本編
割と全力を尽くして書きました。会誌に載せる関係上ページ制限と奮闘しながら書いたので後日編が出来てしまいました。
出来る限り時代背景を古めに設定しています。あまり出来ていないような気もしますが…。
「こりゃあ道を間違えたか……?」
じっ、と地図を見る。藤次郎の考える現在位置ならば既に目標の場所に到着しているはずだが、前に広がるのはさらに鬱蒼とした木々だけだ。いくらなんでも獣道ですらない森の奥に踏み入る勇気はない。
「どうなってんだ……? ま、仕方ない。引き返すか」
そう言って、来た道を戻ろうとしたその時だった。
鬱蒼とした茂みの中から木々をかき分ける音が聞こえた。熊かもしれない、と考えると途端に彼の顔から血の気が引いた。
「さすがに山中で死ぬのは御免こうむりたいな」
大きく一息吸い、全力で走りだした。枝葉を踏みつける音に気付いたのか木々をかき分ける音がさらに大きく近づく。そして、音の主が顔を出した。
×
家がない、とは結構苦しいものだと喜一は思う。数日前に勘当されて以来、食品と適当な建材を求めて山に入ったがどちらもなかなか見つからない。
「ここ、どこなんだろう」
彼からすれば大きな声で言ってみたが、どこからも反応がない。近くに人がいないから当然だった。来たはずの道は見つからない、そのうえ腹も減ってきた。
「この葉っぱは食べられるかな……」
飢えしのぎに近くに茂る葉に彼は手を伸ばした。この前食べた葉は繊維が固くて食べられたものではなかったことを思い出し、手を引っ込める。二度とあんなものは食べたくはない。
「どう……ない。ひき……」
「お!」
偶然音が聞こえた。確かに人の声だった。
「急がないと!」
駆け足で辺りの枝をかき分けて進む。山から出られないかもしれない、という恐怖が自然と喜一を急がせた。そうしている間にも木々の向こうの人物が走る音が聞こえる。
ようやく枝葉に切れ間が見えた。ここまでくればもうすぐだろう。
「待ってください!!」
辺りが開け、思わず喜一は大声で叫んだ。みれば背を向けて走る男がいた。
「待ってください。僕は決してあやしいものではありません」
「……」
恐る恐る、といった様子で男が振り返った。喜一を見て安堵の表情を浮かべる。
「なんだ、熊かと思った」
「すみません。山の中で迷ってたからなりふり構ってられなくて」
「ああ、こちらも勘違いしていたようだ。すまないな」
「そう言えばなんでこんなところに?」
「この先にある村に行こうとしたら道に迷っていたんだ。お前さんは?」
「僕は、まあ勘当されましてね。食べ物と寝るところを求めて山に来たのですが……。認識が甘かったようで」
「つまるところ迷ったわけだな」
男は困ったように頭をかいた。その表情からは明らかに落胆が見て取れる。どうやら道を聞きたかったようだ。
「まあいい。お前さん、名前は?」
「僕は多木喜一です」
「喜一か。俺は升田藤次郎、一応役人みたいなもんだよ」
意外な藤次郎の職に喜一は面食らった。この退廃的な言動の男にどうやって役人が務まるのか。
「は、はあ。そうなんですか」
「それで喜一。お前さん飯に困ってるんだよな?」
「そうですけど……」
「なら手伝ってくれ。その間の飯と宿くらいは保障してやる」
「構いませんよ。それではよろしくお願いします」
「ああ頼んだ」
「で、何をするんですか? ものによってはやっぱり――」
「安心してもらって構わない」
心なしか嬉しそうな藤次郎が服についたほこりを落としながら言った。
「妖怪捜しだ」
×
「妖怪捜しだ」
たちまち喜一の表情が曇った。
(まあ一般人ならそうもなるか)
一般市民の十中八九が喜一と同じ反応を示すことくらいは藤次郎にも分かる。しかし嘘をついているわけではない。
