伏線回収部とは
突然、『伏線回収部』に入部させられた涼。クラスメイトから伏線回収部の悪評を聞き、今後に不安を感じると共に違和感を覚えた。
そんな、涼が今後の立ち位置を模索する一幕です。
「そういえば、お前、『伏線回収部』に入ったのか?」
自分の席に鞄を置いて、一言めにかけられたのがそんな言葉だった。
「黒季、もしかしてそれ、結構な噂に?」
「さあな。ただ、神田先輩が嬉々として男子の腕を引く姿を見たと生徒が騒いでる。俺は廊下で小耳に挟んだから、聞いてみただけだ。違うなら否定してくれ」
「ああ……」
昨日の時点では覚悟はしていたが、自分より背格好の低い、しかも女子に引っ張られる情けない姿が噂になってることに頭を抱える。
「その反応だと、どうやら入部したんだな。ご愁傷様」
それで話は終わりだとばかりにお悔やみを告げる黒季。いつものように森の奥で息を潜める狼のような鋭い顔つきとそっけない態度に少し安心した。この様子なら、職員室から連れ去られ強引に入部を決められたことを、こいつが面白おかしく言いふらすことはないだろう。
椅子を引いて鞄の中身を机に入れ替えて、ふと疑問が浮かんだ。
「いや、ちょっと待て。確かに神田……先輩に引っ張られたが、俺はそんな入学一ヶ月で目をつけられるような大それたことをした覚えはないぞ? だいたいなんで伏線回収部に入部なんて話が出てくるんだ?」
あの伏線回収部って、そんな有名な人だったのか。黒季の声色から察するに(かなり微妙な変化だが)、東乃会長のような注目のされ方とが異なる感じがする。
「神田先輩が伏線回収部の部長だというのは有名な話……と、リョウは地元じゃなかったか」
「ああ、ぎりぎり学区が違って隣街の中学だ。おかげで自転車通学が苦痛だった」
まあ、それ以上に苦痛な事情が肌身離さずくっついていて、うんざりする。
「なら知らなくてもしょうがないが、神田先輩がさまざまな部から人を引き抜き、今の伏線回収部を創設したのは有名な話だ」
「だから、今度は新入生を引き込んだ、と。……で? 何でそれが俺だとわかったんだ? 身なりまで正確に流れてんのか」
「それはまた別だ。今朝、神田先輩と東乃先輩がまるで女子部員を獲得したみたいなことを楽しげに話していたらしい。一年男子で、女っぽい名前。その二つからもしやと思ったんだ。下世話な女子の先輩には、早くもその女子部員に敵意をむき出す人も出てる。気をつけた方が良い」
「今朝って……お前どんだけ耳ざといんだよ。軽く引くぞ。後、俺は男だ。嫉妬される理由が見つからん」
だが憶測で結論を出さないところや、下手に包み隠さないところは好ましく感じた。
入学式後の自己紹介をえて、ニヤニヤ笑ったり、からかうためだけに声をかけてきた男子の中で、黒季は唯一笑いも茶化しもしなかった。そういえば、あの時の第一声は「ご愁傷様」だった気がする。
「リョウ、神田先輩狙いとは恐れ入る。お前干されるぞ」
周りで雑談していた男子の一人が口を挟んできた。眉間にしわ寄せた面を見る限り、大方、俺が神田先輩に憧れて伏線回収部に入った、とでも思ってるようだった。
「どういう意味だよ? それ。あの先輩、破天荒なのは公認なのか?」
正直、あまり突っ込みたくないんだが、丁度他の奴の意見も聞きたかったので、疑問をそいつに投げる。少なくとも俺は名前とか身なりとか、そんな表面的なもんで人を判断したくない。
すると、角刈りの男子はしまったという顔をした。過敏すぎる反応に返ってくる話の方向が見えてしまった。
「いや。とにかくよ、やることなすこと常識知らずっていうか、常軌を逸してる。俺も先輩からちょいちょい話しが出てくるのを聞いてるだけだけどよ、最近の小学生の方がよっぽど分別がある」
もういい、とこっちから聞いといて静止するのは不自然で、多分に勘違いもされる。
