変わる=始まり
リョウが進退を決めるひとコマ。
会長の熱愛が校舎の隅々までいきわたるのには半日と必要なかった。
翌朝には二つ隣のクラスの生徒に東乃会長の番号を教えろと懇願され、ホームルームまでの時間はクラスメイトに囲まれ、授業中も休憩中も殺気立った視線を常に感じた。
さらには畑先輩が好きな先日の三人組には執拗に絡んでくる。
クラスメイトには生暖かい同情、上級生には冷ややかな侮蔑と盛大な舌打ち、同姓には僻みの雨あられ。面と向かって来る連中はまだいいが、遠目から好奇心をのぞかせたり、擦違うたびにせせら笑うやつらの方はよっぽど俺はむかついた。
とにかくも教室の孤島だった俺は、数日にして露骨に伏線回収部の矢面にたたされることになったわけだ。
「はーるかっ」
陰鬱と迎えた水曜日、部活の更新手続きが完了する放課後。
HR終わりで部活にはけていくクラスメイトたちを眺めていたら、その一人、高夏がへらへら笑いながら寄ってきた。伏線回収部騒動――勝手に命名――で奇しくも名前を覚えるようになった一人だ。同じくサッカー部の三石と、陸上部の瀬能も一緒だった。
「今日はきっちり振られて来い! そしたらゲーセンでも行こうぜ」
来るなり東乃会長との決別を慰められ、うんざりとする。からかうにしても少しは気を使ってくれ。
「勝手に言ってろ」
「ほー、余裕だな。どうせアドレス交換もしてねえ童貞だろ」
今日の昼、会長から放課後の部活について確認メールが来たが……、まあ言わぬが吉だろう。
野暮ったく馬鹿笑いする3人を適当にあしらうと、向こうもわかってるのか、意地の悪い笑みを引っ付けて部活に向かっていった。だから違うっつの。
廊下を競うように駆けていく足音が消えるまで何となく教室の入り口を眺めていた。
考えてみれば、神田先輩に引っ張られてから、教室の中で息苦しさを感じることが少なくなった気がする。それまでは俺には居場所がないと達観していた。友人の枠組みに疎外感を感じ、おしゃべりや笑い声から目を逸らし、部活や体育に熱を上げる同級生を冷めた羨望で見送った。
時々声の出し方を忘れないように黒季と話すだけの無味無臭な学校生活。
おかしな話だ。厄介ごとは目に見えて増えたというのに。
それがいつの間には知り合いと友人の間くらいの人間関係が生まれていた。良いか悪いかはさておいて、高夏や三石のように、先輩からの受け売りで他人を非難する嫌な奴と思っていた連中と普通に喋って笑って、昼と一緒したり、冗談を言い合うくらいに話すようになっていた。
そして多分、居場所ができたのは神田先輩のおかげなのだ。
「何馬鹿なことを考えてんだ」
神田先輩があるいは、友人のいない俺を見過ごせず、話題づくりのためだけに伏線回収部に誘っただなんて。良いように物事を改ざんしすぎている。現実に、クラスメイトは笑いですんでいるが、陰湿な悪評や軽い衝突などもあって、うんざりとする回数は確実に増えていた。
けど今日で終わり。
これで上級生に苦情や因縁をかけられることも、女子に畑先輩の好みを聞き出せだの、本人に取り次いでだの命令されたり、教師に課題を増やされたりしなくなる。穏やかな日々が戻ってくる。
「ほんと、あの先輩に関わるとろくなことがない」
「陰口叩く割には、今日まで部活止めなかったな」
低温で平坦な声に驚いて顔を向けると、いつ戻ってきたのか黒季が鞄に教科書を詰める傍ら俺を見ていた。怒りも悲しみも、感情をすべからくそぎ落としたような黒い瞳が意思確認を問うように見つめてくる。
変わったこというか、わかったことがもう一つあった。
黒季の立場のその一つだった
高夏から事実を聞かされたのは、存外呆れた理由で、俺が「黒季がねえ」と鼻で笑った。そしたら周囲にいた生徒が男女問わず一斉にどやしてきたのは記憶に新しい。
「そういう契約だからな」
俺は黒季に短く答えた。
ウソではないが、拡大解釈はしている。
東乃先輩との約束は水曜日まで名前を貸して欲しいというもので、部活への参加態度までは言及されなかった。初日以外は誰も俺を呼びにこなかったし、休み時間に擦違っても軽く挨拶を交わす程度。本当に俺を丸め込む気があるのかと拍子抜けするほど、普通だった。
悪名高き神田部長までも、だ。
あるいは俺が辞退しないと確信があるのかもしれないが、それにしたってなあ。
結局最後まで、伏線回収部の活動内容は曖昧なままだった。野球部みたいに甲子園に向けて練習することはなく、文学部みたいに会誌やオリジナル小説などの創作活動するでもない。○○研究会みたいな特殊な見聞の披露は人間ウ○キこと富海先輩の専売特許で、キチガイに目を光らせるのはネットサーフィンする萌木先輩くらいだ。
他は何をするかといえば、畑先輩や神田先輩が中心となって気まぐれにだべっているのである。
かくいう俺も追加された課題をやったり、東乃先輩に学校のいろはを教わったり、勉強見てもらったり、普通に雑談したり、時々神田先輩が話に乱入してきたり、畑先輩が爽快に笑いこけて……
