それぞれの思惑 その4
いつになったら伏線を回収するのやら……
「では、再来週からは嬉し恥ずかしい中間試験だ。各人心して取り組むように、以上」
放課後のホームルームを、村上のやる気のない声がしめくくる。それにつられて、一応は担任の話に耳を傾けていたクラスメイトたちは各々だらけたり、くだけて背を伸ばしたり、反対に気合入れて部活へ向かったりしていた。
「テスト……ねえ」
開放感に舌打ちされた喧騒に取り残されるようなに、ふっと息を吐いた。手に持った紙切れ、試験日程と主な出題範囲を印刷したA3用紙をふらふら揺らす。試験で思い出すのは入学生対象の実力テストだが、しょーじきいい思い出がない。しかし、授業はすでに試験前の独特な歩幅調整に入っていて、試験が眼前に迫ってきてることを否応なく見せ付けてくる。
それに、確か再来週のテストが終わったすぐ後には全国模試まで控えてる。おかげでやる気なんて降下するばかりで一向に浮上してこない。
そういえば、志望大学どこにしたっけ? …………、まったく思い出せない。
「は~だりい。もういいじゃんテスト、範囲どこまでだっけか? 俺数学とかすでにやばいんですけど」
「まあまあ、部活が休みになんだし、いいじゃねえか」
「それが憂鬱なんだって……俺しょうにあわねんだよ、こう机に向かってちまちまとか」
「山張っとけ、山。あたれば千里の道も一歩からってな」
何かいろいろと間違ってないか、それは……
おなじみと繰り上がりつつある高夏たちがやってきて、部活までの僅かな時間を無駄に消化していく。
「けどよぉ。はるかが羨ましいよ、マジ」
「今の流れで、どうして俺が羨ましがられるんだ?」
鞄を手に立ち上がりながら、眉をひそめて高夏に視線を向ける。
「だってよ~」「なあ?」
言葉を濁して示し合わせる高夏と三石の目が、見る見るうちによくわからない感情がゆれる。
羨望、……だけじゃないな。嫉妬、不平、煩雑、……なんとなく、一歩引いている感じがした。
「何だよ、はっきりいえ」
「なら、はっきり言わせてもらう……」
俺がさらに促すと、言葉面だけ威勢のいいことをのたまって、高夏は多きく胸を膨らませた。
「――お前、これから会長様とプライベートレッスンだろうがっっっ!!!!!!」
瞬間、教室の空気がひび割れた。
「違うわ! 部活で顔合わせるだけ! 他にも部員がいるっつの!!」
くらっと意識が沈みかけたところで我に返り、高夏の荒声につられて大声で反論する。
「大体なんだ、プライベートレッスンて。お前なんかひねくれた方向に事実を誇張してないか?」
心なしか、高夏の表現の中に卑猥な色を見つけてしまった。人のあれこれに疎い俺でそう感じたのだから、教室に残っている男子連中は……見事に白い冴えきった目で俺の事を見ていた。談笑していた女子も、汚らわしいものを見るような目で見てくるか、野暮な井戸端会議のようにヒソヒソ話していた。
「言え! というか今日こそは言わせてもらう! はるか、てめえどこまでやりやがった」
「どこまでも何も、やってねえよ」
「会長の趣味はっ、好きな食べ物はっっ、付き合いたいタイプはっっ!!」
「直接本人に聞いてくれ!」
高夏の叫び声に、植えた野郎どもが目を光らせる。その様を見つけてしまい、俺は顔を引きつらせながら廊下に逃げ出した。
「瀬能っ、後任した」
「まあ、善処しよう」
ため息ついて立ち止まった、ちょうどその時だった。横から、がこんと何かが外れる音がした。
体の向きを変え窓によると、グラウンドでの真ん中でオレンジの分厚いマットに誰か仰向けに寝転がっていた。健康的に焼けた肩は細く、だぼだぼのシャツの胸のふくらみからもどうやら女子らしかった。心ここにあらずとぼんやりと雲を眺めていた彼女は、気だるそうに起き上がりマットから降りる。縞々模様のバーを拾い上げて、棒の出っ張りに乗っけると数メートル距離をとった。
「高飛びの新見さんね」
彼女より先に俺の心臓が跳ね上がった。
冴えきった低い声に振り返ると、神田部長が視線を同じくしていた。冷え切った黒い目で、ニヒルに頬を吊り上げて新見さんとやらを見守っていた。
何も言えず視線を戻すと、バーに新見さんの腰が引っかかり、再び地上に落ちた。
漏れた、ため息とも冷笑とも区別しづらい吐息はトラックをランニングする女子陸上部員の掛け声と、立ち上がる砂煙にもみくちゃに掻き消された。
「神田先輩、今度こそ俺を迎えに来たんですか?」
「偶然よ」
神田先輩は呆れたように鼻で笑い、俺を無視して歩き出す。
「部長が言う偶然ほど信じがたいものはないですよ」
日ごろどれだけ、伏線を渇望してるのか自覚してないんですか。俺は肩をすくめて神田部長の後を追った。
気温はだいぶ下がったとはいえ、昼間の熱が色濃く残っていて、じんわりと額に汗が浮かぶ。
「遥歌ちゃん、何か飲み物持ってない? 自販機はどこも売切れだし、もって来てたお茶は朝のうちに飲みきっちゃったのよね。ほんと暑いわぁ」
「俺も授業中居眠りして、危うく脱水症状でぶっ倒れるところでした」
「それはご愁傷様」
「本当にです」
悪夢を思い出して口をゆがめていると、神田部長が鼻で笑った。
「ちなみに、何でうちが冷房入れる時期を決め打ちしてる理由知ってる?」
「知りたいとも思えないですね」
どうせ教育委員会と環境省が論争の末、とかいうそんな感じだろう。節電だとか、エコだとか、エゴの安売りも大概止めにしてほしい。
そんな邪険に捉えていると、神田部長は小さく笑いながら楽しげに話し始めた。聞いてみると、結構根が深いものだった。戦中の質素倹約から、一昔前のスポコン精神。いろんな信念を持った校長たちが今の厳密な校則を形作っていったらしい。
「――冷房の話からだいぶかけ離れましたけど?」
学校の成り立ちから、繁栄の時代、廃れた時代。三つの時代を乗り越えた英雄譚は、明らかに脱線してるよな?
