それぞれの思惑 その2
今回は会長にフォーカスを……
なんて思っていたら新キャラ登場。
放課後、突如として廊下からむさい悲鳴が波打つのを聞いて、一瞬この世の終わりかと思った。部活に行くものはさっさと教室を出て行き、帰宅部や少数の女子たちがわらわらとだべっている。
黒季はいない。あいつはバイトがあるため、部活がある生徒と同じタイミングで帰宅していた。
……なんだか、男子どものざわめきが近づいてるようだが、まあ俺には関係ないだろう。
「あら、リョウ君。今帰るところかしら。危なかったわね、もう少し遅れてたら間に合わなかったわ」
柔らかく微笑むような会長の声が聞こえた。
「…………幻聴か」
「見かけによって無愛想な言い草ね」
鞄を引っ掛けて後ろの入り口から出ようとして、足が止まる。可憐に小首を傾げる会長が目と鼻の先にあった。いまいち事情は飲み込めない。必死に頭を振り絞ってみるが、うっとうしいほど周囲のガヤが騒がしく、考えがうまくまとまらない。
同じ方向に首を傾げてみる。先輩と目線が合致して、会長の顔がすすっと唇の端を上げる。
「折角だから、少し付き合ってくれるかしら?」
「何が折角なのか、状況説明をお願いしたいです」
「なら、少し場所を移しましょう。ここに留まっていたら落ち着いて話もできないでしょうし」
「……同感です」
そしてご愁傷様、明日の俺。
会長は長い髪を広げるように振り返ると、それまでさえずっていた野次馬たちの醜悪な嫉妬が逃げ水のように遠くなる。つつましく表情を引き締め、会長はさっさと歩き出す。すっと伸びた背中には無言のうちについてしまう妙な魔力があった。
……なにやってんだろうな。
「会長が来るなんて予想外です。来るとしても神田先輩が、意気揚々とやってくるものだと思ってました」
生徒会の仕事でクラスを回っていく先輩についていきながら、気に掛かっていたことを尋ねる。
各クラス委員長が提出した定期報告書に目をやつしながら、けれど流水のような麗らかな声で東乃会長は答える。
「もちろん、あけちゃんはフライング気味に飛び出そうとしたわ。けど私が何とかなだめて思い留まらせたの」
というと、昨日の冬将軍のような冷たいオーラをまとったのだろうか。哀れ、神田先輩。
「どうしてまた。会長は仕事もあるでしょう」
「そうね――」
ピアニストのような綺麗な指を薄い唇にあてがう会長はそこで言葉を切り、挨拶をかけてきた女子生徒たちに笑みを添えてから、振り返った。
「あけちゃんがリョウ君のとこに行ったとして、果たしてリョウ君は素直にあってくれるでしょうか?」
謎かけのような会長の問いかけにむっと口を尖らせる。
「そんな、小学生じゃあないんですから……」
ふと神田先輩が開口一番「はるかちゃんいる~♪」と教室を訪ねる光景が浮かぶ。
「……おそらく頭を押えて項垂れてました」
正直な感想を漏らすと東乃会長は鼻歌を口ずさむように微笑んだ。
その後、集めた報告書を印刷室で複製し、複製したものを生徒指導の先生に渡すため職員室に向かった。
その間も、東乃会長は会う人会う人に声をかけられた。ほとんどは挨拶か会釈、時々部活関係の相談や体育館の電灯が切れた等の雑用をお願いされたりしていた。会長はそのいずれの生徒にも笑みを絶やさず、相談や不満を聞くとすぐさまメモを取って、歩きながら生徒会の議題にあげる問題、直接教師や業者に依頼す問題と仕分けしていく。
誰もが会長を頼って、会長の下に雛のように身を寄せてくる。それは彼女自身の魅力は当然ながら、そういったこまめな性格が、自然と周囲に伝わってるからなのだろう。
「なんだかなぁ……」
職員室の入り口で、呆然と立ち尽くしながら頭を捻る。視線の先で、中年の世間話に捕まった東乃会長が穏やかな表情で聞き役に徹していた。
「なんで、会長は伏線回収部なんかに……」
いや、順序が逆なんだったか。なら伏線回収部だった東乃先輩が、生徒会長に? それもおかしな話だ。伏線回収部は、俺も詳しく知るわけじゃないが、生徒から敬遠以上に険悪な目で見られてるのは確からしい。東乃会長の人柄がよくても、〝伏線回収部としての〟という修飾は相当なマイナスに違いない。
考えても考えてもわからなくて、そもそも、どうして理由を考えてるのか理解できず、頭を振って思考を止める。
