Prologue-03
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1時間にも及ぶ『女神の試し』を終えた黒血は、初期装備用に9枚の『栄光の石板』を提示されていた。黒血の知る限り――小説『レゾン・デートル』からの情報――では、彼への提示は、量も質も飛び抜けて優遇されているように思われた。
石板を手に取ると、表面に複数のマス目が刻まれ、それぞれが小径で繋がれているのが見て取れる。双六みたいだな、というのが黒血の印象であった。石板上のマス目に指で触れると、マス目に封印されている力がホログラムとして浮かび上がってくる。黒血は、提示された石板の内容をつぶさに確認している。
「選択しなかった石板はどうなるのかな」
ふと、黒血は疑問を口にした。彼に提示された石板には、【神格(金)】と【希少(緑)】が含まれており、それらは確実に取得するとしても、残りの石板の中にも、【上等(赤)】が1枚と【秀逸(青)】が4枚も含まれている。特段、黒血は優柔不断という訳ではないのだが、想定外の幸運によって得られたレア アイテムの取捨選択には、些か判断材料が足りていなかった。
《取得せず破棄した『栄光の石板』は、希少性に基づいて『祝福の雫』に変換され、あなたに与えられます》
「うわっ……! 音声認識ヘルプか」
誰に向けたでもない自分の呟きに対して、律義に回答を返してきた女性の声――システム ボイスによる音声認識ヘルプ――に驚きつつ、黒血は考えをまとめていく。
(神格石板【神速】の中に、いくつかASがあるな……。しかも、すぐ取れそうな位置に)
ASとは、配列スキルの略称であり、小説『レゾン・デートル』の中にも登場していたので、黒血は知っていた。ASは、専門スキル枠1つで、複数の基本スキルを専門スキル化できる特殊なスキルの事であり、小説の情報が正しいとすれば、【伝承(紫)】か【神格(金)】の石板にしか封印されていない。そのASが、石板【神速】の中には、複数個封印されていたのである。
再び黒血は、自らに提示された石板のスペックを吟味し始めた。
(そもそも神格石板を装備したら、他の石板を育成する余裕なんてないだろうし、適当に選べばいいか)
黒血は、早々に思考を放棄した。特異体質によって、仮想体での能力が軒並み上昇しているとはいえ、根源的な性根――面倒臭がり――は、相も変わらず彼に長考を許さなかったのである。
3枚の石板を抱え込んだ所で、黒血は気付いた。どうやって選択を確定するのか、と。
「あのー、選び終わったんですけどぉー」
何ともしどろもどろな調子で、黒血は口籠った。
《選択した石板は、【神速】、【軍師】、【盗掘家】でよろしいですか?》
「あ、はい」
黒血が了承の意を口にすると、彼が抱えていた3枚の石板が発光し始め、次の瞬間、石板は、細かな煌めきの粒子を残して消え去った。黒血の選択しなかった6枚の石板も、光の塊が崩落するかのように、数え切れない欠片となって、虚空へと零れていった。
《選択されなかった『栄光の石板』は、再び魂魄の回廊へと還り、代わりに20の『祝福の雫』が、あなたに与えられます》
中空に20の光片が出現した。それらは、流星の如き白銀の軌跡を伴って、黒血がいつの間にか装着していた腰巾着に吸い込まれていく。黄昏の涼風が奏でる、儚げな風鈴の音色にも似た鈴の音が、黒血の耳元で聞こえたのと同じくして、黒血の視界の右下隅には、20個の『祝福の雫』を入手した旨がテキスト メッセージで表示されていた。
《あなたは、女神による祝福を受け、『エレウシス』に降り立つ資格を得ました。破片世界“フラグメント”への転送を開始します。
転送の前に破片世界“フラグメント”の説明を聞きますか?》
音声ガイド――システム ボイス――が、黒血に尋ねる。
