それぞれの思惑 その7
『それぞれの思惑 その6』の後半スタート!
リョウと琴葉のつながりが語られる話となっています。
うまくまとまったような、下手にかき回しただけのような、書いてるうちに熱が入りすぎてしまいました。
少し昔話をしよう。といっても2年くらい前の話だ。
俺と琴葉は夕焼けに取り残された教室で向かい合っていた。声をかけたのは俺で、言葉を受け取った琴葉は目に揺らいだ光をともしていた。寂しげに黒髪を揺らして、内側からこみ上げてくるなにかをこらえるように細い体を震わせていた。う、うと喉が寂しげな音を鳴らしていた。
秋だった。窓の外の空は青がやけに鮮明で、空気も輪郭がはっきりしていた。なのに湿った気配が満ちていた。
先に断っておくと、なんてことはない出来事だ。甘くもなく、酸っぱくもなく、ましてや苦しかったり、痛かったりする類のものではない。次の日には鼻で笑ってるような薄っぺらいものだった。少なくとも俺は、琴葉の反応に戸惑っていた。俺はただ見ていられなくて、けどクラスメイト全員のまで正義感をかざすほど根性もなくて、半年前みたいに仕事を手伝うふりをして、会話の流れをを考え抜いて、できるだけ自然なタイミングで、ことなげに声をかけた。
「なあ、琴葉。辛いなら、辛いって言えよ。誰でも良い。1人でも良い。皆の前が恥ずかしいなら、口の硬い友人に相談しろよ」
数日前に14歳の誕生日を向かえ、無気力な感慨に浸っていた頃のことだった。
「おまえが、無理に耐える必要なんてねえんだよ」
俺は、琴葉を気遣う俺自身に陶酔していただけだった。
「部外者じゃないわ!」
部長の自信に満ち溢れた声が轟いた。
教室で口論していた大沢と倉敷はもちろん、弁当を食べながら喧嘩の様子を伺っていた生徒たちも、同じことを思っていたに違いない。
「(何言ってんの、この人?)」
俺もそう思う。部長こと、伏線回収部なんて意味不明の部活を取り仕切る、神田先輩は、どう考えても部外者だ。学年もクラスも違う。部長が大沢や倉敷と顔見知りだというなら話は別だが、大沢の反応を見るにありえない。そもそも部長がこの教室に来るときは大抵俺をからかってるだけだし、先輩が入学してきた生徒全員に目を光らせていない限り俺以外の1年生と交友があるとは考えにくい。
いち早く我に帰ったのは大沢で、右のこめかみを引きつらせながら闖入者を睨んだ。いらいらした顔で部長に唾を吐き付ける。
「部外者じゃない、……だと? んな分けあるか。あんたが、あの媚売り女と知り合いだ、なんていうじゃねえだろな」
その通りだ。俺は顔をしかめる。部長と同じく伏線回収部に籍を置いている東乃先輩ならまだわかる。あの人は生徒会長だから、このクラスのクラス委員長である琴葉と接する機会もあっただろうから。
しかし、そんな理性的な言い分が通るようなら、部長に俺が頭を悩まされるはずがない。そして、まことに残念ながら、俺は部長は次になんと言い放つか容易に想像できた。
部長ならきっとこう言う。
「違うわっ。私は、はるかちゃんの関係者なの! はるかちゃんは琴葉ちゃんの関係者なんだから、私も関係者よ!」
小さな胸を張って、むちゃくちゃな結論を大沢に突きつけた。
はるかちゃん、はるかちゃんと連発され、教室内の生徒は全員俺を見た。見事に視線を一つにした。俺は頭を抱えて項垂れた。見ないでくれ。俺は無関係だ。全て部長が勝手に言い張ってるだけだ。
しかし俺の訴えても、どこにも届かないだろう。自信に満ち満ちた言葉はそれだけで人の心を支配してしまう。そして一度信じ込んでしまったら、人は簡単には考えを改めない。それが人間だ。鉄より遥かに熱しやすく、人によっては水なんかよりも冷めにくい。
唯一冷静を保てるであろう頼みの綱は……隣で涼しげな顔して肩をすくめていた。そうだろなー。
……はあ、どうしようか。
入試とか学歴とか将来とか、そんなものを考えることなく市立の中学校に進学した。中学校なんて、当たり前だが、通う連中は地元の奴らであり小学校からの友人関係を引きずって上がってくる。つるむ相手は既に出来上がっている。女子の顔ぶれも一緒で、今更もりあがることはない。成長した姿見てほれるなんて幻想に他ならない。