「詳しく説明しよう」
「ぜひともよろしくお願いします」
「簡単に言えば差別、または隔離状態にある妖怪を捜索し、保護する。妖怪は住民票なんてないからな。秘密裏に保護するわけだ」
「それを一般市民に言っていいんですか?」
「そんな荒唐無稽な内容他人に言ってみろ。即座に医者に連れていかれるさ」
「それともう一つ。秘密裏に保護、って誘拐なんじゃ……」
「一応合意の上で、だ。そうじゃなければ一般市民にばれた時に言い訳がきかないだろう?」
納得のいかないような顔をしている喜一を尻目に、藤次郎は再び地図を開いた。先ほどの経験をもとに目指す村への道順を構築する。
「ねえ、藤次郎さん」
「何だ」
「妖怪ってどんなのがいるんですかね」
「大概はまともな奴さ。それこそ一般の人間と同じだよ。むしろ隔離している奴らの方こそ妖怪じゃないかって思うくらいだ」
その言葉には憎たらしい誰かを語るような、そんな棘が含まれていた。
「ま、安心してくれ。人間から大きく逸脱した妖怪は俺たちの仕事の範囲外だから」
ばつの悪そうな笑みを浮かべながら藤次郎は言った。
「さてこんな話は道すがら話せる。日が暮れる前に急ごう」
さっきまでの話をすべて打ち切るように急な転換だった。不審なほどに明るくふるまう藤次郎に喜一は若干の違和感を覚えたが、背に腹は代えられない。覚悟を決めて彼の後ろについていった。
×
「着いたぞ」
途中何度も迷いながらも進み続け、藤次郎の目指した丙塚村の入り口が見えてきた。既に外は暗く、人家の灯りが遠くに僅か確認できる程度だが。
「ようやくですか」
「地図が悪いんだよ、地図が。あんな細い脇道を大きく描く方が悪いんだ」
地図を何度もたたき、いらないものを捨てるように喜一に投げ渡す。その様子は駄々をこねる子供そのものだった。
「良い大人が物に当たるのはどうかと思いますが」
「その理屈が通用するのは公平かつ正確な物品のみだ。偏見と妄想のみで作られた物には改良の必要がある。それを俺は指摘しているだけだ」
「……」
本当に藤次郎は役人なのか。その疑問は喜一の中で大きくなるばかりだ。
「藤次郎さん」
「なんだ。急にあらたまって」
「あなたは本当に役人なんですか」
ついに疑問が声に出てしまった。ほとんど無意識に言ってしまった言葉に今更ながら喜一は口をつぐんだ。しかしはっきりとその問いかけは藤次郎の耳にも入っている。
「……」
しばらくの無言のうち、藤次郎は歩みを止める。喜一からは藤次郎の顔がちょうど見えない。怒っているのか、悲しんでいるのかどうかも喜一には判断が出来なかった。
「見たいか? 役人身分証明書」
抑揚のない声で藤次郎が問いかけた。
「ええ、とても」
「ほらよ」
手帳程の大きさの役人身分証明書を藤次郎は振り向かず器用に喜一に投げ渡した。しかし一般役人を示すものと異なり、赤を基調とした装丁に喜一は怪訝な顔になった。
「これって……」
「その通りだ。俺は特定思想制限法違反該当者だよ。危険思想を持った役人なんてなかなかいないから珍しいだろ?」
おどけたように藤次郎は言う。国家の利益になるならば危険思想者も受け入れる。そんな国家方針の最先端を行く男こそが喜一の目の前にいる藤次郎だった。
唖然とする喜一に藤次郎は少し困惑したようにも、笑いをこらえているようにも解釈できる表情を見せる。
「まあ安心してくれ。別に国家を倒そうとか一般市民に危害を加えたいわけじゃあない」
「信じていいんですか……?」
「だったらその証明書の中身を見てもらっても構わんがね。特定思想の詳細が事細かに記されている」
「……」
「ここで降りるって言うならそれでも構わんさ。どのみち大した仕事じゃないからな」
「手伝いますよ」
少し考えて喜一が口を開いた。