思わずあほらしいと、ため息がこぼれる。
そのため息にこもった気持ちをどう解釈したのか、黒季はそうかと簡素に頷くと蝋人形のように無表情で鞄を肩にかけた。
「またな」
黒季の言葉が、やけに重く胸を叩いた。
俺はしばらく人の気配が薄まった教室で指を曲げたり、伸ばしたりして、黒季の言葉の鈍い輝きが消えるのを待った。けれど一度見つけた違和感が色濃く目に焼きつくみたいに、生徒がすべからくいなくなっても翳った気分が紛れることはとうとうなかった。
そして時間稼ぎを諦めて、まだ居残っていたそいつに意識を向けた。
「琴葉。お前も何か言いたいことがあるのか」
顔を上げると、几帳面な顔立ちに無愛想を浮かべた委員長は即答した。
「私は反対」
短い言葉だった。それだけに、こいつが純粋に、そして強く反対なのだとわかった。
「なんでだ?」
だからこそ、わからなかった。
なぜ、反対なのか。
そしてなぜ、琴葉がそれを言うのか、だ。
「お前が個人的な事情で伏線回収部を嫌っていたとして、それを俺にぶつけても意味がないだろ?」
俺は今日限りあの部と関係を切るのだから――続けようとした言葉を切ったのは、琴葉に浮かんだ表情に見覚えがあったからだ。
切なくて、苦しくて、周囲の人間に荒々しく当たることでした平静を保てなくなった……中学生の琴葉が、今の彼女に重なったのだ。
あの頃は確か、琴葉の両親が離婚して精神が不安定だった。離婚の原因はよく知らないが、逃げた父が悪いだの、男をたらし込んだ女の性を名乗ってるのが汚らわしいだの、いろんな憶測が飛び交っていたのはよく覚えていた。
「そんな泣きそうな顔されても、どうしたら言いかわかんねんだけど」
「泣いてない。呆れてるだけ」
「そうかい」
俺は軽薄に肩を竦めた。
それを見て、何かを悟ったらしい琴葉は顔を背ける。
「あんたは、いつもそう。他人の心を見透かして、そのくせ自分の内側が絶対不可侵を貫く」
「琴葉がそんなに褒め」
「褒めてない。呆れてるだけ」
琴葉は俺の冗談を鋭く遮った。しかしそむけた顔は一向に俺を見ようとしなかった。
何か言わないといけない。こんなことを言うはずじゃなかった。そんな葛藤と焦燥が手に取るようにわかった。
それは、二年前の俺だった。容赦ない吹聴や、あざけりと表裏一体な冗談で日に日に傷を深くしていく琴葉を見ていられなくて声をかけた俺と同じだった。
「サンキュ、琴葉。心配してくれて」
自分の想像に恥ずかしくなって、照れ隠しに笑いながら言うと、珍しいものを見た。
「な――、ば、バカ? 私は――」
「お、顔真っ赤。お前こそ馬鹿だろ? 慣れないことすっから」
「な、な。わ、私はただ、不釣合いな色恋にうかれる遥歌の態度がうざくて、あんなデマに踊らされる上級生の態度が鼻に付くだけで、な、ななんで遥歌の心配なんか」
琴葉が慌てふためいて言い訳を並べている。しかも随分多弁だ。
こいつが学校で嫌味以外を口にするのは中学から数えても初めて聞い気がする。普段女子たちと何を話してるかなんて知らないが、片端で憮然としてるのは確かなはず。
俺が唖然と見上げていると、琴葉はますます空回りはじめ、聞いてもないことまでのたまった。
「そ、それにっ。あんたが、……神田先輩に捕まった日は私が休んでて、遥歌が代わりに提出物をもってたから……」
そこまで琴葉の独白を聞いて、ようやく俺は納得した。
俺が神田先輩に強奪された日は、休んだ琴葉の代わりに俺が提出物を持っていったのだ。
つまり琴葉は、自分のせいで俺が伏線回収部のなにがしに迷惑してると考えていて、責任を感じてるわけだ。
アホくさ。どこまで不器用なんだ、こいつは。
俺が鼻で笑って、それを見た琴葉は眼鏡の奥から冷徹に睨む。
正面から見ると、幽霊や鬼よりもよっぽどおっかないんですけど。
と携帯が鳴った。良い逃げ口上が見つったと内心狂喜乱舞。琴葉の眉間に深いしわがよるほど死相感溢れるピアノの旋律に、今回ばかりはすがることを決意する。
「悪い、催促がはいったらしい」
鞄を手にとって立ち上がり、着信音を消しただけで歩き出す。
教室の入り口のあたりで後ろ髪を惹かれる気配がして振り返る。琴葉は教室の中央で呆然と立ち尽くしていた。俯いていて表情は見えないが、俺の答えは決まっていた。
「俺は、もう少し付き合ってみるつもりだ。どっちつかずは嫌いなんだ」
神田先輩は俺にとって完全に諸悪の根源だ。
だからといって、彼女の介入で、今までエゴや、ちゃちな自尊心が邪魔して見えなかったものが見えたことは否定できない。
それが爽快な解決なのか、更なる深みにはまる前兆なのかは判断が付かないが、それで良いんだと思う。
多分その伏線の回収は、俺ではない誰かが想像に妄想を重ね補足するものだから。
「少しは気づけ、愚鈍……」
今度こそ思惑その3を。。
狙い目は黒季です。
実は既に一つ伏線を隠しています。