それぞれの思惑 その5
2ヶ月ぶりの更新です。
誰が待ってんだと突っ込みたくなるとこですが、まあ空しいので止めときます。
今回はリョウが一歩前進?する場面です。
自分の意思で『伏線回収部』と向き合うと決めて、けれど俺は部長たちのと距離をいまいち掴みきれていなかった。
相変わらず放課後になると欠員なく集まって、しかし全員統一感なくだらだらと就業時間まで暇をつぶしていく。
今日一日の出来事を笑ったり、抜き打ちの小テストに対して愚痴ったり、解説本の解説を教室の片隅でぶつぶつ語ってたり、カタカタと部のホームページ――存在することに驚愕した――の更新、アクセス履歴の確認をしたり……目的はなく、無駄に青春の汗をかく野球部のランニング姿を窓側の席で見物しながら、誰かが祈らなくても世界は平和だなとか漠然と考えたりしていた。
「リョウ君、どうしかしたかしら? 窓の外を鬱蒼と眺めて、なんだかメランコリーに浸ってるようだけど、悩み事でもあるの?」
すると、前の席に座って数学の勉強を見てくれていた東乃先輩が小首をかしげて声をかけてきた。
「特にこれといっては。東乃先輩は教え方も上手ですし、勉強でつまずくというのも半年くらいは大丈夫そうです」
「ふふ。妙にリアルな猶予期間ね」
「それも東乃先輩のたまものですよ」
教科書の内容をかいつまんで説明するだけの授業では一ヶ月だってもたないだろう。
その点、東乃先輩の教え方は離れた二点間をまっすぐ結ぶのではなく、ある点から線分ABに垂線を降ろすみたいに巧みだった。自分で言っといて意味がわからないが、つまりは迷子を直接目的地に運ぶのではなく、順路までは引き戻して、後はその子が自力でゴールに辿り着くのを見守る感じだ。
答えを叩き込むでもなく、甘やかすわけでもない。妙にこなれた感じなのは、いつも手のかかる子供を相手にしてるからだろうか。
長い髪が邪魔にならないように押さえてる姿は、清楚で品があり、横から差し込む細い日差しを浴びてさらに綺麗だった。一層のこと、気を緩めた会長が目的で来てると言い切って過言じゃない。
少し離れたところ、サッカーとアメフトってどっちが人数必要なんだっけと張り切っている部長や、メランコリーの語源はギリシア語であり、かの八の大罪の――以下略などど解説を始めるエアー眼鏡から目を逸らし、心底そう思った。
東乃先輩はため息をつく俺を見て、柔らかく微笑んだ。
「当面の悩みは、クラスでの俺の呼び方が”はるか”に統一されたことですね」
「あら。クラスメイトが名前で呼ぶようになったのは、悲観すべきとこかしら?」
「論旨をわざとはぐらかさないでください。よそのクラスの人間に怪訝な顔されたり、胡乱な目で見られる俺の身にもなってください」
一体誰のせいでこうなったのか。言わずともわかってる。俺が入部を決めた日以来、どこぞの部長が教室にやってきては、惜しげもなく『はるかちゃん』と呼びまくってるからだ。実に不本意極まりない。
もっとも、それ以前からやっかみごとはあったわけだが。
伏線回収部に向けられた嫌悪や疎ましさについては、俺がとやかく言ってどうになかるものではないので、しばらくは様子見だ。
俺は公式の当てはめ方に悩むそぶりをしながら、呆れた声で付け加えた。
「まあ、昔みたいに、からかい目的や冗談の一種で呼ばれるのとは違うから良いんですが」
「そういうと、中学の頃の話とかはあまり深くたずねない方が良いかしら」
「小学生の時はそれが原因で殴り合いの喧嘩になったこともあります」
厳密に言えば違う。しかしわざわざ持ち上げて話すような面白い話でもないため黙っておく。下手に部長の耳に届いてしまえば、入部届けを出された――書かされた、でさえない――日のように根掘り葉掘り聞かれるに決まってる。
自分の中で完結した意識を今更掘り起こす気は更々ない。そんなリスクを犯したくない。
だから俺は話の矛先をほんの少しずらす。
「美しい夜なんていい名前ですよね」
東乃先輩は僅かに目を細めて、くすりと唇を結んだ。
「私は”涼”って言う名前も素敵だと思うけれど。なんだったら交換する?」
「いよいよ救いがなくなるので勘弁してください。これでも自分の名前、誇りに思ってるから小学生の時に喧嘩してるんです」
俺が嘯くと、東乃先輩は目を丸めて驚いた。
「そうなの。何か特別な意味でもあるのだったら、少し興味があるわ」
「遥歌っていうのは、文字通り『遥か遠くまで響く歌声』という意味だそうですよ。うちの両親に聞いた話だから、半信半疑ですけど」
俺は一呼吸おいて、再び語りだす。ハープでもあれば格好がつくのだが、そうもいかない。第一俺は楽器弾けないし、五線譜が詠めない。
「昔、俺の先祖は人里離れた山に住んでいたようです。けど男は笛を手に取り、女は歌声を彼の旋律に乗せた。日々の日課であったそれらが、ある日山を降り、川の流れに乗って、戦やいざかいに明け暮れていた人々の心を慰めた。そういう逸話から、遥歌という名前がついたらしいです」