「ここまで来たんです。来た道を帰れ、っていう方が酷ですよ」
冗談めかして言う。喜一の顔からはさっきまでの迷いが消えて、晴れ晴れとした笑みが広がっていた。その様子につられ藤次郎もうっすらと笑う。やがて表情だけの笑いは押し殺したような笑いになり、たちまち大声の笑い声に変化した。
「じゃ、頼むぞ。危険思想者の助手」
「はいはい。それでどこへ行くんですか?」
「どれ、まずは村長宅に襲撃をかけるとしようか」
あきれたように喜一は返したが藤次郎は気にする様子もない。芝居がかった口調のまま、機嫌よさげにまた歩き出す。
それは長く続かなかった。すぐに溝に足を踏み外したからだ。
「……何やってるんですか」
「うっせえ、暗くて見えなかったんだよ」
×
一人で村長宅に入って行った藤次郎が戻ってきたのは半時ほどたってからだった。
「話の分からん村長だ」
玄関を力任せに閉め、忌々しげに藤次郎が吐き捨てた。怒りを隠そうという気は一切見受けられない。
「どうかしたんですか?」
「調査依頼をしたら即座に取り巻きを呼ばれた」
「どうせ喧嘩腰だったんでしょう?」
「俺は誠心誠意込めて下手に出たさ! にもかかわらず妖怪の話題を出したらすぐこうだ!!」
取り巻きはどうしたのか喜一は疑問に思ったが聞かなかった。大体の予想はつく。
「で、その妖怪の場所は聞けたんですか?」
「ん? ああちょうど三発目で教えてくれたよ」
「やっぱりですか」
「先に手を出した方が悪い。一応正当防衛の範囲だ」
「頼みますから巻き込まないでくださいよ」
「助手は生死をともにするくらいの覚悟が必要さ」
そう笑って言い、村長宅を背に歩き出す。先ほど溝にはまった左足は依然として引きずったままだった。
「藤次郎さん、足は治療した方が……」
「くじいただけだ。ついでに目標地点まではすこぶる近い」
「そういう問題じゃなくてですね……」
ついていきながらも必死に説得する喜一だったが、全く藤次郎は意に介した様子もない。そうこうするうちに藤次郎の足は山に向かっていた。
「ちょっとどこ行くんですか!?」
「決まっているだろう、山だよ。そこに妖怪が隔離されている」
「その足で山に行くなんて頭のねじでも抜けました?」
「山に入ってすぐだ。そんなに俺も間抜けじゃない」
「村の代表者殴り倒しておいて何を言いますか」
山道に入る。木々に隠れるようにして家屋が建っているのが見えた。それが快く思われていない人物の住処であることは容易に想像がついた。藤次郎にも家屋が見えたらしく、機嫌の良さそうに鼻を鳴らし、口の端を吊りあげる。
「どうやら当たりらしいな」
「そうみたいですね。でも――」
「こっら!! 何をしとるか!!」
突然怒声が二人のもとに飛ぶ。声の主は鷲鼻に腰の曲がった、魔女か祈祷師を思わせる老婆だった。家の陰から姿を現した老婆は見た目に反し軽快な動きで二人のもとにずんずんと近づいてくる。
「お前はよそ者だな!?」
「ああ、その通りだ」
「悪いことは言わん、さっさと帰れ。災いが降りかからんうちにな」
「なんだかややこしい奴がでてきたな」
「ややこしい受け答えをする藤次郎さんが悪いんですよ」
「ええい、黙れ! とにかくここを去れ!!」
「去れと言われてもこの時間じゃなあ」
「あらあら楽しそうね」
一方的にまくしたてる老婆とのらりくらりと受け流す藤次郎の会話に少女が急に口をはさんだ。藤次郎を物珍しそうに見る動きに合わせ、烏の濡れ羽色の髪が穏やかに揺れる。
「婆様、一体この人たちは?」
「あき様、家にお戻りください。婆の名にかけてこいつら不届き者は成敗いたしますゆえ」
「うっせえ。できるもんならやってみろ、ばばあ」
「藤次郎さん!」
「言いよったな! 若造!!」