けれど俺の場合は若干事情が違った。
通っていた小学校が3つの中学校の間にあり、住所が一方の学区よりにあるからという理由だけでその中学に進学したのだ。当時の友人も皆同じ感じで、だいたい2対3対5くらいの割合でばらけた。つまり同郷の生徒が少数派で、あまつさえ運の悪いことに、よく遊んでた連中は軒並み別の中学に入った。
そんな事情があって、当然『遥歌』という名前を面白がる奴らばかりだった。
不快な笑みをはっ付けた男子が「はるかちゃん」と呼び、他の男子がニヤニヤしながら止めてやれと注意する。何が面白いのかそいつやが声を合わせて笑い、教室のあちこちから「またやってる」とヒソヒソと笑い声がして、しかし俺の反応は冷め切っていた。やめろよ、と怒らなかったし、一緒になって笑うこともなかった。ただ呆れてた。そんな遣り取りは小学校で飽きるほど繰り返した。怒っても、むきになっても厄介な問題に取って代わるだけだ。
まあ半年もすればそれらは一様に収まるだろうし、実際そうだった。
それからしばらくして、俺は琴葉とに出会った。秋だった。
後期の委員会決めの際、前期もやったんだからとクラス委員長に抜擢されたのが琴葉だった。つまり、おんなしクラスだったわけで、けど男子からのやっかみにうんざりしていた俺は、初めて琴葉の顔を見た。暗いというか、冷め切った表情をしてると思った。まるでツララだ。長い時間をかけて少しずつ凍り固まったツララは、冷たく他を寄せ付けない。
正直愛想のない奴だな、とため息を漏らして意識を会議から逸らした。
琴葉は憮然とした目でクラスメイトを睨んで委員決めを進行したが、結局候補が出なかった委員をじゃんけんで押し付けあった。
そのうち下の名前で呼ばれることが多くなり、学校で”遥歌”をいじられることはほとんどなくなった。とはいえ、クラスメイトの一部と教師は『遥歌』と呼ぶので、例えば、廊下で話してる時とか、点呼の時、あとは選択授業で問題を当てられた時とか、どうしても『?』て空気になる。遥歌って誰? 何で男子が返事してんの? 他のクラスの人間からしてみれば当然の反応だが、わかっていても気持ちのいいものじゃないし、怪訝にされるたびに説明するのは、はっきり言って面倒だった。
そして、『遥歌』と、やけに澄んだ発音で呼ぶのが隠すまでもなく琴葉である。
『遥歌』、先生が呼んでた。『遥歌』、プリント早く出して。実験の準備があるの手伝って、『遥歌』。今日は『遥歌』が日直だから、はいこれ日誌。『遥歌』、職員室に行くならついでにこれも……という具合。レズ疑惑が浮かんでも眉一つ動かさず『遥歌』と連呼した。精神が強いのか、鈍感なのかよくわからん。ちなみに何でそこまで頻繁に声をかけられるかといえば、俺がじゃんけんに負けてクラス副委員長となってしまったからに他ならない。人気ねえな、副委員長。クラスではナンバーツーだぞ? ……まあ半分パシリだからしょうがないか。
というわけで、俺は嫌でも琴葉と一緒にいることが多く、琴葉がどんな奴なのかわかってきた。
琴葉はとにかく努力家だ。やたら琴葉との関係を聞いてくる男子たちがどれだけ否定しようと、俺は感想を変えなかった。
確かに琴葉は郡を抜いて要領がよかった。授業中に当てられた問題はすらすら回答するし、調理実習では率先して調理してるし、テストでは涼しげに満点取るし、スポーツもそつなくこなすし、水泳なんて教本みたいに綺麗に泳ぎやがる。傍から見れば琴葉は才女で優等生だ。女友達は琴葉を羨ましがっていたし、笑ってからかう顔もどこか誇らしげだった。琴葉がすごいと、いつも盛り上がっていた。
けど、琴葉が影で努力してることを褒めたことはない。あいつの教科書は書き込みでびっしりだし、市民プールで一日泳ぎの練習してたり、調理実習前日に絆創膏をまいてたり、眼鏡かけてるからわかりづらいクマが濃かったりするのに、誰もそのことに触れない。