「うーん……、聞きます」
短い逡巡の後、黒血は答えた。破片世界“フラグメント”という単語に、聞き覚えがなかったからだ。
《女神の秘術で創世された『エレウシス』は、特殊な結界によって守護され、異界からの干渉を退けていました。
ある時、“悪の始祖”黒王『ザラスシュトラ』によって、女神の結界は破壊され、善性で満ちた女神の世界に魔界の悪性が流入します。
女神『マグナ・マテル』は、人々と協力し、黒王と魔界軍を打ち破って、再び結界を構築しました。
しかし、かつての結界の破片には、『エレウシス』の完全な複製が封じ込められており、『エレウシス』は、複数の世界として多重に存在する事になったのです》
システム ボイスの語る『エレウシス』開闢神話に、黒血は聞き入っている。彼は、神話や伝承などといった所謂オカルト系の話が好きで、ファンタジー作品における架空のものであっても、それは変わらなかった。彼がゲームなどの架空世界を評価する際に最も重要視するのが、架空世界の“世界観”であり、その完成度であった。彼にとっての神話や伝承は、“世界観”の完成度を測る物差しなのである。
《破片に封じ込められた世界は、『エレウシス』の複製でしたが、『エレウシス』もまた、破片の世界での変化に影響を受けていました。
破片の世界が善に傾けば、『エレウシス』も善に傾き、破片の世界が悪に傾けば、『エレウシス』も悪に傾くのです。
そして、破片の世界には、女神の結界の効力が及ばず、異界からの干渉を遮るものがなかったのです。
あなたが赴くのは、『エレウシス』の破片世界“フラグメント”。善と悪の戦場なのです》
善と悪、オーソドックスな二元論ではあるが、オーソドックスであるが故に、王道的な安心感もある。頭の中で黒血は、『Raison D'etre Online』の舞台となる『エレウシス』に、ひとまずの及第点を与えた。
《“フラグメント”の数は9つです。プレイヤーは、現実世界の地域ごとに、各フラグメントに振り分けられます。
ゲーム開始時の各“フラグメント”は、全て同一の世界ですが、未来の歴史は、プレイヤーの行動によって変化するでしょう。
プレイヤーの“フラグメント”間の移動は可能ですが、世界に影響を及ぼせるのは、自分の“フラグメント”に対してのみです。
戦争への介入、NPCとの交友、土地の所有などが世界に影響を及ぼす行為となります。
説明は以上です。もう一度説明を聞きますか?》
「……いや、転送を開始して下さい」
《破片世界“フラグメント”への転送を開始します。あなたは、日本フラグメントに転送されます》
システム ボイスが涼やかに告げると、黒血の足元から青と白が斑に絡み合う空間が噴き上がり、漆黒の視界を四分五裂に引き裂いていく。瞬間的に辺りを満たした強烈な光に、黒血は思わず目を細めた。
眼球に焼きつく眩さが癒え、黒血が目を開くと、彼は、白雲に陽光が跳ね返る、雄大な蒼天に浮かんでいた。
「ひっ! な、な、何だ、これ! うわぁあ! お、落ちるー!」
強く目を瞑って、突き出した両手を必死にじたばたさせていた黒血であったが、落下による加速度はおろか、宙に投げ出された浮遊感すらも感じられない事に気付き、恐る恐る目を開けた。彼の眼下には、四方を海で囲まれた巨大な大陸が見える。
《あれは、『エレウシス』の中心に位置する『レムリア大陸』です。開始地点を選択して下さい》
黒血の狼狽をよそに、先ほどと変わらぬ声音でもって、システム ボイスが彼の脳内に響き渡る。同時に、黒血が俯瞰している『レムリア大陸』が、いくつかの区分けごとに色で塗られて、それぞれの区画に国名と思しき文字が浮かんだ。
「開始国を選ばせるだけなら、こんなVRを無駄に使った演出するなよ……。心臓に悪いわ」
今度の黒血の呟きには、誰からも反応は返ってこなかった。