「あらあら本当に楽しそうなことで」
「うう、収拾つかなくなってきた」
口汚く言いあう老婆と藤次郎にそれを煽りたてる少女、山中の静寂はしばらく戻りそうになかった。
×
「ほう、つまりお前らは――」
「そこにいる娘さんを保護しに来た」
少しの間言い合った後、あきの提案によって家に招待された二人は弁明の機会を与えられた。しかし藤次郎はいまだに戦意が衰えないらしく、老婆に対して攻撃的な姿勢を崩さない。
「ならんな」
「ばあさん、これはそこにいる娘さんのためでもある。この不当な扱いから今こそ逃れるべきなんだよ」
「なになに、私のこと?」
「あき様、自重してくだされ」
「たまには私も他の人と話したいわ」
「ほら、ばあさん。娘さんもそう言ってることだし」
「だまっとれ、小汚い風貌をこの子に見せるな」
「なにをッ!」
あきれてものも言えない喜一はこの会話をとりあえず見届ける。が、やはり藤次郎が老婆に喧嘩を売り次第に収拾がつかなくなっていった。
「あのすみません。ちょっと外へ行ってきます」
「ああ分かった」
「あら、じゃあ私も」
出来るだけ目立たない様に外に出るつもりが意外な同伴者が付いてしまった。おかげで老婆の注目を痛いほどに喜一は浴びることになる。逃げるようにして外に出た時には、心労のあまり藤次郎はため息をついた。
「ふう」
「お疲れ様ね、あなた」
「まあね。君の方こそあんな頑固なおばあさんと一緒で疲れない?」
「ああ見えてもかなり甘い人なの」
「そうか、なら良かったよ」
「……変わってるわね、あなたは本当に」
「勘当されると価値観が変わるものだよ。ついでに隣にあれだけの変人がいたらそうもなる」
そう言って喜一は肩をすくめる。家屋の中からはその変人の声が聞こえた。
「じゃあそんな変なキイチに一ついいことを教えてあげる」
すこし得意げに、すこし悲しげにあきがほほ笑んだ。
「この村は四日後の二十七日に滅ぶわ。原因は疫病。そして明日、この村にいる人は病原を吸い込むことになるわ。例外はいない、私もよ」
「……、なんとも不気味な予言だね」
反応に困りつつも喜一は言葉を返した。目の前の少女がどんな妖怪なのか聞くべきだった、と今更に後悔をした。
「ええ。しかも絶対に当たるからたちが悪いわ」
「じゃあ僕も死ぬってことか」
「ご名答よ」
ふう、とため息をひとつつきあきは喜一を見つめた。黒々とした虹彩が僅かな月明かりを反射する。吸い込まれそうなほどに澄んでいて、丸い瞳だった。
「ねえ、あなたに一つ質問」
「どうぞ。僕でよければ」
「私はどちらに行くべきだと思う?」
「……、どういう意味?」
「国か、村か、よ。あの役人に付いて行けば、私がこのさき生き長らえる可能性もあるわ。でもその可能性はかなり低い。仮に生き残ったとしても実験生物として飼殺しにされるでしょうね」
「確かに。そうかもね」
「村にいれば絶対に生き残ることはあり得ないわ。村人とともに滅びるだけ」
「だろうね」
「だからあなたに聞いてみるわ。私は僅かな希望を信じて村を捨てるか、それとも僅かな愛郷心を貫いて命を捨てるか」
一息に言ってあきは笑った。試すような笑い方だった。結果など分かり切っている、とでも言いたげだ。喜一はどう見ても役人のお付きにしか見えないのだからそうみられて当然なのは仕方がない。
「んん、どっちでも良いんじゃないかな。好きな方を選べば」
「……は?」
心底意外、とでも言うようにあきは口を開けたままになる。
「いや君に死んでほしくはないけどさ、でも僕が決めることじゃない。そうじゃないかな?」
しばらくして呆然としたままだったあきは顔を伏せ、体を徐々に揺らし始める。怒りのあまりに体を震わせているのか、と喜一は思ったがどうやら違うらしい。