「全校生徒の下駄箱あさるわ、病気がちな奴を無理やり雅損させて病院送りにするわ、傘とかキンホルダーとか盗む常習犯だったり、めちゃくちゃだよ、あの神田明実って先輩は」
他の男子も会話に加わってきた。
「不登校の生徒を引っ張り出して転校に追いやったらしいな」
「つか、会長の権限で多額の部費を掠め取って豪遊してんだよ、憎たらしい、て部長の口癖」
「俺は時折、部室に生徒連れ去って言葉攻めして楽しんでるって聞いてるぜ」
最終的に、全員口をそろえて止めとけと止められた。
「別に、興味はねえよ」
「だよなあ、はるかには彼氏がお似合いだもんな」
からからと笑いこける不快な男子たちの合唱は、端から意識の外においていた。
変わりに昨日の自己紹介を思い浮かべる。
『私は神田明実。私に掛かれば、千の分かれ道からでも正しい一本をさらけ出して見せるわ。はるかちゃんも、我が伏線回収部に魅入られたからには、身を守るベールなんて紙のようだということを、とくと覚悟することね』
……。のっけからの意味不明さに頭が痛くなった。思い出すんじゃなかった。
あの後、再び東乃会長が神田先輩を冷徹にたしなめて、否応なく部活を存続させたい神田先輩と、あまり関わりたくない俺の折衷案として、更新手続きが完了する来週の水曜日まで付き合って欲しいと頼まれた。
その日まで部活に参加して、嫌だと思えば退部届けを出してくれていいと、優しく微笑見ながら言われたら、無下に断ることもできなかった。なんだか、狐につままれたとはこの事な気がする。
「――おい。きいてるか、リョウ?」
不機嫌な男子の声に、はたと我にかえる。冗談は終わったのか。
「ああ、わるい。少しぼうっとしてた」
「たく、俺らはお前のためを思って忠告してやってんのにな。ああー、とにかくだ、あそこだけは止めとけ。会長の手腕と畑先輩の人徳でどうにかやってる場所だ」
「ほんと、うまく校則の隙間を縫ってるよ、はは」
「あ、でもよ。東乃会長のお膝元だぜ? 男臭い部より良いぜきっと」
「バーカ、むふふな展開の前に、いびりと露骨な敵視で精神がまいるっつの」
終わったと思えば、また他人をからかうだけの、不快な会話が続く。
正義感とか、義理人情が働くわけでもないが、こいつらには同調したくない、と思った。
隣から、ガタっと音が鳴った。
げらげら、からから、笑っていた男子達の笑いが止まり、表情が強張る。
「すまない。俺は同意しかねる」
関係ない生徒たちの動きさえ止めてしまうくらい、落ち着き払った声で黒季が静かに否定した。
「少なくとも、俺個人は神田先輩に対して悪い印象は持ってない。先輩がしたという奇行も、直接この目で見たわけではないし、残念ながら当事者でもないから実態を知らない。東乃先輩の話なら会長就任と部の創立の順序が逆だ。部費も出ていない」
男子たちはますますバツが悪い顔になり、露骨に視線をはずしたり、白々しい一人ごとを残して席に戻る奴までいた。
黒季が無言で教室を出て行き、更に数秒の間があって、教室の喧騒が再開された。誠実だとか、こわかっこいいとか、そんなはしゃいだ声まで聞こえた。不思議と、非難や忌避の言葉はなかった。
「あー、なんだ。リョウ、俺、調子に乗って言いすぎた。わるいっ」
さっきまで饒舌に神田先輩と妥当していた角刈りの男子が頭を下げてくる。
理由は、黒季が毅然と否定してみせたからだ。黒季の言うことは全て正論、という空気がクラスに浸透しているのだ。
ほんと、黒季のやつ自分の影響力をもっと自覚して欲しい。
「別に……、どうせ来週の水曜までの付き合いだから」
なんでもないことのように不精な声で答え、頬杖をついて視線を窓の外に向けた。
上がり始めた気温と、ぼんやりと浮かぶ雲は見ていてイライラするほど暢気なものだった。
黒季が言ったから、というわけでなく、俺はもう少し伏線回収と付き合うことを改めて決意した。