琴葉はいつも憮然としていて、与えられた仕事を淡々とこなていた。だから俺も余計なことは言わないようにしていた。委員長の使いとして奔走した、甘くもすっぱくもない簡潔とした時間は早くもなく過ぎていった。
俺と琴葉の関係が変化したのは半年経過してのこと。といっても、進級して俺が副委員長がなくなったってだけだ。
お疲れと、同じラスに配属された男子の一人がねぎらった。俺もほんとにな、とおどけて、それで終わり。なんてことはない。何も起こらない。琴葉が俺を『遥歌』と呼ぶ替わりに、『○○』と別の生徒を呼ぶようになった。俺と琴葉の間にあったものが途切れ、元の関係に戻っただけで、残念だとも悲しいとも思わなかった。
ただ、理解した。確かに傍目から見ると、琴葉は何でもそつなくこなす才女だった。なるほど。今まで自分が特別だったんだなとぼんやりと納得した。
「リョウ、てめえも、なんか文句あんのか?」
大沢の牙が俺に向けられた。顔を上げると、獰猛な目がしっかりと俺を標的として捕らえていた。少し視線をずらすと、倉敷がお手並み拝見とばかりに高みの見物にいたっていた。
「何とか言えよ、おい」
大沢が盛大に歯切りしながら、荒々しく言葉を吐く。唯でさえ琴葉の憮然とした態度に腹を立て、苛立ちを発散しようとしたとこに横槍入れられて、もう限界だった。行き場を失った激情がぐっと拳に握りこまれる。血管が浮き出て、筋肉が岩のように盛り上がる。
薄ら寒いものを背中に感じた。あんなもんまともに食らったら病院行きだ。陥没で済めば僥倖、確実に骨が砕ける。
「てめえ、調子こいてんじゃねえのか? 得てせずクラスメイトに注目されてよお? 根暗がいきなり正義気取りか? は、泣けるな。笑えるよな!!」
せせら笑いが聞こえた。落胆するため息が空気を湿らせた。大沢、やめてやれよ遥歌ちゃん震えてんぜ、誰かがふざけた軽口を言った。
俺の内側で何かが静かに点っていたことに、周囲は誰も気づかなかった。いや黒季は腕を伸ばしかけて止めた。部長は目と口をまくるして俺を見ていた。俺は驚くほど冷静にそれらに気づいた。何か説明づらいものが俺の中でとぐろを巻いて、襲い掛かるタイミングを計っている。止められない。だから待った。
大沢が嗜虐的な感情に浸るみたいになって、呆れて言葉を失っていた俺をあざ笑う。
「はん。怖気づいて何もいえねえ弱虫はすっこんでろ」
俺は大口開いて馬鹿みたいに笑う大沢を、冷めた目で見た。
冷静だ。小学生の時とは違う。さっきから心臓の音がやけにでかいのに、頭に上った血は液体窒素みたいに冷め切っていた。俺は大きく息を吸い、長く吐いた。
大沢が何かを言いかける。もはや、何を言ってるか聞き取れなかった。
俺は冷え切った声で静かに声を発した。
「――黙れよ」
憤りも、怒りも、恐怖も、責任感も、何もこめてない目で大沢を見た。
大沢が怯む。その瞬間を、俺の中でうごめいていたものは見逃さなかった。
「琴葉がてめえに何言ったかしらねえ。けど、そん時、てめえは何してた。よく思い出して、間違いがなかったか自分に聞いてみろ。それでもまだ何か言い足りないなら聞いてやる」
「お、俺は何も悪いこと――」
「したか、してないかじゃねえ。その時、その場所での状況を聞いてんだ」
「お、お……」
大沢は見る見るうちに表情をこわばらせ、頬が引きつり、目の焦点が揺れ始めた。握っていた拳は解かれた。盛り上がっていた筋肉はしぼんだ。肩はすっかりなで肩になっていた。
再び静まり返る教室。何もかも凍り付いていた。まるで空虚な穴に吸い込まれてしまったように、誰もが音を失っていた。俺は教室を見回した。彼らの反応はどれも同じで、俺と目が合いそうになると露骨に顔を背けるか、その場で体を怖がらせた。
昔、小学校で喧嘩した後もしばらくこんな感じにぎすぎすしていた。あの頃の知り合いと話す機会はねえけど、元クラスメイトは口をそろえてこう証言してくれるだろう。
あん時のお前って、完全に鬼みたいにキレてたよな。
つまり、本気で怒った俺は、それくらい恐ろしいらしい。