「ぷっ、あはははははは!!」
「え?」
「なるほど、なるほどね! 本当に変な人ねあなたって人は」
「あの、どうかした?」
「自分で決める、か。なるほどね、貴重な意見ありがとう」
「あ、ああ。どういたしまして」
「それじゃあ私からもう一つ良いことを教えておくわ」
うっすらと笑いながらあきは喜一に顔を近づける。唇が触れるかというような距離におもわず喜一はドギマギとした。その様子をみたあきの表情は打って変わって真剣なものになる。
「あなたがもう数日早く来ていたら、心の底から惚れているところよ。今日来たってことが残念でしょうがないわ」
そう言うと同時にさらにあきは顔を突き出した。唇同士が軽く触れる。あまりに突然の出来事に喜一の思考は完全に途切れた。そうしている間にあきは顔を離し、またもとのいたずら好きの含み笑いになった。
「そうね、私が未来を切り開いてあげるわ。キイチみたいな貴重な変人が死んでしまうのは惜しいからね」
「ちょっ、ちょっと待って今さっきのは――」
「細かいことを気にしないほうが楽しめるわ」
言い終わると同時にあきは背を向けて家屋の中に戻る。先ほどの言葉の真意の分からないまま、喜一だけが取り残された。反芻したところで分かるわけもなく、
「……寒くなってきたな」
結局すぐに諦めて家屋に戻ることにした。
×
喜一が目覚めた時にはあきと彼女の乳母、はつ江の姿はなかった。
外を見ても辺りは霧に包まれて全く見えない。村の様子もここからでは一切分からず、まさしく陸の孤島という表現が的確だった。
「藤次郎さん、起きてください。二人ともいないんですが」
「ん、うぅぅ。ばばあが居ないなら良いことじゃないか」
眠そうに眼をこすりながら藤次郎が答えた。寝起きですら悪態をつくほど両者の禍根は深いらしい。
「宿を貸してくれている人ですよ?」
「俺が個人的に嫌いなんだ」
「そんなことは分かっています」
「分かっているなら何よりだ。ま、どうせ二人とも用事だろう。気にすることはない」
「そうですかね?」
「確実に、そうだ」
藤次郎が強い口調で念を押す。意固地になっているような彼の態度は、逆に喜一の冷静さを取り戻すことに一役買った。
「ちょっと探してきます」
「はいはい、お前さんが迷わないようにな。ミイラ取りがミイラになったら今度捜すのは俺なんだから」
「分かってますよ。そう言えば」
「どうした?」
「彼女は何の妖怪なんですか?」
「クダンだ。未来を読むのが大の得意でな。しかしながらかなり特殊な部類みたいで……」
「あ、そこまでで構いません。ありがとうございます」
急ぎ準備をして扉を開ける。分厚い霧は壁のように視界を遮り、山道を隠していた。喜一はひるまずに霧の中に勢いよく飛び出す。少し進むだけでさっきまでいたはずの家屋は灰色の壁の中にのみこまれ消えた。
「これは難儀なことになるかも……」
この先起こりうる事態を想像して喜一は眉をひそめた。昨日の予言は彼女の妄想かもしれない、などという馬鹿げた考えは既に捨てた。むしろ彼女が予言を実行するのではないか、という考えに至る。
「まさか」
否定したかったが考えれば考えるほどにあきとはつ江の疑わしさは増すばかりだ。隔離された恨みから村人を、という筋書きが喜一の頭の中で展開していく。
「そんなわけないだろう」
自身の間抜けな妄想を打ち消すため、喜一はとにかく彼女たちの残したらしい足跡を追うことに専念する。
足跡は意外にも長く続いた。喜一がようやく二人の姿を確認したのは山頂だった。見ればはつ江は激昂した様子であきに何かを言っている。ばれないよう、喜一は辺りの草むらの陰に隠れて様子を見守る。
「なぜそんなことを言うのです、あき様! 疫病を蔓延させなければあなた様が永遠に苦しむことになるのですよ!!」