「伏線とはつまりそういうことなのよ」
高らかな宣言は同時に寂しさを根底に敷き詰めていた。俺が心底呆れるタイミングを失っていると、神田先輩はくるりとその場で回った。髪を束ねるカチューシャが清涼な音を鳴り響かせた。
「地面から生えてきた茎だけだと、その根にある実の大きさは素人には到底わからないの。だからこそ、誰かが見極め、選りすぐって、引っ張りあげてあげないといけないのよ。それが――」
「伏線回収部の存在意義、ですか?」
神田部長が大きく瞳を大きくして、それからにんまりと表情をほころばせる。
「わかってるじゃない! さすが私が見込んだ遥歌ちゃんよ!」
「できれば別の遥歌ちゃんを見つけてほしかったですけどね」
大きく何度もうなずいて神田先輩が喜ぶというか、自分の偉業をたたえるようにドヤ顔だった。鼻歌を口ずさみながら軽快に部長の足取りは弾む。小さくも力強い、俺の鈍い体をぐんぐんと引いていく。出会った日、部長が俺を無理やり職員室から連れ出した姿が重なる。
あの時も、部長の足音は羽が生えたように軽やかだった。
そこまで想起して、俺はふと思い付きを口にした。
「部長、昔は陸上でもやってたんですか」
神田先輩の鼻歌が止まる。ただそれだけだというに、人の体重を感じさせない軽やかな足音が、ふらりふわりと危ういものに感じられた。
「……私、そんなこと漏らしたかしら」
「いえ、さっき新見さんとやらを見つめてる顔が、どうも懐かしさを彷彿とさせただけですけど」
本音を言えば、それだけではない。もっと壮絶な、それこそ自信をへし折られた挫折があったのではないか。人には誰しも、土足で踏みにじられたくない思いの一つ二つあると知ってるくせに、とめどおりもない好奇心が結論を急ぐ。
「ほんと、遥歌ちゃんは聡いよね。こんな予定じゃなかったんだけどなあ~」
部長が浮かべる薄い笑みはぎこちない。
「新見さんね。実は二年生のホープなのよ。中学時代は155センチとんで地元の大会では圧勝。全国でも結構いい線まで言ったのよ。だから、うちに来たときも一年のときから記録会に引っ張りだこだったの」
話をはぐらかされたのはわかった。だけど、俺はそれを指摘しなかった。言いたくないことなら、言わなくてもいい。いづれ、真正面から向き合って答えを見つけなければいけないのだから。
「けどさっきのバーはそんなに高くなかったみたいですけど」
「そう。彼女ね、高校に入ってから記録が横ばいなの。それでついに、先週くらいから予選会のボーダーラインも超えられるかあやしくなってきたの」
「スランプというやつですね」
昔きらびやかな成功を収めたから、新見さんには相当つらいものがあるのかもしれない。今までできていたことができなくなった衝撃は、いかほどだろうか。
「悪名高い件の神田明実が随分とおとなしいですね。スランプで悩む生徒がいたら、部室に監禁して、休学させるくらい問い詰めるんじゃないですか?」
へらへらと笑いながら、俺は毒づいた。俺の浅はかな誘導は、部長には簡単に見抜かれ、彼女は突然腕を広げてターンしたか。そうかと思うと、バレェの振り付けのように寂寥感を包み込むように自分を抱く。
「そうね。私もそうしたかったわ」
「どうしてしなかったんですか?」
合いの手代わりに続きを促すと、
「実はね、彼女のスランプの理由って言うのが」
「スランプの理由が?」
幕引きの瞬間、部長は肩をすかした。
「彼氏に振られた腹いせに馬鹿食いして肥やした太っ腹をおおっぴらにしたくないだけなのよ。ほら、陸上のシャツって結構すそ短いでしょ? で、背面とびなんかするとねー」
実際に部長はその場で目いっぱい背伸びをしてみる。
……くだらねえー。その分なら、高校入ってから~も、彼氏とべったり過ぎて練習サボってただけじゃないかと揶揄したくなる。
「ほんと、あのどこが太ってるって言うのかしら? 喧嘩売ってるわよね!」
「それで、部長が突っかかるのはそっちですか」
「とう~~ぜん! 乙女にとって、体重は1キロでも致命的誤差なのよ」
「部長が乙女って器ですか」
余計な一言のお返しはローキックだった。
俺より身長は低いはずなのに、どこにそれだけ力を溜め込んでいるのか、足の腱が切れるんじゃないかというほど鋭い一撃だった。
「キミが黙々と私についてくればいいのよ! Are you lady?」
「使い方まちが――」
指摘するまもなく、腕を引っ張られる。
いつしかと同じようにまた、俺は足がもつれながら部室へと向かう。
そうだな、折角だから、東乃先輩に勉強を見てもらおう。一週間前の自分にはなかった余裕を持って、そんなことを漠然と考えていた。




