君の名前は?
主人公の名前――あらすじにてネタバレ――が本文に初登場。
ある意味で〝始まりの話〝になります。
「部長、美夜先輩呼んでくるにしても遅いっすよ。それにさっきの終業のチャイムでしょ? だったら、さくっと更新申請しないと」
「黙ってっ。来るわ!」
畑先輩の言葉を一喝して、部長らしい彼女は荒々しく教卓の横に立ち、苛立ちを隠さない吊りあがった目を入口の方に向けた。髪を止めるカチューシャが抗議するように揺れる。
何事かと、教室中の視線がそこに集まる。
――体が痙攣するような、衝撃に襲われた。
清らかな顔立ち、長い睫や穏やかな強さを灯す瞳、羽のように軽やかに踊る髪。淡く目を細めるようにして、こつこつとスタッカートの靴音を鳴らしながら歩く姿は品に満ちていた。
清楚で、綺麗な人……。けれど、どこか見覚えのある顔だった。
「明美部長、失礼するわね」
それは祝詞を読むような、清浄に澄んだ声だった。遅れ髪を指で撫でる仕草も美しく、まるで劇の一幕を演じるかのように、彼女は明実先輩に目を向けた。
「生馬高校校則第三条、『生徒の校内活動における規定』一項で提示されている、部活創設における基本事項、及び三項の部活更新手続きに関する定義、は当然ご存知ですよね」
「え、ええもちろんよっ」
「では確認させていただきます。まず我が生馬高校で部活と認められる条件は、三条一項の通り、1.生徒の自主性を重んじ、他者の活動に支障のない内容であること、2.所属する部員数は最低六人とし、監督者または、誠実な上級生二名以上が所属し、指導に当たること。項目は後四つありますが、それはいいでしょう」
思い出した。清涼な小川のように言葉が流れ、毅然とした姿勢を崩さないこの女性を、俺は入学式の時に見た。
生馬高校生徒会長、東乃美夜。
あの時はその後のホームルームのことで頭いっぱいで、なんで感嘆やら黄色い声やらも漏らしてんだと呆れてたが、今納得した。
言葉の一つ一つが整然といして、彼女がまとうオーラは貴婦人のごとき格式高い風格を髣髴とさせる。
届くはずのない人が目の前に立っている感動は、しかし、険悪な予感に塗りつぶされていく。
「次に三条三項では、『部活動は二年を一周期とし、更新手続きをする』となっています。明実部長、あなたが創設した〝伏線回収部〟はそれに該当します。ゆえに、仮入部期間が終了する本日付で、新入部員を含む現行の部員数を明示の上、申請書にサインを――」
お願いできますよね。と会長が淡く表情を緩める。
けれど、それは優しいお願いではなく、「できますか」と相手を試すようなぴりぴりとしたものだった。教室に集まっていた部員にもその不穏な含みが伝わり、沈痛な静けさが広がる。
訳もわからず、関係もないはずの俺まで息が詰まった。
まるで最後通告を目の当たりにしたような、申し訳なさと、無力感に打ちひしがれる。
それくらい、会長の視線には厳しい静謐さが含まれていた。
どう、なるんだ? 俺がつばを飲み込みながら見つめる先で、明実部長が何も言えず俯いていた。
悔しいのだろうか、痛いのだろうか。両肩は頼りなく震えていて、ぎゅっと唇を噛み締める表情は暗い影は落ちていた。
そんな悲痛な女子の姿を目の当たりにしても、会長はわがままを言う子供を前にしたように、呆れたように頭を振る。
そして、次の瞬間には、規定を淡々と突きつけるような冷たい目を明実部長に向け、
「まったく、だからもう少し真剣に勧誘してってさんざん注意したわよ?」
眼鏡をはずすと、親しげに明実部長に声をかけた。場の雰囲気も、流れもガン無視にして、会長はふうと表情を和ませた。
……はい?
