというと、絶対にそれはないような気がした。どうしてかはわからないが。何か、頭の中で閃くものがあるのだ。記憶なのか、記憶にしても生まれたばかりだというのに一体何の記憶なのかよくわからないが、記憶の映像は砂嵐だらけで、その中でもはっきり分かるのが、赤い色。


 先ほどのルーベンスの言葉に少しだけ感情を昂らせたアダムは、厳しい口調でルーベンスに問いかけた。



「じゃあお前等の重要な研究データ燃やしてやるから、データと火をくれって言ったらくれんのか。」



 おそらくこれも出来ないことの一つだろうと踏んだアダムは、おれの前で出来もしないことを口にするな、という意味をそう言ってやった。しかし返ってきた答えは。


 

「……妻っていうのは、僕が死ぬまで一生側にいるって誓った女性のことなんだけど、」



 そう。質問してからの第一声はこれだった。さすがにアダムも話の脈絡の無さに眉間にしわを寄せる。この賢そうな男が、一体何を言っているのか。思えばたしかにこの男は、自分が生まれてから、わけのわからないことをよく言っていたかもしれない。


 そんな彼に気づいているのかは知らないが、ルーベンスは話を続けた。



「彼女以外なら、僕の命でさえも君に差し出して構わない。」



 そう言ったルーベンスの顔は、アダムから見る限りだと寂しそうで儚くて。命を手放すことが悲しいというよりも、その悲しいという感情はまるでアダムに向けられているようだった。


 本当に、わけがわからない。自分の命が惜しくないだなんて、一体こいつは何を言ってるんだ。


 アダム少しの動揺を精神力でねじ伏せた。ルーベンスはおそらく、彼の動揺には気づかなかっただろう。


 それきり何も言わないルーベンスに、何かあったのだろうかと、アダムは思わず声をかけた。



「ルーベンス……?」



 アダムの不安げな呼びかけに、ルーベンスは苦笑しながらそれに応える。しかし彼はディンのように、すぐに背を向けてしまった。



「今日はゆっくり休むといい。……明日からは大変だからね。」



 その背は心なしか震えているように見える。否、実際に震えていた。


 見るに耐えなくなって、アダムは自室となった部屋に入室する。すると自動的に扉がしまった。


 白い部屋の中にはベッドが一つ。それ以外には扉しかなかった。窓も、テーブルもなく、本当に必要最低限の物だけが置かれている殺風景な部屋。


 アダムは真っ白なベッドに腰掛けてルーベンスのことを思い出していた。あのなんともいえない顔が頭から離れない。一体この先、何があるというのだろうか。


 今日生まれたばかりのアダムには、そんなこと知る由もなかったのだった。


 

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