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IFおじいちゃん

作者: カラテシン
掲載日:2026/01/19

いつもの道を、今日は一人で歩いていた。


朝の空気は澄んでいるのに、胸の奥だけが妙に重たい。

前なら、この時間には必ず隣にいた。

歩幅を合わせ、同じ場所で立ち止まり、僕の少し前か、少し後ろを歩く。


今日は、その気配が最初からない。


もう一人でも行ける。

そう分かっているのに、無意識に歩幅を小さくしてしまう。

低い位置を気にしながら歩いている自分に気づき、苦笑いした。


家に戻ると、部屋の静けさがやけに大きく感じられた。

時計の音、外の車の音。

それらは聞こえるのに、あるはずの気配だけがない。


触れなくても、見なくても、分かった。


言葉にすると壊れてしまいそうで、僕は机の引き出しを開けた。

そこに、五年分の日記がしまわれていた。


表紙は擦り切れていて、角が丸い。

一冊目を開くと、幼い字が目に入る。


〈きょうは いっしょに あるいた〉

〈まっててくれた〉


ページをめくる手が止まらない。


——これは、僕のおじいちゃんがいなくなるまでの五年間を、思い出すための記録だ。


五年前、僕は小学生だった。

新しい生活が怖くて、夜になると眠れなかった。

そんなとき、何も言わずに部屋に入ってきて、僕の足元に座った人がいた。


それがおじいちゃんだった。


朝は必ず一緒に外へ出た。

同じ道を、同じ順番で歩く。

角を曲がり、坂を下り、また戻る。


おじいちゃんはよく立ち止まった。

電柱の前、草の生え際、決まった場所で。

僕が先に行くと、短く音を立てて、追いかけてきた。


話すことは少なかったけれど、気持ちは伝わっていた。

落ち込んでいる日は、距離が近かった。


日記には、そんなことが断片的に書かれている。


〈あめのにおいが すきみたい〉

〈あしがよごれた〉


中学に入ったあたりで、文字が荒くなる。


僕は、変わってしまった。


理由もなく苛立ち、優しさを拒んだ。

一緒に歩くのが恥ずかしくて、避けてしまった。

呼ばれても、振り返らなかった。


三年間、僕はおじいちゃんを避けた。


日記は、急に短くなる。


〈きょうも ひとり〉

〈まってた〉


それでも、おじいちゃんは毎日同じ時間に外へ出ていた。

僕が来なくなった道を、一人で、同じ速さで。


高校生になって、久しぶりに一緒に歩いた日。


〈また となり〉


その背中は、前より小さくなっていた。

歩く速度は遅く、途中で座り込むことも増えた。

それでも、僕の足元から離れようとしなかった。


もっと遊べばよかった。

もっと早く、戻ればよかった。


最後のページには、涙でにじみ震えた字が残っている。


〈きょうがさいご〉


今朝のことだ。

頭に手を伸ばすと、弱く体が動いた。

もう力はないはずなのに、それでも。


小さく、短い声が、喉の奥からこぼれた。


それは、言葉にはならなかった。


日記を閉じ、再び道に出る。

今度も一人だ。


一人でも行ける。

最後まで、ちゃんと歩ける。


それでも、寂しさは消えない。


ふと、いつもの公園で足が止まる。

地面に残った、低い位置の擦れた跡。

長い間、同じ高さで触れ続けた痕。


思わずしゃがみこみ、無意識に声が出た。


「……よし」


返事はない。

それでも僕は、少し歩幅を落として、前に進む。


隣にはもう誰もいないのに、僕の手は、自然と低い位置を探していた。

読後、もう一度タイトルを見てもらえたら嬉しいです。

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