本当かどうかはわからないと肩をすくめて、話の締めくくる。東乃先輩は薄く笑っていた。感心してるようでも、感動に浸ってるようでもあり、話を逸らしたことを見透かしてるようでもあった。
「人の名前にも思いがけない意味があるものね」
「人って、目に見える全て、共有できる全てのものに、意味を持たせようとしますからね」
「哲学的ね」
全部部長の受け売りですけどとおどけて、そういえば、と切り出す。視線の端では神田先輩が真剣に畑先輩からアメフトのルールを聞いてるのを確認して、東乃先輩に向き直った。
「東乃先輩と部長て、いつからの付き合いなんですか」
「かれこれ三年ね。高校に入ってから今日まで同じクラスだったの」
それから東乃先輩は部長との出会いをすらすらと話してくれた。中学校からの流れで東乃先輩は委員長に選ばれたこと、それを横暴だと横槍を入れたのが部長で、早く帰りたい男子、惰性に任せてた女子の反対を押し切って全員投票に持ち込んだらしい。なんてむちゃくちゃな、と呆れた。しかも結局当選したのは東乃先輩で、心底徒労だとため息も出なかった。
ここまでは順調、なのだろうか。表情の変わりやすい神田先輩と違って、表情の変化は読みにくい。なにせ、東乃千波の方が頭の良さも、演技力も格段上だ。
せめて、些細な変化を見逃さないように意識を集中させる。
「じゃあ、」
ここだと思って切り出す――より先に先輩の人差し指が先んじて止めた。
触れるか触れないかという近さに先輩の指が縦にあてがわれる。白く透き通った指。触れてもないのに、仄かな暖かく柔らかな感触が伝わってきて、俺は動きをとめて顔が熱くなるのを自覚した。
「えと、……俺、まだ何も言ってないんです、が?」
ようやく出てきた言葉は、からからにしわがれていた。唾を嚥下して、どうにか引っ付いて閉じた喉をこじ開ける。
恐る恐る目を上げた先、けれど先輩は変わらず薄い笑みを浮かべていた。
「あけちゃんのことでしょう?」
びくっと心臓がはねる。その瞬間、胸のどきどきが挙動だけそのままに理由と意味を完全にひっくり返された。
「何を知って、何に興味を持ったかはわからない。それが他人を陥れるための手段じゃないことも、ここ数日一緒にいるから、はっきりと断言できるわ」
「そうですか」
そう苦々しく同調するしかできなかった。
「だけど、あけちゃん本人が何も言わない以上、友人であれ、他人である私が軽々しく答えれることは存在しないの。わかってくれないかしら?」
今気づいた。東乃先輩は、零点直下する会長を演じてるよりも、笑顔のまま接してくる東乃美夜の方が数段も手ごわい。幾ら突っぱねようとも、こんな悲哀な笑みを向けられたら、歯向かう気力もほだされてしまう。
向こうで神田先輩がきょろきょろと頭を振る姿を見ながら、俺は苦笑した。
「そうですね。出過ぎました」
言葉面からして東乃先輩は確実に何かを知っている。俺の知りたいことの全て、あるいはその片鱗かきっかけ程度の琴は確実に知ってるのだろう。
神田先輩の過去に何があったのか。彼女が露骨に他人の裏側を捜し求める、その根源にあるものが何であるか。
もう少しで手が届きそうな気もしたが、陥落させるには少々俺には荷が重すぎた。
「じゃあ、東乃先輩が前言っていた、『途中で投げ出す気はないの』てどういう意味ですか」
「あら、そんなこと言ったかしら?」
「言いました。東乃先輩に振られた俺が想いを断ち切れずストーキングしてる、なんてばかげた妄想の引き金となった日のことです」
「あらあら、困ったわね。切なく恋焦がれてるのは私の方なのに」
「先輩っ、明日の朝にも俺が吊るし上げるような冗談を紙切れのように軽く扱わないでください!」
椅子をけって立ち上がり、咄嗟に周囲を確認する。萌木先輩、富海先輩は論外として……ああよかった、部長や畑先輩には聞こえてなかったみたいだ。突然立ち上がった俺を不審そうな目で見ていた。
俺はなんでもないですと手を振って誤魔化してから座りなおす。
「ふふ。そんなに気を張らなくても、ここは存外口が硬いわよ?」
ついでに廊下や窓の外を一瞥する俺に、東乃先輩があくまでも平静な口調で告げ口した。
「それを信じろって言う方が無理に思えるんですけど」
「ふふ。冗談よ。だって琴葉さんに悪いもの」
「まだ引っ張りますか、そのネタ」
話を摩り替えられた事には気づいていたが、東乃先輩の冗句にがっくり肩を落としたところに、神田先輩が興味津々にタックルしてきたため、それどころではなかった。
「なになに、はるかちゃん生意気にも彼女いるの! だれ、同じクラス? どんな子? ね、ねっ」
「リョウも隅に置けないな。かわいい顔してるくせにさ」
結局その後は探求欲に落ちた先輩二人を相手だつことになって、何も事態は進展しないまま就業のチャイムが鳴り響いた。