規則正しい足音が近づいてくる音がして、何となく入り口を広く開けるよう横にずれる。
「東乃先輩は……うわ、まだ掛かりそうだな」
ちらりと見えた光景は、身振り手振りがはではでしい興奮した様子の中年教師だった。
「会長がどうかするの?」
「どうもしない。ただ待ちぼうけで先生たちの目が怪しくなってきなとか思っただけ」
「そう。なら愚直に職員室で待たなくても、自販機で飲み物を買うなり、気配りする方がましね」
「いや、それは。俺の姿が見えなくなって、妙な心配させるのも……て、おい」
俺は誰と会話してるんだ? 黒季、にしては言葉が刺々しい。そもそもあいつはバイトだ。
「……なんで?」
いつの間にか隣に立っていたのは、俺のクラスのクラス委員長、琴葉だった。肩口の黒髪は巨大な鋏でカットしたかのようにまっすぐで、眉間を中心に目鼻を収縮させたような仏頂面、眼鏡の向こうから艶消しした瞳が俺と睨むように見あげていた。
「私は新倉さんを代理して模擬テストの申請書を提出しにきたところ。ついでに今日提出の月例報告書を直接渡そうと会長を探していた」
「そうしたら、丁度職員室で会長を見つけた、と」
「そして遥歌、あんたも見つけた」
「そうですか」
事務的に変わらされる返答に非常にばつの悪いものを感じる。
「遥歌は、こんなところで何をしている?」
遥歌と呼ぶ、四角四面な口調。クラスの男子や神田先輩みたいにからかうでもなく、担任のように気を回してないとも違う、やけに静謐で芯の通った響きに情けない声が漏れそうになる。
「お前には関係ないだろ」
「……そうね」
突き放すような俺の声に小さく頷いて、すたすたと規則的な足取りで歩き出す。向かう先で二言三言言葉を発する仕草をして、彼女と入れ替わりに東乃先輩が戻ってきた。
「リョウ君、もしかして琴葉さんてキミの彼女?」
開口一番、意識が頭の上からぬるっと顔出した。
「――ち、ちがいます! 戻ってくるなり、いきなり何言ってるんですかっ? ちがいますよ、ありえません。だいたい、琴葉と喋ったのなんて久しぶりで、高校に入ってから初めてってくらいで、そもそも最後に会話したのっていつだよってレベルでっ……って、なんでそんなっ、はいはいから立ち上がる赤ん坊を見るような優しい表情してるんですか! 勘違いですから!」
はあ、はあと肩で呼吸を整える頃にはもう手遅れで、職員室に控えていた先生全員が壮絶に驚いた顔でこちらを見ていた。中にはにまぁ~と気色の悪い笑みを浮かべる人もいる。東乃先輩も完全に温かい目で俺を見つめていて、当人である琴葉は眉間のしわを深くして俺を睨んでいた。
「とにかく行きますよ!」
何で俺の方が腕を引いてるのかわからないが、俺は燃えるような火照りを見られないよう前だけ見て歩き出す。
「東乃会長は……」
階段が見えてきて、ようやく頬の上気が収まってきた頃、喉に引っかかっていた疑問が気まぐれに声に出る。
「何かしら?」
無邪気に聞き返す東乃先輩。俺は一瞬その質問を躊躇って、だけどうやむやのままなのが気持ち悪いので、苦々しく思いながら口を開いた。
「東乃先輩は部活を止めないんですか?」
生馬高校規約第何条だか、何項だか詳細は忘れたが、確か生徒会や委員会のメンバーは本分を誠実に全うするため、部活動との併用の場合は特別で難解な誓約書が必要だ。
さっき職員室でも、下世話な中年教師がぼやいていた。
『美夜君は生徒会長だろう? あまり本務をおろそかにするのは感心しないな』
つまり原則禁止なのだ。学校側も生徒会長が悪名高い部活に所属してる状況をいかんともしがたいんだろう。
「小言に付き合って、後ろ指を差されるよな部活を、止めようとは思わないんですか」
しっかりと握っていたはずの腕はすり抜けた。俺がつんのめくように立ち止まり、後ろを振り返っても、返答には少し間が開いた。
「ええ。途中で投げ出す気は毛頭ないの」
答えになっていない。だけどその時見た笑顔は、歳相応な、春が来れば満開になるサクラのような可憐な甘さが広がっていた。
次の瞬間、頬を染めていたのは俺の方だった。
明らかに伏線を張ってみたが、回収する日はいつになるやら。
多分まだまだ続きます。