「ほんと、ぎりぎり間に合ったからいいものを……あのね、あけちゃん。生徒会はこの時期は新入生の歓迎イベントとか部活の創立申請・更新申請で忙しいの」
「悪かったわよ、それは」
「だったら、書類も自分で用意して、ちゃんと新入部員の勧誘をしなさい」
「書類は無理。格式ばったもの見ると無性に破り捨てたくなるし」
呆然。あの、とかその、と言葉を失ってる間も、明実部長と会長の会話が続く。
「書類がないと更新手続きもできないでしょうが。あのね、入部届けと更新申請書を同時に押印するなんて、前代未聞のことなのよ? 彼がいなかったらどうする気だったの?」
「その時はその時ね。再度創設申請してたわ」
「部長、不肖ながら発言させていただければ、その場合問題は生徒会役員である生徒を部員として用いることであり、生馬高校規約第三条六項、部活動に関する留意事項に明記された部活を創設する際――」
「つまり、美夜先輩の名前を借りるなんてできないから、新たに二人集めないといけないんすよ」
「それこそ、問題ないわっ。ミヨをたらしこんで、会長権限でも何でも使って、校則に例外項目をこっそり付け加えるなり、偽造書類を通してもらうなりすりゃあいいじゃない」
「いや、完全にダメだろ。職権乱用にもほどが……」
なんて、嘆息――したい訳じゃなくてっ。
「いい加減、誰か状況を説明してくれませんか!! ドッキリですか? 夢オチですかっ? どっからが真実でどっからが虚構ですかっ! カメラは掃除入れでスタンバイですか!!!」
我慢の限界がきて、なだれるように叫ぶ。よく敬語が飛ばなかったものだ。
ぜんっぜん、話が見えない。明実部長と先長ってどんな関係? 友だち……なんだろうな。……というかなんだこの展開。廃部すんじゃねえの? 部外者の俺はいつまでいればいいの? そもそも『伏線回収』ってなんなんだ!!
「あけちゃん……まさかとは思うけれど」
「あー、何となく部長ならやりかないと思ってたっすけど」
「第三条一項、3.に抵触する恐れがありますね。部活動への入部、退部は個人の意志で決定し、尊重しなければならず、これらを強制してはならない」
三人の視線が明実部長に注がれ、気まずい空気になる。
彼女はわざとらしく目を明後日に向けていた。
そんな彼女の態度を見て、会長がすっと目を細め、華やかな微笑みを浮かべながら、眼鏡を再びかける。瞬間、目の前の空気が零点直下し、吐く息を凍らせるほど冷たいものを感じた。
「明実部長? 先程は新入部員が着たと言う用件で生徒会室に訪ねていらして、その場で入部届け書いて四の五の言わず押印させた。時間がないから……と、言っていたかしら」
「な、なに。何かもも問題が……」
「明実部長?」
ひ、と上ずった悲鳴が、どこか遠くに聞こえた。
あー、えっと。なんだ。今の話を纏めると、俺はいきなりここに連れ込まれて、訳もわからないうちに、存在意味がわからない部活に入らされようとしてる……と。……なぜ?
部長とは初対面だよな。冷淡な説教に見栄はって反論する女子は、やっぱり見知った顔じゃあない。
だったらそんなわけのわからい活動に巻き込まないでくれ。俺は別に平穏平坦に過ごせれば……
『あんたは黙って付いてくれば良いのよっ』
別に、細々とでも長く生きてきればいい。そう思っていたのに、なぜか、俺を連れてくるときの晴れ晴れとした部長の笑顔がよみがえる。
あの笑顔は、眩しくて、うらやましいと思ったのも本当で。
「とーにーかーくっ。彼は新入部員よ! 承認されたんだから、今更取り消せないでしょっ」
教室の前で、なにやら逆切れして、周囲を散らす声が聞こえた。
顔を上げると、ずかずかとガニ股で歩いてくる部長が近づいてきて、
彼女は俺の隣に立つと、鼻を鳴らしながら振り返りこう切り出した。
「じゃあ、全員いることだし、堂々発表よっ。彼が我が部待望の新入生――」
止める隙は、なかった。
「遙歌 涼 くんよっっ」
きーんと響き渡る溌剌とした明実部長の紹介。自己紹介するとそうであるように、職員室で呼ばれた時もそうであったように、し~~んと静まり返る。
それぞれの顔に浮かぶのは困惑顔。
え、とか、誰それ、と怪訝や猜疑が今にも聞こえてくるようで。
俺は顔を顰め、目を陰険に細めて、奥歯を噛み締めた。