「分かっているわ。でもこの村の多数を苦しめるくらいなら、私一人だけが犠牲になる方が理にかなっている。そうじゃないかしら?」
「そうかもしれません、そうかもしれませんが……!」
「これは私の選択。私一人が苦しめばいいわ」
会話を聞くうちに喜一の妄想は確信に変わり始める。やはりはつ江は村人を虐殺しようとしているのではないか。
「あーあ、こらとんでもない展開だ」
「とっ、藤次郎さん!? どうしてここに」
「こら、大きな声出すな。気付かれるだろう?」
「ですが……」
「喜一、お前が馬鹿な妄想してるんじゃないかと思って付いてきたんだよ。怪我のせいで少し遅れちまったがな。どうせばばあが村人殺そうとしてるとか考えてるんだろ?」
「ええっと、それは……」
「ほら図星だ。安心しろ、そんなことはあり得ん。あのばばあは無駄に愛郷心が強いから村に危害は及ぼさんさ、絶対にな」
あきれたように藤次郎は肩をすくめ、喜一から目を離した。
「ま、あの娘も同等に大切なんだろうよ。ただそれも問題があるけどな」
眩しいものを見るがごとく藤次郎は目を細めて言った。その仕草は懐かしいものを思い出す様子にも似ている。
「も、問題って?」
「愛情が行動を束縛するなんて良くある話だろ? ま、この娘の場合はどこかの女たらしが解放したみたいだけどな」
「誰のことを言ってるんですか」
「馬鹿野郎、お前以外に誰が居るんだよ」
喜一の頭をはたき、藤次郎は立ち上がった。当然草むらから立ち上がったのだから、藤次郎があきとはつ江に見えないはずがない。藤次郎を捉えた二人が目を剥く。
「げっ! 腐れ木端役人!!」
「話は全部聴かせてもらったぞ」
「暴力に押し入り、しまいに盗み聞きとは少しは恥を知れ!!」
「まあそうかっかするなよ、ばばあ。せっかくの娘さんの決断だ。無碍にするってのはあまりに大人げなくないか?」
「他人の事情に首を突っ込むな!」
「このままだとおれも死ぬんだろ? 関係なくはないさ」
「お前……、それをどこで!?」
「最近の村長って親切なもんだな」
わざととぼけて藤次郎が言う。相手を怒らせるための意図しか感じない、会話としては三流以下のしゃべり方だった。
「いけしゃあしゃあと良くそんなことが言えますね」
「喜一、話をややこしくするのはよせ。……、とまあとにかく娘さんの意思を尊重してやったらどうだ?」
「……ならん。それだけは絶対にならん!」
「婆様!」
「この子をこれ以上苦しませるのは止してやってくれ……。分かるだろう? 不当に虐げられて過ごしたことくらいは。だからこそ――」
「いい加減にしろ」
聞いたことの無い藤次郎の冷たい声がはつ江の発言を遮る。冷たい声に反して冷静さを失っているのは火を見るより明らかだった。
「娘のためを思うのなら自由にさせろ。最愛の人物に死の間際後悔させたいのか? お勧めしないぜ、心底後悔したやつを俺は知ってるからな」
「……」
「なあばあさん、本人の意思を曲げたところでこの娘は助かるか?」
「藤次郎さん、言いすぎじゃあ――」
「喜一、黙れ」
じっと、はつ江の方を見据え藤次郎は動かない。何に対して怒っているのか、本当のところ藤次郎にもはっきり分からない。目の前の縮こまった老婆か、それとも過去の自分か。
「……わかった。じゃが最後に決定するのは本人の意思じゃ」
しばらくの沈黙ののち、ついにはつ江が折れた。
「私の考えは変わらないわ。村から疫病を消し去る。他の村人にどんな反応を返されても後悔はしない。例え……、永久に苦しんでもね」
「え、そんな……。そんなこと……」
「どの道助からない命よ。それだったら私の好きにさせて頂戴」
「ま、決定ってことだ。最期くらいこの娘さんの言うとおりにしてやれ」