すっかり精神が折られた大沢は喉を上下させるばかりで、何も言えず震えていた。
こいつはもういいだろ。俺は続けて、様子を静観していた倉敷に視線を向けた。表情が驚愕に変わり、ひ、と小さく悲鳴を上げた。
「お前もお前だ。琴葉のことを引き合いに出しておきながら、稚拙な言葉で大沢を罵りたいだけじゃねえか。偽善でもねえ正義を振りかざして調子に乗ってんなよ」
辛辣な言葉を突きつけられ頭に血が回ったのか、倉敷の表情が一転した。目を見開き、威嚇するように歯を剥く。
「な、……なにいってんの! 私は琴葉のことを思ってやってるの。こんな口だけの奴と一緒にしないでよ」
倉敷は右手で胸にあてがい尊前に言い放った。アイシャドーで縁取られた切れ長の目が眇められ、怒りで髪を膨らませたように見えた。首元のチョーカーが気丈に光る。
「あの子はね、大沢に注意しただけなのよ。掃除もせず仲間とたむろって邪魔だったから。あの子はね、男子ども相手に怯まず立ち向かったの。強い子なのっ。誰もできないから自分がやるしかないって、純粋に責任感の強い子なのよ!!」
倉敷は本当に琴葉の名誉のために憤って、声を荒げた。琴葉を気遣う純粋な思いが、空気を激しく振動させる。張り詰めた緊迫感と、鋭い痛みで倉敷自身も苦しそうに顔をゆがめる。
しかし、彼女は止まらなかった。いや、止めなかった。
「確かに琴葉はいつも憮然として、言い方も悪いかもしれない。何でもそつなくこなしてむかつくように見えるかもしれない。けどっ、だけど!」
倉敷は大きく息を吸い、ありったけの思いを詰め込んで吐き出した。
「あの子だっていろいろ抱えてんのっ。抱えて、抱えこんで! それでも不安を顔に出さずに、不満も漏らさずがんばってんのよ!」
そうだな。俺は殊勝に頷くしかなかった。中学の頃、副委員長としてあいつと一緒に仕事していた俺も、そう感じた。
琴葉のすごさは決して表面的なものじゃない。にじむような努力に支えられた、危うい強さなんだと知ってる。だからこそ倉敷は大沢の暴言が許せなくて、俺は倉敷と大沢の口論が、琴葉のそれを軽視してるようで気に食わなかった。
大沢が何かを言いかけて俯いた。周囲の生徒たちは隣と目を合わせ、辛そうに口をつむいでいた。そうさせたのは、倉敷が瞳をにじませながら訴えたからかもしれない。
俺はため息を漏らし、消し去っていた感情を目に戻す。悪かったと、倉敷を理不尽に睨んだことをわびてから、今度は誠実に頼んだ。
「だったら、琴葉が戻ってきても、琴葉のために怒ったなんていわないでやってくれ」
言葉の意味がわからず唖然とした倉敷は、3秒位して気づいて青ざめた。
自分がこの後で琴葉に何を言うだろうか、そして、その結果、責任感の強すぎる琴葉がどんな気持ちを抱え込んでしまうか。倉敷なら正しく想像できただろう。
「わかった」
消え入りそうなほど小さく倉敷は頷いた。
これで本当の終幕、なのかな。わからない。俺が口を挟まない方がうまくまとまったのかもしれない。例えば琴葉は戻ってきて、喧嘩してる大沢と倉敷を止める。それで喧嘩の理由を聞いて、ちゃんと受け止めた方がよかったのかもしれない。傷ついても、それ以上に倉敷の熱い思いを受け取って、いい方向に転がったかもしれない。
けど現実にはお節介(?)な先輩が口を挟んで、俺に丸投げして、事態をかき回した。
……て、あれ。そういえば部長は? 青春ドラマみたいな光景を目の当たりにして、部長にしてあまりにも無反応過ぎる。俺は信じられなくて、慌てて部長の姿を探した。
いない。忽然と姿を消した。……ほんと、何しにきたのか最後まで謎だった。
なき咽ぶ倉敷に数人が寄り添って慰め、大沢はバツの悪い表情で立ちすくんでいた。息を殺していた生徒たちが徐々に力を抜いてく。
やがて琴葉が戻ってきた。いつもと同じ憮然とした顔で、教室の微妙な空気に気づいて眉間に皺を寄せた。ため息を漏らしながら自分の席に向かい、途中倉敷の目が赤いのを見て、ひどく動揺していた。
けれど誰一人、琴葉の言い訳に倉敷と大沢が喧嘩したとは口にしなかった。