×
村人が異変に気付いたのは正午を過ぎたあたりだった。いつの間にかあの忌むべき山の頂に小さく白い幕がかかっていた。
「ありゃあ……、なんじゃ?」「さあ、分からん」「どうせ妖怪が奇特な行動に出とるだけじゃろう」
口々に野次馬が喋ったこともあり、辺りが騒然とする。それを静かに出来る人間はこの場にはいない。
「おおい! 村長も気にする必要がないと言っておる」
ある村人が叫びながら走ってくる。それを聞くやいなや集まりかけていた村人も興味を無くしたように自身の作業に戻っていった。村長が気にする必要がないといえばその通りなのだ。
×
村民が無関心に生活する中、白い幕の向こうでは藤次郎と喜一が慌ただしく駆け回っていた。
「ほれ、とっとと働け!」
「そういうばばあも働いたらどうだ? いい運動になるぜ?」
「藤次郎さん、そっちきちんと持っててください!」
麓の家屋から持ってきた祭壇が大きく藤次郎の方に傾く。危うく潰されそうになった藤次郎は全力を振り絞り傾きの是正に尽くす。
「これで終わりですよ、頑張ってください」
「わかってる……。わかっているが……」
藤次郎が限界を迎える寸前ということは分かるが、喜一も祭壇の片方を持っているためどうしようもない。目的の場所まで限界を迎えないことを願うばかりだ。
「っと、おいしょっと!!」
なんとか藤次郎は耐えきった。その代わりに祭壇を所定の場所に落ちた直後に倒れこんだが。
「お疲れ様」
「ああ、ありがとう」
「おい……、俺にねぎらいの言葉は無しか」
「盗み聞きの罰じゃ。反省せい」
「うるさい……」
「さて、じゃあ儀式を始めましょうか」
その言葉とともにさっきまでの弛緩した空気が一気に引き締まる。仕方ない、といった表情のはつ江が藤次郎を引きずって移動していく。白い幕の内側にはあきと喜一だけが残された。
喜一の表情が険しいものに変わる。
「本当に、それで良いの?」
「ええ。私が選んだことよ。国にも村にもこだわるわけでなくキイチ、あなたのために私は命を投げ出すわ」
「……」
「気に病まないで」
「そう言われても……」
「じゃあそうね……、一つ私のわがままを聞いて」
「気に病むな以外でならね」
「分かっているわ」
わざとらしくあきれたように彼女が笑う。喜一からしてみれば真剣なことを言ったつもりだった。
「私をたまにでも良いから思いだして」
「どういうこと?」
「気に病むなって言っておいてこんなわがまま、おかしいわね。キイチには苦しんで欲しくない、でもだからと言って忘れられるのは――」
あきの強がりは最後までは続かなかった。次第にしゃくり声が大きくなり、涙が頬を伝い始める。
「悲……しい…から」
しかし彼女自身は気付く素振りを見せるわけにはいかなかった。最期まで強がらなくてはいけないのだ。
「大丈夫。生涯こんな綺麗な人を忘れはしないよ」
「だ、から……わたしは……妖怪」
「関係ないよ」
あきに近づき、力強く抱きしめる。
「ありがとう……」
喜一に抱きしめられたまま、あきが深呼吸する。もう一度繰り返す。何度も繰り返す。何度も深呼吸をして喜一から離れたあきは、先ほどまでの弱々しい少女ではなかった。
「さて。じゃ、やりますか。というわけでキイチは幕の外に出て」
「う、うん」
「心配しないで、もう大丈夫だから」
「分かった。信じるよ」
「ありがとう」
ほほ笑んだ彼女を見て喜一も腹をくくり、幕をあげて藤次郎たちのもとに向かう。約束したからには絶対に守らなければいけない。
××
「さよなら」
徐々に感覚が消え始めている。これからクダンの呪いが私を苦しめ続けるに違いない。
しかし絶対に耐えきれる。彼がいつまでも覚えてくれているから。
そう約束をしたのだから。